2026年6月22日月曜日

花だより 「父の日」はひまわり ノアザミ 月見草 ノコギリソウ

 



 「母の日」にカーネーションを贈るのは、誰もが知っていますが、「父の日」には、ひまわりを贈るというのは、あまり知られていません。それだけ「父の日」の認知度、父親の存在は影が薄いのかもしれません。
 父親のシンボルカラーである黄色を代表する花「ひまわり」の花言葉が「尊敬」「憧れ」「敬慕」であるため、日ごろの感謝を伝えるギフトとして人気があるそうです。しかし、花をプレゼントされて喜ぶお父さんは少ないかもしれません。
 今年の父の日のプレゼントとして「着て寝るだけで簡単疲労ケアするリカバリーウェア」が人気なようです。疲れているお父さんには打って付けの品です。私も着用していますが、効果がどれほどかまだ分かりませんが、こうした気遣いはうれしいものです。
 「お父さん」と言っても、20代から80代それ以上と幅広いです。シルバー世代は、若い人より回復が遅く、休む時間も長い、転んだら骨折の可能性も高くなるので、「転ばぬ先の杖」の用心が大切です。高齢者が働く環境には、滑る床、階段の手すり、真夏の野外勤務などのリスクに注意を払ってほしい。「年の功」の視点が高齢社会の商機を呼ぶこともありますので、よろしくお願いします。
 園児に「父の日は何かするの?」と聞くと「缶ビール1つだよ!」、
「ひとつ?」
「そうだよ。ママが『飲み過ぎは体に良くないから…』と言っていたからだよ。」

 

2026年6月21日日曜日

花だより 世界自然遺産「知床」で起きた悲惨な事故 イヌコリヤナギ ウツボグサ

 

美幌の農家の庭で見かけてすぐに車を止めて撮影!こんな植物があるんだ?

 知床沈没社長に実刑 (釧路地裁) 裁判長は、悪天候で運行すれば、事故は予見できたとし、被告の安全管理のずさんさを指摘した。(6月18日)
 知床で生活するとは、厳しい自然との闘いである。自然の怖さを一番知っているのは、そこの住民であるはずだ。今回は事故は本当に残念でならない。

 世界自然遺産の町「斜里・ウトロ」で暮らしている実感
 ここは、何もない不便なところだ。何でこんなところが世界遺産なんだ。地元の人には、知床の厳しい自然に価値があることを知る由もなかった。そんな知床の価値を教えてくれたのは、よそから来た人たちだった。当たり前のように毎日を暮らしていると気付かないことがたくさんある。
 大地の遺産 ミスター知床 午来 昌 元斜里町長
 知床からのメッセージ
 大切なことは みんな知床が教えてくれた
 大自然と毎日五感で触れ合ったことで
 私のものの見方 考え方 そして 生き方を決定づけた
   *人は自然から学ぶことが多い。(斜里朝日小学校に赴任した時、いただいた本)

  斜里町の学校教育の基盤はここにある。
  「知床」を「子ども」に置き換えると
  子どもたちからのメッセージ
  大切なことは 全て子どもたちが教えてくれた
  子どもたちと毎日 五感で触れ合ったことで
  教師としての ものの見方 考え方 そして 生き方を決定づけた
   
もう一度、目の前にいる子どもたちを見つめてみよう!

   

2026年6月20日土曜日

花だより 失敗しても「日にち薬」がある アザミ 薔薇 エゾキスゲ 

 



庭にバラが咲いている家の主はどんな人なのかと思う。
花言葉は、「愛」「美」「情熱」
花びらが整った薔薇に巡り合うのは難しい。

 お漏らしをしてしまった子に「気にするんじゃない!」と言ってもすぐに立ち直ることはできません。失敗は誰にでもあるものですが、いつまでもくよくよしていることがよくあります。
 関西では、「日にち薬」と言って、時が癒してくれるという考え方があります。日時が薬になって、どんな悲しみも直してくれるのです。特別な治療や薬を使わなくても、人間は、時間の経過とともに自然と傷や病気、心の痛みを治す力を持っているのです。

  「日にち薬」は、本当に優しく人の心を癒すのです。
  悲しい時は、じっとしてそのいやな時が過ぎていくのを待っていてください。
                   瀬戸内寂聴「生きる言葉 あなたへ」より

 「悲しみや悩み、失恋や辛い出来事があったとき、今はつらいだろうけど、これも“日にち薬”やで~。」と関西人(大阪人)は言うのです。こうしたポジティブな考え方が必要です。さすが浪速の人たちです。
 失恋した腹いせに元恋人を殺めたという事件がありました。失恋には「日にち薬」が一番効くことを知ってほしい。
 

2026年6月19日金曜日

花だより 幸運、不運と見える人にも、当然背景がある。 マイズルソウ ヤナギタンポポ ニセアカシア

 



園長先生、ブタナでしょ? これはヤナギタンポポだね。これもタンポポでいいじゃん!

 私が成功したのは、運に恵まれ、人に恵まれと言う人がいますが、幸運、福運、功徳、運が強いなど、人生での“いいこと”が起こるには、それなりの理由があって、偶然や天地から降って来たり、湧いてくるものではないという仏教の教えがあります。
 薬師寺の大谷執事長は「自分に与えられた縁は、たまたまとか偶然ではなく、目に見えないすべての物がお調えの上に成り立っているのです。目の前にある物すべてがよっぽどの縁に感じられたとき、本当の幸せを戴けたと私は思います。」と言っています。
 幸運や不運と見える人にも当然背景がある
 広辞苑の「身口意」の項に「身体的活動(身)と言語的活動(口)と精神的活動(意)、人間の一切の活動を『三業』という」この三つのはたらきが原因となって、人は幸せにも不幸にもなるというのです。つまり人には運を開く力が備わっていて運は自身の力の開くことができる。その幸運を呼ぶのが三つのはたらき「三業」なのです。
 「身」は、人は一人では生きられない。チャンスは人を介して訪れる。自律と積極性を持った人と交わると幸運は他人との関係で生まれる。貧しくても笑顔や人を愛するまなざしで人を大切にする行為が人を幸せにする。
 「口」は、人の言葉で自信を破るという。同苦、同意の心からの相づち、なぐさめ、励ましの言葉、人を憂うから「優しい」という文字となった。心のこもった言葉を持つ人ほど、いい人生を送ることになる。
 「意」は、心をいつも前向きに楽観的にすれば人生は好転するという。人は心の状態に似せて現実をつくる。
 若いときは、お寺さんのお説教など、気にも留めませんでしたが、この歳になって「ありがたい」と心から思うようになりました。しかし、少し遅すぎたと思っています。

2026年6月18日木曜日

花だより 【旭川女子高生殺害】に思う スイカズラ ハルジオン ヒメジュオン ハナミズキ

 

              初めて見る花?散歩中あるお庭で
ハルジオンorヒメジュオン ハナミズキ
 ハルジオンかヒメジュオンか?AIは両方表示した。 ヒメジュオンの蕾ははずかしそうに下を向いているが、この写真ではそれが判断できなかったようだ。さすがAI?
 【旭川女子高生殺害】内田被告に検察は懲役27年求刑した。ネットでは「あり得ない」「甘すぎる」などの批判が殺到しているという。
 また、内田被告の両親はいったいどんな人? これもネットに上げられている。真面目で働き者で優しい家族だったというが、娘には甘く、放任だったらしい?

「親をバカにする」に陥りやすい要因
「最近、子どもが親のことをからかってバカにするようになったが、親はそれをとがめない。」
「ウソをつく」という行為同様、「バカにする」という行為は、言葉が達者になったからという理由だけで出てくるものではなく、物事を複雑に考える作業ができるようになってきたことでの副産物です。
 子どもが親をバカにしたような態度をとる背景には、さまざまな理由があります。
 人をバカにすることで、自分を防衛している
 人は、自分に自信がない、自分の立ち位置が危うい、こういうとき、自分を大きく見せて威嚇したり、逆に、相手を小さく見ることで、自分を守ろうとすることがあります。
「相手をバカにする」のは、後者のパターンで、たとえば、ママに叱られてむしゃくしゃするから、ママを下に見るような発言をして、自分をなぐさめている場合などがこれに当たります。
  家庭内のバランスが崩れ、子どもが王様状態になっている
 子どもが生まれてからは、子ども中心の生活になるものですが、その途中でバランスを崩し、子どもが何をやっても許されるような王様状態になってしまうと、もしその子が軽率な発言をしたとしても、取り立てて責められることがない、正しくは、親が指摘することができない状態になっていることがあります。
 親に対する感謝や尊敬の念が育っていない
 親が尊敬できないような行動を取る場合(例:虐待、生活習慣の乱れなど)、感謝の念が育たないのは当然ですが、ここで取り上げている「バカにする発言」に多いのは、親が子どもの世話をするのは「当たり前だ」と、子ども自身が認識している場合です。
 赤ちゃん時代を過ぎても、親がお世話をやりすぎてしまっている場合に多いようです。この場合、ママが時間がなくてバタバタしていても、子どもはずっとテレビを見ていたりします。「親が動けばいい」と尊敬の念に欠けるため、親をバカにしても、良心を痛めたりすることもありません。全体として、親子関係のバランスが崩れていると、子どもはそのスキに「バカにする」という行為に至りがちといえます。
 特に赤ちゃん時代の「のびのびと育てたい」という思いが、のちにエスカレートしている場合に多く、子どもの好きなようにやらせてあげるのが、「のびのび子育て」と考え、しつけがうまく進まなくなってバランスを崩してしまうことが非常によくあります。
 対策としては、子どもと親が、主従関係にならないようにすることがポイントになります。親は子どものお友だちではないので、しつけの場面では、毅然とした態度できちんと導いてやることです。(「イキイキ子育て」より) 
 内田被告の親もまさか娘がこんなことをするとは思ってもみなかったでしょう。


2026年6月17日水曜日

花だより 寿大学の入学式 ハマナス ボタン

 

河川敷のパークゴルフ場(無料でプレーできる)朝からシルバー世代で大賑わい

 少子高齢化社会が進み、近い将来3人に1人は高齢者になると言われています。そんな中で寿大学(各市町村が主催する60歳以上シニア対象の生涯学習の場)の入学式でのあいさつの内容です。
 「かきくけこ」に注意しましょう!
 か~風邪ひくな き~気を病むな く~食い意地をはるな け~検査を受けよう
 こ~転ばない 
  また、こんなことを言う人も
  ◎子どもを叱るな 来た道だ
  ◎年寄りを笑うな 行く道だ
  ◎災いは口より出て身を破る
  ◎幸せは心より出て身を守る
 また、“福祉には「3かける」”が大事だと強調しています。
 ① 声をかける ② 笑顔をかける ③気をかける 
*長く生きてきて、このような言葉が身に染みる年齢になりました。
 年寄り向けの言葉ではなく、学校教育にも通じる言葉だと思います。
 15日は年金支給日でした。普段は人通りの少ない商店街ですが、この日だけはお年寄りの姿が目立ちました。我が家も久しぶりに外食に出かけました。
 今日は、何日、何曜日かわからなくても、年金支給日だけはしっかり覚えています。





2026年6月16日火曜日

花だより 宮大工に学ぶ ノイバラ ナデシコ ケシ イワカガミ

 



朝の散歩コース タマキ花屋さんの植物園で

 つくばの国立教育研究所の研修で、宮大工古川三夫氏の話を聞く機会を得た。宮大工は神社や寺院などの伝統的な木造建造物の新築、修理、解体を手掛ける専門職人、釘を使わず木材を組み合わせる「木組み」の高度な技術を駆使し、建物を何百年と後世に受け継ぐための役割を担っている。建築の技能だけでなく、木材の特性を見極める力、さらには歴史的な背景や建築学の知識も必要とされる。宮大工は日本が世界に誇るマイスターなのです。
 小川氏の工房には約20~26人の弟子がいて、同じものを食べ、同じ空気を吸い、10数年ほど修業させた後に独立させる。新人が全員の食事を作る。何一つ手に取って教えることはなく、弟子が見様見真似で技術を身に付けていく昔ながら徒弟制度の世界だそうです。寝食を共にすることで、目をつむってすれ違っても風の動きでだれか分かる。また、体の大きい弟子は、丸太を担ぐ時は、黙って重い方に走る。そうした思いやりも自然に生まれるといいます。
 1300年前の規格品でない木の組み合わせの適材適所と弟子一人一人を理解し適材適所に配置する見極めが棟梁として大切だという話には恐れ入りました。こうした徒弟制度が日本の文化を築いてきました。大事にしたいと思いますが、AIがさらに進化すると、こうした技術も人に代わってAIができるようになるのでしょか?
 国立研究所の講師は、日本企業の超一流の経営者や各分野の著名な方々ばかりです。一流ピアニストの演奏会や歌舞伎鑑賞もありました。質屋の目利きは、徹底して本物を観るそうですが、いかに自分は偽物や二流三流品で満足していたかと反省しました。
 

2026年6月15日月曜日

花だより 子どもはこうして育つ ヤマボウシ バラ ユキノシタ ハナミズキ

       
                       

 学校だよりや学級通信は、「こんなことをしました」という報告や行事のお知らせだけでなく、子育ての情報も伝えることが「共育」の一つの手段だと思います。
  ~子どもはこうして生き方を学びます~
・批判ばかり受けて育った子は、非難ばかりします。
・敵意に満ちた中で育った子は、だれとでも戦います。
・ねたみを受けて育った子は、いつも悪いことをしているような気持ちになります。
◎心が寛大な人の中で育った子は、がまん強くなります。
◎はげましを受けて育った子は、自信を持ちます。
◎ほめられる中で育った子は、いつも感謝することを知ります。
◎公明正大な中で育った子は、正義感を持ちます。
◎人に認めてもらえる中で育った子は、自分を大事にします。
◎仲間の愛の中で育った子は、世界に愛を見つけます。
   作 ドロシー・ロー・ノルト 訳 吉永 宏
 ただし、上から目線で偉そうに言うことは禁物です。「共感」こそ「共育」です。



2026年6月14日日曜日

花だより 通知票に通信欄がない? イワカガミ アケボノフウロ

 



 通知票には担任が書き込む通信欄(所見)があります。
“給食の片づけが上手です”、“掃除当番も熱心です” 親の目には、家庭ではさっぱり手伝いをしないと映っていたのに、学校ではきちんとやっていることが分かり思わず微笑んだ。そんな保護者も多いのではないでしょうか。教師の目線で親の知らない子どもの姿をとらえ、家庭と学校の「橋渡し」をする通信欄の大切な役割です。
 それなのに一部の学校では通信欄をなくしたという。“保護者とのコミュニケーションは取れているので、書く必要はない”というのが教員側の言い分のようです。しかし、学校の様子を一人一人について文章に書くことで、子どもの生活がもっとはっきり見えてくることもあります。また、「記録に残るので、うかつなことは書けない」という教員もいます。通信欄の空白の向こうには、保護者と正面から向き合うことにしり込みする教員の姿が浮かびます。
 通知票は、出さなければならないというものではなく、通信欄(所見)の記入は教員の義務的な仕事ではありません。通知表そのものをなくした学校もあります。
 所見は、手書きからワープロ、そしてAIがアシストしてくれる時代になりました。
 新卒の頃、“通知票(評価)さえなければ、教員ほど楽しいものはない”と思っていました。先輩から、「所見が書けるようになったら、一人前の教師だ。」と言われ、学年主任、教務、教頭、校長先生を回って戻ってきた所見の下書きは真っ赤になっていたのを思い出します。子どもの成長を思い浮かべながら、通信欄にペンを走らせてほしいものです。義務ではないからと働き方改革で削ってほしくありません。

2026年6月13日土曜日

花だより みんないっしょが本当にいいのか? ハマナス

 

 
 「みんないっしょに」というのは困ったものだ
 運動会の“かけっこ”というのは、おもしろい。子どもたちが一生懸命走っている姿を見ると、心から「がんばれ」と声援を送りたくなります。見ている者も夢中にさせるのが運動会での徒競走です。 ところが一部の運動会は、ゴールしても1番や2番を決めるわけではなく、昔のように1等賞、2等賞というような賞をもらうことはしません。
 ゴールには親がビデオカメラやスマホをかまえて待っているので、わが子が何番だったかは、カメラの中に残されているだけというのが多いのです。
 あらかじめタイムを記録しておいて、同じようなタイムの子を並べて走らせる学校がほとんどです。そして、みんな頑張ったからということで、みんなに「努力賞」を配るところもあるようです。
 なぜこうなったかというと「1等賞がとれなかった子どもやビリになった子どもがかわいそう」という親の真理が働いているようです。
 ある学校の運動会は、昼のお弁当も親と子は別々の場所で食べる。これも「運動会を見に来れなかったお父さんやお母さんがいる子どもはかわいそう」という親の心理が働いています。コロナ以降、運動会は午前中で終了し、お弁当自体ありません。そうした親の思いをそのまま受け止める学校もどうかと思います。
 子どもが「かわいそう」なことはできるだけさせたくないという気持ちは大切です。しかし、それと同じくらい「かわいそう」な状況になったときにどう耐えられるかを子どもが学ぶことも大切です。
 今は「かわいそう」という親の気持ちが大きくなって、どんどん過保護にしています。保護」することと「過保護」にすることは、天と地ほどの大きな差があります。保護者が子どもを「保護」したいというのは理屈ではなく、心の底からにじみ出てくる親の本能でしょう。でも、この気持ちをうまくコントロールしていかないとあふれる本能で「過保護」になってしまいます。気持ちがあふれて暴走しないようにコントロールするのが親の責任です。

2026年6月12日金曜日

花だより 校長百人百様 アカツメクサ フジ

 



 「校長が変われば、学校が変わる」という事実は拭い去ることはできません。校長の職務は法令で定められていますが、学校経営自体は、多種多様で校長の数だけ形と内容は異なり、百人百様の学校経営が存在します。時代や価値観の変化に対応した学校経営が望まれますが、学校の使命や役割は基本的には不易です。これまで学校を活性化させたカリスマと呼ばれた校長先生を何人も見てきました。

(1)ヘッドシップを発揮する牽引型校長
 自分の考えに大方を引き込んで教育経営の実を上げる校長です。若い時から学級経営や教科研究、研究会の講師や助言者を務め、多くの教員から尊敬されている人間的にも優れた校長です。
(2)神輿型といわれる校長
 狭義のリーダーシップを発揮する校長です。神輿を力を合わせて造り、みんなで担ぐ。そのためにみんなの意見をよく聞き、経営の成果を上げている校長です。目立つことは少なくても、多くの教員から親しまれ、信望の厚い校長です。
(3)教員と仲が良くない校長
 「あの校長は何を考えているのか分からん」、「言うことがその都度違う」、「教員をしっかり指導してほしい」など、様々な評価をされている校長がいるのも事実です。ただし、校長は教員と仲が良ければいい。というものではありません。
 カリスマ校長とは、一言でいえば、「威厳、権威(オーソリティ)」でしょう。リーダーシップを発揮する校長は、人間的な魅力を備え、教育実践において常に人一倍研鑽を積み、謙虚であり、人から尊敬されるという共通点があります。これは教師と児童生徒、教師と保護者との関係においても同じです。
 不祥事を起こした学校に赴任したある校長先生に「大変な学校に赴任しましたね。」と労うと「いや、今がドン底でこれ以上下がることはない。これから上がるだけ、先生方もそんな覚悟でいます。見ていてください。」と言ったカリスマ校長がいました。

 

2026年6月11日木曜日

花だより 「80代になるとたいていボケるか死ぬ。70代は神様から与えられた特別な時間」 ボタン

 



 書店1万店9,993店、28年度24,237店をピークに減少 紙の出版物の推定販売金額は50年ぶり1兆円を割る (読売新聞6月7日)
 地方のマチから書店が姿を消した。そんな中で林真理子著 幻冬舎新書「80代になるとたいていボケるか死ぬ。70代は神様から与えられた特別な時間」発売即5万部突破! 
 若者の本離れは進んでいるが、この本を手にするのはたぶん60代以上だろうから、きっと書店で購入しているだろう。自分もそうすることにした。
 “1分1秒を味わい尽くす” 70代は頭も体もまだ大丈夫 それなりに蓄えもある。でも、これまでとは同じことをしていたらダメ。できないことをは諦め、楽しいことを大事にし、人生の新しいステージに立とう。
 ・世間が変わったのではない。自分が老いたということを知るべし。
 ・よそ行きのファストファッションを着てはいけない。
 ・いつも割り勘はNG、されてばかりいるのもNG
 ・買い物の喜びを捨ててはいけない。
 ・誇りをもって第一線から退く、でも仕事はできるだけやめない。
 ・若い人に何か残そうなどと思わない。
 ・老いに逆らわず、小さな努力の成果を楽しむ。
 ・ボランティアは人のためと思わず、自己満足と割り切る。
 ・同じ年代とばかりつるまない。
 ・葬儀や偲ぶ会はパスしない。
 ・あの世なんか信じない。
  林真理子氏も72歳になる。確実に近づく「その日」を見つめ、楽しんで生きるための痛快人生論。70代は人生第2の青春だという。この本はとても参考になりました。

2026年6月10日水曜日

花だより 「どうして勉強しなければならないの?」 それは勉強不足の子がいうセリフ ウツギ ハマカンザシ オオアマナ ダリア

 


Googleレンズは強い味方 道端で目にした花をすぐ教えてくれる

 「どうして勉強しなければならないの?」
 勉強ができる子は言わない。
「算数の勉強て将来役に立つの?」
 算数・数学こそ大事だと、数学の先生は思っている。
「勉強だけできたって…」
 こういうのは東大出のできる人のセリフ。勉強のできる子の親は言わない。
「どうして勉強しなければならないのか、それは勉強していないからわからない。」
 ほとんどの親は、子どもに「勉強しなさい」と言うものです。それは自分が“もっと勉強しておけばよかった”と後悔しているからです。
 子どもたち一人一人に最低限の学力を身に付けさせて社会に送り出すことは、教員に身を置くものとして共通の願いです。生きるために必要な最低限の学力を保証すること、基礎学力を担保してやらなければならないことは言うまでもありません。
 そのためには教師自ら学ぶ(研修)ことが必要です。ところが、最近は研究団体に加入しない教員が増えていると聞きます。今の時代、教育技術等に関する情報は、会費をかけなくても、休日に集まらなくても、ネットで簡単に得ることができるというのが理由のようです。しかし、学び(研修)は、人との交流やディスカッションにより得ることが多いものです。
 “教師にとって研修とは、心の食糧である。その有無は教師の存在にかかる良心であり、教師として生き抜く糧である”(木目澤訓)
 「どうして勉強しなければならないの?」と問われ、「それは、まだまだ勉強が足りないから分からないんだよ。もっと勉強しなさい!」と言えるよう、教師もまた勉強(研修)することが大事です。


2026年6月9日火曜日

花だより 学校評議員と親の会は見方 アヤメ テッセン ブタナ


               
                                    
 これまでの常識では通用しない問題が急増
 ひとり親家庭や共働き家庭では、親が働きながら子育てをするため、ゆっくりと子どもと接する時間が少なくなりがちです。すると休みの日には、子どもを連れて出かけることが多くなり、月曜日は、園でぐったりしている子がいます。休みの日は、家族でのんびり過ごす方がいいと思います。また、保育料無償化により、何でも保育施設がやってくれると勘違いしている親がいます。園で汚れた服を持ち帰るように伝えると、「園で洗ったくれないの?」と平気で言う親もいるようです。「それは、お母さん…。」と説明すると、転園してしまったというのです。私立の園では園児数確保が死活問題です。保育士が園長に理不尽な要求をする親のことを報告すると「聞いてあげなさい。」と言われたとネットに上がっていました。一度聞くと要求がだんだんとエスカレートしたというのです。
 公立の園だと、親が関係部署(教育委員会や福祉課など)にクレームを言うケースがありますが、「園には、注意しておきますから…。」と決して現場を守ってくれるとは限りません。せめて「事実確認をさせてください。」くらいは言ってほしいものです。
 「うちの園ではないのですが、他の園では…」と学校評議員会と親の会の三役会で話題にしたことがありました。すると「もし、うちの園にそんな親がいたら、毅然とした対応をしてください。園の先生方は、一生懸命やってくれています。私たちは、園の味方ですから…」と心強い後押しをしてくれました。そしてそのことを園だよりに載せました。子を思い、精一杯生きている親は、分かってくれています。学校評議員会や園だより(学校だより)は、こうやって活用することです。

昨日の散歩 テッセン ブタナ






2026年6月8日月曜日

花だより 最近の作文指導は? 言葉の精神を忘れない ツリガネソウ キンロバイ ハマカンザシ テッセン

 



 高度情報化社会と言われる今日、新しい様々な言葉は社会にあふれています。しかし、実のところ「言葉」は日々、減り続けているのではないでしょうか。言葉の役割は、二つあります。一つは、何かの必要にせまられて発する言葉、もう一つは、何かに感動した場合などに発する、自分の気持ちや思いを表現する場合の言葉です。
 多くの場合は前者で、メディアから流される膨大な広告情報は、その象徴的な例といってよいでしょう。テレビを見ても、新聞を開いても、目を引くロゴデザインやレイアウトで、そこで語られていることは、「ステキです」「安いです」などという言葉ばかりです。LINEを開くと、そこに並んでいるのは、指示や連絡ばかりで「何々をして」「おねがい」「いいね!」「すごい!」といった類の言葉のオンパレードです。言葉ならまだしも絵文字とスタンプだらけです。
 その一方で、自分の気持ちを表す、心の中から出た言葉に出会うことは、滅多にありません。今はSNSの世界がそうかもしれません。しかし、それらの言葉のほとんどが、自己満足的なつぶやきに過ぎないものだったり、互いの日常生活を写真付きで自慢し合う場になっています。
 ある書家によれば、「字とはもともと人の心が万物に感動してつくり出されたもの」だと言っています。古今和歌集には「大和うたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける」とあります。和歌とは人との心を種として、さまざまな言葉の葉が繁ったものなのです。言葉の洪水に押し流されて「言葉」の精神を失うことは、おそらく生きる力そのものを失うことになるに違いありません。学校教育における作文や感想文指導が大切に行われている所以はここにあります。そのためには、良い作文、良い本の読むことです。
 ところが宿題の作文や感想文を子どもたちが生成AIで作成する時代になりました。先生はそれを見抜けるでしょうか?それを判断するのにAIを使う?
  言葉や文化は変化するものです。その流れに反対することはできませんが、言葉の精神は忘れてはならないと思います。

2026年6月7日日曜日

花だより 教頭たるもの、真面目過ぎてはならない タニウツギ アカツメクサ ヤグルマギク セッコク

 


 運動会が終わると、校長採用試験の勉強会が始まる。論文や面接など同窓の先輩K先生やN先生からから厳しく指導を受けたのを思い出します。その内容は、校長を目指す教頭先生だけでなく、現職校長にも求められるものです。
 校長、教頭は、普段どのような仕事を行い、どのように勉強しているかを実際に見たり、聞いたりすることが重要です。そのために教頭会組織がありますが、学校数が減って、町内の教頭先生は2人か3人、義務教育学校になると1人になってしまいます。だからこそ横のつながりを大事にしなければなりません。
 同業者として校長、教頭のみならず、職場での人間関係が形成されているか否か、信頼され、頼られ、相談されたり、研究団体の役員になったり、研究会や研修の場で助言者として依頼されたり、これらは指導力や専門職としてだけでなく、人望の有無に行きつくものではないかと思います。
 校長になるための論文は上手く書けなければなりませんが、それよりも、人間味があり、同僚から相談を持ち掛けられ、適切に指導や支援ができる。横柄な言葉遣いや態度を感じさせないような内面からあふれる優しさや厳しさ、鋭さ、教育に対する情熱や使命感、責任感、探求心や研究心、品格、道徳心、笑顔を忘れないような度量を持ち合わせている総合的な人間味、人間性のようなものの積み重ねがそう思わせるのではないか、そうしたものが論文や面接に出るのだと思います。
 校長を目指す教頭の勉強(研修)は、特別なことではなく普段の“課題意識”、“改善意識”、“仕事の工夫意識”、“職員を見つめる観察力”の有無に帰するものです。当時、いい論文を書こうと思っていた自分に、木目澤先生は、こんな話をしてくれました。木目澤先生のこの言葉は、学習会の講師を務める現職校長に向けられた言葉だと思います。
 【教頭たるもの】 
 1~明るく元気がなければならない 
 2~真面目過ぎてはならない
 3~固すぎてはならない
 4~自分を出さなければならない