2026年9月6日日曜日

花だより 教育が大きく変わる 次期学習指導要領 ミニトマト ミョウガ

 

 次期学習指導要領の大枠が固まり、各校の裁量で授業時数(コマ数)を増減できる「調整授業時間割制度」が小中学校に導入される見通しとなった。教え方や時数管理などに工夫が必要となることから、学校や教員には的確なかじ取りが求められる。
 新制度では、全教科を合わせた総コマ数は減らさないが、教科のコマ数を最大15%減らせることができるようになる。また、1コマあたりの時間を45分から40分にすることも可能になる。反面、学校の裁量が認められる一方でカリキュラムのバランスが崩れてしまい学校間格差の可能性も懸念される。さらに削減が難しい教科として現場からは、算数を上げてる意見が8割と突出して多かったことから算数ばかり増えてしまうのではないかと心配する向きもある。
 土曜日も授業があった時代、授業日数、総授業時数は今よりずっと多かった。詰め込みと批判され「ゆとり教育」が始まったが、その時の方が「ゆとり」があった。担任の裁量で10時間配当の単元を9時間で終わらせ、単元テストでつまづきがあったところを補習することもできた。余裕時数で学級指導や学校行事の取り組みもできたし、標準授業時数を下回ることはなかった。
 今回の改定は、“総授業時数は変えずに、やることは増やす。後は各学校で工夫しなさい”ということだ。さらにAI情報の使う力も育成しなければならない。IT分野の変化は凄まじく速い。不慣れが教員も少なくない。人材確保と研修や外部人材の活用など環境整備が急務だ。現場の先生は、さらに大変になる。これにやりがいを感じ、教員を目指す若者が増えるだろうか? 
           土曜日 神社境内と周辺を掃除するお年寄りの皆さん
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2026年9月5日土曜日

花だより 校長先生て何してるの? ヒマワリ 百日草 イヌバラ

 

  1年生が「がっこうたんけん」で校長室にきたとき、「校長先生は、ここで何してるの?」と質問されて困った。担任の先生は、勉強を教えてくれる。教頭先生は、職員室で忙しそうに働いている。校長先生は?〟と疑問に感じたようだ。担任の先生が「学校で一番偉い人だよ!」と説明してくれたが、「偉い人」とはどんな人だろう?さらに分からなくなったようだ。
 「校長とは何するものぞ?」
 一 上に立つものは、偉いものではない。辛いものと思え、それに耐えられない者は下り
   るべし。
 一 上司の命令のみにあくせくしている姿は、主体性がなく哀れである。職員にあれこれ
   要求され突き上げられて、うろちょろしている姿は、なお哀れである。
 一 いつも重大な任務を背負っている。児童生徒を預かって意図的、計画的に一人一人の
   よりよい成長を願っている。公立学校の最高責任者であることを自覚し、校長個人の
   思いつきや人気取りではその使命は果されない。
 一 与えられたヒト・モノ・カネの中で校長は今何ができるか、そこに「校長は何するも
   のぞ」の問いが生まれる。(道小校長会研究大会の資料から)
 「校長先生は大変なんだ!」と言う必要はまったくない。不思議な存在でいいのだ!
       
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2026年9月4日金曜日

花だより  「子どもと向き合う」とは?  ブドウ 9月のロビーの花

 「子どもと向き合う」とは? 
 「子どもと向き合う時間がとれない」「子どもの悩みに向き合うことが大切」などと、生徒指導の場面での児童生徒とのかかわりを考えたときに頻繁に使われる言葉です。子どもとの向き合う時間を確保するための働き方改革です。しかし、「向き合う」とは、具体的にどうすることなのでしょう?
 今日の社会では効率よく結果を出すことが求められ、問題解決のために手早く正解を得ようとする傾向が見られます。そのせいで解決が難しいと思われる問題に出合うと思考停止に陥り、通説や多数意見(AI)に飛びついてしまうことが少なくありません。「向き合う」とは難しいことです。なぜなら子どもは一人ひとり違うからです。一つのやり方が効果があったとしても、それが正解ではありません。答えの出ない宙ぶらりんの状態の中で粘り強く問い続ける姿勢が「向き合う」とは、そういうものかもしれません。
 子どもたちが信頼する先生は、一緒に遊んでくれるやさしい先生です。しかし、何でも分かってくれる先生ばかりではありません。悩んだり、時には弱みを見せたりする先生も、信頼される先生です。自分がどれほどのことができるのか、と自らのありようを愚直に問うことができる教師こそが、子どもと誠実に向き合うことができる教師だろうと思います。
 大事なことは、教師自身が児童生徒の行動を見るときの自分の立ち位置に気づくことです。問題の原因を本人や家庭に求めるのではなく、子どもと教師は相互に影響し合うという認識に立ち、問題を理解しようとする姿勢が求められます。子どものためにと思ってやった行動が期待通りに受け止められなかったときこそ、自分を見つめ直して子どもとの関係に気づき、信頼関係を築こうとする気持ちを持ち続けることが、子どもと「向き合う」ということにほかならないと考えます。 (月間「生徒指導」より)
 子どもと向き合うには、教師の力量が問われます。これは本務です。雑務を減らして、子どもと向き合う時間を確保することが大切です。
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2026年9月3日木曜日

花だより 「我以外皆我師」 ホウセンカ ピンクのカサブランカ

 



 「我以外皆我師」
 宮本武蔵の小説で有名な吉川英治氏が好んで使った言葉で、プロ野球の野村克也監督が座右の銘にしていた言葉です。
 “自分以外のすべての人間や出来事、環境に至るまで、そのすべてが自分に何かを教えてくれる師匠である” (「謙虚さ」が必要だということです)
 私ごとき者が言える立場ではありませんが、例えば、学級経営や学校経営に悩む時、行き詰った時、方向が見つからなかった時、身近に相談できる先輩や仲間、友人、同僚が必要です。そういう基盤づくりや環境、条件整備を普段からしておくことです。特に教頭先生には、“校長になって責任ある立場の仕事をするための貴重な積み上げの時代であることを肝に銘じることです。そして、“双六ではないのだから、校長になって『上がり』ではない。教育を志した者として、初めてスタートラインに立ったと考えるべき” 自分が教頭時代に先輩校長や木目澤先生によく言われました。
 「謙虚さ」=「努力をもたらすモチベーションである」、「謙虚さを持たなければ、努力を怠る」=「栄光は長続きしない」
 県議会議長、市長の辞任が相次ぎました。人は長く上に立ち続けると「謙虚さ」を忘れがちになるものです。
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2026年9月2日水曜日

花だより 親父はくさいから嫌い!  オリエンタルリリー 黄薔薇 ヤマブドウ マツバボタン

 

 人前で平気で親をバカ呼ばわりしてゴネている小さな子どもや、それを平気で受け入れている親を見かけると、古くさい考え方かもしれないが、やはり子どもは親に「バカ」などと言ってはいけない。そして、いけないことをやったときは大いに叱るべき。節度あり社会規範をきちんと教えるのが親の役目だろう。別に子どもに嫌われても平気じゃないか。顔を見たら逃げ出すくらい怒ってもかまわない。それより良いことと悪いことのわかる子どもに育てよう。こっぴどく叱っても、一緒に付き合ってやれば子どもは親を心底嫌うことはまずない。“褒めて育てる”は、“叱らない”のとは違う
   サッカーをしたり、工作をしたりするとすぐ仲良しになる。そこでちょっと工夫やヒントを教えてやれば尊敬も得られる。一番いけないのは、テレビばかり見たり、ゲームばかりして子どもに無関心。ろくに遊んでもやらず口を開けばグチをこぼすか怒ってばかり、それが親だと心得ているのは大間違いだ。反対にほめて伸ばすのが良いと勘違いして、叱らない方が良いと思っている。果たして子どもにとってどっちがよいのか、どっちもダメだろう。
 お悩み相談で、“『親父はくさいから嫌い』と女子高生の娘に言われました。”どうしたらよいでしょうか?”と相談した父親に、“言われなくては気が付かない娘も問題ですが、『親を何だと思っているんだ』と叱ることのできないあなたが一番問題です。”こんなことを人様に相談すること自体おかしい?

2026年9月1日火曜日

花だより なぜ、小学校の教員になったのか? キツネノカミソリ ミズアオイ

 

 なぜ、小学校の教員になったのか?
「牧野先生は、なぜ小学校の先生になったのですか?」とよく聞かれます。
“背が低いから(165㎝)、生徒を指導するとき、見上げて叱っては迫力がない。170㎝以上あったら、中学、高校の先生になっていたかもしれない。」とよく答えます。教員採用面接で「教員を目指した理由は?」と問われ、「運動会と学芸会があるからです。」と答えて笑われました。
 子どもが好きというのが一番の理由ですが、得意な教科がなかったからです。父から「ヨシミツの通知票は“日替わりメニュー”だな?」と言われました。学期ごとに「5」がかわるからです。中学卒業までに全教科で「5」を取りました。「オール5の可能性もある」と父は期待しましたが、それは夢の夢! 運動会や学芸会、遠足などの学校行事は、1週間前からウキウキ、ドキドキで眠れませんでした。
 小学校の教員は、全教科教えなければならないし、字が上手でなければならない、絵も描けなければならない、ピアノも弾けなければならない、運動もできなければならないと思いました。そして、迷うことなく教育大に入りました。教員になってからは、様々な研修会に参加したり、夏休みや冬休みには、旅行に出かけ全国を回りました。劇団四季や歌舞伎などの公演も観ました。先輩からそれが教師の研修だと教わりました。
 ところが、小学校の専科教員を増やすという、東京では、運動会や学芸会の運営を外部委託するそうです。これも働き方改革の一環なのでしょうが、私には小学校教員の楽しみが奪われるような気がします。時代は変わりました。
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2026年8月31日月曜日

花だより 「協働」と「家庭・学校・地域」の連携(CS) ゼラニウム シシウド

 

 「協働」と「家庭・学校・地域」の連携
 「協働」とは、広辞苑には「共同、協同、協働」と出てきますが、古い大辞典には「協働」は見当たりません。「協働」が使われるようになったのは最近のようです。「協働」は≪協力して働く≫とあります。「共同」は≪二人以上の人が力を合わせてすること≫、「協同」は≪力を合わせること≫となっています。それに対して「協働」は≪同じ目的や目標に向かって対等の立場の異なる複数の主体が、対等の立場で互いの特性を活かし、協力して取り組むこと≫とあります。
 コミュニティ・スクール(CS:学校運営協議会)がどの市町村、学校にも組織されるようになりました。保護者や地域住民が学校運営に参画し、地域と一体となって特色ある学校づくりを進める組織です。
 「家庭・学校・地域」の連携が大事であること、「家庭」が最初に並ぶのは、それなりの意味があり、家庭が一番大事だということでしょう。教育基本法が改正されても、今なお古くて新しい課題です。そのために学校はこれまで「開かれた学校」、「信頼される学校」づくりに努めてきましたが、その成果は上がっているのでしょうか?
 「協働」の≪対等な関係≫、≪役割分担≫、≪目的共有≫が図られていない現実があるように思います。
 例えば、参観日は行かなくて当たり前、PTA総会に残る人が少ない、PTAに入らない人まで出てきました。学校運営協議会の委員さんは、町内会長さん、地域活動の代表をされている方など、年配の方が多く、意見を求めると「我々が通っていた学校と全く違う、今の学校のことはよくわからん?」と言います。年に3~4回くらいの開催で、最初は組織や会議の目的などの説明、2回目は各学校の現状と課題を説明し、やっと理解してもらったところで任期が終わってしまい、なかなか「協働」とまではいかないのです。
 しかし、愚痴を言っている場合ではありません。「家庭・学校・地域」の連携の真ん中に「学校」があります。学校の役割は、家庭や地域にまずはいろいろな手段を使って情報発信することだと思います。                

           JR北見駅構内(赤字ローカル線ですが農産物の輸送を担っています。)
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