2019年6月30日日曜日

花だより カンナ クチナシ 赤塚不二夫「これでいいのだ!」

「これでいいのだ!」
  故赤塚不二夫氏のマンガがなぜ、潮見小にあるのか?
 赴任した平成21年4月、保健室前の廊下の上に赤塚不二夫氏の色紙に目が止まりました。直筆だということは分かりましたが、ほこりだらけで注釈もなく、なぜ、ここにあるのか、不思議に思っていました。ある日、物置の奥から、模造紙に描かれた“天才バカボン”のキャラクターの絵4枚が出てきました。これは何か謂われがあると思い調べてみると、昭和58年(1983年)10月1日 第3回潮見小子どもまつりに来校して「まんがで遊ぼう」というコーナーをやってくれたことが分かりました。
 当時居た先生に電話で聞いてみたら、赤塚不二夫氏と親交のあったH先生が、潮見小の「子どもまつり」のことを紹介すると、大変興味を示してくれて、わざわざ来てくれた。ということらしいのですが、それ以上詳しいことは分かりません。来年の30周年記念式典までにもっと詳しく調べてみたいと思っています。
 赤塚不二夫氏は皆さんご存知の通り、ギャクマンガの神様と言われている大変著名なマンガ家です。代表作品には「おそ松くん」や「天才バカボン」、「ひみつのアッコちゃん」などがあります。惜しまれながら平成20年8月2日亡くなられています。その赤塚不二夫氏の直筆画が潮見小にあります。これは潮見小の宝です。
 作品は、1階廊下に展示しています。ご来校の折りには是非ご覧下さい。
 赤塚不二夫氏直筆画 大反響! テレビ・ラジオ・新聞各社が取材に・・・
「校長先生、テレビに出たよね!」「あのね。うちのお父さんが、赤塚不二夫氏が来たこと覚えていたよ。」と子どもたちに言われました。
 当時の用務員だったIさんが新聞記事を見て学校に来てくれました。
「しばらく体育館に貼ってあったんだけど、その後どうなったかなあ?と思っていたんだよね。よく残っていたよなあ。あの時のことを思い出すよ。・・・」と話していました。
 救命救急の講習で来た消防士さんは、「私は、潮見小出身です。子どもの頃、体育館に貼ってあったのを覚えています。そんなすごい人の絵だとは知らず、ボールをぶつけていました。」と当時を懐かしんでいました。
 歴代PTA会長さんが集まった開校30周年記念事業協賛会総会では、「30周年を前にタイミングよく見つかったものだ。これはまさに潮見小の宝だ!」と喜んでいました。
 マスコミに学校から売り込んだわけではありません。 ~マスコミ報道の経緯~
・6月19日(金)別の取材で来た「経済の伝書鳩」の記者が、赤塚不二夫氏の色紙に目をとめる。
・6月22日(月)伝書鳩に載った記事を見た道新の記者が興味を持ち取材に来る。
・6月23日(火)道新の一面に掲載される。それを見たテレビ局(HBC,NHK,HTB、STV)読売新聞が取材で来校。STVラジオから電話取材を受ける。
 用務員のMさんは、同じポーズで4回(各局)撮りました。
子どもたちへのインタビューでは、放送では、「すごい!うれしい!」と言っていましたが、大半の子は、「よく知らない。」「別に・・・?」という反応が多くて、カメラマンを困らせていましたが、上手に編集されて放映されたようです。 
・6月24日(水)問い合わせや「新聞、テレビを見ました。」という電話が殺到。
 H先生に電話(近く来校して、当時の経緯を話してもらうことになりました。
・6月25日(木)HBCラジオから生放送の出演交渉がありましたが断りました。
・テレビ東京の「開運!何でも鑑定団」からも出演依頼がありました。
《反響》 潮見小のお宝としてこのままそっと飾っておくつもりでいましたが、今回のことで大騒動になってしまいましたので、作品をどうやって保存するか、また展示の仕方など、教育委員会や協賛会と協議していくことになりました。マジックインクで描かれているので、このまま展示しているとどんどん薄くなって見えなくなってしまいます。高性能な複写をして保存することを検討中です。
《お宝効果》見つかったのが漫画ということもあり、非常に明るい話題であることから、学校の雰囲気も明るくなったような気がします。また、この発見により、多くの人との新たな出会いやつながりが生まれました。
 まだご覧になっていない方は参観日にどうぞ!
H先生は「よく残っていたと思います。来年の潮見小30周年を前に、赤塚さんが天国から教えてくれたのかもしれませんね。」と話していました。

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