2026年7月11日土曜日

花だより AIの進化 常にアップデート グラジオラス ヒルガオ

 

 

 AI時代における教師の役割は常にアップデートすること
 教室では、全員端末に向かって学習をしている。ところが画面に出てくる問題はそれぞれ違う。できない子には、どこにつまづきがあるかを瞬時に判断し、その子に合った問題を提示している。実に効率的で、正に個別最適な学習が展開されるようになる。教師は机間巡視をしながら、その様子を見ているだけ、いつかこんな時代が来るだろうとは思っていましたが、AIの進化は、私の想像をはるかに超え、現実なものとなり、今やAIが当たり前になりました。ところが教育界だけがこの導入に慎重です。教育の普遍性を唱える人が多いからです。
 AIの進化に伴い、教育のあり方も大きく変化するのは間違いありません。これまで教師は知識を伝達することが主な役割とされてきましたが、AIが情報を即座に提供できるようになると、教師不要論まで沸き起こり(?)なくならないまでも、教師に求められる役割とスキルは大きく変化しています。
 AI時代に求められる教師の役割
 人間的な関わり: AIは知識伝達や分析は得意だが、他者との協調性、共感、倫理観、創造性といった人間的な側面を育むことはできまない。これらの情操教育こそ、教師の最も重要な役割となる。しかしこれすらも近い将来AIは克服するだろうと言われています。
 学習のファシリテーター: 生徒が自ら問いを立て、AIを使いこなして答えを見つけ出すプロセスを支援する役割が求められる。知識を教え込むのではなく、学習方法や探求の仕方をガイドする。指導者から伴走者になる。
 教師という職業は、子どもとのかかわりの中で、子どもから教えられ、先輩教師の優れた実践に学ぶことで一人前な教師に成長するものだといわれてきました。しかし、これまでも優秀な教師は、常に向上心や創造性をもって授業改善や学級経営に取り組んできました。
 これまでの常識や知識では通用しなくなったことを自覚することが大事だとつくづく思います。

 

2026年7月10日金曜日

花だより 職員室の机上の様子でその学校の教育力が分かる  キボウシ ハナミズキ 日赤前の噴水と園児

 




 職員室の机上の整理整頓
 アポなしで学校を訪れ、職員室の机上を観るとその学校の様子がよくわかります。
 学校は公的な場です。「散らかっている方が仕事がはかどる」「他の人に迷惑をかけていない。」という人もいますが、自宅の机と職員室の机では機能が異なります。機能が異なる以上、自分流にこだわれば、結果的に職場全体に迷惑をかけることになります。
1 「望ましい教育環境」の面から考える
 教育環境には、人的環境と物的環境があります。物的環境には、施設、物品、教材教具、動植物があります。教室内が散らかり放題では、学習効果は上がりません。それと同じで職員室も美的に整理・整頓された学校は組織的に機能しているということなのです。用務員さんや事務穂さんだけでなく教職員一人一人が気をつけなければならないことです。
2 「個人情報の管理」の面に問題がある
 学校は個人情報の宝庫です。外部の目に付きやすい職員室は、何気なく置いたものが外部の人の目に触れることもあります。子どもが何気なく見たものを子どもの責任にはできません。整理されていなければ、見逃したり、紛失したりする可能性もあります。机上の整理は、自分を守るためのものです。
3 「仕事の優先順位」を守るための配慮
 学校の仕事は超多忙です。いくつかの仕事を同時進行でやらざるを得ません。急な仕事もたくさん入ってきます。その優先順位を決めて、能率的な仕事をするためには、必要なものだけを机上に置き、集中して取り組むことが大切です。
4 「仕事の区切りをつける」ことの重要性
 教師の仕事は、いくらやってもきりのない仕事ですが、区切りをつけることは大切です。今日の仕事を明日に持ち越したのでは、ストレスが溜まるばかりです。机を整理し、一日の区切りをつける。気持ちの切り替えをすることが明日への活力につながります。
 たかが机上の整理整頓ととらえるか、この行為がどこにどんな意味があるかを考えて行動するかでは、大きな違いがあります。その積み重ねが教師としての価値を決めていくような気がします。
不要なものは捨てる。昔は印刷物が山のようにありましたが、今はパソコンでのデータ管理です。不要なプリントはすぐにシュレッダーにかけることです。退勤時に机上にあるのはパソコン一つだけです。

 


2026年7月9日木曜日

花だより 警備員心得 簡素化と横着 ベニバナ ハマヒルガオ

 

 警備員心得  同じことを繰り返して行っていると、人は無意識のうちに要領を覚え、できるだけ効率よく、効果的な方法はないかと模索しはじめる。これが合理化である。しかし、これが正しい合理化であるか保証はない。人は怠けたいという性質や、すぐに飽きるという性質を持っている。怠けたいとき、仕事に飽きてもそれを続けなければならないときに、それを合理化しようとすると「横着」に走ることになる。
 合理化とは効率よく作業を進めながら点検や確認においてその質を低下させないものであるが、「横着」とはそのもっとも重要な点検や確認の行為が疎かにする状態である。簡単な作業にこそ重大な危険が潜んでいることを忘れてはならない。
 これは警備員に限ったことではありません。どんな職業にも当てはまることです。
 

2026年7月8日水曜日

花だより 英語の学びは教員と子供で (読売新聞社説から) イワタバコ 石北大通散歩道の花

 

 


 AI利用 英語の学びは教員と子供で (読売新聞社説:7月5日)
 AIの回答は、誤りや偏りがある。そうしたリスクを十分理解せず、教育現場に安易な利用が広がる事態は避けなければならない。
 AIを使えば、ネイティブに近い発音や会話を体験できるなど、確かに有効な面もあるだろう。ただその活用を指導要領に明記することは、教育に積極的に利用するメッセージになる。その結果、AIを使うこと自体が目的化し、どの学年や授業のどの場面で使うとどんな教育効果が得られるかを考えずに多用する状況が生まれないか心配だ。
 行き過ぎれば、子どもの学びはAIに委ね、教員はそのサポートに回る形になる。それが教育といえるのか。教育の主役は子供と教員であり、AIは道具に過ぎないことを忘れてはないでほしい。
 海外では、過度のデジタル化を修正する国が目立つ、日本は、デジタル教科書導入を含め、なぜこれほど前のめりになのか理解に苦しむ。

 読売が警鐘を鳴らすことは必要かもしれないが、学校の授業だけで、英語を話せるようになった人がいるだろうか?長年の英語教育の課題をAIが救ってくれるかもしれない。使わない手はないだろう。

 

2026年7月7日火曜日

花だより シルバー世代の活躍の場 キキョウ タチアオイ アガパンサス

                                                  道端で見つけたキキョウとタチアオイ
 
 シルバー世代も体が動くうちは働いた方がいい。年金だけでは心持たない。
 そこで週に3~4日、プールの監視員をすることにしました。監視員は警備員扱いになるということで研修を受けてきました。
 新任警備員教育資料から
 機械はその構造やプログラム等の異常がなければ、実に正確に作業を続ける。ところが人間はいかに健康状態や精神状態が良好で安定しているときでもうっかりミスを犯すものである。ましてや不調であればなおさらである。
 単調な作業の繰り返しになると、本来は四方八方に神経を配り、事故等の発生を警戒しなければならないのに、つい安易に業務を遂行してしまう傾向にある。それが単調になればなるほど、また事故が少なければ少ないほどマンネリに陥りやすい。そのマンネリからミスが生まれる。これらはすべて過去に事故等がなかったから、今度も大丈夫だろうという慢心から生じている。交通事故を起こした人は、「まさか自分がなるとは…」と必ず言う。
 人間は間違う動物であることを知り、その間違いを教訓にして、日々改善を加える努力しなければならない。
 警備員も高齢化が進んでいて、なり手がいない。監視員はみな年金生活者らしい。近い将来、24時間ミスなく警備するロボット(人間のミスを学んでプログラムされた)の時代になるという。学校の先生もそうなるかもしれない。AIロボットに負けないためには、過去の失敗を教訓に新たなことを創造力する独創性だろう。
 単純作業は、一日4時間程度、週3~4日、時給はそんなに高くなてもいい、シルバー世代に任せればいい。

2026年7月6日月曜日

花だより よそ行きの顔をしない雑草が好き 自分らしく エゾキスゲ ヒルガオ ホタルブクロ

 

 


  よそ行きの顔をしない 
           サトウハチロー
 雑草が好きなんです
 よそ行きの顔をしないからです
 とりすましたところがないからです
 勝手気ままにしているからです

 花をつけても ちいさいちいさい花
 それがまた性に合うんです
 どぶのふちの露草なんか
 顔をあわせるたんびに「やァこんにちわ」です

 雑草が好きなんです
 せいいっぱいに生きているからです
 おもいおもいにのびようとしているからです
 それにそれに何より丈夫だからです

  妻が「この冊子にいいこと書いてあるわよ」と言って渡してくれました。
   「私らしく」2026 summer  vol21(再春館製薬所)
       あとがきに“お一人お一人が生き生き「今日も自分らしく」過ごしていただきたい。これが私たちの願いです。”とありました。

 植物学者の牧野富太郎博士は、“この世の中に雑草という草はない。一つ一つ名前がある”と言いました。“教育現場での子ども一人一人を大切にする”ことに通じると思います。
 「雑草のようにたくましく生きる」を信条にしている人もいますが、よそ行きの顔をしないのでかわいくなく、勝手気ままにのびて丈夫だから、すぐに刈られたり、除草剤を撒かれたりします。「雑草のように扱われたくない」と思う人もいます。これも「自分らしく」ということなのでしょう。
 
 

2026年7月5日日曜日

花だより 公園に子どもたちの姿がない 倉橋惣三先生の教え ハマナス 

 



 街中を歩いていると、小公園が多くあるのに気づく、ところが、子どもたちの姿はない。草ボウボウで、ジャングルジム、ブランコ、滑り台はあるが錆びだらけ、立て看板には「野球、サッカー禁止」と書いてある。
 小さいころの遊び場は、近所の空き地だった。草刈りなどしていなかったが、毎日子どもたちが遊ぶので草も生えなかったのだろう。そこで缶けり、三角ベース、鬼ごっこなど、年長がリーダーとなって遊んだ。「いつまで遊んでるの!いいかげんに帰ってきなさい。晩ご飯だよ。みんなもだよ!」と毎日のように母に叱られた。今は、道草もままならない。放課後はまっすぐ児童館に向かわなければならない。
 「日本のフレーベル」と言われた日本幼児教育の父:倉橋惣三先生は、“子どもにとって「遊び」こそが自発性を育む最も重要な活動である。”など様々な格言を残している。
 ~生活を生活で生活へ~
 ◎ありのままの生活を認める
 ◎生活の中で、自ら学び味わう
 ◎より豊かな生活、成長へつなげる
 ◎自ら育つものを育てようとする心 それが「育ての心」である
   と言っています。

 共働き、一人親世帯が多くなり、幼児施設や学童保育に預けるようになり、国も少子化対策で後押ししていますが、倉橋先生は、“大人のための保育ではない、子どものための保育である。” とも言っています。大人の監視の下での遊びでは、自発性はなかなか育たないのかもしれない。