2026年6月25日木曜日

花だより 生徒指導は、厳しいのがいいのか、カウンセリング的な指導がいいのか? シロツメクサ ルピナス 紫陽花



   生徒指導は「あれも、これも」の指導がいい        
 生徒指導ではよく議論になる相反する指導があります。例えば「“ダメなことはダメ”という指導」とか「毅然とした指導」が不可欠であると考えるのに対して、その指導では息苦しく否定的な対応になるという考えがあります。「厳しい対応がいいのか、優しい対応がいいのか」「叱る指導か、ほめる指導か」さらに「生徒指導的対応か、カウンセリング的対応か」などというものもあります。これらの議論に迷ったりしていると、現場では、指導が場当たり的になり一貫性を失い、やがて学校や学級は崩れていくことになります。
 教育の世界には、「あれか、これか」という迷いはよくあることですが、「あれも、これも」も必要だと現場は思っています。ところが専門家(教育評論家)の議論になると大方「ほめる」「カウンセリング的対応」に軍配が上がります。耳に心地よい言葉が並び、理想的な教育に思えて納得してしまうからです。そのために迷ってしまうのです。
 どのような“場面”でどう指導したのかが問題なのに、ある場面でうまくいったことが、他の場面にも通じるかのように単純に広げてしまうために迷うのです。
 例えば、問題行動が頻発する学校で、ただ褒めたり、カウンセリング的対応ばかりしていたりしても、事態は好転しません。逆に、厳しいだけでも生徒は心を開きませんから、原因への対策も方針も適切には立てられません。このような偏った指導を放置しておいてはいけないと思います。
 逆の場合もあります。厳しい指導(実際は「校則指導」や「規律指導」に過ぎないのがほとんどですが)をして、いまは落ち着いている学校だとします。すると多くの人が「この状態になったのもこれからのこの状態を維持できるのも、厳しい指導をしてきたからだ」と考えがちです。本当は別の理由で落ち着いてきたのかもしれないのに、人は目に見えるものにとらわれますから、厳しい指導の成果だと思ってしまいます。
 こうなると、ますます厳しさに拍車がかかり、校則や規律を守らせることが優先され、厳しい指導をしない教師にはダメな教師のレッテルが貼られます。落ち着いた学校になったのは悪いことではありませんが、問題はここからです。
 落ち着いた学校とは、些細な問題なら子どもたち自身で解決できる、大きな問題(例えば「暴力」「授業妨害」「いじめ」など)であれば、教師の指導が通って解決できる学校のことです。問題が一切起こらずに今後も落ち着いた学校現場を維持するなどということは、到底ありえません。
 ところが、この厳しい指導だけで落ち着かせていた学校は、既に生徒の心が先生たちから離れていていることが多く、大きな問題が起こったときには指導が通らなくなっています。生徒指導は、その根本に教師と生徒の信頼関係がないとうまくいかないからです。
 信頼関係の底流には、例えば「この先生の言うことなら従おう」「この先生には嫌われたくない」などという単純で素朴な感情があります。その感情が教師を尊敬していくことにつながるのですが、それがなくて指導は絶対に通りません。
 「校則」や「規律」を優先する指導では、やがてその指導が目的化しますから、生徒の心を掴むことはできず、「暴力」や「授業妨害」などの大きな問題に対応できなくなり、学校は荒れていきます。ですから、「厳しい指導」だけではダメで、生徒から尊敬されるような人間関係をつくるには「あれも、これも」なのです。
 厳しい対応も優しい対応も、叱る指導もほめる指導も、生徒指導的対応もカウンセリング的対応も、みな必要なのです。生徒指導方針は、根底にあるべき教師と生徒の信頼関係を壊したりするようなものではあってはいけない、ということを肝に銘じておくべきです。
          (生徒指導コンサルタント 吉田 順 月間「生徒指導」より)抜粋要約 *納得です。 

2026年6月24日水曜日

花だより 運動会の在り方を考え直す? ハナショウブ アザミ

 

 運動会シーズンが終わりました。グラウンドには、まだ白線が残っています。すっかり様変わりした運動会、その在り方を改めて議論すべきだと思います。 
 組体操や棒倒しなどは子どもたちがケガをして危ないということで、ほとんどの学校で禁止になりました。順位で優劣をつけない。『全員リレー』にルール変更する学校も増えました。“競う”運動会から、日ごろの体力づくりやチームワークなどを保護者に“披露する”だけの機会に変わりました。
 時短化が進んでいるのは、単にこうした禁止・変更種目が増えたからだけではありません。ダンスなど運動会に向けた練習をする時間がほとんどなくなり、運動会にばかり時間を割いていられないのが現状です。働き過ぎとの指摘も多い教員の“負担軽減策”として運動会の規模縮小が図られていることも背景もあります。
 一方保護者は、「ウチは共働きで、毎年、朝早くにお弁当を作るのも面倒だし、夫も明け方から場所取りのために校門前に並ぶ“恒例行事”に疲れてしまって……。今年は開会式ギリギリに行って、見えない後ろでも座れる場所を確保して、子どもの出番の時だけ前の方でで見る予定。午前中だけの運動会になって助かる。」と言っています。
 弁当要らずの時短化となれば、こうした共働き夫婦の負担を減らすこともできます。親はまだしも子どもは応援合戦などでずっと直射日光を浴びているので、長時間の運動会で熱中症にでもなったら、すぐクレームに繋がります。そうした問題を起こさないためにも、屋外での昼食や運動会自体の時間見直しは仕方のないこと。逆に小雨で順延になっても学校に『なんでやらないんだ!』とクレームの電話がかかってくる時代です。
 教育関係者の中には、「時短化してまで続けるくらいなら、いっそ運動会自体をやめてしまったほうが学校も保護者も楽になるのでは」と廃止論まで飛び出す始末です。そこには運動会の主役である子どもたちの存在が完全に無視されています。
 子どもの中には、勉強だけでなく運動が得意な子だって当然いますし、応援合戦やダンスなど表現活動に秀でた子もいる。運動会の時短化や廃止は、子どもたちからそうした能力を発揮する大事な場を奪うことになります。運動会と学芸会は学校の二大行事です。運動会の何日も前からてるてる坊主を作り、楽しみにするのは今も昔も変わりありません。
 学校や親の都合、事なかれ主義ばかりではなく、教育的配慮から運動会の目的を改めて議論すべき時期にきているのではないでしょうか。


2026年6月23日火曜日

花だより スポーツ選手が引退後に芸能界入りしても成功する? 薔薇 ヒルガオ

 




空き家になった庭にバラの花がありました。

  スポーツ選手が引退後、芸能界入りして活躍しています。スポーツ選手の多くは、高校時代から全寮制での長い経験や先輩、監督などに対する接遇や対応は嫌というほど見たり実践してきたことは勿論ですが、先輩に対する所作、社会規範などスポーツを通して培った精神性を持ち合わせています。気配り、目配り、心配りができているので芸能界に限らず別な分野でも活躍できるのだと思います。
 また角界の故春日之理事長は、「五つの言葉」を新弟子に常々言っていたそうです。
 「はい」…という素直な心
 「すみません」…という反省の心
 「おかげさまで」…という謙虚な心
 「私がします」…という奉仕の心
 「ありがとう」という感謝の心
 相撲や剣道、柔道などでの「心技体」の考え方は、どの業界にも通じることだと強く感じます。優秀なスポーツ選手は、運動能力や技術だけが優れているわけではなく、スポーツを通して心も磨かれたということです。これは学校教育に通じるものです。


2026年6月22日月曜日

花だより 「父の日」はひまわり ノアザミ 月見草 ノコギリソウ

 



 「母の日」にカーネーションを贈るのは、誰もが知っていますが、「父の日」には、ひまわりを贈るというのは、あまり知られていません。それだけ「父の日」の認知度、父親の存在は影が薄いのかもしれません。
 父親のシンボルカラーである黄色を代表する花「ひまわり」の花言葉が「尊敬」「憧れ」「敬慕」であるため、日ごろの感謝を伝えるギフトとして人気があるそうです。しかし、花をプレゼントされて喜ぶお父さんは少ないかもしれません。
 今年の父の日のプレゼントとして「着て寝るだけで簡単疲労ケアするリカバリーウェア」が人気なようです。疲れているお父さんには打って付けの品です。私も着用していますが、効果がどれほどかまだ分かりませんが、こうした気遣いはうれしいものです。
 「お父さん」と言っても、20代から80代それ以上と幅広いです。シルバー世代は、若い人より回復が遅く、休む時間も長い、転んだら骨折の可能性も高くなるので、「転ばぬ先の杖」の用心が大切です。高齢者が働く環境には、滑る床、階段の手すり、真夏の野外勤務などのリスクに注意を払ってほしい。「年の功」の視点が高齢社会の商機を呼ぶこともありますので、よろしくお願いします。
 園児に「父の日は何かするの?」と聞くと「缶ビール1つだよ!」、
「ひとつ?」
「そうだよ。ママが『飲み過ぎは体に良くないから…』と言っていたからだよ。」

 

2026年6月21日日曜日

花だより 世界自然遺産「知床」で起きた悲惨な事故 イヌコリヤナギ ウツボグサ

 

美幌の農家の庭で見かけてすぐに車を止めて撮影!こんな植物があるんだ?

 知床沈没社長に実刑 (釧路地裁) 裁判長は、悪天候で運行すれば、事故は予見できたとし、被告の安全管理のずさんさを指摘した。(6月18日)
 知床で生活するとは、厳しい自然との闘いである。自然の怖さを一番知っているのは、そこの住民であるはずだ。今回は事故は本当に残念でならない。

 世界自然遺産の町「斜里・ウトロ」で暮らしている実感
 ここは、何もない不便なところだ。何でこんなところが世界遺産なんだ。地元の人には、知床の厳しい自然に価値があることを知る由もなかった。そんな知床の価値を教えてくれたのは、よそから来た人たちだった。当たり前のように毎日を暮らしていると気付かないことがたくさんある。
 大地の遺産 ミスター知床 午来 昌 元斜里町長
 知床からのメッセージ
 大切なことは みんな知床が教えてくれた
 大自然と毎日五感で触れ合ったことで
 私のものの見方 考え方 そして 生き方を決定づけた
   *人は自然から学ぶことが多い。(斜里朝日小学校に赴任した時、いただいた本)

  斜里町の学校教育の基盤はここにある。
  「知床」を「子ども」に置き換えると
  子どもたちからのメッセージ
  大切なことは 全て子どもたちが教えてくれた
  子どもたちと毎日 五感で触れ合ったことで
  教師としての ものの見方 考え方 そして 生き方を決定づけた
   
もう一度、目の前にいる子どもたちを見つめてみよう!

   

2026年6月20日土曜日

花だより 失敗しても「日にち薬」がある アザミ 薔薇 エゾキスゲ 

 



庭にバラが咲いている家の主はどんな人なのかと思う。
花言葉は、「愛」「美」「情熱」
花びらが整った薔薇に巡り合うのは難しい。

 お漏らしをしてしまった子に「気にするんじゃない!」と言ってもすぐに立ち直ることはできません。失敗は誰にでもあるものですが、いつまでもくよくよしていることがよくあります。
 関西では、「日にち薬」と言って、時が癒してくれるという考え方があります。日時が薬になって、どんな悲しみも直してくれるのです。特別な治療や薬を使わなくても、人間は、時間の経過とともに自然と傷や病気、心の痛みを治す力を持っているのです。

  「日にち薬」は、本当に優しく人の心を癒すのです。
  悲しい時は、じっとしてそのいやな時が過ぎていくのを待っていてください。
                   瀬戸内寂聴「生きる言葉 あなたへ」より

 「悲しみや悩み、失恋や辛い出来事があったとき、今はつらいだろうけど、これも“日にち薬”やで~。」と関西人(大阪人)は言うのです。こうしたポジティブな考え方が必要です。さすが浪速の人たちです。
 失恋した腹いせに元恋人を殺めたという事件がありました。失恋には「日にち薬」が一番効くことを知ってほしい。
 

2026年6月19日金曜日

花だより 幸運、不運と見える人にも、当然背景がある。 マイズルソウ ヤナギタンポポ ニセアカシア

 



園長先生、ブタナでしょ? これはヤナギタンポポだね。これもタンポポでいいじゃん!

 私が成功したのは、運に恵まれ、人に恵まれと言う人がいますが、幸運、福運、功徳、運が強いなど、人生での“いいこと”が起こるには、それなりの理由があって、偶然や天地から降って来たり、湧いてくるものではないという仏教の教えがあります。
 薬師寺の大谷執事長は「自分に与えられた縁は、たまたまとか偶然ではなく、目に見えないすべての物がお調えの上に成り立っているのです。目の前にある物すべてがよっぽどの縁に感じられたとき、本当の幸せを戴けたと私は思います。」と言っています。
 幸運や不運と見える人にも当然背景がある
 広辞苑の「身口意」の項に「身体的活動(身)と言語的活動(口)と精神的活動(意)、人間の一切の活動を『三業』という」この三つのはたらきが原因となって、人は幸せにも不幸にもなるというのです。つまり人には運を開く力が備わっていて運は自身の力の開くことができる。その幸運を呼ぶのが三つのはたらき「三業」なのです。
 「身」は、人は一人では生きられない。チャンスは人を介して訪れる。自律と積極性を持った人と交わると幸運は他人との関係で生まれる。貧しくても笑顔や人を愛するまなざしで人を大切にする行為が人を幸せにする。
 「口」は、人の言葉で自信を破るという。同苦、同意の心からの相づち、なぐさめ、励ましの言葉、人を憂うから「優しい」という文字となった。心のこもった言葉を持つ人ほど、いい人生を送ることになる。
 「意」は、心をいつも前向きに楽観的にすれば人生は好転するという。人は心の状態に似せて現実をつくる。
 若いときは、お寺さんのお説教など、気にも留めませんでしたが、この歳になって「ありがたい」と心から思うようになりました。しかし、少し遅すぎたと思っています。