2018年5月31日木曜日

花だより サツキツツジ お母さんの反抗


 4年生が校長室にやってきて、校長先生、質問していいですか?
「好きな本は、???」と聞かれて近くにあったのが、この本でした。
 毎朝、校長室には決裁文書が山になっています。その中にあった寄贈図書に目がとまりました。(一般社団法人 言の葉協会)
 第5回言の葉大賞 「言葉の力を感じるとき」 入選作品集
この中にこれは共感した作品がありましたので紹介します。 
《優秀審査員賞》  「お母さんの反抗」 
                 千葉県木更津市 吉田 美香子
 私はお母さんです。君に「うるさいバカ」と言われたら悲しくなります。「死ね」と言われたら泣きそうになります。例え、無意識に口から出た言葉でも、お母さんは傷つきます。もう何も言い返す元気もなくなります。そんなことを言われた朝は「いってらっしゃい」を言えずに見送る時もあります。君は言ったことすら覚えていなくても、お母さんは忘れられません。学校へ行っていない君の机を見ると、ため息が出ます。反抗期だからと気持ちを整理するには時間がかかりそうです。
 小さい頃から「人が聞いて嫌な思いをすることは言ってはいけません。」と教えていたはずなのに。お母さんは、大好きな君に対して、その様な事は言わないはずです。もし本当にお母さんが死んだらどうするの?それでも平気でいられるの?「死ね」って言う事は、いなくなって二度と会えない事なんです。よく考えると簡単に口に出してはいけない言葉だとわかるはずです。お母さんだって君と同じなのです。調子が悪いときや年の為か節々が痛い時や、君の知らない事で悩んだりもしています。君が好きな番組を楽しみにしている日がある様に、お母さんにだってあります。もっぱら、チャンネル権はありませんが。君が遠足だとお母さんも前日からワクワクします。お弁当に何入れようかなあ。と考えます。参観日だって、見に行っている方なのに、君が発表する時は、ドキドキします。
 これから先、色々な人と出会い自分を磨きゆっくり成長して親離れして欲しいです。成長の中で反抗期があるとするなら、人を見下すありふれた言葉ではなく、君なりの言い方で、かかってきなさい。お母さんもその反抗を正々堂々受けて立とうとじゃないか。明日も頑張るぞ。
 「まえがき」から 
~高度情報化社会と言われる今日、言葉は社会にあふれています。しかし、実のところ「言の葉」は日々、減り続けているのではないでしょうか。言葉の役割は、二つあります。ひとつは、何かの必要にせまられて発する言葉、もうひとつは、何かに感動した場合などに発する、自分の気持ちや思いを表現する場合の言葉です。
 多くの場合は前者で、メディアから流される膨大な広告情報は、その象徴的な例といってよいでしょう。テレビを見ても、新聞を開いても、目を引くロゴデザインやレイアウトで、そこで語られていることは、「ステキですよ」「安いですよ」という言葉ばかりです。メールボックスを開くと、そこに並んでいるのは、指示や連絡ばかりで「何々をしてください」「ご多用のところ恐縮ですが…」といった類の言葉のオンパレードです。
 その一方で、自分の気持ちを表す、心の中から出た言葉に出会うことは、滅多にありません。今はSNS(ソーシャルネットワークサービス)の世界がそうかもしれません。しかし、それらの言葉のほとんどが、自己満足的なつぶやきに過ぎないものだったり、互いの日常生活を写真付きで自慢し合う場になっています。
 ある書家によれば、「字とはもともと人の心が万物に感動してつくり出されたもの」だと言っています。この言の葉協会の名前の由来となっている、古今和歌集の仮名序にある「大和うたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける」が伝えるように、和歌とは人との心を種として、さまざまな言葉の葉が繁ったものなのです。
 言葉の洪水に押し流されて「言の葉」の精神を失うことは、おそらく、私たちの生きる力そのものを失うことになるに違いありません。ここに収録された「言の葉」の数々が、読者の心を揺さぶり、明日の生きる力の糧となることを願ってやみません。~
 *良い作文、良い本の読書をすすめます。

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