「子どもの元気のモト」
学校訪問の帰路、除雪された道を通らずに、わざわざ脇の雪山を漕いで歩く小学生たちを目にした。冬になると子どもが必ずやる行動で、教員なら「やってるな!」くらいにしか思わない。
かつて、子どもを元気にするモトがあったのは、学校ではなく、といって家庭でもなく、学校への行き帰りの道や放課後の地域など、大人の目の届かない場所だった。
しかし、最近東京のある区では、子どもが学校帰りに、今どこにいるかの位置情報を親に知らせるための小さな筒状のグッズを全員がランドセルにぶら下げることにしたという。テレビでは、子どもたちがそのグッズをつけて下校する姿を報じていた。それでは、うかうかと道草も寄り道もできない。しかし、犯罪に巻き込まれる恐れのある都会では、仕方のないのかもしれない。
子どもの体の内側には、本来「元気」のモトがあって、その「元気」を磨く場所が、大人の目から解き放たれた自由な空間、道や空き地、広場や建物の陰だった。しかし今、都会で子どもの安全が守られる場は唯一学校だけになってしまったのかもしれない。家庭にだって、子どもを虐待する悪い親もいる。
しかし、学校という狭い空間の中で、子どもの「元気」をどう育てるのか。そのカギを握っているのは先生であり、その先生の経営する学級ではないだろうか。元気は伝染するもので、生き生きと元気いっぱいの人のそばにいると、何となくその人の「元気のモト」のようなものが、こちらの身体や心に移ってくる気がする。
ところが、最近の学校には雑務が多くて、先生たちは授業以外の雑用が多くて、先生たちは授業以外の雑用に追われ、子どもの仲間になる時間が持てないでいる。先生が元気印でいられるような学校にできないものか、働き方改革に期待したい。
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