2022年4月5日火曜日

花だより 見えぬけれどもあるんだ ヒトリシズカ

 

  北国に春を告げる
 訓子府に来て3年目なります。どこにフキノトウや福寿草が咲くか分かるようになりました。
「校長さん、フキノトウを採って来たぞ。これを食ったらな、冬の間にたまった体の悪い物が全部出るんじゃよ。ちょっと苦いけどな。それがまた体にいいんじゃ。てんぷらにして食べなさい。」雪解けになると若松小学校に居たときの近所に住む、おじいさんを思い出します。
ふきのとう 雪解けを待たずに顔を出す春の使者。一番早くでてくる山菜です。独特の香りとほろ苦さが春の息吹を感じさせます。「春の皿には苦味盛れ」と言いす。 冬の間にたまった脂肪を流し、味覚を刺激して気分を引き締めて一年の活動をスタートさせると良いと聞き、てんぷらにして食べました。苦みがあるので私は苦手なのですが、冬眠から目覚めた熊は最初にフキノトウを食べるそうです。

 見えぬけれどもあるんだ 見えぬものでもあるんだよ
          ~金子みすゞの詩「星とたんぽぽ」の一節から~ 
 子どもの言葉や行動の裏には、見えないけれどもそれなりの理由が必ずあります。一人一人の子どもの内には、見えないけれども可能性の芽が必ずあるのです。
 そうした見えないけれどもあるものに、思いを馳せたいものです。今は見えないけれども、子どもの持っている可能性を信じ、それを引き出し、伸ばしてやるのが、親であり、教師です。
 教育の営みは、こうした見えないものに対して想像力を働かせ、心に引き寄せ、温かく見守り、大事に大事に育てていくことに他ならないと、金子みすゞは言っています。

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