2018年9月30日日曜日

花だより サワキキョウ おじさんの手汚いよ。ちゃんと石けんつけて洗っているの? 



「おじさんの手汚いよ。ちゃんと石けんつけて洗っているの?」
 若松の神社祭に来ていた子が農家のおじさんに1年背の子が言った言葉です。
 おじさんは、「あのね。いくら洗ってもとれないんだよ。何年も何年も畑仕事しているからね。土が手のしみこんでいるんだよ。」
 おじさんは、ごっつい手を見せながら、やさしくその子に話していました。 
 「今年のは学校の畑は、雑草もあまり無く、いい畑だ!」と石森じいちゃんに褒められた話を花便りに書きました。私も、朝早くから少しだけ草取りをしましたが、農家の方の話を聞いて恥ずかしくなりました。わずかな面積の草取りをして畑仕事をしたとは言えないのです。
 学校での菜園活動は、植物を育て、継続的に世話をすることで、生きていることの尊さや素晴らしさ、枯れたり死んだりすることの悲しさや恐ろしさ、農家の方の苦労などを自らの体験を通して学ぶことをとねらいとしています。また、こうした体験活動は、高学年が取り組んでいる養蜂も同じで調べてわかるだけでなく、今問題になっている“心の教育”にもつながるものです。また収穫祭は、関わっていただいた方への感謝と収穫の喜び、これまでの活動を振り返るものです。収穫祭では、お母さん方の協力で、ジャガイモやカボチャ、豆など美味しくいただきました。
 毎日の食卓にあがる食材は、農家の人が手間暇掛けて大切に育てたものです。毎日「いただきます」と感謝を込めて食べましょう。と全校朝会で話しました。
  教室に「うさぎ」(生活科の学習)
 低学年の生活科に小動物を飼う学習があります。そのねらいは、生き物をただ眺めて観察するだけでなく、手で触ってみたり、抱いたり、水や餌をやったりという活動から、生命をもっていることや成長していることに気付き、生き物への親しみをもち、大切にすることができるようにするものです。(乗馬で心身の回復を図るなど、生き物との接触が心の安定に良いことはよく知られているところです。)優しい心はこんな活動から、自然に生まれてくるものです。
 この学習には、うさぎが最も適しています。(馬を教室で飼うわけにはいきませんから)子どもたちは、「うわあ~、かわいい。ふさふさで気持ちいい。」とうさぎに直接触れることで、思った以上に筋肉や骨でごつごつしていることに気づいたり、餌の食べ方、うんこの仕方、心臓の鼓動を感じたりします。ずっと観ていても飽きません。他の学年の子どもたちも目を細めて観ていました。これまで若松では、うさぎを飼う施設や環境になかったのでこうした学習はしていませんでしたが、今回、川東学園から5日間のレンタルで借りてきたものです。残念ながら先週の金曜日でお別れしました。
学校園のハウス

2018年9月29日土曜日

花だより 月下美人 萩 サンゴソウ お月様が出ています。


 “お月様が出ています。窓の外を見てごらん。”
           教室の黒板に書かれてありました。
中秋の名月 「家に帰るとちょうど窓から満月が見えました。そうか今日は中秋の名月か?」しばしお月様を眺めながら、鎌倉を旅行したとき、あるお寺の境内の掲示板に書かれていた「花は美しい 月も美しい それがわかる心が美しい」の言葉を思い出しました。
「お彼岸」 事務補さんのお父さんが亡くなり、四十九日と重なりました。教頭先生のお父さんの一周忌にもあたります。宗派を越え、亡くなった方を供養する気持ちは大切にしたいものです。(香華などを捧げるのですが、一番の供養は、亡くなった人を思い出し、偲ぶことです。)
 学力学習状況調査の質問紙の分析
 「地域の行事に関心がない。」「社会の出来事に関心がない。」という結果が出ました。これは子どもたちというより、大人社会の問題かもしれません。日本古来からの季節の行事が蔑ろになってはいないでしょうか。
「秋の行事といえば」という問いに多くの若者は「ハロウィン」と答えるそうです。その行事の意味より、ファッション性が注目されるようです。
 月を眺める心のゆとり、美しいものを見て感じる心、先祖を供養する思いやりの気持ち(日本の文化)を大切にしたいものです。
  ◎●◎北見神社の秋季祭典◎●◎
 春には五穀豊穣を願い、秋にはその収穫に感謝するのが神社の祭典です。他にも「大漁追福」「商売繁盛」「疫病退散」「無病息災」「家内安全」「安寧長寿」「夫婦円満」「子孫繁栄」「祖先崇拝」「豊楽万民」「天下泰平」などを招福祈願、厄除祈念として行われるのがお祭りです。日本人は農耕民族です。農耕は集団作業であり、互いに助け合って生きてきました。日本の祭りは、日本人気質と大きく関わっています。
 今日では世俗化も進んでいますが、今なお祭のときは都市化によって人間関係の疎遠になった地域住民の心を一体化する作用があると言われています。お祭りを大切にしたいものです。

2018年9月28日金曜日

花だより トレニア 萩 持たせて安心、キッズ携帯!


  《いじめ・不登校等連絡協議会》
 管内の関係団体(人権擁護団体、各地区PTA代表、警察、児相、教育委員会、学校関係など)の代表が集まっていじめについて意見交換(情報交流)を行いました。
《こんな意見がありました》
・いじめ調査をすると、いじめを見たり、聞いたりしているはずの友だちや仲間からの申告がほとんどない。見て見ないふり、関わりたくない。という交友関係にこそ問題である。望ましい交友関係を築く努力をしなければならない。
・いじめ撲滅キャンペーンをやればやるほど、子どもたちはいじめが悪いものだという意識が深まる。しかし、そのことで、いじめを隠したり、見て見ぬふりをしたりするようになる。そのことがいじめ問題をさらに深刻にしている。
・携帯電話、スマホ、インターネットによるいじめが深刻化している。便利なツールも使い方で凶器になる。
・子どもを指導しなければならない大人が、携帯電話依存症であったり、マナーを守らなかったりする。顔を見ないで、声も聞けないでどう相手を信用するのか?コミュニケーションの基本はフェイスtoフェイスである。
・(警察から)この場で具体的な事例は紹介できませんが、当管内においてもネットトラブルは多発しています。
「持たせて安心、キッズ携帯!」は、よ~く考えてから判断してください。児童会長も「いじめのない明るい北小づくりに努力します。」と宣言しています。お気づきのことがありましたら、すぐ学校に連絡ください。

2018年9月27日木曜日

花だより ベンケイソウ ハギ これからの生活科・「総合」を考える


《 これからの生活科・「総合」を考える》
 「願いを持ってやり遂げる」
 今、生活科で体験が手段になっている印象を受ける。「これで気づかせました」という教師の声を聞くと、気づきの質を上げることが目的になってしまっている。大切なのは、子どもたちが願いを持って自らやり遂げること。その過程で様々な気づきが生じ、その中で意味のあることを理解し、学んでいくことが重要である。
 多くの教師は、4月に子どもたちと初めて顔を合わせる。こうした実態を踏まえると、カリキュラムを柔軟に考え「総合」に取り組むのも一つの手である。
 夏休みに地域で出かけ、十分に教材研究をした後、思い出に残るような「総合」を年に一つつくり上げて欲しい。
 「カリキュラム踏襲を避けよ」
 「子どもたちに必要だから」という姿勢で授業に臨んで欲しい。学力と相関関係があるという理由から、毎年同じカリキュラムを踏襲するような事態は避けたい。
 何故その単元に取り組むか。もう一度立ち止まり、目の前の子どもたちの姿を見て考えて欲しい。授業の充実させるために、各教科。領域などと合科・関連指導もできる。既に多くの教材や単元が開発され、「何もないからやってみよう」という感覚を失いがちである。教師は常に新鮮な自分で居続けることが重要である。
 「理念に基づいた提案を」
 これからの生活科や「総合」を踏まえると、体験や課題解決の方策も大切だが、その根底になる理念に基づいた提案も必要である。
 生活科と「総合」を学んだ子どもからは、「自ら工夫して学ぶこと」や「共に考えること」に対して喜びを感じたなどの声を聞く。そこには、「自分づくり」の理念を受け、生活科と「総合」が生涯の学びの基礎になっているのである。いろいろな人がさまざまな考えを持っている。人と関わることで、自分のことが詳しく見える。こうした「人間観」を踏まえた授業を考えていくことは大切である。 
 生活科と「総合」は、「探究」と「協同的な学び」を実現している教科である。それを他教科などにも広がるように体験の質を高まる必要がある。それは体験を繰り返すだけでなく、表現活動を取り入れながら学習意欲を高めることが重要である。友だちと互いの意見を交換し、新たな考えに出合うことで思考力なども高まっていくのである。
 子どもたちが本気になり、物事を真剣に追求しようとする。こうした姿をめざす上で、質の高い指導力は欠かせない。それは国が求める課題解決型イノベーションな教師像であり、生活科や「総合」に熱心に取り組む先進的な教師たちが今必要である。


2018年9月26日水曜日

花だより リンゴ オトコエシ シルバーウィーク



 《心がホットステーション》
  *シルバーウィーク* 
 用務員さんから、「休み中、学校に遊びに来た6年生男子が、草刈り作業を手伝ってくれました。」と報告がありました。
“○○くん、えらい!!”
「あのね。遊んでばっかりいたわけじゃないよ!ちゃんと勉強もしたし、本も読んだよ。校長先生、安心して!」
「ファミリーランドの乗り放題に行ってきたよ。今年はこれで最後かな?さみしいよ!」
《敬老の日》
「うちのじいちゃんね。『まだ若いから、敬老の日だからといって祝ってもらわなくていい!』て言ってね。逆に私たちにごちそうしてくれたよ。敬老の日っていいね!」
「『休みが多すぎる!』って、うちのお母さんが言ってた。長すぎて疲れた。休みは3日もあれば充分かな?はやく学校に来たかった!」




2018年9月25日火曜日

花だより シラヤマギク サンマ スポーツの秋 泣くな!女子選手


 スポーツの秋 野球少年団“ひまわり球友 新人戦1回戦勝利!”
 今年の4月、6年生が卒業して、ひまわり球友は、9人揃わず、大会参加すら危ぶまれる事態でした。先の大会では、緑小と連合チームを作って大会に参加しました。それが転校生の5年生と3年生の女の子が入って何とか9人揃って、新人戦に出場することができました。
 泣くな!女子選手、あなたがひまわり球友を救ったのだ!
 5年生の女子は、左投げ左打ちでファーストを守る貴重な戦力、3年生の女子は、ライトで9番ながら、1打席目は、貴重な進塁打を打ち、守っては、アウトにはなりませんでしたが、ライトゴロをさばき、素早く1塁へ送球するなど活躍しました。ところが続く2打席では、三振になってしまい、ベンチに戻って悔し涙を流していました。監督、コーチ、先輩たちがすぐ駆け寄り、「大丈夫だ!気にしなくていいんだよ!ミスをして、上手になるんだから」と声を掛けていました。
 試合で学ぶ!勝って学ぶ! 試合観戦記
1アウトランナー2塁  打った打球は外野へ、ランナー動かず。外野のエラーで3塁からホームへ戻ってはきたが、ベンチに戻るとコーチから「ハーフウエー(途中まで出て)で打球を見て判断するんだ!」
2アウトランナー2塁  打球はまた外野へ、ランナーまた動かず。外野のエラーで3塁からホームへ
ベンチに戻るとコーチから「2アウトだぞ!打ったらGOだ!(どんな打球でも走るんだ!)」
監督・コーチ「どんなあたりでも、一塁まで全力疾走、駆け抜けるんだ!!」 打球はレフトへのクリーンヒット! ランナーは1塁を駆け抜ける。監督・コーチから大きな声、「ヒットのときは、2塁をねらえ!!」
 9人だけで練習しているとなかなか走塁や細かなところまで練習することができません。また、野球は覚えること(細かなルール)がたくさんあります。
 こうしたことは試合を重ねて覚えていくものです。スポーツは勝負事です。日本ラグビーが世紀の番狂わせと言われた優勝候補一角の南アフリカに勝ったように負けた試合で学ぶことより、買った時の方がずっと多くのことを学びます。
 野球に限らず、スポーツは、その場の瞬時の判断が必要です。監督やコーチから言われて動いていては勝てません。9月の連休中にバレー、サッカー、バスケも大会や遠征がありました。また、大きく成長したことでしょう。
 “アクティブ・ラーニング” 自分で考えて行動することが大事
 10年、20年後どんな社会になっているか、先が見通せない、予測のつかない時代になると言われています。そんな時代に生きる子どもたちには、これまでの先生から一方的に教わる受け身の学習ではなく、自ら主体的に学ぶ(アクティブ・ラーニング)学習が必要だと言われています。これは学校の勉強だけでなく、スポーツでも同じです。言われたことだけをやっていては、上達しません。自分で考えることが大事です。


2018年9月23日日曜日

花だより ヒガンバナ 教育もAIの時代に


 教育AIで個別指導~文科省 小中高で実証実験~ 読売新聞より
 文科省は来年度から、人工知能(AI)などの最先端技術を教育に生かす「*Edtech(エドテック)」の実証実験に乗り出す。子どもたちがどんな問題でつまずくかといったデータをAIで解析し、一人一人に合った指導法につなげる狙いがある。
 *Edtech(エドテック)「Education(教育)」と「Technology(技術)」を組み合わせた造語。最先端の科学技術を教育現場に活用する教育手法をさす。米国などが先行して力を入れている。
 全国の小中高校でそれぞれ複数校のモデル校を指定し、4年間かけて実験を行う。
 実験では、パソコンやタブレットなどの情報端末を使い、子どもたちの解答やテスト結果などの情報を集めてビックデータ化する。これらをAIで解析し、個々人の得意や不得意、分からなくなったところや分からない理由などを割り出し、それぞれにふさわしい指導法を探るもので、解析結果は教員による授業や個別指導に生かすという。
 また「いじめ早期発見」「ベテラン教員の指導力分析」「教職員の保護者の負担軽減」についても、エドテックが活用できるかどうかを探る。生徒の行動分析などを通じて問題行動の予兆を見つけることや、ベテラン教員の指導方法をマニュアル化することなどを成果として見込んでいる。
 これが進むとベテラン教員が若手教員に経験値から指導することが少なくなり、AIを活用する若手教員の方が重宝されそうである。将棋名人がAIに負けたように、教師がAIに指導法を学ぶ時代が来そうである。中には、批判する者もいるだろう。しかし、それでも時代はAIである。子どもたちの成長に少しでも役立つのであれば積極的に活用するべきである。

花だより ナンバルキセル 保母さんに学ぶ


《穏やかなときに指導する》 
 特別支援教育でご講演いただいた丸山先生の話の中で、パニック(興奮)状態のときにいくら言ってもダメ!穏やかなときに指導しなければ効果がないと言われました。
 北進保育園の運動会が本校のグラウンドで開催されました。保育園の先生の動きを見ていて思い出したことがあります。
 若松小学校は、運動会、学芸会などの学校行事は、地域の保育所と合同で行います。ですから校長は、入園式や卒園式などの保育所の行事には必ず出席しました。
 卒園式の最中でした。一人の女の子が急に泣き出しました。ベテランの保母さんが、とんでいってその子を黙って抱きしめました。こんなとき小学校の先生ならどうするでしょう?「どうしたの?何があったの?」と問い正すでしょう。しかし、その保母さんは、「わかったよ。いいよ、いいよ。」と別室に連れて行き、泣き止むまでずっと抱っこしていたのです。そして、泣き止んで落ち着いてから、「何かイヤなことあったの?」と聞いたのです。
 子どもは、悲しいときや痛いときなどに泣きますが、どうしていいか分からなくなったとき、不安になったときも泣きます。頭も心もめいっぱいのときには、何も受け入れなくなってしまいます。
「どうして言わないの?泣いていたって分からないでしょ!」と言われても、何をどう言ってよいか分からないのです。子どもの心理をよく理解している保母さんは、まずは安心させるために、落ち着くまでぎゅっと抱っこしてあげるのです。
丸山先生は、「大人の発達障害が心配です。」と校長室で話していました。「学校の先生にも結構いますよ!」と言っていましたが、大人だとぎゅっと抱っこするわけにはいきません。問題は深刻です。

 
9月16日 網走天都山の「花てんと」



2018年9月22日土曜日

花だより ホオズキ 「開示悟入」の教育


「開示悟入」の教育~アクティブ・ラーニングの基盤となるべき視点として~
                     梶田叡一氏(奈良学園大学学長)
 アクティブ・ラーニングという言葉に、教育会の注目が集まっている。子どもが自分から能動的に、主体的に学んでいく教育が、今、改めて求められているのである。
 しかしながら、子どもの自主性を尊重し過ぎて「好きなことを好きなように学ばせよう」という実質的な指導放棄になってしまったのでは教育にならない。「子どもはそもそも学びたがっている主体的能動的な存在である」などと言う教育学者がいるが、敢えて言えば、それは幻想でしかない。子どもを信頼して任せておく、ということで教育がやれるなら、学校も教師もそもそも不必要なのである。もちろん、これとは逆に、何でもかんでも教えてやればいい、きちんと指示して活動させればいい、ということでは、子どもが受動的になり、依存的になってしまう。これもまた困ったことである。
 学校教育を通じて、生涯にわたって常に自分自身を伸ばしていこうとする自己教育の姿勢と力を育てていかなければならない。指導が強すぎても、指導しないまま放任になっても、自己教育に繋がる教育にはならないのである。
 学習者の能動性、主体性を大事にした教育に当たっては、やはり「開示悟入」を常に念頭に置いて取り組むべきではないだろうか。この言葉は法華教の方便品にあるものである。
「開」は「開く」である。発問や課題提示で子どもの心を開く、課題の世界を開く。ここから教育が始まるわけである。主体的学習の基盤づくりはまさにこれである。
「示」は「示す」。教えることを指示することである。大事な事柄については教師が、どう考えたらよいか、どのようにしたら理解できるか、どのような点に留意して活動すればよいのか、きちんと示さなくてはならない。
「悟」は「悟らしむる」。自分で納得がいくところまでもっていくということである。自己解決力の場を設けるとか、自分の経験や実感と照らし合わせて考えてみる場を設けることも「悟らしむる」ために大事である。アクティブ・ラーニングとして言われる課題解決型学習(PBL)や自主協同学習、反転学習等々にも、こうした基盤が不可欠である。
「入」は「入らしむる」。学んだことを自分の生活の中で使えるようになるところまでもっていくことである。本当に自分の身についた「生きて働く力」にするため、家庭や地域での活動と学校での活動との結合など様々な工夫が必要である。
 「開示悟入」の中には、子ども主導の学びの部分もあれば、教師主導の学びの部分もある。大事なのは「開」によって学習者一人一人に学習意欲や課題意識が生まれ、それが子ども主導の場面でも、教師主導の場面でも、一貫して主体的な学習を貫くものになっていくことである。「開示悟入」という先人の教訓を今こそ思い起こしたいものである。
 梶田先生は、斜里の朝日小学校にいらっしゃったことがあります。私も何度が講演を聞いたことがあります。日本の教育の中枢にいる先生です。「開示悟入」は、普段の授業にも当てはまります。

2018年9月21日金曜日

花だより ヤブラン タマネギ コスモス 自分の『名前』くらいちゃんと書きなさい!

今が見頃の網走「はなテント」(天都山)

 《自分の『名前』くらいちゃんと書きなさい!》  
 テストの○付けをするとき、名前の字を見ただけで、「できている」「できていない」が分かります。上手下手ではなく、丁寧に書いているか、いないか、で点数までだいたい分かります。
 どうも最近の人は、字に対して頓着(とんちゃく)が無くなったように思います。読めればいいというモノではありません。時代が変わって、ワープロやスマホで文章を打つようになっても、履歴書は未だに手書きです。雇う側は、いい加減な字を書く人を採用しません。
 書道コンクール(管内小中学生書道展)には、管内から約1万点の応募があります。3年生の課題は「ビル」、4年生は「左右」、5年生「成長」、6年生は「友情」と決まっています。何千点の中から選考するのは大変です。各学校で指導されていますから、優劣を付けるのが難しいのです。そこで最後の決め手のとなるのが「名前」です。名前はそれぞれ違うからです。名前がきちんと書かれていると「◎」がつきます。
 我が子の健やかな成長を願って付けた名前です。大事にするのは当然のことです。
字の上手下手と知能の高さとは関係ありません。大切なのは、字を書くときの心構えです。


2018年9月20日木曜日

花だより オミナエシ エダマメ 子どもは親の「所有物」ではない


《イキイキ子育て》 「母の品格」 多 湖  輝 著より 
 子どもは親の「所有物」ではない! 
「子どもは、両親の血を分けて生まれてきたのだから、どう育てようと親の自由だ!」でも、この考え方は間違いです。子どもを親の所有物と考えるのは、子どもをペットとして見ているのと同じです。法律ではペットは飼い主の所有物とされていますから、自由に売買ができます。人間の子どもは、そんなことができないのは当然です。それは親の所有物ではないからです。極端な例なのでそんなことをする親は誰もいないでしょう。
では、子どもに付ける名前はどうでしょう。自分の子どもだから、どんな名前を付けようと親の自由といえるでしょうか。以前、自分の子どもに「悪魔」という名前をつけようとして役所に届け出た親がいましたが、受け付けられませんでした。これは世間の“常識”が働いたからでした。
 これは命名権だけの問題ではありません。親が自分の子どもに対して行使できる自由には限界があるということです。子どもはやがて親元を離れ社会に出て行きます。社会を支え、動かしていく構成員になるわけです。社会の構成員にふさわしくないような突拍子もない名前などは、認められないというのが“常識”なのだと思います。子どもを育てるということは、喜んで世の中に受け入れてもらえるような、きちんとした常識を身に付けさせるということなのです。非常識な親では、常識のある子どもを育てられません。
 不良行為をする子、家でわがまま放題の不登校の子、共通して言えることは、非常識な親に育てられている。

2018年9月19日水曜日

花だより ゲンノショウコウ トマト 新しい時代の「良妻賢母」

 新しい時代の「良妻賢母」
  板東眞理子(昭和女子大学学長)「母の品格」の著者から
 「良妻賢母」というと古色蒼然たる時代遅れのイメージがある。
慎ましやかに夫を立て、料理、裁縫、掃除をぬかりなく相勤める賢女は、儒教では期待される女性像だが、人間的魅力に乏しく人生を建前だけで生きているのではないかと現代の女性から人気がない。
 言うまでもなく「良妻賢母」は立派な女性である。妻として夫を助け、賢い母として子どもを教育するのは、素晴らしいことである。
 しかし、現代の女性は妻であり、母であるだけでなく、職業人であり、社会人であり、また、趣味人であり、友人であり、というようにいろいろな顔を持つ。
 それなのにたった二つだけの役割に活動を押し込めてしまうのは不自然である。だから、「良妻賢母を目指しなさい」と言われると女性は反感を抱いてしまう。私は戦前における女性教育は良妻賢母でよかったけれど、現代はそれに加えいろいろな役割を果たす専門的知識やスキルも身に付けなければいけないと言っている。また、現代の良妻賢母に必要とされるものは、裁縫、調理、掃除などの家事能力だけでなく、家計を管理し、子どもを教育し、そして何より良きパートナーとして夫を理解し支える能力が必要である。将来が見えない社会でどういう子どもを育てるか、洞察力と子どもが社会人として職業人として生きていく力を与える人間性が求められる。

2018年9月18日火曜日

花だより ツユクサ ススキ トウキビ 世界一小さな金メダリスト

 北海道小学校長会教育研究大会・十勝大会 記念講演
【講 師】 世界で一番小さな金メダリスト(男子) 
    長野オリンピックスピードスケート金メダリスト 清水 宏保 氏(帯広市出身)
 “身長180㎝以上なければ世界では通用しないと言われて発憤!!”
 長野オリンピックの最大のライバルだったウォザースプーン選手は190㎝の巨漢、清水選手は162㎝で一番上の表彰台に上がっても2位のウォザースプーンより低かった。
世界との身長差を筋肉量(体幹の強さ)と体のこなし(スケート技術)でカバー、太ももは現役時代68㎝、今でも60センチをキープしている。(ズボンはいつも股の内側がすり切れ状態)
 スケーティング技術は、小学生の時にほぼ完成していた。「1万時間の練習で一流になる」と研究データがある。(一日3時間で10年、6時間なら5年生で達成)ゴルフの石川選手、高校野球今話題の早稲田実業の今宮選手なども小学校の低学年からはじめて16歳で既に一流選手!小さいとき(小学生)の練習が将来を決める。
 一日練習を休むと取り戻すのに3日かかる。だから練習は絶対に休まなかった。
ぜん息を克服するためにはじめたスケートだった。体が弱くて、背が低い、そんな逆境から這い上がることで精神的に強くなった。それがこんな小さな体でもメダリストになった理由です。最後に、子どもたちには、目標をしっかり定め、努力することの大切さを伝えてください。と講演を締めくくりました。


2018年9月17日月曜日

花だより ススキ アキノタムラソウ 学校は地域と共にある


 《学校は地域と共にある》北海道小学校長会教育研究大会(十勝大会)に参加して
 我が家の近くにあるサービスストアーが今月いっぱいで店終いすることになりました。郊外の大型店に太刀打ちできなくなったのでしょうか?街中の地域住民やバスでやってきて病院の帰りに買い物するお年寄りも多くいたのですが、不便になるばかりか、中心の商店街がますます寂れていきます。
 朝7時前から、商店街では、店先の掃除と花壇の世話が始まります。街づくりは行政だけではなく、商店主や商工会の努力で支えられていることが分かります。
 学校に来るまでの道のり、立派な庭のある家が数軒あり、四季折々の草花の風情を楽しむことができました。ところがその立派な庭が、草ぼうぼうの荒れ放題になっています。立派なお屋敷には住んでいる気配がありません。いかにもお年寄りが好みそうな庭づくりでしたので、施設にも入られたのか?と心配になります。
 北海道小学校校長会の教育研究大会が十勝(幕別町に全道から680名の校長が集まりました。)で行われ参加してきました。分科会で隣の席になったのが東川町の校長先生でした。修学旅行で訪れた町だったのでしたので、「東川町は、きれいな街並みで、どこの家にも花が植えられていました。礼儀正しい小学生に出会い感動しました。」と話しかけました。
 その校長先生からは、東川町は旭川市のベットタウンとして発展を遂げる豊かな町、木工製品の町として有名なほか、田園風景が美しく、毎年「写真甲子園」が開催されている。豊富な伏流水で水道代がタダ!?、道内でも数少ない人口が増加している町、と次々自慢話が出てきました。そして、何より全国学力テストも全国平均を大きく上回っているそうです。
 “子どもたちの健やかな成長は、学校だけでなく、家庭や地域と共にある。学校は、地域・家庭から信頼されなければならない。”と高橋はるみ知事からのメッセージが紹介されました。その通りだと思いました。

2018年9月16日日曜日

花だより ヒョウタン キキョウ 開運!なんでも鑑定団


『開運!なんでも鑑定団』(テレビ東京) 
 様々な人が持っている「お宝」を、陶芸や古美術品・アンティークなど骨董の専門家が鑑定し、値段付けを行うバラエティー番組。毎週欠かさず見ています。
 意外なものが高価な鑑定結果を得たり、高価だと思われていたものが偽物などで安価になってしまうという意外性や鑑定物に対する蘊蓄(うんちく)がおもしろいのが特徴です。鑑定の結果で埋もれていた芸術家や芸術作品が発見されたこともあります。特に掛け軸は、有名な作者ほど偽物(贋作)が多く、二束三文と鑑定されることがよくあります。
「偽物ですが、よく描けていますので、床の間に掛けて楽しんで下さい。」と鑑定士に言われても憤慨する人はいません。自分の目利きの無さを反省するのです。
 東京オリンピックのエンブレム
「校長先生、真似るのはダメなんですか?」
「学ぶ(まなぶ)」は「まねる」から来ていると言われています。書や絵(日本画)は、お手本を写すことから始まります。また、俳句の世界では、一字違うとオリジナルになるといいます。日本人は、元々そういうことには寛容なのかもしれませんが、グローバルな社会での商業デザインとなると大きなお金が動くので、そうはいきません。「まねる」のは大いに結構、でもウソをつくことはいけません。

花だより フヨウ コスモス テレビやゲームは使いよう


  ~テレビやゲームは使いよう~
 テレビやテレビゲームばかりにのめり込むと人間関係をつくる力や他人を思いやる心が育たない、仮想と現実の区別がつかなくなるなど、子どもの健全な心の成長に影を落としかねません。
 特に、暴力的な場面や露骨な性描写が盛り込まれたものは、親の判断で子どもに見せないようにし、それを家庭のルールにしましょう。例えば、ゲームソフトを選ぶときには、ゲームの内容によって対象年齢を表示するマーク(*対象年齢マーク)があるので参考にしてください。その一方で、子どもに良いと思われる番組を一緒に見るなどして、その内容を話題に子どもとのコミュニケーションを深めましょう。ところが見せたくない番組ほど子どもは見たがります。多くの情報を得るのにテレビやネットは、現代では欠かせないアイテムです。上手に使いこなすことが大切ですが、子どもには、まだ正しい判断力が備わっていません。大人が正しく判断するお手本を示すことです。
*対象年齢マーク~CEROが行っている家庭用ゲームソフトの年齢別格付けにより対象年齢をテレビゲームソフトに表示しています。過激な暴力表現・性描写・反社会的な内容がどの程度含まれているかなどについて審査し、対象年齢を決定しています。
《子どもに見せたくない番組》
 ① ロンドンハーツ  ② 志村けんのバカ殿様  ③ めちゃ×2イケてるッ! 
 ④ とんねるずのみなさんのおかげ!  ⑤ クレヨンしんちゃん など
《子どもに見せたい番組》
 ① 世界一受けたい授業 ② 天才志村どうぶつ園 ③ クイズバラエティーQさま!
 ④ ザ鉄腕!DASH!! ⑤ サザエさん など
                   2015年 北小「学校だより」から

2018年9月15日土曜日

花だより コスモス ソバ ツリフネソウ 期末テスト


 ◎×△ 期 末 テ ス ト ◎×△
朝、中学生とすれ違いました。珍しく制服を着ていて、表情が冴えません。
「今日は何か特別な日なの?」と声をかけました。
「今日と明日、期末テストなんです。今日は、国語、社会、理科、英語、音楽、体育、技術家庭、6教科も…。昨日は12時まで、勉強したんだけど、自信ありません。」
横を通った小学生が、「小学校はそんなのなくてよかった!うちの姉ちゃん、さっぱり勉強しないから、母さんに叱られていたよ!」
「あと何年かしたら、中学生なんだから、今からちゃんと勉強する習慣をつけておかないとダメだよ!」と言うと、「なったら、なったで、そのとき、考えるよ!」
 高校に入るのも試験、就職するにも試験、資格をとるのも試験、運転免許をとるのも試験、試験(テスト)から逃げることはできないのです。



2018年9月14日金曜日

花だより クズ コスモス 母を偲んで(4) 校長先生の靴


   母を偲んで(4) 校長先生の靴
 教員になったときは、「よしみつ、どんな服を着て、学校に行っているんだい?」と言われたので、「ジャージが多いかな?」と言うと「学校の先生らしい格好をしなさい!」と叱られたことがあった。
 校長になったとき、母はたいそう喜んで「よしみつ、お祝いに校長先生が履く靴を買ってやる。」と言い出したが、どんな靴だか分からず、北見市内の靴屋に行って、恐る恐る「校長先生が履く靴はありますか?」と聞くと「はあ~?」と言われた。その後、札幌の三越に行って、また「校長先生が履く靴って、分かりますか?」と聞くと「ああ~、ドクターシューズですね。」、さすが三越だと感心、買って帰り、母に見せると「そう、そう、これ、これ…。校長先生は、校長先生らしくないとね。次は、タキシードだね。」と言った。当時、ドクターシューズを履いている校長は、自分だけだったと思う。

思い出のドクターシューズ

2018年9月13日木曜日

花だより ジンジャー ヒメジュオン 母を偲んで(3)


 母を偲んで(3) 「母さんが働いてあんたを学校に行かせる。」
 高校3年生になって、進路を決めなければならない時期になり、教員になりたくて教育大学への進学を母に打ち明けたときのことです。
 高1のときに、父が長い闘病生活の末なくなっていましたので、母には「奨学金が貰えそうだから、大学に行かせてくれないか?」と言うと、母は「そんな恥ずかしいことするんじゃない。よそ様のお金を借りなくても、あんたの学費くらい私が働いて出してやる。」と言いました。
 そういう問題ではないから…。と説得したことがありました。昔は、こんな考えの人が多かったのです。
 通夜に席で、この話をすると、妹が「私も進学したかったけど、私には、そんなこと言わなかった。」と怒っていました。
  「幸せを呼ぶ梟」:母が趣味でやっていた陶芸の作品です。
「校長室に飾りなさい。」とプレゼントされました。
台になっている“寅さんが使っていたのと同じようなかばん”は、父が苫小牧の実家から美幌の自衛隊に入隊するとき「このかばん一つできた。」と母が言っていました。

2018年9月12日水曜日

花だより コルチカム タマスダレ 母を偲んで(2)


  母を偲んで(2) 参観日のおしゃれ
 母は、小学校1年生から中学3年まで参観日には必ず来ました。特に中学生にもなると参観日に来る親はめっきり減るのですが、「牧野の母さん、必ず来るよな!」と友だちから言われたことがありました。
 私は、てっきり教育熱心な母親だと思っていましたが、祖母が「ミツ子(母)はね。若いときからおしゃれが好きでね。自分で作った服を着たくてね。普段外出なんかできないから、参観日だと大手を振って、よそ行きの服を着て、おしゃれができるから行っているんだよ。」娘のことは母親がよく知っているものです。(母は一人娘で、父は婿養子でした。ですから、母は嫁姑の関係を知りません。)
 母の部屋には箪笥が4つもあって、満杯の服がきれいに収められてありました。加えて季節ごとの帽子が10数個、玄関の下駄箱にも箱に入った靴が何足も…。
 昨年から介護認定を受けていました。「ケアマネージャーやヘルパーさんが来るときは、しっかりおしゃれをして待っている。」と普段面倒を見ていた妹が言っていました。そんな母でした。


2018年9月11日火曜日

花だより レンゲショウマ ヤマゴボウ ヨルガオ 母を偲んで(1)

 母を偲んで(1) 
母が87歳の生涯を閉じました。突然の出来事でした。
「親孝行したいときに親は無し」と言いいますが、退職して少し余裕ができ、これからと思っていた矢先でした。
 通夜のお寺さんのお説教で「亡くなった方を思い出し、思い出話をし、偲ぶことが最大の供養である。」と話されていました。
  ~思い出~「玉入れの玉」
 小学校の頃、運動会が近づくと、学校から保護者に「一家に1個、玉入れの玉を作ってきてください。」とお願いされたことがありました。母は、洋裁をしていたからか10個作って「よしみつ、これを学校へ持っていきなさい。」と渡されました。「母さん、1個でいいんだよ!」と言うと、「母さんは、学はないし、人前に立つこともできないし、だからPTAの仕事は何もできない。でも、玉入れの玉くらいは作れるからね。」と言いました。担任の先生に渡すと、「牧野君のお母さん、とても上手ね。」と言われ、うれしかったことを思い出しました。
 もっと元気なうちに親孝行しておけばよかったと悔やんでいます。
「遺影は、これを使ってね。」
母ミツ子 72才のころ