2026年8月12日水曜日

花だより 「この国の人は、今まで発見された国民の中で最高である」フランシスコ・ザビエル サルスベリ オオハンゴウソウ

 


 熊本がまたも大きな地震に見舞われた。それに追い打ちをかける酷暑と台風、遠くにいる私にできることは少額の義援金だけで申し訳なく思う。
 SNSでの「閲覧数稼ぎ」の偽情報投稿が拡散しているという。被災者の苦悩、昼夜問わず懸命に災害復旧作業をしている人たち、ボランティアや自治体の職員の皆さん、警察、消防、自衛隊の皆さんのことを思うと、なんと不届き者か! いつから日本人は、こうなってしまったのか?
 富国有徳への道 
「この国の人は、今まで発見された国民の中で最高であり、日本人より優れた人々は異教徒の間では見つけられない。彼らは親しみやすく、一般に善良で、悪意がない。驚くほど名誉心の強い人々で、他の何よりも名誉心を重んじる。大部分の人は貧しいが、武士もそういう人々も貧しいことを不名誉とは思わない…」
 1549(天文18)年、キリスト教布教のため日本にやってきたフランシスコ・ザビエルが、本国に送った手紙である。
 1856(安政3)年、通商条約を結ぶために来日したハリス提督の日記には、「彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もない。これが人民の本当の幸福の姿といえるだろう。私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、この人々の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか、疑わしくなる。私は質素と正直の黄金時代をいずれの他の国よりも多く日本において見出す。生命と財産の安全、全般の人々の質素と満足とは、現在の日本の顕著な姿であるように思われる。」とある。
 フランスの詩人ポール・クローテルは、1921~1927(大正10~昭和2)年まで、駐日大使を務めたが、日本の敗戦が濃くなった1943(昭和18)年、パリで言った。 「日本は貧しい。しかし、高貴だ。世界でどうしても生き残って欲しい民族をあげるとしたら日本人だ。」
 私たちの祖先は勤勉・正直・親切・謙虚・素直・感謝といった徳目を規範に、幾世紀も暮らしてきた人たちであった。外国の人たちの証言は、そのことを明らかにしている。
 しかし、今の日本は隔世の感と言わざるを得ない。この日本人の美徳を取り戻し、後世に渡さなければならない。それが教育の使命である。私たち一人一人がこの美徳を涵養し、発揮した時、日本は真に豊かな国となる。「富国有徳」とはこのことである。
         「富国有徳論」 川勝平太著より 抜粋:牧野要約
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2026年8月11日火曜日

花だより 「子どもが嫌がることはさせない」 ほめて育てる教育の落とし穴 ムクゲ コスモス 牛舎 ひまわり畑 

                                           

  「子供が嫌がることはさせない」親のせいで「失われた30年」はこれからも延々と続く
  子供にがまんすることを教える親が急減している。いい方を替えれば、子供が何をしても叱らない親が急増している。その結果、がまんすることを学ぶ機会が失われてしまった。 なぜそうなったのか。1つは1990年代に「ほめて育てる教育」が欧米から輸入され、急速に普及したことが挙げられる。「日本の子供は自己肯定感が低いので、ほめて育てて自信をつけさせるべきだ」と声高に叫ばれ、それが大流行になった。
「ほめて育てる」教育の落とし穴
 子供を叱るにはエネルギーが必要だ。叱らずに済み、そのほうがむしろいいといわれれば、親にとってはありがたい。しかし、「ほめて育てる教育」を日本に輸入する際、大事なことが抜け落ちていた。 欧州では子供をほめながらも子供に厳しい。歴史的に個人主義が根づいているので、親は幼少期から子供を別人格としてあつかい、子供が公の場で他人に迷惑をかけないように、日本よりずっと腐心している。また、成績が悪ければ小学校でも落第する。日本よりずっと社会全体が子供に対して厳しい。社会が子供に厳しいので、親は子供が自己肯定感を失わないように「ほめて育てる」必要がある。  
 ところが、日本では欧米の前提を無視して、「ほめて育てる」という表面だけを取り入れてしまった。学校現場だけでも厳しさを保っていればよかったのだが、1990年代の後半から、モンスターペアレントという言葉や現象が注目され、親の行きすぎたクレームを避けるために、学校現場でも子供を叱る機会は急速に失われていって、怒ったり叱ったりすることを制限したり、忌避されるようになった。いま小学生の暴力行為が急増するなかで、授業中に騒いだり、席を立ったり、暴れたり、ほかの子供や教師に暴言を吐いたりする子供が増えているが、それでも教師は叱ることができない。むろん親も、学校からそういう報告を受けたとしても子供を叱らない。子供が嫌がることはさせないのだ。
 子供が叱られなくなってもう30数年。いまや親世代にも叱られた経験がない人が急増しており、そういう親は子供を叱ることができない。 叱るとは暴力やハラスメントとは似て非なるものだ。子供がまちがったこと、協調性が大切な社会でそれを乱したときや、子供自身の成長を阻んでしまいそうなときに、親や教師が子供を正しく導いてやるのが「叱る」という行為である。親子、または教師と親とのあいだに信頼関係が築けているかぎり、子供のために「叱る」行為は、ハラスメントと同列に判断されるべきものではない。
 ところが、いまの親の多くは、自分自身が叱られた経験がない。このため親自身が、だれかに叱られると過度に落ち込んでしまいがちで、ましてや子供を叱ることなどできない。また、2002年度から小中学校で導入された「ゆとり教育」では、子供に無理をさせないことが奨励された。子供を叱らない。子供に無理をさせない。そんな流れを受け、教育現場や家庭では、「子供が嫌がることを無理にやらせず、好きなことを伸ばす」という風潮が生じた。それ自体、文科省が定めた方針ではないが、「無理をさせない=嫌な気持ちにさせない」と誤解されてしまった。  
 サッカーのように「好きなこと」なら、とことん伸ばしていいと思っている親が多いから、すぐれた選手が輩出するのかもしれない。一方、遊びの延長ではじまるサッカーと違って、勉強を最初から「好きだ」「おもしろい」と感じる子供は少ない。しかし、やっているうちに「おもしろい」と感じるようになる子供も少なくない。「おもしろい」とまでは思わなくても、意欲が生じるケースは多い。意欲が生まれれば、忍耐ができるようにもなる。 ところが、子供がそれに気づく前に、親が先回りして子供の可能性の芽を摘んでしまうのである。叱られたことがない若者が厳しい社会に適応できない、という事例はよく耳にする。今後の社会が心配になる。加えて、せっかくポテンシャルがあったのに、能力を十分に伸ばす機会が得られない子供が急増するとしたら、その子にとって不幸なのはもちろん、日本社会にとって大きな損失である。このままでは、日本が「失われた30年から」から回復できるとはとても思えない。
 香原斗志(かはら・とし) 音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。
 中央教育審議会の委員は、教育関係者以外のこうした人物がなったらいいと思う。
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2026年8月10日月曜日

花だより デジタル教科書の何が問題なのか? オオマチヨイグサ チングルマ

 

 
 デジタル教科書の何が問題なのか?  QRコードやリンクが逆効果なワケ
  デジタル機器のスイッチを切れば、教科書の実態は一瞬で消えてしまう。学習ツールとしては、はなはだ不適格であることに誰も気づいていないようです。
 人間に思考は、そう簡単に途切れなく、分かったつもりでも少し経ってから未消化の部分に気付いたりするものです。すぐにページを開いて見直せることが学習では大切なのです。
 QRコードが花盛りなると、紙の教科書の情報量をはるかに超えてしまう恐れがあります。そうすると何をどう学んだらよいかということが分からなくなってしまうか可能性があります。学習の基本は、「触れたものに繰り返し触れる」ことにもかかわらず情報過多となれば、その根本が損なわれてしまうのです。“浅く広く”では、学びは深まりません。
 デジタル教科書のリンクは、ネット検索と共に情報過多となり、自分で考える前に調べるようになります。端末で完結するようになるので、紙のノートは使わなくなり、「書き写して覚える」、メモを取るなど書字の能力まで影響する。「かな漢字変換」に頼ると簡単な漢字さえ書けなくなる。「予測変換」に頼ると同じ表現や定型文を繰り返し使うようになる。キーボードの高速入力が災いして要点を絞ることなく受動的にすべてタイプするようになる、雑に書いた後、編集機能に頼る分、文脈を正しく想定できなくなる。など、便利だと思って大人が与えようとするデジタル機器は裏目に出る可能性が高い。 「デジタル化により授業が効率化して、学習効果が上がる」などと期待しすぎてはいけません。
                   東大大学院 酒井邦嘉教授
 自分もそのことに気づき、手書きしてからブログにアップするようにしています。
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2026年8月9日日曜日

花だより 「褒めて育てる教育」30年経って?  エダマメ ピーマン 

        

 「褒めて育てる」が推奨されて30年
 1990年代から推奨され、それと並行して学校教育でも新学力観が適用された。それまでの競争による知識偏重をやめて授業中の態度や関心で成績を決める方向に転換して30年が経った。テスト結果がトップクラスの子でも5段階評価の5ではなくて4になり、テストはトップクラスでなくとも、たとえば先生に頻繁に質問する子は5になる。これが文部科学省の基準に照らせば正しい。結果がすべてとすると、知識偏重の競争社会が深まってしまう。それを防止するために勉強のプロセスを評価するというわけだ。
 国際比較で日本人の学力が低迷しているのは確かなのだが、褒めて育て、成績では厳しく競わせない。そういう風潮で育った今の親世代がまた子育てをするサイクルに至った。もはや褒めて育てるという思想は打ち砕きにくい厚い壁になった。
 厚い壁?
 態度や関心でのプロセスを評価するとなると、ついつい自分に対していい態度を取る人に対して評価を高くしてしまう。日本人はとかく関係性で動くから、大人の社会の人事評価自体もうまくいっていないが、それが学校にまで持ち込まれた。グローバル化が進む中で、せめて学校では実力主義でやるべきだと思うのだが。
 褒められるのが当たり前になる子どもたち
 調査の結果、年代で全然違う。若い人だと70%ぐらいが父親や母親によく褒められている。中年以上には、逆に父親は厳しかったという人が多い。文化がはっきり変わってきたのだ。無言のうちに一体感があって、はっきり言われなくても親の愛情は感じる文化から、厳しさ抜きの“エセ欧米流”が取り入れられて褒めまくる。“子育て書”にも子どもを褒めまくれば伸びる、そんなようなことがいっぱい書かれている。
 弊害が目立つ
 褒めまくられて育てられると、褒められるのが当たり前になる。逆に褒められないとやる気がなくなってしまう。「褒めてくれないと自分たちはめげる世代だ」と言う若者も多い。学生時代はそれで通るかもしれないが、社会に出てそれが通るわけがない。そういう若手社員は、うちの上司は褒めてくれないからモチベーションが上がらない、命令してくるからムカつく、さらには人間として対等な立場なのだから、人にモノを頼むのなら上司はお願いすべきだとさえ言い出すようだ。
 榎本 博明(えのもと・ひろあき)/1955年生まれ。
 東京大学教育心理学科卒業。東芝勤務後、東京都立大学大学院へ。心理学博士号を取得。米カリフォルニア大学客員研究員、大阪大学助教授などを経て、MP人間科学研究所代表。産業能率大学の兼任講師も務める。20校を超える大学で教えた経験を生かし講演、執筆活動を行う。
 教育の振り子現象~日本では、自由と個性を重視する「ゆとり教育(経験主義)」と基礎学力や規律を重視する「詰め込み教育(系統主義)」の間に何度も行き来してきた歴史があります。一方の教育方針が長く続けると必ず問題点が浮き彫りになって、メディアや保護者から批判が高まり、その不満を解消するために真逆の政策へと舵が切られます。
 極端に“振り子”が振れることを防ぎ、ほどほどのところにすることが難しいようです。
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2026年8月8日土曜日

花だより 日本は、子どものSNS利用をどうするのか? サギソウ 日日草 ひまわり畑

 

 
  日本は、子どものSNS利用をどうするのか?
 子どものSNS利用を巡っては、心身への悪影響や犯罪に巻き込まれるリスクなどが世界中で問題になり、使用を規制する国は多い中で、日本はどうするのか?
 子ども家庭庁の有識者会議は、SNSを利用する子どもの保護に関する中間報告書をまとめた。SNS事業者は、利用規約で13歳以上と定めているが、年齢を偽っているケースが多い。そのためマイナンバーカードを活用し、年齢確認を厳格化するように求めた。
 政府は最終報告を受けて来年の通常国会に青少年インターネット環境整備法の改正案を提出する方針だ。オーストラリアでは16歳未満、フランスは15歳未満の利用を禁止した。インドネシアや韓国など、アジア諸国でも規制の動きが進んでいる。しかし、規制する年齢は何歳が妥当なのか難しい問題だ。
 子どもの心身への影響を医学や認知心理学の知見を踏まえて十分に議論し、利用規約の見直しや法律の改正に生かすべきだ。SNSの中には、すでに親子間や部活動の連絡など広く使われているサービスもある。こうした状況をどう考えるのかも重要な視点である。
 日本が一律年齢規制に消極的なのは「表現の自由」を侵害しないかどうかという懸念に加え、いじめなど生きづらさを感じる子どもの「居場所」になっているという意見もあるためだ。しかし、SNSに居場所を求めること自体健全とは言えない。
                  (8月3日 読売社説から 抜粋要約)
 
これまで何度も言ってきたが、指導する(手本となる)大人の使い方はどうなのか?
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学校前のひまわり畑


2026年8月7日金曜日

花だより 日本ほど子どもを親切に扱っている国はない キスゲ クサフジ

 

     幕末明治に来日した外国人の多くは、子どもたちの幸せそうな姿に驚いた。
 米国人エドワード・モースは≪日本ほど子どもが親切に取り扱わられ、そして子どものために深い注意が払われている国はない≫と書いた。(動物学者石川欣一訳『日本その日その日』より)
 家業の手伝いでも祭りでも、子どもが常に大人と過ごす様子に感心している。小さい子は母親や大きな子が背負って一人にしない。≪子どもの天国≫と呼んだ。
 今なら天国のような時間と言えば夏休みだろう。だが、そう感じられずにいる子どもたちがいることを忘れてはならない。子どもの貧困率は11%に及ぶ。給食も涼しい教室もない夏やすみは辛い家庭もある。食事の量や回数を減らし、エアコンも我慢することもある。親が子を守る努力をするのも限界はあるだろう。今は「こども食堂」もある。涼しい図書館(公共施設)もあるので活用してほしい。
≪ニコニコしているところから判断すると、子どもたちは朝から晩まで幸福であるらしい≫とモース。しかし、当時の日本は決して裕福ではなかった。(8月2日 読売新聞「編集手帖」よりば抜粋、要約)
 
子どもの幸福とは何か?」 日本の子育て文化を大切にしてほしいものだ。インバウンドが増えたのは、円安が理由だけではない。日本人より日本文化の良さを分かっている?
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2026年8月6日木曜日

花だより 校長講和は覚えていない アサガオ コマクサ

 

  離任式で児童代表から「校長先生、全校朝会の時に、いつもためになる話をしてくれてありがとうございました。」と言われました。全校朝会で何を話そうか?2~3日前からネタ探しをして臨んでいました。『全校朝会【校長講和】文例集』も買いました。そう言われてうれしかったので、「どんな話を覚えていますか?」と聞くと「ためになる話だなあと思っていたけど、話の内容は覚えていません。」と正直に答えました。
 子どもたちの心に残る、心に響く授業をしたいと思うのが教師ですが、国語に「一つの花」、「大造じいさんとがん」などの物語教材があって、しっかり教材研究をして授業に臨みます。教師は覚えていますが、クラス会で「そんなのあった?」と言われがっかりしたことがありました。
 子どもたちは、学校生活で何を身に付けたのでしょうか?
 「『かけ算九九』は覚えたよ。漢字の練習もしたし、音読練習や計算練習もしたなあ~。」
 毎日繰り返しやったことは覚えているし、身についているのです。
「先生がさ、授業が早く終わったとき『体育館空いているか見てこい』て言ってさ、ドッチボールしたのを覚えているよ。」 そんなことは覚えているのかい???
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