2019年6月4日火曜日

花だより スイレン 生活科の登場


◎疑似体験(絵や写真・カード・本など)でカバーできない?(本物には敵わない)
▼水は、じょうろで植物の上からやる?(教科書の絵がそうだから)
▼画面に映し出されるバーチャルな戦闘シーンの画像では、体の痛みは分からない。
▼家庭で炎(火)を見たことがないので、キャンプのとき火をつかもうとする子
「はい回る経験主義」批判と「生活科」「総合的な学習の時間」の登場
 こうした実態から「生活科」や「総合的な学習の時間」が誕生しました。しかし、生活科が誕生するとき「経験主義」復活?という学力低下論争がわき起こったのです。最近また「学力低下」論なるものが、マスコミ界をにぎわせています。歴史的にみれば、この手のにぎわいは、本質的な議論を経ることなく、その議論の高まり自体が一種の歴史的事実としてかすんでいくということを繰り返しているのです。
 人として大切なことは、大学という最高学府ではなく、幼稚園の砂場の中で学んだ。
 《自然や社会体験から人は学ぶ》
 戦後、新教育がうたわれ、アメリカ流の進歩主義教育運動が盛んになったときも、体験を重視したカリキュラムに対して「はい回る経験主義」という批判が浴びせられ、「学力低下」をもたらした原因だと攻撃されました。近代以降、新教育運動としてたびたびみられたカリキュラム改革(コアカリキュラム)は、そのたびに「学力低下」論によって批判され、下火になっていったのです。
 高等学校教育(カリキュラム)は、大学のためにある。(大学受験のための勉強)、中学校のカリキュラムは、高等学校受験のためにある。小学校では、中学校に入っても困らないようにと教えている。これが現在の各教科での知識の系統的学習を重視した教育なのです。
 しかし、生活科・総合的な学習の時間の登場で再び生活単元が重視されるようになりました。現在は、知識・技術の観点から構成される学習内容のまとまりを現す教材単元と、学習者が生活の中から興味・関心に応じて自ら課題を設定・追求・解決していく生活単元(または経験単元)の2つに大きく分類されています。
 第2次大戦後の「新教育の時代」に盛んに取り組まれた生活単元学習が、「はい回る経験主義」との批判を受けて以来、各教科での知識の系統的学習の重視へと転化しました。一方で、今日のゆとり教育をうたった教育改革では、総合的な学習の時間の創設などにより生活単元学習が重視されてきています。一度は消えかけた経験主義が、生活・総合と形を変えて復活したのだが、それもこのところの学力低下論争の再燃で、生活科・総合も風前の灯火にあります。やはり歴史は繰り返すのでしょうか?

  

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