2024年12月23日月曜日

花だより 伝説の名馬「オグリキャップ」 ナンテン

 

 
 年末、有馬記念の時期なるとオグリキャプを思い出す。
 もう10年も前のこと、北海道小学校校長会の全道研究大会が日高町で開催された。「大きな会場も宿泊施設もない、そんなところで全道大会ができるのか?」と心配する声があった。おまけに日高管内は、北海道でも学力が低い管内であった。そのときの大会要項の表紙を飾ったのがオグリキャップである。
 1990年12月23日の有馬記念、怪物オグリキャップ伝説のラストラン、連敗を喫して「オグリは終わった」とささやかれた中での劇的な勝利は、今も伝説として残っている。苦しいときに、オグリの存在に助けられたと話す人は多い。こんなに愛された競走馬がいただろうか?
 サラブレッド(育ちがよく、優秀な人という意味で使われる)
 競走馬は、優秀な戦績を残している血統から生まれているかどうかで、その価値は大きく左右される。血統が良ければ、取引額も高く、大きな期待が寄せられる。一方、血統が悪ければ、いうまでもない。競走馬は、血統が圧倒的にものを言う、厳しい“格差社会”で生きている。オグリキャップは、父親の競走成績が優れていなかったため、“二流の血統”と評価されていた。そのため地方の岐阜の笠松競馬場でデビューしたとき、活躍を期待する人は、ほとんどいなかった。
 しかし、馬主の小栗孝一は、オグリキャップに自分の人生を重ね合わせ、期待を寄せていた。貧しい家庭に生まれ、幼くして叔母の家に養子に出された孝一。「恵まれない環境に負けてたまるか」と、自ら事業を興し成功した。馬主となった孝一は、たとえ血統が良くなくても、きゅう舎を毎日訪ねるなど、家族の一員として馬に愛情を注いだ。馬に託した願いはただひとつ。「“血統”という格差を乗り越えて、走ってほしい」
 地方競馬から中央競馬会に殴りこんだオグリは、次々に血統の良いサラブレッドたちを打ち破っていった。
 オグリキャップを表紙に使ったわけ、そこには日高校長会の「雑草魂」が込められていたに違いない。

2024年12月22日日曜日

花だより 「了解しました」と「承知しました」 フタバアオイ シクラメン  

 

 

「了解しました」と「承知しました」
 
過日、OB会の役員会の案内を出したところ、「承知しました」と返してきた人がいました。メールの返信では自動的に「了解」という言葉が出てきます。私も簡単にクリックして「了解しました」と打ってしまいます。ところがこの「了解しました」は、丁寧語で謙譲語ではありません。上司や目上の人には「承知しました」を使うべきです。
 「そんなのどっちでもいいじゃん!」と思うかもしれませんが、やり取りがメールになった今だからこそ、こうした日本の文化(尊敬語、丁寧語、謙譲語)を大切にしたいものです。そして、それを伝えるのは年寄りの役目です。ところがその年寄りも知らない人が多いし、それを若い人への伝え方に気を遣うのです。
 敬語の使い分けは、ビジネスシーンでは当たり前のことですが、学校の先生は知らないことがたくさんあります。私自身、常識に欠けていて失礼することが多々あります。最低限の大人としての常識は身につけておきたいものです。
 インフルエンザが流行しています。先生方どうかお体ご自愛くださいませ」
 実はこれびも間違いがあります。

2024年12月21日土曜日

花だより 万年筆 枇杷 カトレア

 

 万 年 筆
 木目澤教育長から何度もお手紙をいただきました。藍色のインクの万年筆で書かれていました。返事は、間違ってはいけないと思い鉛筆でしたが、いつか自分も黒ではなく青インクの万年筆で書きたいと思っていました。テレ東「カンブリア宮殿」の番組最後に作家の村上 龍の編集後記が流れますが、これも青インクの万年筆で書かれてあります。あれがすごくかっこよく感じるのです。
 万年筆を持つということは、社会人としてのステイタスシンボルであり、高級というイメージがあります。
 今年、会計年度職員にも期末勤勉手当が当たるようになったので、これを機に万年筆を購入しました。(しかし、モンブランのような高級なものではありません)
 万年筆がなぜいいのか? 強い筆圧をかけなくても書き続けられる。紙面をスイスイ滑らせる感覚は、くせになる書き心地です。長時間書き物をする作家には向いています。しかし作家さんの多くは、万年筆からキーボードに代わっています。そして、なぜボールペンが多く使われるようになったのか? インクは水に濡れるとにじむ可能性があるからです。それでも万年筆愛好家は多いのです。
 そろそろ「年賀状しまい」を考えていましたが、一言添える言葉に万年筆を使うことにしたので、枚数を減らし、もう少し続けることにしました。
 「弘法筆を選ばず」(書の達人であれば、どんな筆でも傑作は書ける)、つまり「達人でなければ、良い筆を選びなさい」という教えであると理解します。

2024年12月19日木曜日

花だより 年をとるのは、許せることが増えること 寒菊

 

 年をとるのは、許せることが増えること
 年をとるということは、多くの経験することです。経験の中には当然、たくさんの失敗も含まれます。冷静な判断を欠けば、仕事はもちろん結婚や投資でも失敗しますし、年と共に経験を重ねていくと次第に「こういう時は、こんな失敗をするものだ。」とわかってきます。ですから、過去に自分が失敗したときと同じような失敗をしてしまった人がいたら、「そういうものだよ」と許せるはずです。ところが、非難したり、突き放したりする人がいます。これまで経験してきたことは、自分の失敗だけではありません。他人の失敗もたくさん見聞きして学んできたはずです。失敗した人に共感し、リカバリーの仕方を教えてあげるのが大人です。「どうしてそんなことをしたのだ!」などと怒る人は、人生から共感ややさしさを学んでいないことになります。
 失敗して学べる最大の財産は、「人の失敗を許せること」だと思います。その貴重な財産を得るためにも、失敗を恐れず年を重ねていくことです。
 「和尚さんのことば」から  無駄な年を重ねてきたと反省するばかりです。

2024年12月18日水曜日

花だより 親が子に期待するのと同じくらい、子は親に期待している センリョウ

 


 親が子を思いやるのは当たり前と思われていますが、どれだけの親が実際に子どもを思いやっているでしょうか。「思いやり」とは、子どものことをよく知ることです。よく耳を傾け、子どもの中の世界がどんなものなのか理解しようとし、たとえ自分の思う通りでなくてもその子の世界を受け入れることです。
 子どもの存在に感謝し、尊敬を払い、愛情を深めていくことによって、親子の関係は進歩していきます。思いやりの心を持って接すれば、話をするのも安心で楽しくなり、いじめなどの悩みも自然に打ち明けられるようになるはずです。
 こども園は、生後6か月から受け入れています。これまで0歳児の就園率は3割程度でした。2歳くらいまでは、自分で育てる家庭が多くありました。それが子育ては社会が担う、女性の社会進出(就業率)が進んだことで田舎町でもこども園預ける就園率は、0歳1歳でも8~9割近くになりました。延長保育はあたり前になり、お迎えは18時過ぎです。
 子どもと一緒に生活しないと子どものことをよく知ることはできません。ところが、おむつ替えは、親より保育士の方が多い。最初の発語やハイハイから立ち上がる瞬間を見るのは親ではなく保育士です。
 小学校に入ると、放課後は児童館に通います。「土曜預かり」もあります。親が休みでも、園にやってくる子がいます。普段、かまってやれないから、休みの日くらいと毎週末お出かけをする家庭もあります。ゆっくり家で親子が過ごすことが少なくなりました。「うちの子どうですか?」と保育士に聞いてくるお母さんがいます。 

2024年12月17日火曜日

花だより 進化し続けるAIと子どもの成長 ヤツデ

 

 2018年12月にこんな記事を紹介しました。
  進化し続けるAIと子どもの成長
              奈良女子大学特任教授 麻生 武(牧野要約)
 ≪2030年以降の社会 企業の淘汰と職業の淘汰≫
 大きな社会変化はすでに生じている。グーグル、アップル、アマゾン、フェイスブックといったテクノロジー業界の巨大企業が、準地球規模とも言えるようなビックデータを集め、恐るべき資金集積力を活用し、コンピュータサイエンス・テクノロジーに巨額の資金をつぎ込み、これまで想像もつかないようなネットワーク化された社会を構築しようとしている。
 2030年代あるいは2040年頃に汎用AIが出現すると言われている。完全な汎用ではなくても、特定領域においてかなり柔軟性をもつAIであれば、人間的労働の多くはAIによって代替されてしまうだろう。その兆候はすでに始まっている。2030年以降には、その規模が半端なものではなくなる。ドローンや自動運転が普及すれば、小売業だけではなく運送業にもほとんど人はいらなくなる。
 弁護士、税理士、医師などの一部の仕事もAIで代替可能なことは、今日でもすでに指摘されている。技術進歩が経済成長と雇用の減少を生み出すのは普遍則である。汎用AIが出現する2030年以降、「需要不足による失業」が増加し、AIに代替えできない仕事を持つ者が労働可能人口の約1割になり、残り9割は仕事がなくなってしまう事態になる。それを21世紀における新たな「役立たず階級」の出現として危惧している歴史学者もいる。また、AI社会では、企業が淘汰されていく危険も大きいと指摘している。それは、アメリカで現実にアマゾンが引き起こしていることである。ゼロサム・ゲーム(参加者の総得点が常に0になる得点ゲーム。勝者が得点すれば、その分他の者は失点になる。)中で、勝者が総取りしてしまうのである。
 とは言え、あまり悲観的になる必要もないかもしれない。私たちには、子どもたちという希望のカードが残されているからである。未来は、私たちと子どもたちによって、まだ、変えていけるのだ。
 麻布教授は、AIの出現は2030年以降と予想していましたが、5年以上も早まっています。教育はこのスピードに付いていっていません。

2024年12月16日月曜日

花だより 和尚さんの1分で心を整えることば マンリョウ アロマ

 

 「この命こそ 最初のいただきもの」
 お寺に来た初老の男性が、「私は親から何も財産をもらっていません。」と恨めしそうにおっしゃっいました。
 私は思わず「それはないでしょう。その命をもらっているではないですか」と返しました。目に見えるお金やモノばかり崇拝しているので、何をするにも基本となる「命」をもらっているという意識がないようです。
 「ご自分で働いて、家を買ってローンを払い、子どもたちを育てたじゃないですか、すごいですよ。それができたのも、親御さんから命をもらったからですよ。お金が好きなら、どんなこともできる命をお金に換算したらどうですか?」
 私たちが初めてもらったもの、それは紛れもなく、それは親からもらった「命」です。そんな大切なことに気づかずに、卑屈になるのはもったいないことです。
 親からもらった最高のものを大切にしましょう。
  「和尚さんの一分で心を整えることば」より