2026年6月19日金曜日

花だより 幸運、不運と見える人にも、当然背景がある。 マイズルソウ ヤナギタンポポ ニセアカシア

 



園長先生、ブタナでしょ? これはヤナギタンポポだね。これもタンポポでいいじゃん!

 私が成功したのは、運に恵まれ、人に恵まれと言う人がいますが、幸運、福運、功徳、運が強いなど、人生での“いいこと”が起こるには、それなりの理由があって、偶然や天地から降って来たり、湧いてくるものではないという仏教の教えがあります。
 薬師寺の大谷執事長は「自分に与えられた縁は、たまたまとか偶然ではなく、目に見えないすべての物がお調えの上に成り立っているのです。目の前にある物すべてがよっぽどの縁に感じられたとき、本当の幸せを戴けたと私は思います。」と言っています。
 幸運や不運と見える人にも当然背景がある
 広辞苑の「身口意」の項に「身体的活動(身)と言語的活動(口)と精神的活動(意)、人間の一切の活動を『三業』という」この三つのはたらきが原因となって、人は幸せにも不幸にもなるというのです。つまり人には運を開く力が備わっていて運は自身の力の開くことができる。その幸運を呼ぶのが三つのはたらき「三業」なのです。
 「身」は、人は一人では生きられない。チャンスは人を介して訪れる。自律と積極性を持った人と交わると幸運は他人との関係で生まれる。貧しくても笑顔や人を愛するまなざしで人を大切にする行為が人を幸せにする。
 「口」は、人の言葉で自信を破るという。同苦、同意の心からの相づち、なぐさめ、励ましの言葉、人を憂うから「優しい」という文字となった。心のこもった言葉を持つ人ほど、いい人生を送ることになる。
 「意」は、心をいつも前向きに楽観的にすれば人生は好転するという。人は心の状態に似せて現実をつくる。
 若いときは、お寺さんのお説教など、気にも留めませんでしたが、この歳になって「ありがたい」と心から思うようになりました。しかし、少し遅すぎたと思っています。

2026年6月18日木曜日

花だより 【旭川女子高生殺害】に思う スイカズラ ハルジオン ヒメジュオン ハナミズキ

 

              初めて見る花?散歩中あるお庭で
ハルジオンorヒメジュオン ハナミズキ
 ハルジオンかヒメジュオンか?AIは両方表示した。 ヒメジュオンの蕾ははずかしそうに下を向いているが、この写真ではそれが判断できなかったようだ。さすがAI?
 【旭川女子高生殺害】内田被告に検察は懲役27年求刑した。ネットでは「あり得ない」「甘すぎる」などの批判が殺到しているという。
 また、内田被告の両親はいったいどんな人? これもネットに上げられている。真面目で働き者で優しい家族だったというが、娘には甘く、放任だったらしい?

「親をバカにする」に陥りやすい要因
「最近、子どもが親のことをからかってバカにするようになったが、親はそれをとがめない。」
「ウソをつく」という行為同様、「バカにする」という行為は、言葉が達者になったからという理由だけで出てくるものではなく、物事を複雑に考える作業ができるようになってきたことでの副産物です。
 子どもが親をバカにしたような態度をとる背景には、さまざまな理由があります。
 人をバカにすることで、自分を防衛している
 人は、自分に自信がない、自分の立ち位置が危うい、こういうとき、自分を大きく見せて威嚇したり、逆に、相手を小さく見ることで、自分を守ろうとすることがあります。
「相手をバカにする」のは、後者のパターンで、たとえば、ママに叱られてむしゃくしゃするから、ママを下に見るような発言をして、自分をなぐさめている場合などがこれに当たります。
  家庭内のバランスが崩れ、子どもが王様状態になっている
 子どもが生まれてからは、子ども中心の生活になるものですが、その途中でバランスを崩し、子どもが何をやっても許されるような王様状態になってしまうと、もしその子が軽率な発言をしたとしても、取り立てて責められることがない、正しくは、親が指摘することができない状態になっていることがあります。
 親に対する感謝や尊敬の念が育っていない
 親が尊敬できないような行動を取る場合(例:虐待、生活習慣の乱れなど)、感謝の念が育たないのは当然ですが、ここで取り上げている「バカにする発言」に多いのは、親が子どもの世話をするのは「当たり前だ」と、子ども自身が認識している場合です。
 赤ちゃん時代を過ぎても、親がお世話をやりすぎてしまっている場合に多いようです。この場合、ママが時間がなくてバタバタしていても、子どもはずっとテレビを見ていたりします。「親が動けばいい」と尊敬の念に欠けるため、親をバカにしても、良心を痛めたりすることもありません。全体として、親子関係のバランスが崩れていると、子どもはそのスキに「バカにする」という行為に至りがちといえます。
 特に赤ちゃん時代の「のびのびと育てたい」という思いが、のちにエスカレートしている場合に多く、子どもの好きなようにやらせてあげるのが、「のびのび子育て」と考え、しつけがうまく進まなくなってバランスを崩してしまうことが非常によくあります。
 対策としては、子どもと親が、主従関係にならないようにすることがポイントになります。親は子どものお友だちではないので、しつけの場面では、毅然とした態度できちんと導いてやることです。(「イキイキ子育て」より) 
 内田被告の親もまさか娘がこんなことをするとは思ってもみなかったでしょう。


2026年6月17日水曜日

花だより 寿大学の入学式 ハマナス ボタン

 

河川敷のパークゴルフ場(無料でプレーできる)朝からシルバー世代で大賑わい

 少子高齢化社会が進み、近い将来3人に1人は高齢者になると言われています。そんな中で寿大学(各市町村が主催する60歳以上シニア対象の生涯学習の場)の入学式でのあいさつの内容です。
 「かきくけこ」に注意しましょう!
 か~風邪ひくな き~気を病むな く~食い意地をはるな け~検査を受けよう
 こ~転ばない 
  また、こんなことを言う人も
  ◎子どもを叱るな 来た道だ
  ◎年寄りを笑うな 行く道だ
  ◎災いは口より出て身を破る
  ◎幸せは心より出て身を守る
 また、“福祉には「3かける」”が大事だと強調しています。
 ① 声をかける ② 笑顔をかける ③気をかける 
*長く生きてきて、このような言葉が身に染みる年齢になりました。
 年寄り向けの言葉ではなく、学校教育にも通じる言葉だと思います。
 15日は年金支給日でした。普段は人通りの少ない商店街ですが、この日だけはお年寄りの姿が目立ちました。我が家も久しぶりに外食に出かけました。
 今日は、何日、何曜日かわからなくても、年金支給日だけはしっかり覚えています。





2026年6月16日火曜日

花だより 宮大工に学ぶ ノイバラ ナデシコ ケシ イワカガミ

 



朝の散歩コース タマキ花屋さんの植物園で

 つくばの国立教育研究所の研修で、宮大工古川三夫氏の話を聞く機会を得た。宮大工は神社や寺院などの伝統的な木造建造物の新築、修理、解体を手掛ける専門職人、釘を使わず木材を組み合わせる「木組み」の高度な技術を駆使し、建物を何百年と後世に受け継ぐための役割を担っている。建築の技能だけでなく、木材の特性を見極める力、さらには歴史的な背景や建築学の知識も必要とされる。宮大工は日本が世界に誇るマイスターなのです。
 小川氏の工房には約20~26人の弟子がいて、同じものを食べ、同じ空気を吸い、10数年ほど修業させた後に独立させる。新人が全員の食事を作る。何一つ手に取って教えることはなく、弟子が見様見真似で技術を身に付けていく昔ながら徒弟制度の世界だそうです。寝食を共にすることで、目をつむってすれ違っても風の動きでだれか分かる。また、体の大きい弟子は、丸太を担ぐ時は、黙って重い方に走る。そうした思いやりも自然に生まれるといいます。
 1300年前の規格品でない木の組み合わせの適材適所と弟子一人一人を理解し適材適所に配置する見極めが棟梁として大切だという話には恐れ入りました。こうした徒弟制度が日本の文化を築いてきました。大事にしたいと思いますが、AIがさらに進化すると、こうした技術も人に代わってAIができるようになるのでしょか?
 国立研究所の講師は、日本企業の超一流の経営者や各分野の著名な方々ばかりです。一流ピアニストの演奏会や歌舞伎鑑賞もありました。質屋の目利きは、徹底して本物を観るそうですが、いかに自分は偽物や二流三流品で満足していたかと反省しました。
 

2026年6月15日月曜日

花だより 子どもはこうして育つ ヤマボウシ バラ ユキノシタ ハナミズキ

       
                       

 学校だよりや学級通信は、「こんなことをしました」という報告や行事のお知らせだけでなく、子育ての情報も伝えることが「共育」の一つの手段だと思います。
  ~子どもはこうして生き方を学びます~
・批判ばかり受けて育った子は、非難ばかりします。
・敵意に満ちた中で育った子は、だれとでも戦います。
・ねたみを受けて育った子は、いつも悪いことをしているような気持ちになります。
◎心が寛大な人の中で育った子は、がまん強くなります。
◎はげましを受けて育った子は、自信を持ちます。
◎ほめられる中で育った子は、いつも感謝することを知ります。
◎公明正大な中で育った子は、正義感を持ちます。
◎人に認めてもらえる中で育った子は、自分を大事にします。
◎仲間の愛の中で育った子は、世界に愛を見つけます。
   作 ドロシー・ロー・ノルト 訳 吉永 宏
 ただし、上から目線で偉そうに言うことは禁物です。「共感」こそ「共育」です。



2026年6月14日日曜日

花だより 通知票に通信欄がない? イワカガミ アケボノフウロ

 



 通知票には担任が書き込む通信欄(所見)があります。
“給食の片づけが上手です”、“掃除当番も熱心です” 親の目には、家庭ではさっぱり手伝いをしないと映っていたのに、学校ではきちんとやっていることが分かり思わず微笑んだ。そんな保護者も多いのではないでしょうか。教師の目線で親の知らない子どもの姿をとらえ、家庭と学校の「橋渡し」をする通信欄の大切な役割です。
 それなのに一部の学校では通信欄をなくしたという。“保護者とのコミュニケーションは取れているので、書く必要はない”というのが教員側の言い分のようです。しかし、学校の様子を一人一人について文章に書くことで、子どもの生活がもっとはっきり見えてくることもあります。また、「記録に残るので、うかつなことは書けない」という教員もいます。通信欄の空白の向こうには、保護者と正面から向き合うことにしり込みする教員の姿が浮かびます。
 通知票は、出さなければならないというものではなく、通信欄(所見)の記入は教員の義務的な仕事ではありません。通知表そのものをなくした学校もあります。
 所見は、手書きからワープロ、そしてAIがアシストしてくれる時代になりました。
 新卒の頃、“通知票(評価)さえなければ、教員ほど楽しいものはない”と思っていました。先輩から、「所見が書けるようになったら、一人前の教師だ。」と言われ、学年主任、教務、教頭、校長先生を回って戻ってきた所見の下書きは真っ赤になっていたのを思い出します。子どもの成長を思い浮かべながら、通信欄にペンを走らせてほしいものです。義務ではないからと働き方改革で削ってほしくありません。

2026年6月13日土曜日

花だより みんないっしょが本当にいいのか? ハマナス

 

 
 「みんないっしょに」というのは困ったものだ
 運動会の“かけっこ”というのは、おもしろい。子どもたちが一生懸命走っている姿を見ると、心から「がんばれ」と声援を送りたくなります。見ている者も夢中にさせるのが運動会での徒競走です。 ところが一部の運動会は、ゴールしても1番や2番を決めるわけではなく、昔のように1等賞、2等賞というような賞をもらうことはしません。
 ゴールには親がビデオカメラやスマホをかまえて待っているので、わが子が何番だったかは、カメラの中に残されているだけというのが多いのです。
 あらかじめタイムを記録しておいて、同じようなタイムの子を並べて走らせる学校がほとんどです。そして、みんな頑張ったからということで、みんなに「努力賞」を配るところもあるようです。
 なぜこうなったかというと「1等賞がとれなかった子どもやビリになった子どもがかわいそう」という親の真理が働いているようです。
 ある学校の運動会は、昼のお弁当も親と子は別々の場所で食べる。これも「運動会を見に来れなかったお父さんやお母さんがいる子どもはかわいそう」という親の心理が働いています。コロナ以降、運動会は午前中で終了し、お弁当自体ありません。そうした親の思いをそのまま受け止める学校もどうかと思います。
 子どもが「かわいそう」なことはできるだけさせたくないという気持ちは大切です。しかし、それと同じくらい「かわいそう」な状況になったときにどう耐えられるかを子どもが学ぶことも大切です。
 今は「かわいそう」という親の気持ちが大きくなって、どんどん過保護にしています。保護」することと「過保護」にすることは、天と地ほどの大きな差があります。保護者が子どもを「保護」したいというのは理屈ではなく、心の底からにじみ出てくる親の本能でしょう。でも、この気持ちをうまくコントロールしていかないとあふれる本能で「過保護」になってしまいます。気持ちがあふれて暴走しないようにコントロールするのが親の責任です。