2018年1月31日水曜日

花だより 流氷 子どものネットトラブル




 【ネットトラブルと今後の課題】
  ~多様化するネットトラブル~
 《ネットの現状》
 最近の子どもを取り巻く情報環境では、ポータブルゲーム機、音楽プレーヤー、タブレットなどのネット接続可能な端末が登場し、パソコンやスマートフォンとほとんど変わらない機能を有しています。
また、駅構内、コンビニ、カフェなどでWi-Fiスポットが増え、利用に伴っての不正アクセスやウィルス感染、ゲーム機同士のすれ違い通信によりさまざまな個人情報が引き出される被害も起きています。
 さらに自撮りした写真のSNS投稿に伴い、投稿写真に付加される撮影日時や位置情報などの*Exif(イグジフ)情報を消せないままネット上にアップロードした結果、個人の住所や名前、撮影場所が設定されたり、投稿からストーカー被害につながる事案も報告されています。
 また、SNS上でのネットいじめでは、特定の子の発言だけ無視する、被害者にとって不快な写真や動画をグループで共有する、被害者以外の人とグループをつくり悪口を言う、被害者をグループから突然外すなどが見られます。この事態に気がついているのはSNSのグループ機能に加わっている子どもだけであり、クローズドなネット空間であることから、家族や周囲の大人は起きていることに気づかない状況にあります。
 《学校に求められる取組》
 学校での取り組みとしては、子どものネット利用の実態について継続的にアンケートを実施し、その結果を学校だよりなどにより家庭向けに情報発信したり、家庭向け・教員向け研修会の開催、学校でのネットにかかる取組方針(ガイドライン)の策定などが挙げられます。また、危機管理の観点からトラブル発生時には、警察をはじめとした関係機関への相談をためらわない姿勢が求められます。早期段階におけるネットトラブルの解決策は複数ありますが、問題が進展すると解決策が限定的となったり、打つ手が見当たらない場合も出てきたりします。加えてネット特性から、書き込まれた情報が瞬時に拡散してしまい取り返しがつかなくなることにも注意を要します。
 トラブルの背景には、見えない相手とのコミュニケーションの問題があります。トラブルを乗り越えるには日常での対面上のコミュニケーションスキルが必要で、そのためには子ども同士の「人間関係づくり」に視点を置きながらスキルの向上を図ることがポイントになります。
 ①実態把握 ②家庭への啓発 ③研修(情報収集)④関係機関との連携 ⑤早期発見、早期対応
 《家庭との連携》
 子どもが初めて触れるネット機器は、多くは家庭でのパソコン・タブレット・スマートフォンです。家庭では使い方を教えながら、使用する時間や場所などのルールを決めるとともに、子どものサイト閲覧に制限をかける*ペアレンタルコントロールを利用することも必要です。また、使用時間や場所、利用金額などについてあらかじめルール化し、ルールに違反した場合の対応も決めておくことが大切です。この際、ネットトラブルは「深夜、自室で起きている」ことを認識しておくことです。
*Exif(イグジフ)=撮影日時、カメラの型番、撮影条件、(GPS機能付きのカメラは位置情報もわかる)をファイルに添付するもの(富士フイルムのサービス)
*ペアレンタルコントロール=子どもに悪影響を及ぼす可能性のあるサービスやコンテンツに制限をかけること
              (文教大学人間科学部教授 石橋昭良 要約:牧野)
流氷観光船「オーロラ」と道の駅

2018年1月30日火曜日

花だより ネコヤナギ あいさつで人を大切に


『あいさつで人を大切に』~挨拶をしない地域 宮城県気仙沼市のやり取り~  
女:あれー、こん早くにどごさ行ぐの~。
男:仕事すさ。商売で行ぐどこさ。
女:あ~、ほんと。あ、んで、行ってだいん(=いってらっしゃい)。
男:はい、まいどど~もね~。
女:はい~。
 このやり取りを見て、“あれ?”と思われた方がいるでしょう。「おはよう」の一言がありません。
 朝ならば「おはよう」という挨拶は欠かせない。日本人にとって朝の習慣であると思い込んでいますが、実はそうでもなく、東北や九州、沖縄では、お決まりのあいさつを交わさない地域が存在します。
 おそらく古い時代には、挨拶らしい挨拶がなかったのです。それが定型的な挨拶表現ができあがって、広めたのは、京都や大阪、そして、江戸・東京という文化の中心地であったにちがいないのですが、そうした挨拶習慣が日本の隅々まで行き渡っていないのです。
 被災地支援で気仙沼を訪れた関東の介護師が、避難所で「おはよう」と声をかけても地元の人は「おはよう」と返してくれない。「今日は早いね~。今来たの」といきなり本題に入ってきて驚いたというのです。
 挨拶はきわめて社交的な言語活動です。相手と良好な関係を築いたり、維持したりするために挨拶はあります。したがって、さまざまな立場の人々が共存し、見ず知らずの人たちが入り込む不安定な社会にこそ挨拶は必要となるのです。しかし、内輪のよく知った者同士が暮らす社会では、そもそも挨拶を交わす必要性は低いのです。挨拶は社会の複雑さを反映する指標であると言えます。定型的な「おはよう」という挨拶表現より、「どこへ行くか」、「早いな」、「出かけるのか」と言うのが礼儀という地域があると言うことを知るべき(この方が相手を思いやる気持ちが伝わる。)で、共通語の感覚で礼儀を欠くと評価してはいけないということです。
 北海道は、東京から離れていますが、よそ者の集まりなので、挨拶は欠かせない言語活動です。
     (「日本語の魅力」 東北大学方言研究センター教授 小林 隆より 要約:牧野)

2018年1月29日月曜日

花だより ハナアナナス  子どもに望むことを話す 


 子どもが育つ!簡単で大切な50の方法  
                ジャン・ダーガッツ 著 
 「子どもに望むこと」を話す
 どんな親も子どもには、・健康と長寿・性格のよさ・豊かな人間関係・物質的な充足・充実した仕事を望んでいます。親は、子どもの衣食住について恵まれることを願っています。例えば、十分な食べ物、きれいな飲み水、清潔な衣類、安全な寝場所、暑さと寒さを凌ぐ冷暖房などです。加えて、子どもが人間関係について恵まれることも願っています。いろいろな話ができる友だち、いっしょに働いて目標を達成できる同僚、人生について教えてくれる師。また、子どもが立派に仕事をして充実感が得られることも願っています。そして、子どもが立派な人格を形成することを何よりも願っています。正直さ、貞節、忍耐力、親切心、心の平和、喜び、愛情、郷土愛、ボランティア精神などです。
 ところが、面と向かってこんな話を子どもにする子どもにする親は少ないでしょう。しかし、こんな人物になって欲しいという思いを具体的に伝えるべきです。緊急事態でも冷静さを保つこと、他の人の不幸に同情すること、不正に対して怒りを感じること、困っている人を助けること、などなどです。
 折に触れて子どもと希望を分かち合いましょう。子どもは親が自分の将来のことを思ってくれていることに感謝し、自分の将来について真剣に考えるようになります。(*しかし、過度な期待はしないことです。)

2018年1月28日日曜日

花だより エンドウ豆  子どもの元気のモト


 【子どもの元気のモト】
 除雪された道を通らずに、わざわざ脇の雪山を漕いで歩く小学生の姿を目にした。氷が張るとわざわざ踏んずけて割り、つららがあると危険を顧みず取りにかかる、子どもの登下校の習性である。
 かつて、子どもを元気にする場所があった。それは学校ではなく、家庭でもなく、学校への行き帰りの道や放課後の、大人の目の届かない場所だったのではないだろうか。
 しかし、最近東京では、子どもが学校帰りに、今どこにいるかの位置情報を親に知らせるための小さな筒状のグッズを全員がランドセルにぶら下げることにしたという。テレビは、子どもたちがそのグッズをつけて下校する姿を報じていた。それでは、うかうかと道草も寄り道もできない。しかし、犯罪に巻き込まれる恐れのある都会では、仕方のないのかもしれない。
 子どもの体の内には、本来「元気」のモトがあって、その「元気」を磨く場所が、大人の目から解き放たれた自由な空間、道や空き地、広場や建物の陰だったという気がする。しかし今、都会で子どもの安全が守られる場は唯一学校だけになってしまったのかもしれない。家庭にだって、子どもを虐待する悪い親もいる。
 しかし、学校という空間の中で、子どもの「元気」をどう育てるのか。そのカギを握っているのは先生であり、その先生の経営する学級ではないだろうか。元気は伝染する。生き生きと元気いっぱいの人がそばにいると、何となくその人の「元気のモト」のようなものが、こちらの身体や心に移ってくる気がする。
 ところが、最近の先生たちは授業以外の雑用に追われ、子どもの仲間になる時間が持てないでいる。先生が元気印でいられるような学校にできないものか、働き方改革に期待したい。

2018年1月27日土曜日

花だより ミカン 西郷どん


 西郷隆盛 ~西郷(せご)どん~
 平成30年1月から、NHK大河ドラマ「西郷どん」(原作:林真理子)が始まった。
 大河ドラマで西郷隆盛を扱うのは、平成2年「翔ぶが如く」(主演:西田敏行)以来二度目、今回は、鈴木亮平が演じる。我々がイメージする西郷どんとは、異なるキャラクターだ。有名な上野の西郷像の除幕式に出席した3番目の妻の糸が、「うちの人は、こげなお人じゃなか」と言った話は有名である。
 日本人なら、知らない人はいない。「日本人の好きな偉人100人」では11位に、「幕末の偉人」では、坂本龍馬に次ぐ2位にランクインしている。貧しい下級武士から身を起こし、関わった人々を惹きつけて止まない魅力あふれる人物である。
 西郷どんが残した言葉からは、人柄が偲ばれる。
 ・思い切ってやりなさい 責任は私がとるから
 ・道が決して多端なものではない。まことに簡単なものである。ただ白と黒の区別があ
  るだけである。
 ・功のあった人には、禄をあたえ、能力のある人には位を与えよ
 ・命も要らず、名も要らず、官位も金も要らぬ人は、始末に困る。
  この始末に困る人ならでは、艱難を共にして、国家の大業は成し得られぬなり
 薩摩藩の「議をいうな」という教えと「郷中教育」
 「議をいうな」と言葉だけ聞くと少し乱暴のようにも聞こえるが、これは単に言い訳をするなという、議論封じに使う言葉ではない。議論を尽くして決まったことや、結論が出てしまったことに対して、ぐじぐじと言い訳や不平不満を言うのではなく、前を見なさいという言葉である。この教えは、鹿児島(薩摩)の昔からある教育制度「郷中教育」から生まれた。
 郷中教育とは、郷中という地域社会を基盤として、地域の中で子を育てるという教育である。郷中内で年齢によって小稚児(こちご)(6~10歳)、長稚児(おせちご)(11~15際)、二才(にせ)(16~24・25歳)、長老(おせ)(24・25歳以上)に分け、先輩が後輩を指導するという異年齢集団の教育システムである。自分たちで、長稚児の中から稚児頭をというリーダーを選び、リーダーを中心とした自治的活動をした。そのリーダーが西郷どんであった。長州藩の吉田松陰の松下村塾のような突出した先生や教室があったわではなく、師弟同行の移動教室のような教育方法だった。
 西郷どんは、わずか70戸あまりの下鍛冶屋(したかじや)町郷中の二才頭として、圧倒的な支持と人気があった。後輩には、大久保利通や村田新八、大山 巌、東郷平八郎などがいる。西郷を筆頭に20年の間に、小さな町から明治維新の立役者を何人も排出できたことは、決して偶然ではない。郷中教育という人材教育の賜なのである。
  二人の人間(論語)
 人間には「徳の人」と「才の人」とがある。「徳の人」は大将の器なるべし、「才の人」は補佐役たるべし。リーダーとしての地位が高ければ高いほど、技量的能力よりも徳の方を要求される。
 西郷は、正に徳の人であり、大久保利通は、才の人であった。

2018年1月26日金曜日

花だより ミスミソウ 痛み入る


 使ってみたい こんな日本語 「痛み入る」
 例えば目上の人が直々に挨拶に来てくれた、出迎えや見送りをしてくれた。あるいは、丁寧なもてなしをしてくれたなど、自分に行きすぎた対応をしてもらうことがあります。そんなとき、どのような言葉で気持ちを伝えますか。
 つい恐縮して使ってしまうのが、「申し訳ない」や「すみません」という表現ですが、「いやや、こんなにしていただいて、すみません」「お忙しいところ、申し訳ないです」と繰り返し言うと、謝罪の言葉とも受け取られるため、「本当は嫌だったのかな」などと、相手に気を遣わせてしまう場合もあります。
 こうしたときには、「ありがとうございます」「嬉しいです」「とても助かります」という感謝や喜びの気持ちを素直に伝えた方が、印象がよいでしょう。
 お礼だけでなく、恐縮している気持ちをどうしても伝えたい場合に便利なのが、「痛み入る」という言い回しです。
「わざわざのお越し、痛み入ります」
「こんなによくしていただいて、痛み入ります」
「身に余るお褒めの言葉、痛み入ります」のように使います。
 相手の過分な好意に対し、ありがたさと申し訳なさを「痛み」という言葉で表現した、
 また、「痛み入る」の類語に「かたじけない」があります。
 こちらは、時代劇でよく耳にしますが、身に染みてありがたい、もったいない、おそれ多いという意味の表現です。
 「ご親切、かたじけなく存じます」
 ある程度年齢を重ねた人が、さらりと使えば知性を感じさせます。ただし、若い人が使うと慇懃無礼(いんぎんぶれい:表面上は丁寧だが、内心ではバカにしている)な印象を与えかねないので注意が必要です。
 小学校の先生の話は「諄(くど)い」とよく言われる。子どもたちにわかりやすく伝えようとすると、簡易な言葉を選び、繰り返したり、念を押したり、時には上から目線で言うときもあります。それに慣れていると、今度は大人を相手にしたときに、適切な言葉が出て来ないことも。反省しなければなりません。

2018年1月25日木曜日

花だより フウキギク 教育は「引き出す」こと


 教育は「引き出す」こと 
 教育と訳されている英語の「エデュケーション」は、本来「引き出す」という意味をもっています。
 教育とは、何かを教え込む、知識を詰め込むことではなく、教えることによって、子どもたちの持っているいろいろな個性や資質、能力を人格的な触れ合いを通して引き出し、成長させることです。そのために必要な教師の能力は、コミュニケーション能力です。学習指導でも生徒指導でも、子どもたちときちんとコミュニケーションが取れることが大前提になります。
 特に授業では、「教師が子どもたちに考えや思いをわかりやすくきちんと伝える」「教師が子どもたちの考えや思いを肯定的に受け止める」ということが大切です。
 伝える力のある教師は、説明や指示が子どもたちにとって分かりやすいだけでなく、自分の発する言葉が子どもたちの立場で聞くとどのように受け取られるかを常に意識しています。
 受け止める力のある教師は、子どもたちの発言に対して「聞いているよ」という受動的な態度を上手に使っています。笑顔をつくったり、うなずいたり、「なるほど」と肯定したり、たとえ間違っていても「なぜ」と子どもたちに説明させたり、いまの説明で「納得できた」と確認したり、きちんと聞いています。子どもたちに認めてくれていると感じさせることで考えや思いを共感・共有できるようにしています。
 「正解を示す」よりも「あなたなら~どうしますか」と「問い続ける」、課題解決に向けて子どもたちと協働し「自分で考えたり、表現する力」を引き出すことが、これからの教師に求められています。

2018年1月24日水曜日

花だより エリカ 養育格差社会


「養育格差社会」
    ~親の養育態度で子どもの人生が決まる社会~
         青山渋谷メディカルクリニック名誉院長 鍋谷 恭孝
              月刊「児童心理」1月号(要約:牧野)
① 問題のある家族・親子関係で育てられる子どもたち
 家庭として最悪なのは機能不全的家族である。子どもを虐待にさらしたり、駐車場に置いたままパチンコをしているような親である。親自身が未熟なため適切な関わりができす過放任の状況で育てられた子どももいる。このような状況で育てられると、子どもは深い問題や傷を抱えて育つ。また、荒れた性格にはなり得ても健やかな元気な子にはなりにくい。
 今述べたほど深刻な子育て状況ではないが、神経症的な子を生む親の関わりもある。家庭自体は安定しているものの、共感的能力の低い親であったり、何らかの期待や強い思い込みがあったり、逆に不安が強くおろおろしながらの子育てであったり、溺愛しすぎで何でも子どもの要求をかなえすぎたりするような親である。このような親に育てられると、萎縮した子ども、こだわりの強い子ども、不安の強い子ども、他者に過敏に反応する子ども、自己中心的な子どもに育ちやすい。長じてひきこもりや社会不安障害(対人不安の強い子)になりやすい。
② 現代の最大公約的な家族(平均的な家族)
 それなりに安定した家庭であり、母親が不安を抱きながらも、子どもにできる限りのことをしてやろうと、頑張って子どもを育てている家族である。今や豊富な家電により負担のある家事から解放され、子育てに十分な時間と世話ができる時代となった。しかも、家族は夫婦よりも親子関係が中心であり、家族自体が子ども中心に回っており、子どもは常に親に世話をされ続け、お稽古ごとでも大人に世話をされ、指示を受け、与えられたシステム内で過ごすことになる。親の世話と大人のシステム、そして、モノと情報に溢れた状況で子どもは育つ。大切に飼われている羊のような生き方(言わるままに素直に枠の中で生きている)ともいえるし、極端に言えば、自分から自発的に動かなくとも、全てを他者が与えてくれてスクスク育ち、手足ばかりがツタのように伸びていく植物のような生き方ともいえる。それが、素直で、優しく、指示待ちで、親離れせず、穏やかで無理や冒険をしない子どもを育てることになる。「さとり世代」と呼ばれる若者が育つ家族状況ともいえよう。そのような状況で育てられる子どもが大多数になっている。
③ エネルギーの高い一流の子どもを育てる家族
 この家族は、プロテニスプレーヤーの錦織圭君のようなスーパースターを育てる家族だ。
 長男・博氏は画家、次男・明氏は作曲家、末娘の真理子さんはバイオリニストと全ての子どもを一流のレベルに育てた千住文子氏の書かれた『千住家の教育白書』、プロテニスプレーヤーの杉山愛さんの母親である芙沙子氏が書かれた『一流選手の親はどこが違うのか』は、共にエネルギーの高い子を育てる模範となる様子が描かれている。共通しているのは、子どもは授かりものと考え(決して自分の延長としてではなく)、独立した存在として丁寧に見つめる姿勢があることだ。それゆえ、子どもたちの個性もよく理解している。子どものペースを無理なリズムに合わせようとしたり、親の不安や期待から過剰な関わりをせず、子どもたちの好奇心を大切にし、それらを伸ばし、高いエネルギーをもってサポートしている。遊びも子どものペースで十分に遊ばせている。そして、何より子どもとのコミュニケーションを大切にしている。
 芙沙子氏によれば、杉山愛さん、錦織君、石川遼君などの一流選手に共通しているのは、幼児期は、家族ぐるみで何らかのスポーツを楽しまれており(家族の共通の話題があることでコミュニケーションも豊かになる)、子どもが興味の持ちそうなところに出かけたり、興味を持てばさまざまなことをさせていることだ。たとえば、愛さんは、テニス以外にも、体操、フィギュアスケート、クラシックバレーなどを学童期までは楽しんでいた。錦織君もスイミング、サッカー、野球、ピアノまで楽しんでいたようだ。そして10歳前後で、もっとも興味あるスポーツに専念しはじめ、親はそれを高いエネルギーでサポートし続けた。
 ≪元気な子どもを育てる条件≫
 若者・子どもが元気であった時代状況の要因、現代でもエネルギーが高く、第一線で活躍している子どもを育て上げられた要因・条件を考えてみたい。
① 貧困と理不尽(不条理)体験があること(親は与え過ぎない)
② 緩やかな生活空間・ゆっくり流れる時間の中で過ごすこと(テレビやパソコンのつけっ放しは控え、じっくりと何かに関われせることが大切)
③ 群れの中で多様性を身につけることが大切(幼児期から学童期にかけて、自由度の高い環境で群れ(集団)体験をさせることが大切)
④ 現代の方が有利な条件(一人の子どもに時間と世話が充分にかけられる。安全な場所が保障されている。)
 結論的に言えば、荒ぶる野生児のような元気な子どもが育つ環境ではなくなったし、それを目指す必要はない。それよりも、母親との密着状態が大人になっても続く状況であり、安定感のある子どもは育ちやすい。そして、飽和した社会には飽和した社会であるからこそ、多様なシステムが存在するので、それらを親は賢く利用することができる。子どもは用意されたシステムを自分なりに選び取り、群れ体験や自由な遊びができる環境を得て、主体的に目標を目指すような子になれば、エネルギーの高い子に育つのではないか。少なくとも、与えられた枠組みの中で元気に頑張る芯の強い子は育つと考えている。そういう時代なのだ。

2018年1月23日火曜日

花だより 福寿草 笑うのはやめよう!


 いじめのギャラリーをどうとらえるか?
  「いじめと戦おう」HP制作者 地方公務員 玉聞さんの主張  
 ~笑うギャラリーがいじめを助長する~
 いじめの問題では、いじめっ子のリーダーがよくクローズアップされて、いじめをいかにしてやめさせるか、という話になりがちです。しかし、いじめっ子のリーダーだけを注意しても、なかなか抑止力は働きません。むしろカギを握るのは、そのいじめっ子の周りで「自分は手を出していないし、何なら、いじめられている子をちょっと気の毒に思っている」けれど「笑って見ている」ような子どもたちです
 こうした子は、何もしていないつもりなので罪悪感はありません。しかし、そうして笑って見ているギャラリーがいるからこそ、いじめっ子は調子に乗ってますますいじめるし、ギャラリーのさらに外側で眺めている子どもたちもいじめを止められないのです。遠巻きに眺めている子どもたちの目には、笑っているギャラリーも「一緒にいじめている仲間」に映り、大勢の人に立ち向かうのは怖いからです。つまり、いじめが長く続く原因は、笑って見ている子どもたちにある。いじめに加担したくないのなら、止めることはできなくてもいいから「笑うのをやめよう」と、そのことをぜひ伝えてほしい。
 いじめ問題では、これまでも“傍観者”への働きかけが大事だと指摘されてきました。傍観している子が「やめなよ」と言えるような環境を醸成することは言うまでもありません。しかし、それはなかなか難しいものです。「やめなよ」と言い出せなくても、「笑うのをやめればいい」ということでも効果があるのです。
 学校の先生とか大学の先生とかではなく、こうした第3者の見方も大事です。
 いじめは漫才に似ている
 「落語家や漫才師を殺すのに鉄砲や刃物はいらない。笑わずに黙って寝てればいい。」という言葉があるそうです。いじめも同じで、いじめっ子のリーダーだけを注意しても、なかなか抑止力にはならない。カギを握るのは、いじめっ子の周りで笑っている子どもたちなのです。
 ネットの誹謗中傷も同じで、フォロアー数が多いと調子に乗ってやってしまう。開く行為が「笑う」行為だとすると、「そうした書き込みを開いて、返信するのは止めよう」という指導が大事だと思います。

2018年1月22日月曜日

花だより シンビジウム うんこドリル


 「うんこが(山)ほど(出)た。」
 「うんこドリル」は、累計発行部数270万部を超える(10月時点)大ヒットとなった。小学校1~6年生用の6種類があり、小学校で習う1006字の必修漢字それぞれに対して3つずつ、合計3018の例文が掲載されている。そのすべてに「うんこ」という言葉が使われていて、今までの常識を覆す画期的な漢字ドリルとなっている。全ての例文を考えたのは、脚本家、演出家、映像ディレクターの古屋雄作氏
 「うんこ」のヒットに続けということで、7月下旬に「おなら」をテーマにした『まいにちおならで漢字ドリル』が発売された。  
 1冊1,058円 300万部売れたら 約30億円?!
               2017年のベストセラーランキングは4位! 
 村上春樹さんの「騎士団殺し」が5位ですから、ノーベル文学賞候補の村上春樹越え?
 今は、うんこドリルの他にも、タブレットでかけ算九九、都道府県、国の位置を覚えるソフトがあったり、音楽、アニメーション入れて、子どもたちの興味関心をがっちりつかんで、楽しく覚えやすいように工夫されています。
「学問に王道なし」~覚えるのに手っ取り早い方法はない~と言われて、とにかくノートに繰り返し書いて覚えたものですが、今はそんな時代ではないということです。

2018年1月21日日曜日

花だより オンシジウム お年玉は好調


  親の給料より先にお年玉が上がる?
 住信SBIネット銀行が実施した「お年玉に関する意識調査」の結果によると、今冬のお年玉の支払い予定総額の平均は、28,386円となり、平成22年の調査開始以来、最高額となりました。(昨年より1,058円増加)小学校低学年、中学生、高校・大学生への支出額は昨年とほぼ同様だったのに対し、小学校高学年が増加しました。昨年は、1,100円から3,000円を支出する人が最も多かったのに対し、今冬は、3,100円から5,000円を支出する人が最も多い結果となりました。年代別の平均支出額を昨年と比べると、50代以上は、3,591円の増加で、一番伸びが目立ちました。これは景気が回復している兆しなのか?それともじいちゃん・ばあちゃんが孫に対してさらに甘くなったということでしょうか?
   

2018年1月19日金曜日

花だより クンシラン 教師のストレス


 教師のストレスと生徒指導の難しさ 
  ~深刻化する教師のメンタルヘルス~
 精神疾患による病病気休職者数(平成27年度調べ)は、5,009人(全教職員のうち0.54%)でこの15年の間に倍増している。
教師の疲弊の背景には、わかりにくさを伴う生徒指導の困難性がある。それでも、燃え尽きずに、児童生徒にきめ細かくねばり強く接するには、教師自身の自己理解とレジリエンスが不可欠である。
 
   ≪教職生活における危機の原因≫
危機の原因(複数回答可、上位10項目)(人数)
手に負えない児童・生徒に振り回される 97
職員間の共通理解や協力が得られずに孤立 64
保護者との人間関係 51
管理職との軋轢 43
同僚とのトラブルやいじめ 33
多忙 30
異質性の高い学校への転校 14
新任(リアリティショック) 10
部活動における生徒・保護者との軋轢 9
10 望まない担任や分掌 9

 教員が理想と熱意を保持しつつ、困難な状況に遭遇してもバーンアウト(燃え尽き)せずに生徒指導を行っていく上で「レジリエンス」が重要な意味をもつ。レジリエンストとは、「精神的回復力」「弾力性」「立ち直り」「しなやかさ」などと訳される精神的健康に関する概念である。また「困難で驚異的な状況にさらされることで一時的に心理的不健康の状態に陥っても、それを乗り越えていく弾力的な心理特性」と定義されている。
  ≪レジリエンスを構成する3つの要素≫(心が折れないために)
 ① 将来への期待や夢、目標をもつ「肯定的未来志向」
 ② 多様な物事に対して興味や関心を示しチャレンジする「新奇性追求」
 ③ 自分の感情を制御したり、切り替えたりすることができる「感情調整」
  *『「教師を辞めようかな」と思ったら読む本』 新井 肇著 明治図書2016
 教師である以上、程度の差こそあれ困難な状況に陥ることは必至である。まして、学級崩壊、いじめ、暴力行為などの生徒指導上の課題と直面する教師は、他の職種とは比べものにならないストレスフルな状況に遭遇したとして不適切な指導を行ったりせずに、児童生徒にきめ細かくねばり強く接していくためには、「レジリエンス」を身につけることが不可欠であろう。今後、教師のメンタルヘルス支援にとどまらず、生徒指導の力量形成の視点からも、教師一人一人のレジリエンスの向上を図る取組の具体化が求められる。
            関西外語大学 教授 新井 肇 月刊「生徒指導」12月号より
                                     (要約:牧野)

2018年1月18日木曜日

花だより 林檎 教師に必要な3つの力


  
 ~教師に必要な3つの力~
  知識と情熱だけで教育が成功するのは若い時代だけ、教師には「指導」「人格」「管
 理」の3つの力が必要である
  そのためには、~「良き師 良き友(同僚) 良き書(本)を持つべし」
 【指導の力】
  指導の力とは、子どものやる気を引き出す力

   凡庸な教師は、ただしゃべるだけ
   良い教師は、説明する
   優れた教師は、範を示す
   偉大な教師は、子どもの心に火をつける

 【人格の力】
   ~「子どもは、尊敬する人からしか学ぼうとしない」
   人格の力を培うには、子どもをよく観て褒める 
   (菊池省三先生の講演「褒め言葉のシャワーを浴びせる」)
   「真~正しいこと 善~良いこと 美~美しいこと」を見つけて褒める。
   事実や根拠なしのほめるは、「おだてる」です。

 【管理の力】
  管理の力とは、子どもの生命を守る力
  「学習管理、時間管理、健康管理、危機管理」、これらは毎日行われている。
  教師によるこうした管理が成立した上で、指導の力や人格の力が子どもへのプラスの
  影響力として発揮できる。
   ~「理で説き 法で押さえ 情で動かす」


2018年1月17日水曜日

花だより フキノトウ 養育格差社会


 「養育格差社会」
① 問題のある家族・親子関係で育てられる子どもたち
家庭として最悪なのは機能不全的家族である。子どもを虐待にさらしたり、駐車場に置いたままパチンコをしているような親である。親自身が未熟なため適切な関わりができす過放任の状況で育てられた子どももいる。このような状況で育てられると、子どもは深い問題や傷を抱えて育つ。また、荒れた性格にはなり得ても健やかな元気な子にはなりにくい。
 今述べたほど深刻な子育て状況ではないが、神経症的な子を生む親の関わりもある。家庭自体は安定しているものの、共感的能力の低い親であったり、何らかの期待や強い思い込みがあったり、逆に不安が強くおろおろしながらの子育てであったり、溺愛しすぎで何でも子どもの要求をかなえすぎたりするような親である。このような親に育てられると、萎縮した子ども、こだわりの強い子ども、不安の強い子ども、他者に過敏に反応する子ども、自己中心的な子どもに育ちやすい。長じてひきこもりや社会不安障害(対人不安の強い子)になりやすい。
② 現代の最大公約的な家族(平均的な家族)
 それなりに安定した家庭であり、母親が不安を抱きながらも、子どもにできる限りのことをしてやろうと、頑張って子どもを育てている家族である。今や豊富な家電により負担のある家事から解放され、子育てに十分な時間と世話ができる時代となった。しかも、家族は夫婦よりも親子関係が中心であり、家族自体が子ども中心に回っており、子どもは常に親に世話をされ続け、お稽古ごとでも大人に世話をされ、指示を受け、与えられたシステム内で過ごすことになる。親の世話と大人のシステム、そして、モノと情報に溢れた状況で子どもは育つ。大切に飼われている羊のような生き方(言わるままに素直に枠の中で生きている)ともいえるし、極端に言えば、自分から自発的に動かなくとも、全てを他者が与えてくれてスクスク育ち、手足ばかりがツタのように伸びていく植物のような生き方ともいえる。それが、素直で、優しく、指示待ちで、親離れせず、穏やかで無理や冒険をしない子どもを育てることになる。「さとり世代」と呼ばれる若者が育つ家族状況ともいえよう。そのような状況で育てられる子どもが大多数になっている。
③ エネルギーの高い一流の子どもを育てる家族
 この家族は、プロテニスプレーヤーの錦織圭君のようなスーパースターを育てる家族だ。
 長男・博氏は画家、次男・明氏は作曲家、末娘の真理子さんはバイオリニストと全ての子どもを一流のレベルに育てた千住文子氏の書かれた『千住家の教育白書』、プロテニスプレーヤーの杉山愛さんの母親である芙沙子氏が書かれた『一流選手の親はどこが違うのか』は、共にエネルギーの高い子を育てる模範となる様子が描かれている。共通しているのは、子どもは授かりものと考え(決して自分の延長としてではなく)、独立した存在として丁寧に見つめる姿勢があることだ。それゆえ、子どもたちの個性もよく理解している。子どものペースを無理なリズムに合わせようとしたり、親の不安や期待から過剰な関わりをせず、子どもたちの好奇心を大切にし、それらを伸ばし、高いエネルギーをもってサポートしている。遊びも子どものペースで十分に遊ばせている。そして、何より子どもとのコミュニケーションを大切にしている。
 芙沙子氏によれば、杉山愛さん、錦織君、石川遼君などの一流選手に共通しているのは、幼児期は、家族ぐるみで何らかのスポーツを楽しまれており(家族の共通の話題があることでコミュニケーションも豊かになる)、子どもが興味の持ちそうなところに出かけたり、興味を持てばさまざまなことをさせていることだ。たとえば、愛さんは、テニス以外にも、体操、フィギュアスケート、クラシックバレーなどを学童期までは楽しんでいた。錦織君もスイミング、サッカー、野球、ピアノまで楽しんでいたようだ。そして10歳前後で、もっとも興味あるスポーツに専念しはじめ、親はそれを高いエネルギーでサポートし続けた。
 ≪元気な子どもを育てる条件≫
 若者・子どもが元気であった時代状況の要因、現代でもエネルギーが高く、第一線で活躍している子どもを育て上げられた要因・条件を考えてみたい。
① 貧困と理不尽(不条理)体験があること(親は与え過ぎない)
② 緩やかな生活空間・ゆっくり流れる時間の中で過ごすこと(テレビやパソコンのつけ
  っ放しは控え、じっくりと何かに関われせることが大切)
③ 群れの中で多様性を身につけることが大切(幼児期から学童期にかけて、自由度の高
  い環境で群れ(集団)体験をさせることが大切)
④ 現代の方が有利な条件(一人の子どもに時間と世話が充分にかけられる。安全な場所
  が保障されている。)

 結論的に言えば、荒ぶる野生児のような元気な子どもが育つ環境ではなくなったし、それを目指す必要はない。それよりも、母親との密着状態が大人になっても続く状況であり、安定感のある子どもは育ちやすい。そして、飽和した社会には飽和した社会であるからこそ、多様なシステムが存在するので、それらを親は賢く利用することができる。子どもは用意されたシステムを自分なりに選び取り、群れ体験や自由な遊びができる環境を得て、主体的に目標を目指すような子になれば、エネルギーの高い子に育つのではないか。少なくとも、与えられた枠組みの中で元気に頑張る芯の強い子は育つと考えている。そういう時代なのだ。

  ~親の養育態度で子どもの人生が決まる社会~

青山渋谷メディカルクリニック名誉院長 鍋谷 恭孝
 月間「生徒指導」1月号より (牧野要約)
 

2018年1月16日火曜日

花だより カニサボテン 高梨沙羅


【平成25年度 北見市立北小学校 学校だよりから】
  冬季オリンピック(ソチ大会)が楽しみ!
 2月7日から23日まで ロシアのソチで開催される冬季オリンピック(パラリンピック)には北見や網走、美幌出身の選手もスピードスケート、ノルディックスキー、カーリングなどで活躍が期待されています。また、テレビにくぎ付けになりそうですが、その中で金メダルの有力候補として注目を浴びているのが女子スキージャンプの高梨沙羅選手(17歳)です。今季W杯9戦中8戦で優勝と絶好調です。身長152㎝の体は、優勝台に上っても2位、3位の外国人選手とやっと肩を並べるような小柄で華奢な感じの一見普通の目立たない女の子ですが、ちょっと違うようです。
  ~高梨沙羅の強さの秘密~
ジャンプ選手だった父親から小さいころからジャンプをやらされたというイメージがあるようですが、「なんせ普通の子だと思ったらだめ。普通の子どもは親に言われてやるものだけど、あの子は違う。あの子は全部自分でやる子だから」これもテレビの特集でやっていました。
 天才ではなく努力家 「そこまでやってしまう?」
 152㎝の小柄な体を弱点にしない飛び出しのタイミングやバランスの良い空中姿勢などセンスの良さは、年端も行かぬころから寸暇を惜しんで、自らの意思で、物事に取り組んで来た“揺るがぬ向上心と普通じゃない努力家気質”が生んでいるという。
 それは、高梨が憧れる女子ジャンプのパイオニアであり、今季から全日本のコーチをしている山田いずみ氏の「よく沙羅は才能があると言われるけど、実は人一倍の努力家だからあんなジャンプができるんです。」という見方とも合致します。ジャンプをやりたいと言い出したのは、小学2年の高梨自身でした。兄の寛大の飛ぶ姿を見ていた小さな少女が、すぐに空中を舞う爽快感のとりこになりました。怖いなんて思いはこれっぽっちもなく、「面白かった」と平然と振り返っています。
 まだ女の子がジャンプを飛ぶことの認知度が高くなかった当時。両親はむしろ、やらせたくはなかったそうです。母の千景さんは既に習っていたバレエをやらせたかったし、父の寛也さんはどうしたって兄の指導に熱心でした。しかし、娘は思い通りにはなってくれませんでした。父は「どうしてもやりたいなら構わないが、その代わり中途半端にはならないように」と問いましたが、娘は「はい」と返事し、決意が揺らぐことはありませんでした。
 勉強もできる! 勉強に関しても同じです。友だちが塾で英語力を付けたと聞くと自分も負けじと通うようになりました。どこにでも必ず勉強道具を持ち歩き、コーチの1人は以前に「遠征帰りの空港の乗り継ぎ時間にも普通なら疲れてぐったりするのに、一心不乱に教科書とにらめっこしていた。」と、時間を無駄にしないストイックさに驚嘆していました。そうした努力のおかげで、15歳だった高校1年時には高校卒業程度認定試験(旧大学入試検定)をパスしたほどです。勉強に力を注ぐのは、ジャンプ選手を引退した後の人生設計もしっかり念頭に置いているからです。中学3年のときには、将来の夢として「中学校の体育の先生になりたい。だから、教員免許を取得できる課程を修了しなければならないことも考えています。」と語っています。
 世界一流の選手は、凡人とはどこか違う。「うちの子とは違う。」と言ってしまうとお仕舞です。
 なぜ伝記を読むか?伝記の中で描かれる人生と自分の人生を比較することができるからです。

2018年1月15日月曜日

花だより セントウソウ 「じぇ、じぇ、じぇ」


【平成25年度 北見市立北小学校 学校だよりから】
 1月20日(月)両手に大きな袋を持って登校する子がいました。本を読んで感動したり、旅行に出かけて思い出を作ったり、スポーツをして楽しんだり、それぞれの冬休み、お正月を過ごしたことでしょう。
 休み中はテレビ三昧  「じぇ、じぇ、じぇ」 
 流行語大賞の発表があったとき 何のことだがよく分かりませんでした。朝ドラ「あまちゃん」を見たことがなかったからです。年末に特集(総集編)を見て納得しました。
 なぜこんなにヒットしたのか? 全編通してのテーマは「家族愛」「郷土愛」
 ○「あまちゃん」を見ると、朝から元気になれる。○家族そろって見られる。○中高年から若い世代まで幅広い支持を獲得した。○震災の北三陸を舞台にして、古き良き日本の田舎を再認識した。○東北に対する見方が変わった。○何もない、つまらない田舎が、徐々に自分の故郷を誇りに思うようになった。○オープニング曲、「潮騒のメロディー」、「いつでも夢を」など音楽の力が効いていた。○キャスティングや80年代のアイドル曲を入れるなど構成が工夫されていた。ヒットの要因は、たくさんあると思いますが、何といっても宮藤官九郎さんの“だれも悪者にしない。だれも死なせない。”という脚本の妙でしょう。
 NHKなのでCMがないので4時間ぶっ通しで2日間見て、「じぇ、じぇ、じぇ」と感動しました。朝ドラ「あまちゃん」を見ることが毎日の習慣になり、あまロス症候群という言葉が生まれたのも納得です。
「あまちゃんを終えて」  アキの母親役の小泉今日子さんの寄稿です。
 ~希望の光へ さぁ私たちも!~
 あまロス症候群なんて言葉が生まれてしまうほど「あまちゃん」の放送が終了して心にぽかんと穴が空いてしまった人達がいるらしい。 あのドラマに関わった人間にとってなんて嬉しい言葉だろうと思う。
「あまちゃん」は挑戦だった。コアな人気は凄いけれど、なぜか視聴率には恵まれない宮藤官九郎さんの脚本でNHKの朝ドラを! しかも東北を舞台に震災前からその後までの時間を描く。ヒロイン能年玲奈ちゃんは久しぶりに完全オーディションで選ばれたほぼ無名の女の子。 母親から「ブス!」と罵られる猫背のヒロインなんて前代未聞である。
 怒ってばかりのスケバンみたいな母親だって前代未聞。朝ドラを見るのを毎朝楽しみにしているお年寄りに嫌われるのを覚悟の上で、私はそのスケバン母役を引き受けた。 ところが放送が始まると意外や意外。視聴率は好調だし、猫背のヒロインの透明感とつぶらな瞳は全国の皆さんの心をたちまち掴んでしまったし、 スケバン母もどうにか受け入れられたようである。
 伝説の海女を演じた宮本信子さんや大女優役の薬師丸ひろ子さんが物語をグッと引き締め、ドラマの楽しさを盛り上げた。 とはいえ、私達役者はあくまでも台本通りに演じただけである。一番の功労者はやはり脚本家なのだ。 宮藤さんの脚本には愛と尊敬の念があると思う。一人一人の役者さんに与える台詞は他の誰が言ってもきっと面白くならない。 その人にしか絶対に言えない言葉だ。だから割り当てられた台詞を役者が発した時、いるいる、そういう人!と愛すべきキャラクターが出来上がってしまう。面白おかしく小ネタを挟んで茶化しているようだけど実はテレビの力というものをちゃんと信じて愛して敬っている。
 役者もプロデューサーもディレクターもみんな、そんな宮藤さんの脚本を信じて最大限の力を出し合えた。 だから「あまちゃん」は視聴者の皆さんにも愛されたのかもしれない。
 今年の後半は、北海道の余市を舞台にした朝ドラが放送されるそうなので期待しています。朝は見られませんが、毎週末には見ようと思います。安心して見られる番組を選んで家族がそろってテレビを見て感動を共有するのもいいものです。私の好きなテレビ番組の中にTvhの「和風総本家」があります。「日本て本当にいいよね。」というセリフがあります。 冬休みに大学教授(国語専門)の講演を聞きました。「確かに読解力は必要だが、大事なのは感じる心があるかどうかだ!」と話されていました。テレビでも同じことが言えると思います。

2018年1月14日日曜日

花だより 椿 「うそ告」「BBA]


 ~若者文化事典~ 今 一生(フリーライター)
【うそ告】?(うその告白)【BBA】?(ばばあ~!)
 スマホでのやり取りがいじめの様相を呈している。ただしライングループ内で行われているため、大人はほとんど気づかない。それが中学生にスマホを持たせた結果なのだが、トラブルが増えても親たちはスマホを利用させている自身の責任は問わないし、とらない。トラブルの元を増やしている自覚もなく、いじめが顕在しても、その発端となったスマホ内のメッセージまではプライバシーがあるために見ることはできない。
教職員には頭の痛い問題が、今日もネットの世界ではさまざまに起きている。早めに学校側の責任範囲を見積り、PTAに明示しておくことが得策であろう。

【いじめる側になっている子どもに見られるサイン】
□言葉遣いが荒い
□金遣いが荒い
□我慢ができない
□漫画ばかり見ている
□疑い深い
□すぐ怒ったり文句を言ったりする
□よく買い食いする
□机をひっくり返して怒る
□はさみやナイフに強い興味を示す
□部屋が汚い
□母親に強く甘えるときがある
□一緒に食事をしない
□親や弟妹に暴力をふるう
□友だちから貰った高級品を持っている
□電話を気にする
□服装が派手になる
□外出をよくする
□学校に行きたがらない
□強い反面、臆病な面もある
*いじめに限らず問題行動の前兆でもあります。

2018年1月13日土曜日

花だより クリンコザクラ こんなときどうする?


 こんなときどうしますか?
 「お母さん、今日○○ちゃんと家で遊んでいい?」とお子さんが言ってきたらどうしますか?また、こうしたときのルールを決めていますか?
 親が留守の家で、子ども同士遊んでいて、勝手に冷蔵庫を開けて、飲み食いしたりしていないでしょうか? 学校での指導というより、これは家庭のしつけの問題です。
「でも、そのことを注意して、うちの子がいじめられたり、仲間はずれにされたら…、と思うとなかなか言えない。」と言う保護者の方もいらっしゃいますが、よその子でも、悪いことはきちんと叱らないとダメです。
 冬季間は、どうしても家の中で遊ぶことが多くなります。勝手気ままな行動を慎ませましょう。
「うちはうちだから…。」というルールは、みんなが迷惑します。
【いじめられている子どもに見られるサイン】  
□昼夜逆転した生活をする
□昼頃から元気になる
□帰宅が急に早くなる
□急に落ち着かなくなる
□不審電話がかかってくる
□お金をこっそり持ち出す
□学校を休みたがる
□学校のことを話さなくなる
□擦り傷、あざをつくって帰る
□休日や長期休業中は症状がない
□先生が嫌いだという
□閉じこもりがちになる
□欠点を強く気にする
□友だちを避けるようになる
□他の欠席者を話題にする

2018年1月12日金曜日

花だより 寒桜 言語の力


 言葉の力で金メダル!
~オリンピック水泳で金メダルをとった北島康介選手のコーチ平井伯昌さんの話~
 「言葉というのは実は、そのスポーツ選手にとって、とても重要なものなのです。レースの結果やコンディションを自分の言葉を使って分析する。言葉で明確に目標を持つ、自らに言葉を投げかけることで、レース時の緊張をほぐす、コーチはメディアとしてコミュニケーションをとる。どれをとっても、言葉の上達は、競技の上達につながる。」と言っています。
 平井さんが言語力を考えるようになったきっかけは、コーチとしての実体験があったからです。小学生からずっと教えてきた子どもが、高校生になって突然、水泳の成績が伸びなくなった。どうしてだろうと考えたときに、言語力が重要だと気付いた。それで北島選手を指導するにあたっては、言語でうまく自己表現できるような訓練、つまり泳ぎ方ではなくて、言葉の訓練を一生懸命やったというのです。
 コーチは選手が泳いでいる体をカメラで把握するが、体の動きを見ただけでは、その選手が体の動きをどう感じているかは分からない。その感じをコーチにまず伝えなければ、コーチは指導できない。これは医者が患者から症状をきちんと説明してもらわないと、どう診断し、どう処理していいのか分からないことと同じです。スポーツにおいても、“言語の力、自己表現の力が重要である。”ということです。北島選手の金メダルは、平井コーチとのコミュニケーションから生まれたものなのです。
(教 訓)北小の子は、自分の気持ちや考えを自分の言葉できちんと語ることを苦手としています。あらゆる教育、学問の中で、言葉は重要です。教育ばかりではありません。夫婦や親子の中も言葉の力は重要です。“黙っていても分かっていてくれる”と思ったら大間違いです。言葉で相手に気持ちを正しく伝えることも夫婦円満の秘訣です。子どもの言語力は、親の言語力に大きく影響されます。これも実体験から言えることです。

2018年1月11日木曜日

花だより 胡蝶蘭 冬休みの日記


 ◇○◇冬休みの思い出(1年生の絵日記から)◇○◇
◎いとこの○○と○○と○○で、かまくらをオープンしました。かまくらの中でおやつをたべました。ダンボールをひいたので、あったかかったです。
◎おこめのふくろでゆき山すべりをしたよ。かいもののふくろはぜんぜんすべんなかったよ。でもすごくたのしかったよ。
◎12月25日 あさ、とどいているかなってさがした。そしたら、あった。うれしくてママをおこした。
◎かぞくでじんじゃにいきました。おさいせんをいれたけど、ねがいごとがかなうかなとおもいました。かえるとき、おとうさんとしゃしんをとりました。
 「夏休みに比べると、絵の字も内容もすごく上達したよね。」
 「校長先生、あたりまえでしょ。もうすぐ2年生になるんだよ。」

2018年1月10日水曜日

花だより トキワコザクラ 寂聴


 「生きることば あなたへ」 瀬戸内寂聴著より
 ~思う存分喋れば、お腹にも心にも何も貯まりません。何でも貯めると、ろくなことはありません。ストレス解消は、気の許せる人と心ゆくまで喋ることです。ただし、本当に偉い人とは喋らずに聴くのです。~という言葉がありました。ときに親は子どもの聞き役に徹しなければならないときがあります。
 また“寂聴”という法名は、「出離者(しゅつりしゃ)は、寂なるか梵音(ぼんのん)を聴く」という意味です。梵音とは、鐘とか木魚とか、お経の声とか、仏教に関するすべての音です。また、春の小川の音、小鳥の声、赤ん坊の産声、恋人の愛のささやき、この世の森羅万象のかなでる快いすべての音です。それを出家した者は、寂(しず)かな心で聴くということです。「寂(さび)しく聴く」という意味ではないようです。
 どうか聞き上手な親であってください。

2018年1月9日火曜日

花だより 寒椿 阿川佐和子さんの「聞く力」


聞く力 『ビートたけしのTVタックル』という討論番組で司会進行役をしている阿川佐和子さんの本が売れています。(最近では、テレビドラマ「陸王」にも出演)
 出演者がそれぞれ勝手にしゃべるので、その司会進行は大変なのですが、阿川さんは、話をしている人の「呼吸を感じる」ということでした。
お相手が一気呵成に話しているのを、どうにも止められないと思ったら、とりあえず話の流れを耳に入れます。そろそろ話にピリオドが打たれそうな気配を感じた頃合に、ちょうど人間は誰でも息継ぎをします。その短い瞬間を狙って、「で、三宅(久之)さんは、どう思われますか?」と、他に発言したそうな相手にバトンを渡す。それをあまり早くやり過ぎると、話を中断されたゲストは気分を害しますから、そこはタイミングと話の内容をよく吟味するそうですが、なるほど司会進行とは難しいものです。
 そんな阿川さんが感服した「バトンの奪い方」というのがあります。それは、相手の話がなかなか終わらなかった時、頃合を見計らって、ちょっとした隙間を見つけると、「たしかに○○さんのおっしゃるとおり」と大きな声で敬意を表し、意見に同調する。そして、その後で「おっしゃるとおりではありますが...」と反論を始める、というものです。同調されると、人は「でしょ?」と一瞬油断します。確かにタイミング良くできれば、これは巧妙なやり方かもしれません。
 半分は冗談だと阿川さんは、おっしゃっていますが、大事なことは、返す言葉の種類ではなく、言い方や表情、動作、スピードやトーンなど総合した情報によって、「本心でなぐさめてくれている」かどうかが相手に伝わることです。言葉ではなく、そこに込められた気持ちが大切ということです。
 以上、ほんの少しですが、阿川佐和子さん流の「聞き上手になれるポイント」をご紹介しました。
「聞く」ことの一番大切なのは、“話をする相手への気遣いや誠意、目上の人には敬意を表する。”というような基本的なことを抑えておくことなのだということをこの本は一貫して伝えています。例えば相手と目線を合わせて話す(見下ろさない)とか、話すときに腕を組まないなど、そういう簡単なところからでも「上手に聞く」ことは始められると思います。

2018年1月8日月曜日

花だより テンドロビウム 大鵬さん


【平成24年度 北見市立北小学校 学校だよりから】
「大鵬さんが亡くなったよね。」
「ええ~、誰?」「テレビでやってたけど、昔のお相撲さんでしょ?」
「巨人、大鵬、卵焼き」校長先生が子どもの頃、みんなが好きだったものなんだよ。今で言ったら何かな?
「日ハム、AKB、ハンバーグ?」じゃないの?
「昭和」は遠くなりにけりです。
 元横綱大鵬の納谷幸喜さん亡くなる。(北海道弟子屈出身、川湯温泉に大鵬記念館があります。)
 「巨人、大鵬、卵焼き」と聞くと、表情を曇らせたそうです。巨人は、優秀な選手を高いお金を出して集めたチームで強いのは当然。私は、16歳のとき裸一貫で相撲界に入り、ここまでになった。巨人とは違う。「相撲の天才」と呼ばれたのも気にくわなかったらしいのです。《気は優しくて力持ち》脳梗塞で左半身麻痺になったときは、「苦しむ人々の励みになれば」とリハビリに取り組む姿を公開した。偏狭なプライドがあったらできることではありません。力士時代から続けた献血輸送車・大鵬号の寄贈は70台に達するそうです。人の為にあろうとした72歳の生涯でした。無敵の強さだけではない。その優しさはどこから来るのだろう。貧しかった少年時代は、納豆売りや新聞配達をして母を支えたそうです。そんな原風景を持つ人がまたひとり逝ってしまいました。今の若者は、将来に夢を持てないでいるといいます。豊かな時代に、語るべきことはまだあったろうと思います。
 「校長先生、なんで勉強しなければならないの?」 
 校長室に来て、子どもたちが一番多く言う言葉です。「校長先生も子どもの頃、ずっと同じことを思っていたよ。今になってね。(大人になって)知らないこといっぱいある。もっと勉強しておけばよかった。もっと早くこの事を気づいていればなあと思うんだよね。」
「それじゃ、校長先生、次の時間、私の代わりに教室で算数の勉強してきてくれる。私はここで校長先生の代わりに座っているから…。」(?)
 大鵬さんは、「人生訓を丸い土俵から教わった。」と言っています。子どもたちは、教室の中で人生訓を教わります。

2018年1月7日日曜日

花だより ハコベ 純と愛


 NHK連続テレビ小説 「純と愛」 
 『と』が大事 
 お正月休みは、どこにも出かけずテレビを見て過ごしました。妻のお薦め番組で、普段見ることのできない連続テレビ小説の年末にやる総集編を見て、これにすっかりはまってしまいました。心に残ったセリフがありましたので紹介します。
 「“あ”から“ん”のひらがなの中で一番好きな字は何?」
 「私は“と”だね。『あなたわたし』、『ロミオジュリエット』、『ネロパトラッシュ』など、人と人とを結ぶ、ひらがなでしか書けないとても大切な字だからさ」 
 なるほどこれまで気がつきませんでした。主人公の純(夏菜)と愛(風間俊介)は、ちょっと変わった夫婦です。“愛”は「いとし」と読みます。日曜日に1週間のダイジェスト版があるので、これを見るのが楽しみになりました。今年も人との出会いや人と人との絆を大事にしていきます。
 こんな話を子どもたちにしたら、「」も大事じゃない?。○○と○○、○○も○○も…。だから“ともだち”になるんじゃない?「なるほどねえ~。」


2018年1月6日土曜日

花だより カンアオイ 就職先


【平成24年度 北見市立北小学校 学校だよりから】
 冬休み中に生活科・総合的な学習の時間教育研究連盟の冬季宿泊研修会に参加してきました。今年は、登別温泉の老舗旅館で開催され、各地から80名の会員が集まりました。
 正月が過ぎても館内は、親子連れ客で大賑わいでした。仲居さんに聞くと、「最近は休みが分散しているためか、1月中頃まで忙しい。」と言っていました。「お正月に休めないのは辛いですね。」と言うと、「2月には、少し休みが取れます。仕事があって、忙しいのはいいことですから…。」と
「働く」とは「ハタ(周囲)に楽をさせる」ことだという語源をめぐる俗説があります。~温泉旅館の仲居さんに限らず、駅員さんであったり、タクシーの運転手さんであったり、こちらがハタで楽をさせてもらうとき、そこにはいつも愛想よく、あるいは黙々と働く人たちがいます。これからようやく正月休みの人もいることでしょう。お疲れ様でした。こちらの飲み歩きもしばし休憩となります。やせた財布と疲れた肝臓が、なかばあきれ顔でうなずき合っています。~(1月8日の読売新聞「編集手帳」)

「21世紀型学力を育成する生活科・総合的な学習の時間」
   文部科学省初等中等教育局教育課程教科調査官 田村 学先生の講演で興味深い数値がありました。「今、小学校に入学する児童の将来の就職先の65%は、現在にはない職業である。」(アメリカ、キャシー・デビットソン) 
 アメリカで発表された論文です。信じがたい数値のように見えます。しかし、なでしこジャパンの高瀬愛実選手は、本校の卒業生ですが、当時女子サッカーのプロリーグはありませんでした。オリンピックにも女子サッカーはありませんでしたので、将来女子プロサッカー選手になろうなんていう夢は持っていなかったと思います。
 病院の受付も携帯電話でやることをつい最近知りました。インターネットなどの科学技術が進歩するとこれまで人がやっていた仕事を機械やコンピューター(AI)がやるようになります。現にお掃除ロボットが飛ぶように売れていいます。12年後、16年後の社会がどうなっているか想像がつきにくい時代になりましたが、「はたらく」とは、周囲を楽にさせるもので、自分が楽になるためのものではないことは、どんな時代になっても変わりはありません。社会の変化に伴い、教育も変わってきます。単なる知識を覚えるだけではこれからは通用しません。これからの学校教育は、「子どもに何かを教えるのではなく、子どもがどのように学ぶかである。」と言われています。興味や関心・意欲・態度、創造力、表現力が大切になってきます。

2018年1月5日金曜日

花だより 梅 子どもの元気のモト


  「子どもの元気のモト」
 学校訪問の帰路、除雪された道を通らずに、わざわざ脇の雪山を漕いで歩く小学生たちを目にした。冬になると子どもが必ずやる行動で、教員なら「やってるな!」くらいにしか思わない。
 かつて、子どもを元気にするモトがあったのは、学校ではなく、といって家庭でもなく、学校への行き帰りの道や放課後の地域など、大人の目の届かない場所だった。
 しかし、最近東京のある区では、子どもが学校帰りに、今どこにいるかの位置情報を親に知らせるための小さな筒状のグッズを全員がランドセルにぶら下げることにしたという。テレビでは、子どもたちがそのグッズをつけて下校する姿を報じていた。それでは、うかうかと道草も寄り道もできない。しかし、犯罪に巻き込まれる恐れのある都会では、仕方のないのかもしれない。
 子どもの体の内側には、本来「元気」のモトがあって、その「元気」を磨く場所が、大人の目から解き放たれた自由な空間、道や空き地、広場や建物の陰だった。しかし今、都会で子どもの安全が守られる場は唯一学校だけになってしまったのかもしれない。家庭にだって、子どもを虐待する悪い親もいる。
 しかし、学校という狭い空間の中で、子どもの「元気」をどう育てるのか。そのカギを握っているのは先生であり、その先生の経営する学級ではないだろうか。元気は伝染するもので、生き生きと元気いっぱいの人のそばにいると、何となくその人の「元気のモト」のようなものが、こちらの身体や心に移ってくる気がする。
 ところが、最近の学校には雑務が多くて、先生たちは授業以外の雑用が多くて、先生たちは授業以外の雑用に追われ、子どもの仲間になる時間が持てないでいる。先生が元気印でいられるような学校にできないものか、働き方改革に期待したい。

2018年1月4日木曜日

花だより オトメコザクラ 「お母さん」と呼ばない


  保護者とうまくやっていくために~「お母さん」と呼ばない?~      
 子どもと教師と保護者は、本来「三本の矢」でした。ところが時代の変化して「モンスターペアレント」という言葉が登場してからは、矢じりの先が学校に向かうようになってきました。世の中の二極化が進み、ゆとりのある家庭とそうでない家庭に分かれてきました。保護者会にまったく来ない家庭と、よく保護者会に来てすぐ名前のわかる家庭がはっきりとしているのではないでしょうか。
 問題は保護者会に来ない家庭ですが、「批判」する前にまず、「保護者も大変なんだ」と思える優しさが教師には必要です。
 例えば、保護者会に欠席した家庭には、ただ資料を渡すだけでなく「今日、○○さんに保護者会の資料をお渡ししましたので、もしわからないことがありましたら、遠慮なくいつでも連絡ください。」と伝えるようにする。人は最終的には「優しさ」で動くものです。こうした配慮なくして批判はできません。また、保護者の中には、深い悩みの一つや二つ抱えている方も意外といるものです。ですから、面談では、保護者自身の「困っていること」にも耳を傾けることが必要です。
 そして、悩みの共有の後、保護者を「ほめる」ことで終わる。子どもより大人の方が、ほめられることに対していい意味で「不慣れ」なので、効果は「てきめん」です。
 とどめは、保護者を「お母さん(お父さん)」と呼ばないことです。苗字で呼ぶためには、「注意力」がないとできません。大変ですが、中学校・高校は基本3年間あるので、顔を一度覚えてしまうと人間関係の大きな財産となります。つい「お母さん」と言ってしまいがちですが、保護者は、あなた(教師)のお母さんやお父さんではありません。その誤解が誤解を呼ぶことになります。「お母さん(お父さん)」と呼ぶのは学校だけです。お母さんと呼ぶことをまずやめませんか? (要約:牧野)

2018年1月2日火曜日

花だより オモト 「頑張れ」と言わない。


「頑張れ」と言わない ~家本芳郎先生の言葉に学ぶ~ (要約:牧野)
  ≪教師は「頑張れ」と言い過ぎ≫ 
  ~こんなときに使いませんか?~
 A 朝から廊下ですれちがった子に「おはよう!頑張ってる?」
 B 委員会の進行を務めた生徒に「よく頑張ったね。」
 C 問題行動の指導後「次から頑張りなさい。」
 D 試合や発表を控えた子どもたちに「頑張ってください!」
 E 子どもから相談を受けたとき「負けずに頑張るんだよ。」
「頑張れ」は当り障りのない便利な言葉である半面、抽象的で曖昧な言葉でもあります。
≪何を頑張ればいいのか≫
 いじめを受けている子に「負けずに頑張れ」と教師が迫れば、その子をますます追い込むことになりかねません。言葉をかけるなら「頑張れ」ではなく「助けを求めてもいいんだよ。私は君の味方だよ。」ではないでしょうか。
では、前述のA~Eの例ではどう話すべきでしょうか。
A「おはよう!ずいぶん寒くなったね。寒いのは平気?」「元気がないように見えるけど
 具合悪いの?」など、その子に応じた声かけができれば良いと思います。
B「すぐ多数決で決めるのではなく、反対意見もよく聞いて、うまくまとめました。大し
 たものです。」と良かった点を具体的に褒めると良いでしょう。
C「君が話した今後の決意を応援しているよ。」その子の反省や決意を受け止め、後押し
 してやりたいものです。
D「練習の成果が発揮できるように祈っています。」
E「つらかったね。」「大変な思いをしてきたんだね。」などの共感的な言葉かけが良い
 ではないでしょうか。ここは教師の人間性や教育に対する理念が表れるところです。
≪指導言葉を磨く≫ 
 スポーツのコーチが選手を指導するときは技術面をチェックして、改善・矯正に向けた助言をするものです。「頑張れ」とハッパをかけるだけのコーチはいないはずです。教師の仕事も同じように考えてもいいのではないでしょうか。子どもと接する全ての場面で「頑張れ」を使わないように心掛けると必然的に適切な言葉を探すようになります。優れた教師は、いろいろな会話の言葉や指導の言葉を持っているものです。頑張れを禁句にするとは、頑張れと言わずに子どもの良さを引き出す。そう心掛けることで教師の指導力も高まっていくのです。


2018年1月1日月曜日

花だより 今年もよろしくお願いします。

                         手作りのしめ飾り