2026年4月23日木曜日

花だより 「報・連・相」ダ・ネは、なぜ大事なのか(「情報は組織の血液」) 辛夷 オオバナノエンレイソウ

 
石北通りのコブシが満開

  「報・連・相」ダ・ネは、なぜ大事なのか
 「情報は組織の血液」と言われます。「上司を殺すには情報を絶てばよい」と何とも物騒な言葉があります。それほど情報は重要だということです。
 「報告・連絡・相談」が大事だとよく言われますが、これに加えて「打診・段取り」「根回し」を加えると完璧です。
 「根回し」は、樹木を移植する時、周囲を掘って主根(大事な根)を残して他の根を切り、ひげ根を発生させ移植し易くする作業のことです。
 あらかじめ関係者に説明し、理解と協力を求めおくことで、仕事の手際がよくなります。仕事のできる人は、「根回し」がうまいのです。
 「詰めが甘い」「詰めが足りない」という言葉があります。多くの情報を集め、それらを分析・検討し、よりよい処理方法を見つけ出し、解決を図ることが管理職(校長・教頭)には求められます。そのためには「タテ・ヨコ・ナナメ・ウシロ」など多角的に深く検討して“詰める”ことが必要です。
「報告・連絡・相談」は、なぜ大事なのか? 職員に言うときには、具体的に説明することです。  これらの総体が管理職評価であり、仕事ができる人か否か問われます。(木目澤訓)
   「 根回し」は、日本独自のビジネス習慣です。不測の反対を防ぐメリットある一方で、非効率で不透明な「悪しき習慣」と批判されることがあります。高市首相は「根回し」よりスピードを重視しています。高い支持率を背景に与党内からの批判をかわしていますが、そうした文化の中で育った人間にとっては抵抗感を感じることでしょう。

2026年4月22日水曜日

花だより 新任教員、校長・教頭先生へ 「あ・た・ま・の・け」を大切に シャガ 最新の玉ねぎの移植機

 




         最新の玉ねぎの苗の移植機
 
新任教員、校長・教頭先生へ 「あ・た・ま・の・け」を大切に

“あ”は「明るく」~明るい笑顔は、必ず誰かの薬になっています。
“た”は「楽しい」~楽しいは笑い。楽しく仕事ができるような心構えが大事です。
“ま”は「前向き」~上を向くとは諦めること、下を向くとは落ち込むこと、横を向くとは人と比べること 後ろを向くとは後悔すること それよりも前向きな姿勢が大切です。
“の”は「飲み食い」~食べなければ健康を保つことができません。忙しい中でも“飲み食い”を通して情報を得る。コミュニケーションを深める。
“け”は「健康」と「研修」~“健康に勝る宝なし”どんな立派な学歴で、立派な職業にある人でも、健康を損ねると全てが崩れてしまいます。
◆教師として研修は言わずもがなです。教育を預かるうえで研究と修養がなくては教育者とはいえません。
 私も70歳になって「あたまのけ」を大切にしています。白髪は増えましたが、まだハゲてはいません。洗髪後は、薬用育毛トニックをシューしてマッサージをしています。外出時は帽子(退職時に先生方からプレゼントされたハンチング)を被ります。

2026年4月21日火曜日

花だより 「人との出会い 自然との出会い 本物との出会い」 ミヤコワスレ ツツジ

 

 
        石北通り ツツジ満開
 本物と出会うことは、学校教育の原型ではないかと思います。
 自然は無償・無料の教育の財産であり、自然に接することにより、人間の情操の根幹が育つと考えるからです。また、知識と共に知恵を身につけ、社会性や共生の心を育てるためにも“人との出会い”が必要です。学校教育は、本物と出会ってその良さを感じ、本物を学んだり、身に着けたりすることの厳しさを知ることなど、実体験との出会いを重視すべきです。
~SNSなどバーチャルな体験をあまりにも早い時期にしてしまうと大事な感性が育たないし、体をしっかり作ることができない。~
 ゲーム機の影響がどうか判断しかねますが、“人が死んでも、また生き返る”と答えた小学生の割合が話題になりました。最近、親が子を殺害する。子が親を殺めたりする戦慄するような事件・事故が絶えない。学校もモンスターペアレンツとかクレーマーの対応に苦慮しています。価値観の多様化とはいえ、急激な社会変化の中でだれもが戸惑っています。しかし、人生経験や体験を積んだ大人に比べ、むしろ、大変なのは子どもたちではないでしょうか。
 鑑みて、「教育のプロである教師は、保護者に対して子育てについても、保護者には自ら子どもと共に学び、共に育つ」“教育は共育”ということについて、適切にアドバイスができるような教師になるよう、汗をかくことを忘れてはならないと思います。
                      (木目澤訓 牧野要約・加筆)

2026年4月20日月曜日

花だより 子どもを人前で叱ってはいけません(大村はま訓)と管理職心得 ヤマザクラ スイセン

 

 
           散歩中に見つけた水仙(石北通り公園)

 子どもは人前で叱られたり、「もう一度言ってごらん」などと言われることが、どんなに恥ずかしく、辛いことはないのです。とても奮起するエネルギーにはなりません。たいていのことは後で叱っても間に合います。~ (大村はま訓)
 子どもの気持ちになって考えることが大事で、保育者なら分かっていることですが、なかなかそれができません。子どもに限ったことではありません。校長が教職員に指導すると同じですし、学校だけではありません。
 “一人の子どもを粗末にした時、教育はその光を失う”この 言葉を目にした副町長さんが、「子どもの接し方は、役場職員に接することに通じる。」と感想を述べました。上に立つ人は、常に学ぶ姿勢を持っているのです。
 修養とは、研修会に参加したり、偉い人の講演を聞いたり、専門書を読んだりすることだけではなく、日常生活のありふれたことからも自然の移ろいからも、テレビを見ていても、学ぶことができます。大事なのは、謙虚な姿勢と感性、センス、観察力を持つことだと思います。


2026年4月19日日曜日

花だより 「校長心得の不易と流行」を履き違えることなかれ オドリコソウ オキナグサ(2)

 

 

 校長になると、“校長”というだけで部下職員が服従し、校長の考える教育方針が貫かれ、また子どもたちや親が尊敬してくれる。法令や規則を持ち出さなくても秩序が保たれ教育の成果が上がる。と思い込んでいる人がいるかもしれない。また、そんな時代があったかもしれない。
 「ところが現実は、まるで違う。手に負えない子どもを否応なく抱え、手に負えない教師をあてがわれ、しかも教育実践の“成果”を厳しく世間的ににも行政的にも問われる。」と愚痴をこぼした校長がいました。
 それでも「校長心得の不易と流行」を履き違うことなく、校長になったときから、教育の未来を担う後継者にバトンタッチしていくことを考えなければならないのです。そのためには、自分自身を磨くことが大切です。
1 何事にも賛成してくれる教職員に囲まれた校長は、凡庸な助言しかできない。
2 賢明な校長は、適応力を示すが妥協しない。
3 成功が大きければ、他から受ける嫉妬も大きい。
4 代償を支払う(責任を取る)覚悟があれば、大抵のことは成し遂げられる。
5 どんな決断にもある程度の危険はつきものである。
6 リスクを恐れてはならない。ただし対決を急いではならない。
7 教職員の長所を伸ばすことが賢明な校長の役目である。
 今から15年前に木目澤教育長に言われたことです。この通りにできるはずもありませんでしたが、このことを心にとめて教職員に接するように努力はしました。

2026年4月18日土曜日

花だより 国語教師:大村はま先生名言集 オキナグサ イカリソウ 

 

 
 ~大村はま先生名言集~
 “分からないことがあっても、むやみに人に聞くことはやめなさい。プリント(文章)をよく読み、注意や説明をかみしめて、自分で考える作業を進める。ちょっとわからないからといって、すぐに聞くものではない。落ち着いて考えみれば、たいていのことは分かってくるものです。”
 今のAI検索への警鐘ともいえる言葉です。また、国語教師だけあって、「ことばというのは、人間の宝物です。ことばがあるからこそ、人間が人間になるのです」と言っています。
 教壇に52年間立ち続けたことで、子どものことをよく理解しています。
「子どもたちに安易に『だれでもやれる、やればできる』と言いたくない。やってもできことはある。それもかなりあることをひしと胸にして、やってもできない悲しみを超えて、なお、やって、やって、やまない人にしたい。」
「子どもというのは元気なようでいて、案外もろくて弱く、傷つきやすく、疲れやすいのです。子どもは元気あるというだけで、まだ体ができていません。苦労した体ではないので、意外に疲れやすいのです。」
 大村先生は、1906年(明治39年)生まれ、98歳で亡くなりました。
 「教育は不変」、もう一度かみしめたい言葉です。 

2026年4月17日金曜日

花だより 国語教師:大村はま先生の後半生の口癖 レンゲソウ 玉ねぎの移植始まる

 


     きたみJA日本一 玉ねぎの移植

 今は「教えない教師が多すぎる」 つまり「子どもたちに自ら考えさせる」と称する「教えない教師」に異を唱えていました。
 大村先生が講演会の中で
~荷車を引いた男がぬかるみにはまった。汗びっしょりになって引っ張るが動かない。見ていた仏様がちょっと指で車に触れると荷車はすっとぬかるみから出て、男は元気に車を引いていった。男が仏様に助けられたことを永遠に知らないだろう。これこそが1級の教師なのです。~
 大村はま先生は、中学・高校の教壇に52年間立ち続けた国語教師です。手作りの独創的な教材で子どもたちの勉強への意欲を引き出した。戦後の国語教育の基礎を築いた国語教師です。
 先生は、教頭・校長の経験はありませんが、教育論を語り続けられたあり様は、管理職としての学校経営や運営に大きな示唆を与えてくるものです。この荷車を引く男の話は、授業論や生徒指導にとどまらず「校長は仏様」であってほしいと心にとめてほしい。 
                        (木目澤訓)