職員会議で問題行動にかかわり、SやMについて全員で話し合いました。その後、関連した記事があったと思い、「教育展望」5月号(教育調査研究所)を読み返しました。
子どもの生活環境の崩壊がもたらす諸問題 高橋 英児(山梨大学准教授)
◇1 子どもの生活環境の崩壊の何を問題とすべきか
子どもたちのさまざまな問題行動(凶悪事件、荒れや暴力行為、いじめ、不登校など)が問題になるたびに、その背景や要因とは何かがこれまで議論されてきた。その際、個々の子どもの心の問題や生活環境、特に家庭の在り方(基本的生活習慣・生活リズムの乱れ、しつけの不足など)の問題が指摘されてきた。だが、個々の子どもの心の問題や家庭の在り方だけに原因を求めるのであれば、問題の本質を見誤ることになるだろう。
子どもを取り巻く大変な状況にあっても、教師は問題行動に対して毅然と指導すべきだとか、各家庭がしっかりと子どもの面倒を見てしつけをするべきだと要求し、そのような観点からの取組を行っても、問題の本質的な解決に結び付かないことは明らかだろう。解決のためには複合的な対策が不可欠である。
◇2 人間らしく生きるための生活基盤の喪失
「叩くのは嫌いだ」「蹴るのも本当は嫌いだ。だけどやっちゃう。止められない。僕が僕を止められない。」これは日常的に暴力行為を繰り返す男子児童が教師に泣きながら語った言葉である。教師はここで初めて、この児童が、父親による母親への家庭内暴力によって心を傷付けられてきただけでなく、離婚後も元気がない姿に悩み苦しんでいることを知ったと報告している。また、荒れる子どもたちの多くが両親の離婚や別居、家族のリストラなど家族の問題を抱えており、子どもの問題に経済的、社会的なことが絡んでいることを実感している。
このような問題は、子どもたちの問題行動だけでなく、彼らの成長・発達に深刻な影響を及ぼしていることが明らかにされてきている。
このような状況の中で、子どもたちは、多数で多様な他者からの存在承認や十分な承認を受ける機会を奪われ、乳幼児期の恒常的不信・自尊剥奪という傷つき、学童期の他者からの阻害や孤立・能力剥奪という傷つき、青年期の社会的排除と無力感という傷つきがケアされないまま、重層的に重なった状態に置かれている。
子どもたちは、自分が今置かれている環境のこと、自分が今生きていること、これから生きていくことを支えてくれる関係や社会的な支援の不足の中で、自分が幸せに生きることへの希望を奪われ、さまざまな傷付きを抱え込まされている。それらを行動化されたヘルプとして我々に訴えているのである。
◇3 学校は何ができるか
生活環境の崩壊状況が子どもの生きづらさを生み、問題行動へと駆り立てているのであれば、これらの克服のためには、崩壊した生活環境を、彼らが安心して生きられるものへと構築し直す取組が必要になってくる。
学校においては、崩壊した生活環境を生きているという彼らの生活現実から出発し、その生活現実と格闘している子どもたちと共闘していくことが何より求められる。
例として、子どもたちの願いや希望・期待を引き出し、それらを自治的な活動(学校・学級を楽しくするための取組など)を通して実現させていくことである。
この取組では、子どもと教師とが生活現実を問い、共有する中で、それぞれの苦悩が聞き取れる関係を生み出すことが肝要である。そして、この関係を支えにしながら、それぞれが自己の生き方に関わる願いや要求を自覚し、生活現実を共同でつくりかえる努力をしなければならない。
このような取組は時間がかかり、すぐには問題の解決には結び付かないように見える。だが、こうした足下からの地道な取組こそが、子どもたちに「生きる力」を育み、生活環境の崩壊の諸問題に対する有効な対策となるのである。
子どもと大人がともに安心して生きられる場を学級・学校から創造していくことが今重要なのではないだろうか。(以上 牧野要約)
現場が抱えている問題は、さらに深刻です。大学の偉い先生が言うとおりにできれば苦労しません。こうした問題は、どの学校でも抱えている問題です。個々の子どもや家庭の問題に対して、逃げてはいけないということです。
ウナベツ岳 5月19日 網走潮見から
0 件のコメント:
コメントを投稿