母を偲んで(3) 「母さんが働いてあんたを学校に行かせる。」
高校3年生になって、進路を決めなければならない時期になり、教員になりたくて教育大学への進学を母に打ち明けたときのことです。
高1のときに、父が長い闘病生活の末なくなっていましたので、母には「奨学金が貰えそうだから、大学に行かせてくれないか?」と言うと、母は「そんな恥ずかしいことするんじゃない。よそ様のお金を借りなくても、あんたの学費くらい私が働いて出してやる。」と言いました。
そういう問題ではないから…。と説得したことがありました。昔は、こんな考えの人が多かったのです。
通夜に席で、この話をすると、妹が「私も進学したかったけど、私には、そんなこと言わなかった。」と怒っていました。
「幸せを呼ぶ梟」:母が趣味でやっていた陶芸の作品です。
「校長室に飾りなさい。」とプレゼントされました。
台になっている“寅さんが使っていたのと同じようなかばん”は、父が苫小牧の実家から美幌の自衛隊に入隊するとき「このかばん一つできた。」と母が言っていました。
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