「えっ!わからないの?頭悪いんじゃないの?」
よく見る光景ですが、「考える」という意味を子どもたちは本当に理解しているでしょうか?
「考える」とは、分からないことに出合ったとき、どうしたらよいか?自分の過去の経験から、似たようなことはなかったか思い出す。また、全く反対のことをなかったか思い出す。それと照らし合わせて判断するのです。考えられるか、考えられないかは、頭の善し悪しではなく、その人の経験の度合い、知識の量で決まります。
昔は、村で何か困ったことは起きたときは長老に聞きに言ったものなのです。
親の役目は、子どもにさまざまな経験をさせたり、知識を教えたり、本をたくさん読ませることです。そうすればよく考える子どもになります。
「考える」とは「自主性」を育てることです。「子どもの自主性を尊重する」とよく言いますが、子どもの自立を助けるのが親であり教師です。
自主性は育てるもので、はじめから備わっているものではありません。そのところを勘違いして自主性の尊重と言いながら、放任している親が多いのです。
さまざまな経験や勉強は、学校だけでするものではありません。学校に居る時間と家庭で暮らしている時間、どちらが多いと思いますか?
人間しか考えることはできないと思っていたら、人間以上のことをAIがやるようになってきました。しかし、AIに頼って考えることをしなくなったら、人間の進歩はありません。
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