2017年4月13日木曜日

花だより オオバナノエンレイソウ これからの道徳教育


【平成20年度 斜里町立朝日小学校 校長室花だより(教職員向け)より 】
  これからの道徳教育
      関西学院大学教授(元文部科学省道徳調査官) 横山 利弘氏の講演より
 ~苛立ちの時代~ 今の時代を端的に表現すると、私は「苛立ちの時代」だと思っています。小さい子どもから高齢者まで、苛立ちを覚えています。その理由の一つに、マナーの悪さ、モラルの低さというものをあげることができます。モラルの低さは学校とか子どもとかでなく、日本国中に蔓延しています。それが苛立ちを起こさせている一つの原因だろうと思います。モラルの低さに対して、規範意識の低下ということをよくいいます。確かにそういう側面があるわけですが、私は共通規範が崩壊していると思います。必ずしも規範意識がなくなったというよりも、頼るべき規範が見えないという苦しみを子どもたちが味わっています。
 平成17年に「義務教育に関する意識調査」を文部科学省が行いました。「学校で何を学びたいか」と、子どもたちに聞いたアンケートで、第1位が「善いことと悪いことの区別を教えてほしい。」ということなのです。2番目が「人間関係の作り方を教えてほしい。」4番目に「勉強を教えてほしい。」でした。なぜこうした結果になったのでしょうか。子どもたちは今の大人が善悪の判断を自分の好みでやっていると思っているのです。今は「万物の尺度は私である。」になっていませんか。自分が「善い」であって、他人は関係ない。私はこう思うのだ、それが善であるということです。これは自分自身で主体的に判断するという意味では大事な部分ですが、同時に「あなたにとってはどうですか」ということから対話が始まらなければならないのです。ところが対話がないまま決めてしまっているから、その様子を子どもたちが見ていれば、何が善で何が悪なのか分からないという状態にあるのではないか思います。
 大阪と京都と神戸で月一回、道徳の勉強会をやっています。そこでは資料の読み方の練習をしています。4年目になりますが、最初16名で始めたのが、今は150人くらいになりました。土曜日の午後に自腹を切ってやってきます。なぜこのようになるのかと思ったら、先生方はみんな求めているのです。活路を見出そうとしているのです。何かを変えなければだめだと。
 先生方は道徳の授業が嫌なのではありません。今、子どもたちの様子を見たり、保護者の様子を見ていて、共通の当たり前のルールやマナーさえ無視することが起こってきています。だからやらなければいけないとみんなが思っているのです。しかし、やり方が分からないのです。
 今回学習指導要領が改訂になりましたが、そのもとになる中教審答申の中に「知識基盤社会」という言葉が出てきましたが、それは違うでしょう。知識などとっくの昔から基盤ですよ。知識の獲得というものは、みんな一人一人個々にやるものです。一緒に学習はしても知識の獲得自体は個人的作業です。本当に共通の安心できる社会を求めるならば知識よりこれからは本当の意味での道徳教育です。~以上概略紹介~
 
 学力向上を重点に取り組みます。その基盤となるのが学級経営・学級づくりです。子どもと教師、教師と保護者の信頼関係づくりです。日課に生徒指導の時間はありません。生徒指導は、毎日の授業の中(全教育活動)で行うものです。特別教室の掃除をする、しないの論議がありました。掃除は清掃活動、掲示は掲示教育、給食も給食指導といいます。道徳教育は全ての教育活動の中で行われるとはこういうことです。

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