2026年5月28日木曜日

花だより 長良川の鵜匠に学ぶ「一語らい」 フランスギク ヒナゲシ 

 

散歩道の道端で見つけたフランスギク マーガレットとは違います。
 「一語らい(ひとかたらい)」
 長良川の鵜飼は、約1300年の歴史があると言われています。鵜匠は国家公務員(宮内庁式部職鵜匠)で世襲制で6人しかいません。その代表の山下氏の話です。
 鵜は渡り鳥の海鵜を茨城県で捕獲し、一羽約15万円ほどで購入し、厳しい訓練を経て一人前の鵜になる。昔から一つの籠に入れるのは2羽で「ひとかたらい(一語らい)」という。捕獲され長良川に来ると卵を産まない。初めは顔を横に向けているが、四六時中顔を合わせていれば、だんだんと語らうようになり、相手の魅力が分かって話が弾む、それは鵜匠と鵜との関係も同じだと言う。
 見学者から「鵜に心はありますか?」と聞かれると、「生き物は全て心がある」と答える。辞書を開くと「心」の項に「動物の内臓」とあり、手を通じて鵜の内臓と自分の内臓が触れ合うことが、「心と心と触れ合い」であるのだ。これで「腑に落ちましたか?」
 ちゃんとオチのある話で、職場における人間関係に通じると思いました。

2026年5月27日水曜日

花だより 教員に求められる10K エゾエンゴサク ライラック

 


     散歩(ウォーキング)の途中で  ライラック(リラ)

  教員に求められる10K
 教員の教育力を上げるために木目澤先生は12の「K」を挙げましたが、少しアレンジして10にまとめました。
1 健 康~言うまでもなく教員は心身ともに健康でなければならない。
2 感 謝~受けた行為をありがたく感じる心
3 感 動~素晴らしさを見聞きする心
4 向上心~教わらず、学ばず、読まずして、良き教員にはなれない。
5 好奇心~常に興味関心を持ち、豊かな心を養う。
6 研究心~常に深く調べたり、考えたりする。
7 協調心~多くの同僚や地域の人たちと協力して仕事ができる。
8 観察力~細かな部分、人の心を注意深く見つめる心眼を持つ。
9 行動力~自己改革や改善に努め、実践を深め、心身を動かす。
10 休 養~働き方改革で生じた時間で体や心を休め、次の活動に備える。
  激務と言われる学校の先生ですが、楽をするための働き方改革ではありません。

                朝の散歩で見つけた花々


2026年5月26日火曜日

花だより こども園の園長を退任して思うこと シラン 散歩道の花

 


            散歩道

 こども園の園長を退任して思うこと
 決して有能な園長ではなかったので今、思うことは~
 園長は何よりよき保育者でなければならない。園は製品を作る工場でもなければ、商品を売る会社でもない。園は、子どもたちの潜在能力を開花させ、遊びを通して学ぶ場である。そうした組織の長が単なるマネージャーであっていいはずがない。
 美しいサウンドを創り出すオーケストラの指揮者が、熟達した音楽家であるように卓越した保育を実現すべき園のリーダーは、優れた保育者(教育者)でなければならない。退職校長が園長になるケースが多い、私も含めて大きなハンディを負っていることを自覚しなければならない。
 園長職に就いて、学校とこども園(幼児施設)の文化の違いを身に染みて感じた。これは、現場上がりの園長にはわからないことで、逆にこれが退職校長に求められていることかもしれない。任命する首長や教育長は、校長として培ったヒト・モノ・カネを有効に動かすマネジメント力を期待している。現場上がりの園長でも、優秀なマネジメント力を持った人物はいる。それは全国園長会に参加して感じたことだ。
 退職校長先生には、任命権者だけでなく、そこで働く先生方、子どもたち、保護者の期待に応え、特に幼小連携に取り組んでもらいたいと思います。

               散歩道 石北公園通り 5月25日朝

2026年5月25日月曜日

花だより 運動会様変わり スズラン ミカン

 


 昔は、朝6時の花火でマチの人は“運動会がある”と分かったものだが、今はネットで知らせてくれるので、最近花火の音は聞かなくなった。
 土曜日、10時半ころに車で出かけると、紅白帽子を被った低学年らしい子を連れた家族を多く見かけた。「運動会の帰りか?」それにしても早い。出番が終わった順に帰るのか?
 子どものころ、普段は食べられない豪華なお弁当を家族で囲み、前半戦を振り返って食べるのが運動会の楽しみだった。今は午前ですべて終了する。妻は「その方がお弁当を作らないで済むから親は助かるわね。」と言う。しかし、十数年前、イオンの店長が「北見が道内で運動会用のオードブルが一番売れる。」と言ったのを思い出す。
 来賓として他校の運動会に出席したことが何度もある。“開会式を見ればその学校の教育力が分かる”と言われる。4月から約2カ月間、学級づくりの成果が出るのが運動会だからだ。
 こども園では毎日のように開会式の練習をする。幼児が手をつないで歩く、話を聞く、決められた場所に立つのは難しく、毎日やってもなかなかできない。それでも先生は決して𠮟ったりしない。できるできないより、そうした経験をすることが大事だという。
 学校では、規律正しい集団行動を指導をしなくなった。“軍隊のようだ”と批判があったからだ。しかし、こども園では集団行動を大事にしている。これが身についていないと命の危険にさらされるからだ。運動会は、集団行動、仲間意識の高揚、家族団らんなど、さまざまな要素が詰まっている。学校の二大行事(運動会と学芸会)であり、小規模校の運動会は、親戚縁者が集まる地域のお祭りだった。時代の変化と共に運動会(学校行事)が様変わりするのは仕方がないことだと思う。そう感じて昔を懐かしむのは、自分がじいさんになったということだろう。
      

2026年5月24日日曜日

花だより 「雨は降らないで!」運動会 セキチク ツツジ

 

 晴天の下での運動会を期待するが、北海道には「蝦夷梅雨」がある。本州の梅雨のようなジメジメ感はないが、気温が低くなる(「リラ冷え」ともいう)ので寒い中での運動会になることがある。現職の時は、「雨は降らないで!」と週間天気予報を気にしていたものだ。
 「雨の国日本」 日本人がもたらす日本文化
                民俗学者 畠山章宏氏
 コメを主食とする水田耕作を営んでいる日本人は、古来から雨と深いかかわりを持って暮らしてきた。雨が降らないと作物は育たない。しかし、大雨や長雨は反乱を呼ぶ。そこで、日本人は、降雨を祈願する「雨乞い」や雨が止むことを祈る「日乞い」の祭りを行ってきた。特に「雨乞い」は大切な祭りで、かつては「雨乞い」には黒馬を「日乞い」には、白馬や赤馬を献上した歴史がある。その後、板に描いた「絵馬」を奉納するようになった。それが今では、「合格祈願」や「良縁成就」に変わってきたのである。その起源は、雨にまつわる祈願であることをこの先忘れないでほしい。
 日本の国土は、7割が山地で急斜面が多いので水害が発生しやすい。数年ごとに洪水が起こることを前提に、自宅の敷地内に盛り土をして、その上に蔵を建て、家財や食料品を収めたり、いざというときはそこに避難した。洪水が起きると上流から栄養のある土が運ばれてくる。洪水を悪く捉えるだけでなく、恵みを運んでくれるという捉え方もできる。自然の驚異に抗らず、雨と共存する知恵や付き合い方を学んできた歴史を忘れてはならない。
 何事も新しいことが良いことだとは限らない。AIはこうした回答をしてくれるだろうか?
                      

2026年5月23日土曜日

花だより 山上憶良の和歌に学ぶ 私が先生になったとき アヤメ カキツバタ

 


 「銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも」
 万葉集に収録されている有名な和歌です。今さらですが、“どんな財宝よりも子どもこそがかけがえのない宝物である。” 奈良時代は、子どもを幼くして亡くなることが非常に多かった。親としての純粋な深い愛情や期待は、今も昔も変わりません。
 文科省は高等学校の次期学習指導要領で、新設したばかりの選択科目「文学国語」「論理国語」を廃止する方針に転じました。入試では評論文がよく出るので、「論理国語」を選択する生徒が多く文芸に触れる機会が減ったことが問題視されたのです。
 評論文を正確に読解する力が求めらるのは当然でしょう。しかし、人生や人の心を学ぶなら文学でしょう。
 宮沢賢治の作と言われる詩があります。
  私が先生になったとき  自分が心理から目をそむけて 
   子どもたちに本当のことが語れるか
 
  私が先生になったとき  自分にほこりを持たないで
   子どもたちに「胸を張れ」と言えるのか

  私が先生になったとき 自分がスクラムの外にいて
   子どもたちに「仲よくしろ」と言えるのか

  私が先生になったとき 自分の闘いから 逃げ出して
   子どもたちに「勇気を出せ」と言えるのか

  こうした文芸に触れた先生が今求められているような気がします。
 教育の世界では、「教員の一生を決めるふり出しの3年間」という言葉があり、先生としての将来が決まると言われています。新卒の先生には、この黄金の3年間を大事にしてほしい。また、校長先生には新卒の先生を大事に育てることをお願いしたい。

2026年5月22日金曜日

花だより 教師・保育士・保護者の子育てをめぐる認識のギャップ  ムスカリ 桐の花

 

 

 教師・保育士(保育教諭)・保護者が「すれ違っている」 三者合同アンケートで見えた子育てをめぐる認識の違い。(小学館調査:スマニューから)
 「入学前に育てたい力」
 小学校教師は「身辺・自立(着替えや片付けなど)」88.1%、「指示を聞いて行動する力」67.3%が上位だった。保育士は「感情を言葉で表現する力」70.5%、「指示を聞いて行動する力」68.9%、「友だちと協力する」47.7%に対して、小学校教師は25.2%と開きがあった。
 教師は、規律や生活の自立を重視するのに対して、保育士は、感情や人間関係の基盤を大切にしているという教育観の違いがはっきり表れた結果となった。
 「保護者は学校のせいにしている」は本当か?
 「子どもの学習のつまずきはどこに原因があるか?」 主に学校にあると答えた教師が57.5%に対し、保護者に「家庭が担うべき教育的役割」を聞くと「学習習慣」が61.4%で、「学校任せ」は、わずか0.7%に過ぎない。
 「小1プロブレム」の不安は三者まったく違う。
 教師は「発達理解のずれ」27.4%、「保護者の認識のずれ」24.3%、「情報共有不足」22.6%と大人同士のコミュニケーションの問題を上げているが、保育士が最も不安に感じているのは、「支援体制の引継ぎ」42.4%で園で積み上げてきた配慮や支援が小学校に届くかどうかという制度的な接続の懸念を上げている。また、保護者の最大の不安は、「友人関係」51.9%、「学習についていけるか」20.8%と三者三様で、教師は「大人間のずれ」、保育士は「接続の仕組み」、保護者は「わが子の適応」とまったく異なる次元で就学を心配していることが浮き彫りになった。
 認識が違うということは、互いの警戒感につながり、誰も責任を押し付けていないのに、互いへの不信感が生まれてしまいます。
 こども園の園長になって、小学校と園では「文化が違う、言語が違う」ということを実感しました。ですからこの調査結果は頷けます。幼小連携は、まずこの違いをお互いに認識することから始めることです。そのためには、互いに足を運んで観ることです。話し合うことです。