2020年8月31日月曜日

花だより 人生ゲーム 鳳仙花 苺

 


 人生ゲーム
 😃「放課後児童クラブ」~訓子府では、児童センター「ゆめゆめ館」と呼ぶ。この4月から、そのセンター長を務めている。
👌「センター長さん、一緒に人生ゲームしよう!」と3人の子どもが寄ってきた。持っていたのはボロボロのボードゲームの「人生ゲーム」。真ん中のスロットルは、スムーズに回らないし、折り目のところはすり減って文字は読めない。それでも児童センターでは、人気のゲームで大金が入るたびに歓声が上がる。もちろん一人ではできない、数人いないと面白くないので、私に声がかかったのだ。
🤷‍♂️他に子どもたちに人気のゲーム(遊び)は、意外にもオセロ、将棋、けん玉、折り紙、塗り絵、私の昭和時代と変わらない。女子は定番の「ママごと遊び」に夢中。「センター長さん、何になさいますか?ハンバーグもありますよ。デザートにチョコレートパフェはいかがですか?」とウエイトレスになりきって聞いてくる。「お会計は、カードでもいいですか?」とちょっと困らせようとすると「スマホでもいいですよ。」と返ってきたところが今風?で驚いた。
👍「家には、スイッチ(任天堂のテレビゲーム)あるんでしょ?」と聞くと、「あるよ!家に帰ったら、やってるよ。」
「みんなでやる遊びとスイッチとどっちが楽しい?」
答えは「センターはセンター、家は家」だそうです。
👀子どもはちゃんと使い分けているのです。






2020年8月30日日曜日

花だより 何年たっても北海道は下位 キツネノカミソリ 夏蜜柑

 


  全国学力学習状況調査 何年たっても北海道は下位?             
 「生きるために最低限必要な知識が北海道の子どもたちにきちんと身についていないのではないか」、「物事に真摯に取り組もうとする姿勢が育てっていないのではないか」、「こうした生活習慣を引きずったままで、一人前の大人として地域社会を担い、子どもたちを生み育てていけるのだろうか」という危機感
 ◇「全国平均以上」にするという目標「機会均等」は義務教育の根幹をなす理念
 北海道に生まれたから、北海道のどこで生まれたからということで、本来、子どもたちの学力に大きな差があってはならないものです。こうした問題意識の下で、これまで様々な学力向上施策を打ち出してきました。これに対して、「平均点さえ上げればいいのか」とか「点数競争を煽るのか」とか「過度な競争を助長するのではないか」という批判的な意見がありました。平均点を目標に掲げているのは、基礎学力を一人一人の子どもに身につけさせるという問題であり、平均点云々の問題ではなく、平均点に矮小化すべきではない。
 「九九」ができないまま、アルファベットが書けないまま、義務教育を卒業していく子どもたちがいます。本道の高校は全入状態です。今、高校では、義務教育段階の学び直しを学校組織を挙げて行っているという状態です。定時制高校については、小学校レベルの基礎に立ち返って学び直しを行うカリキュラムを組まなければならない状況にあります。
 基礎学力の定着や学ぶ意欲が十分ではなく、学習についていけない子どもは、高校を中退しているのです。10%近い「非卒業率」となっています。(40人学級で4人は高校を中退している。)
 道内の多くの企業から、「道教委は高卒者をもっと採用して欲しいというけれども、基礎学力がない、付随して我慢強さや粘り強さが足りないので、きちんと仕事ができない。」と言われています。
 「子どもたち一人一人を自立させることができるかどうか」という問題と「地域の発展」という視点
 管内の高校を卒業して、その地域(管内)に残る割合は、2~3割となっています。全道では、高校卒業者の9割が道内に残っています。本道の子どもたちの地域残留率は非常に高い状況です。地域に残る子どもたちが自分の足で立っていけるのかどうか、これは地域経済・地域社会の存続・衰退に直結する問題です。あらためて、初等中等教育の教育課程を実社会との連続線上で捉える視点を教育関係者全員が強く持たないといけません。
 「全国平均点以上を目指す」という目標を立てていますが、平均点は結果に過ぎません。各学校では、正答率のバラツキを分析され、対策を講じているでしょうか。大事なのは、一人一人の子どもに、自立して生きていくために最低限必要な基礎学力をきちんと身につけさせることです。
 これは「競争主義」とか「新自由主義」ではありません。純然たる「教育論」です。一人一人に最低限の学力を身につけさせて社会に送り出す。「基礎学力保障」なのです。そのための取組を着実に行えば、「結果として」平均正答率は全国を上回るはずです。「全国平均を目指す」と掲げたのは、そういう意味です。
 しかし、学校を取り巻く客観的情勢に目をやれば、経済的に困難な要保護、準要保護世帯が増加傾向にあります。また、保護者からのニーズも多様化しています。児童虐待、過疎化に伴う地域の教育力の低下もあります。この目標達成には、先生方や教育行政だけでは確かに困難な課題です。しかし、目の前の子どもたちに視点を置いて考えれば、そのことを理由に我々が現実から目をそらしたり、言い訳をしたりすることは許されるものではありません。これは教育を「単なる社会の従属変数(社会変化に無力である)と考えるのか、「教育の力で人を育て、よりよい社会をつくっていこうとするのか」という問題です。
                       ~元高橋教育長の講話から~





2020年8月29日土曜日

花だより 人間関係を築く習慣と壊す習慣 ミズアオイ

 

・・・人間関係を築く習慣と壊す習慣・・・
😊人間関係を築く習慣
①傾聴する。②支援する。③励ます。④尊敬する。⑤信頼する。⑥受容する。⑦交渉する。⑧良いところをほめる。
😒人間関係を壊す習慣
①批判する。②責める。③文句を言う。④小言を言う。⑤脅す。⑥罰する。⑦褒美でつる。⑧弱点を探して責める。
😃健康心理学~1週間であなたは変わる?
 相手は変えられない。だから自分を変える。
月~10分間自分の時間をつくる。
火~笑顔をつくる練習をする。
水~ご飯をゆっくり食べる。
木~顰めっ面をなくす練習をする。
金~10分間物思いにふける。 
土~妻や家族に愛情のある言葉をかける。
日~ゆっくり休む。趣味を楽しむ。
👀ストレスは、人間社会の中では、必ず生じるものです。それをどう溜めないでリフレッシュするか、その術を身に付けることが大切だそうです。




2020年8月28日金曜日

花だより 閉ざされた心を開くのは ゼラニウム

 


 閉ざされた心を開くのは
👀~自分の思い通りにできると勘違いしている親が多い。親がそうだと子どももそう思うに違いない。自分の考えは正しいと思い込んでしまう。そうなると周りの声も聞かなくなり、こちらの考えを伝わっていかないので、ますます自分は自分と思ってしまう。周りでいろいろ働きかけたら、「うるさい!」と怒る。~
 市P連教育講演会 坂本 勤先生に講演から
 先生は、講演を年に30~40回ほど行うそうですが最後に必ず「私の言うことが絶対ではありません。一つの考えです。もしかすると私の話の中で、知らないうちに誰かの心を傷つけてしまったかもしれません。お許しください。」と締めくくるそうです。それはある方からいただいた手紙に🤷‍♂️「先生は、子どもはみんな元気に健やかに育つと思ってらっしゃるのですか?」と書いてあったことがきっかけだと言います。
 詩画作家の坂本先生は、75歳になる元中学校の国語教師です。講演会の前日、北見駅でお迎えし、その後、天ぷらが好物だというので市内の天ぷら屋さんで夕食を共にしました。講演会後は、ホテル黒部で昼食をとり、オホーツク塩焼きそばを召し上がってもらいました。その後、帰りの時刻まで、ハッカ記念などを案内しました。そうした時間を一緒に過ごす中で、先生の誠実で優しく、謙虚なお人柄に触れることができました。なるほどこういう人だから、こんな温かい本を書き、聞く人を引きつける話ができるのだと感心しました。“気配り、目配り、心遣いが標準装備されている先生”だなと思いました。
😊「閉ざされた心を開くのは、『北風と太陽』ではないけれど、接する人の心の温かさかもしれませんね。」と塩焼きそばを食べながら先生は言っていました。


2020年8月27日木曜日

花だより 富国有徳への道 フデリンドウ ユウガオ

 


  富国有徳への道 
「この国の人は、今まで発見された国民の中で最高であり、日本人より優れた人々は異教徒の間では見つけられない。彼らは親しみやすく、一般に善良で、悪意がない。驚くほど名誉心の強い人々で、他の何よりも名誉心を重んじる。大部分の人は貧しいが、武士もそういう人々も貧しいことを不名誉とは思わない…」
 1549(天文18)年、キリスト教布教のため日本にやってきたフランシスコ・ザビエルが、本国に送った手紙である。
 1856(安政3)年、通商条約を結ぶために来日したハリス提督の日記には、「彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もない。これが人民の本当の幸福の姿といえるだろう。私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、この人々の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか、疑わしくなる。私は質素と正直の黄金時代をいずれの他の国よりも多く日本において見出す。生命と財産の安全、全般の人々の質素と満足とは、現在の日本の顕著な姿であるように思われる。」
 フランスの詩人ポール・クローテルは、1921~1927(大正10~昭和2)年まで、駐日大使を務めたが、日本の敗戦が濃くなった1943(昭和18)年、パリで言った。
 「日本は貧しい。しかし、高貴だ。世界でどうしても生き残って欲しい民族をあげるとしたら日本人だ。」
 私たちの祖先は勤勉・正直・親切・謙虚・素直・感謝といった徳目を規範に、幾世紀も暮らしてきた人たちであった。外国の人たちの証言は、そのことを明らかにする。
 さて、昨今は隔世の感と言わざるを得ない。この日本人の美徳を取り戻し、後世に渡さなければならない。私たち一人一人がこの美質を涵養し、発揮した時、日本は真に豊かな国となる。富国有徳とはこのことである。
 先覚者安岡(やすおか)正篤(まさひろ)師の言葉である。
「人々が己一人を無力なもの、ごまめの歯ぎしりと思わず、如何に自分の存在が些細なものであっても、それは悉く人々、社会に関連していることを体認して、まず自らを良くし、また自らの周囲を良くし、荒涼たる世間の砂漠の一隅に緑のオアシスをつくることである。家庭に良い家風を作り、職場に良い気風をつくれないような人間が集まって、どうして幸福な人類を実現できましょうか。」
 富国有徳への道は一己より始まることを私たちは忘れてはならない。
     ~月刊「致知」特集『富国有徳への道』総リードより~



2020年8月26日水曜日

花だより 教師の標準装備 ナツスイセン ピーマン

 


 教師に気配り、目配り、心遣いは標準装備 
 🤷‍♂️いじめは教師から見えにくい。いじめを受けた児童・生徒約1,000人の約47%が「先生は、いじめに気づかなかった。」と回答している。いじめに気づく精度を上げ、休み時間に一人でいるといった小さなサインを見逃さないようにしなければならない。
 一方、「先生が気づいた」とした半数強のうち、教師がいじめをなくそうと対応してくれたという回答は約8割に達し、その多くがいじめを解決していた。教師の介入がいじめの解決に有効なのは明らかだ。
 しかし、いじめの察知や対応を担任ら教師個々の力量だけに委ねることは問題だ。アンテナの鋭い教師もいれば、そうでない教師もいる。相談しやすい、しにくいといった、教師と子どもの相性もある。複数の教師が情報を共有し、学校として組織的に対処していくことが必要だ。(森田洋司氏 日本生徒指導学会長)
 👌標準装備 愛車の車検が近付いてきて、馴染みのセールスマンが、「そろそろ替え時じゃないですか?」と言ってきました。愛車ウィンダム3.0Gも走行距離が20万キロを超えました。そろそろかな?と考えているところです。ハイブリットの大衆車にするか、憧れのクラウンにするか?それにしても高い買い物で今の家計状況では手が出ません。セールスマンは「クラウンは、全て標準装備ですから、高価ですがお得ですよ。」 標準装備とは、豪華な虚飾ではありません。ブレーキシステムやエアーバックシステムなどの最新の安全装備のことを指します。ときどき軽自動車で通勤しますが、これで事故ったら命はない?と思います。セールスマンは、高級車の安全性とお買い得感を盛んにアピールします。
 👀教師の標準装備 「教師は五者であれ!」
1 教師は、学者であれ 教師は、博学で物知りでなければならない。
2 教師は、医者であれ 教師は、常に子どもを観察し、医者のように心の治療にあたる。
3 教師は、芸者であれ 教師は、サービス精神を持ち、おもてなしの心で接する。
4 教師は、役者であれ 教師は、演技者であり、演出家である。    
5 教師は、達者であれ そのためには、教師はいつも元気でなければならない。

学校のハウスでとれたピーマン

2020年8月25日火曜日

花だより 新生活様式 シシウド

 


 新生活様式
 🤷‍♂️夜遅く、小さい子を連れて居酒屋に入っていく若いお母さんを見かけました。その服装や足元、そして、子どもに語りかける言葉遣いに驚かされます。夕食は居酒屋、昼食はファーストフードかファミレスのようです。こうしたお母さんが、“小学校の保護者になるんだ?”と思って見ていましたが、これは去年までの話です。
 👀見た目で判断するのはよくないことですが、「美しい人をつくる所作の基本」の中に、
・着ているものは、あなたの心をあらわす。
・人物評価は、足元で判断される。
・日常の全ての動作をおろそかにすると心が乱れる。
・よい所作は、良い縁をもたらす。
 とあります。所作を磨くのが教育です。今の親の世代を指導したのは、私たちの年代の教師ですので、深く反省しています。残念ながら、親を教育する場面は、あまりありません。そんな親に育てたのは、その親(じいちゃん、ばあちゃん)です。社会の変化に家庭教育も含めて教育が追い付いていけないような気がします。
 🤦‍♂️ウィズコロナでの新生活様式が話題になっています。外食することを控え、家で調理するようになるかと思ったら、ウーバーイーツや出前館なる宅配サービスが大流行りだと言います。人気の理由は、多少値段は高くなるが、出かける面倒くささがなく簡単便利だからだそうです。新生活様式で家庭や子どもたちがどう変わっていくか心配です。

2020年8月24日月曜日

花だより 努力する者は希望を語り、怠惰な者は不満を語る カラスウリ

 


 努力する者は希望を語り、怠惰な者は不満を語る
🤷‍♂️*1)“水にどっぷり浸かっている水車は回らない”といわれています。“慣れる”ことはなんと恐ろしいことでしょうか。どんなに良いことも、自分が納得しなければ避けたくなるのが人の心であり、辛いことでも自分が納得すればやろうとするのも人の心です。
 さらに「いじめ」が社会問題になり、学校に対する不信感が増大しています。また、生徒指導上の問題も後を絶ちません。“それは家庭の問題だろ!”と愚痴をこぼしたくなるところです。
🤦‍♂️*2)愚生は“不満は物事を改善する意欲の現れ”と理解して、それを短絡的に良くないと決めつけないように努めています。不満があっても解決、改善の対案があるのか、単に不満と愚痴だけを言っているかが問題であり、知恵と行動が伴った結果として改善された場面を多く体験したからです。
*1・2は、所報オホーツク教育(網走地方教育研修センター)巻頭言 網走の木目澤教育長の言葉です。題は、「努力する者は希望を語り、怠惰な者は不満を語る」です。愚痴を言いつつ、解決に努めるのが教師の宿命です。
👀研修のすすめ「研修とは研究と修養」~研修センターに集い、真の学舎の在り方、教育の神髄について夢や希望を語ることは、教育の資質向上につながり、プラス思考で子どもを見ることで子どもたちは大きく変わり成長すると考えます。~と締めくくっています。
 学級を空けて、研修センターや道研、各種研修会、研究大会に参加するとさらに仕事がたまる。他の先生にも迷惑がかかると思いがちですが、一度離れて客観的に自分の指導を振り返ることも必要なことです。

2020年8月23日日曜日

花だより 「中国人の強かさ」と想像力 ナデシコ

 


  「中国人の強かさ」と想像力  
  尖閣問題での鄧小平の言葉 (1978年 記者会見の席上)
 🙆「尖閣諸島を中国では釣魚島と呼ぶ。名前からして違う。確かに尖閣諸島の領有問題については中日間双方に食い違いがある。国交正常化の際、両国はこれに触れないと約束した。今回、平和友好条約交渉でも同じように触れないことで一致した。中国人の知恵からしてこういう方法しか考えられない、というのは、この問題に触れるとはっきり言えなくなる。こういう問題は一時棚上げしても構わない、次の世代は我々より、もっと知恵があるだろう。皆が受け入れられる良い解決方法を見出せるだろう」と述べる。(会場から拍手がわき起こる。)
 👀欧米的なはっきり白黒つけるディベートのような討論に対して、この鄧小平の言葉は、実に東洋的な解決・判断の仕方です。人間社会において特に政治の世界では、割り切れないことの方がが多いものです。トップリーダーの賢明な判断です。非常に成熟した大人のものの考え方だと思いますが、今の中国には、鄧小平氏のような大物政治家がいなくなったのでしょうか?
 😏学校現場でもこの尖閣問題と似たようなことがあるように思います。ただし、曖昧で玉虫色の決着は、大人の成熟した知恵と判断が条件となることを忘れてはなりません。非常に遠回しの言い方をしていますが、「校長は何が言いたいのか?」賢明な先生方には、行間を読み取り、相手の心を推しはかる想像力を発揮してみてください。

2020年8月22日土曜日

花だより お礼は、子どもたちの笑顔と心のこもった挨拶 ノリウツギ

 


 お礼は、子どもたちの笑顔と心のこもった挨拶だけですが…
 児童安全ネットワーク会議がありました。各団体の代表の方から、最近の子どもたちの様子を聞きました。
🤷‍♂️「子どもたちは、きちんとあいさつをしてくれる。」とお褒めの言葉をいただいたかと思うと、逆に「あいさつができない。」と指摘する人もいたりしました。中には、ボランティアの方に「お金を貰ってやっているんでしょ。」とか、「暇だから…とか、好きでやっているんでしょ。」と心ない言葉をかける大人もいるそうです。
 ボランティア活動の心は「さわやかに、さりげなく、さいごまで」といいます。ここでボランティアとは何かを論じるつもりはありませんが、多くの人に支えられて学校は成り立っています。
😃「『おじさん、昨日立っていなかったけど、何かあったの?』と子どもから声を掛けてもらったのがとてもうれしかった。」と交通安全指導員の人が言っていました。
🙌お世話になっている皆さんに、お礼ができるとしたら、それは子どもたちの笑顔と心のこもったあいさつしかありませんが、これからもよろしくお願いします。

 

2020年8月21日金曜日

花だより お盆休み ノゲシ トマト

 

  

 今年のお盆休みは、コロナ禍で例年にない淋しさがありました。
①~お盆の来校者~
 お盆休み、学校前に1台の札幌ナンバーの車が停まりました。若いカップルが降りてきて校庭の開校10周年の卒業記念作品のピラミッドに向かいました。「これが俺のだ!」と男性が自分のタイルを自慢げに彼女に説明していました。
「卒業生ですか?校舎に入ってみますか?」と声をかけたら、喜んで入ってきて、廊下にある写真をなつかしく眺めていました。どうやら婚約をして、その報告に実家に戻ってきたようでした。😊今度は、子どもに「これは親父のタイルだ」と話に来て下さい。
②~クラス会~ お盆休みにクラス会をやることが多いのではないでしょうか?
 「今年もクラス会をやります」という案内が来たので久しぶりに参加しました。
 😜男性は、ハゲか白髪頭にメタボの腹回り、憧れだった麗しの君の変わり果てた姿にがっかりしました。話題は、高血圧対策と孫の話。その中で、どうしても名前が出てこない人が一人いました。「あの人、誰だった?」と友人に聞いても、「俺も思い出せないんだ?」という返事。その内、近況報告で一人一人マイクが回ることになりました。その人の順番になって会場が一瞬静かになりました。
「私は、○○です。」(ああ~、そんな奴いたいた・・・)「私は今、従業員10名の小さな清掃会社の社長をしています。」(へえ~。あいつが?)「私は中学生のとき、担任の先生から、『お前は、真面目に掃除をする。お前が掃除当番のときは、教室がすごくきれいだ。』そう言われたのがきっかで清掃会社に就職しました。そして、数年前に独立しました。・・・」
 🤷‍♂️同じ教員をしている者も来ていて、「教師の一言って、人生を変えるものなんだなあ」と責任の重さを改めて感じました。
 😂24時間テレビのテーマは「人生が変わる瞬間」でした。歳をとると涙もろくなるものです。24時間マラソンを見ながら、何度も泣きました。そして、クラス会のことを思い出しました。この夏一番の思い出です。

 

2020年8月20日木曜日

花だより 日本立体地図 斜里の名水 千日草

 



 ~夏休みの出来事~

 日本立体地図(北海道・東北・関東・中部・近畿・ 中国/四国・九州)を掲示
 3階の資料室の片隅にあった日本立体地図7枚を用務員が掲示してくれました。立体地図は、山脈や地形がリアルに表現されています。多くの学校で廊下に掲示してありますが、どこの学校の地図も富士山が陥没しています。おそらく子どもたちが一番高い山を触り過ぎて壊してしまったのだと思います。このような教材は、大事にしまっておくより壊すくらい触ってもらった方が勉強になって良いのです。
 🤷‍♂️テレビのクイズ番組を見ていたら、若いタレントが、宮崎県は、東北にあるという回答に驚いてしまいました。地理は、教えられて覚えるのではなく、普段から目に触れて覚えるものです。ドイツの家庭には、世界地図や地球儀が必ずあるそうです。
 斜里の名水
 日曜日、来運の水を汲みに行くと、20㍑容器20個以上も車に積んでいる人がいました。「すまんね。全部占領して、もうすぐ終わるから・・・。みんなに頼まれてさ。5軒分なんだよね。北見から汲みに来てるんだよね~。ここの水が一番だわ・・・」と気さくなおじさんでした。
「私もこの4月に北見から斜里に引っ越してきたんです。」と言うと「学校の先生かい?」
「そうですけど・・・」「何となくそんな感じしたんだよねぇ~」
  (そんな感じ?てどんな感じ?Gパンにトレーナーを着ていたのに何故わかったのか?)
😉「これから、温泉に入ってから帰るのさ、温泉もあるし、水はうまいし、先生、いいとこに来たなあ~」と言って帰って行きました。車の後ろが地面に付きそうなくらい下がっていました。
   

2020年8月19日水曜日

花だより 1学期の反省会議 ナス

 


  1学期の反省会議
【全校参観日の学級懇談の出席率が低い】
 “PTA総会の出席率でその学校の教育力が分かる”
 どこの学校でもPTA総会の出席率が低いことが悩みです。「PTA役員から、他校でやっているように学級懇談と総会を入れ替えてはどうか?」という意見が出て、先に総会をするようになって、総会の出席者が多くなりました。その分、“学級懇談に残る保護者がさらに少なくなったのでは?”という反省がありました。
 P役員会では、「懇談を先にやっていたときも学級によって多い少ないがあった。」「担任の声かけでだいぶ違う。」「総会は規約に則り行わなければならないもの。時間を決めて、効率よく短時間で終わるような工夫をする。」という意見がありました。“学級懇談をとるか?総会をとるか?二者択一”ではなく、それぞれ工夫する余地はあるように思います。P役員会でも検討します。
【参観日の親子レクは?】
 参観日の出席率が低いのでレクでもすれば集まるのではないか。同じ学級でも親同士面識がない。土日でも休みではない保護者がいる。などの理由から、参観日に合わせて親子レクをやるようになった。また、学級Pの役員さんも前年度踏襲でこれまでやってきたというのが経緯だと思います。参観日の趣旨からすると、どうでしょうか?
 PTA役員からは「参観日では、国語や算数の普通の授業を見たい。」という意見もありましたので、P三役から各学年・学級P役員に伝えてもらい検討してもらうことにしました。
【全校朝会の日課】日課を変える前にできること
 これまでは、体育館に行くとすでに集合・整列が済んでいて、すぐに始まっていたように思いますが、集合・整列に時間がかかっているように感じます。日課を変えなくても、◇8時○○分までには、体育館に集合する。(学級指導の徹底)◇進行する児童会は、事前にリハーサルなり、打ち合わせをして、進行をスムーズにする。◇全校朝会のあるときの職員長会は、簡単に済ませる。◇校長は長話をしない。など工夫をすればできます。
【運動会の反省】 保護者目線で見る!
◇「フライング」について、保護者はよく見ています。フライング気味でスタートした子が一位になろうものなら、「えっ?何よ!」と大ブーイングです。ルールと指導を徹底することです。
◇リズム運動(遊戯)は、運動会の楽しみの一つです。特に低学年は、ビデオやカメラ撮影に多くの保護者が集まります。しかし、「毎年同じ踊りなの?」という保護者が多くいるとは思えません?
「よさこいソーラン」の常連に「平岸天神」があります。何度も大賞に輝いています。常連組の踊りは飽きられたという評判もありましたが、他のチームが衣装や演出を凝る中で、平岸天神は、一人一人の踊りの完成度、ダイナミックでシンクロナイズされた動きで勝負しました。まずは一人一人が真剣に一生懸命、精いっぱいの踊りを見せることが基本だと思います。
 4月の学級開きから、運動会を目標に学級づくりをします。学級の実態を踏まえ、運動会では、こんな力を付けさせたいと担任なら考えるものです。運動会は教師力を示す場面です。
【職員会議】 普段からの課題意識とコミュニケーションが大切
 教職員の入れ替えが多くなると、前年度踏襲ではいかなくなります。新しい意見や考えを取り入れることが大切です。しかし、時間が限られています。短時間で効率よく会議を進行するために、事前にアンケートを取り、各分掌で課題を明確にして職員会議に臨むことです。議題の調整(教頭先生への事前報告)が大事になります。
 町の議会では、紛糾すると一時休会にして、担当者で話し合いが行われます。それは議事録には記載されません。これを「根回し」と言いますが、こうした調整も大事なことです。「叶う」とは、口で十回言うこと、提案は、普段からいろいろな場面で口に出して言っておくことです。



2020年8月18日火曜日

花だより いま日本に必要なのは論理より情緒 百日草

 


  マナー問題なし、列車混雑のため秩父別駅で乗り遅れ! 
 空知管内秩父別町のJR留萌線秩父別駅で、増毛発深川行き普通列車が乗客26人をホームに残したまま発車したトラブルで、JR北海道旭川支社が「高校生のマナーの悪さ」を原因としたことに対し、「マナーには問題なく列車が込んでいたため」と学校側は反論した。 
 *次の日、教師が乗車指導をしたら、あっさり全員乗れた!(読売新聞)
 両者とも責任のなすり合いをしないで、どうして前向きな解決策を出せないのだろうか?と思った人が多かったのではないでしょうか?学校側は、「生徒にも指導はするけれども、JR側も改善に向けて努力して欲しい。」とコメントすべきだったでしょう。どうも最近は、タカトシの漫才ではないですが「欧米化?」され、白黒をはっきりつけたがる傾向が強いように思います。
 😒ベストセラー「国家の品格」の著者藤原正彦氏(数学者であり、長い海外生活の経験がある)は、日本は世界で唯一の「情緒と形の文明」である。国際化という名のアメリカ化に踊らされてきた日本人は、この誇るべき「国柄」を長らく忘れてきた。「論理」と「合理性」頼みの「改革」では、社会の荒廃を食い止めることはできない。いま日本に必要なのは、論理より情緒、英語より国語、民主主義よりも武士道精神であり、「国家の品格」(日本人の誇りと自信)を取り戻すことである。と述べています~
 😊ある小さな町の小さな高校の高校生は、登校時「押しボタン式の横断歩道」で、車が通っているときはボタンを押さずにずっと待っているそうです。(車の往来が激しいから押しボタン式の横断歩道が設置されているのに?)この高校生達は、「朝、仕事に行く地域の人たちに迷惑をかけられない」という配慮から、自分たちは我慢するというのです。こんな高校生もいるのです。車掌さんや先生に言われなければ奥に詰めない。高校生に限らず、周りの人に迷惑を掛けないようにする心遣いのできない日本人(情の無い)が増えてきているのは残念です。




2020年8月17日月曜日

花だより 子どもと買い物に行く ノコギリソウ

 


  ~買い物は、子どものマナーの実践教室~
 家庭教育とは、特別なことではなく、子どもを買い物に連れて行くのも立派な家庭教育です。
 お母さんがどんな商品をどんなふうに買っているのかを子どもに見せるのは、マナー教育だけでなく、すごく良い社会勉強になります。毎日の食材を買いそろえるスーパーマーケットなどでの買い物が子供のマナーを教える実践教室になります。一緒に買い物に行くのではなく、一緒に買い物をするのです。これは自分が今、何の目的でスーパーマーケットに来ているのか、子どもにもよく分からせるためです。そうすれば、お母さんの目の届かないところで勝手に商品をいじったり、走り回ったりすることはできなくなります。これが大切なことなのです。
 親は親、子どもは子どもとバラバラになって買い物をして、それぞれが買った物をカートに入れていく親子がいるそうです。これでは子どもは自分の好きなお菓子などを自由にかごに入れてしまいます。レジのところで「このお菓子は買わないから返してきなさい。」と子どもと言い争いをしているお母さんもいます。これではマナーを教えることにはなりません。
 子どもはお母さんの目の届くところにいさせて、初めてマナーが教えられます。もし商品を雑に扱ったら、厳しく注意しなければなりません。商品はレジでお金を払ってはじめて自分の物になります。それまでは丁寧に大切に扱うという姿を子どもに見せなければなりません。これが生きたマナー教育です。
 👀共働きや家庭の事情で、夏休みもずっと放課後児童クラブに来ている子がいます。
「昨日の日曜日、なにしてた?」と聞くと、「お母さんと買い物に行った!」と嬉しそうに話す子がいました。親子で一緒にいる時間を大切にしてほしいと思います。



 

2020年8月16日日曜日

花だより 学力向上から逃げてきた! ヤナギラン

 



  学力向上から逃げてきた! 
                兵庫教育大教授 日 渡  円 氏
 学力向上に教員個人の指導技術が重要だという点は否定しないが、全く別の視点に立って考えてみたい。
 文科省の委託研究として、学力向上と学校の組織運営の関係について、北海道を含めた調査を全国ではじめたところだ。組織としての学校の役割や、教育委員会の支援の在り方を見直すきっかけにしたいと考えている。
 学校は近年、子どもたちの学力向上について、直接話題にすることを避けてきたように思える。教員が学力向上から逃げてきたという側面もあると思う。
 学力偏重と言われたことへの反動も、その理由の一つだろう。順位をつけること自体を問題視する考え方や、勉強ができることよりも道徳的に正しい子どもを育てることが重要だという考え方も背景にある。
 こうした考え方が長く続いたことで、教員自身が学力向上の技術そのものをなくしてしまったか、学力向上を悪いことととらえる価値観が広まってしまったのではないだろうか。
 🤷‍♂️「学力向上だけが教育ではない」という言い方は、教員の逃げ道になっていないか?
 学力が向上すれば、その他の大切な能力をなくしてしまうのだろうか。国民は、頭でっかちの子どもを拒否しても、学力そのものをなくしてもいいとは思っていない。
 😒学力向上から逃げる価値観が北海道ではとりわけ強いように思う。この価値観から抜け出すことが、まず第一歩ではないか。教員の都合を優先して、公務員として当たり前の努力すら放棄しているとしたら問題である。
 教員は「この学校の子どもは書く力が弱い。」「この地域は計算する力が弱い。」「今度の学年は…。」という言い方をする。しかし、教員の指導する能力、ひいては組織としての学校の指導力が弱いから、子どもたちのその力がつかないのではないか。その点に早く気づいてほしい。
 🤦‍♂️北海道の中でも当管内は、その傾向がさらに高い!残念ですが、日渡先生の言うことは当たっている。こうした教員の意識改革が進まなければ、どんな施策も効果はないでしょう。
夏の石北通り公園

2020年8月15日土曜日

花だより 終戦記念日 ヒオウギ

  終戦記念日
 日本人は毎年8月15日になると足を止めて振りかえなければならないことがある。
 終戦記念日が近づくとテレビでは、戦争番組の特集を組みますが、年々少なくなっているような気がします。
 ~日本的「律儀さ」に潜む功罪~ 山崎正和氏
 私はあらためて戦後という時代を考える。戦中には特攻も辞さなかった日本人は、いったん平和の詔勅を聞くと、その後は一度のテロも反乱も起こさなかった。米国側も完全な支配権を持ちながら、軍票も発行せず直接統治も行わず、敗者の尊厳に配慮した。後のアフガンやイラクの戦後と比較すると、これがどれほど文明的な事件だったかは明白であろう。
 とりわけ印象的なのは、戦陣では自殺的な戦闘に従事し、特攻や玉砕の連続で世界の耳鼻を驚かせた日本軍人が、勅命とはいえ敗戦を受け入れ、急速に平和な日常生活に復帰したことである。いったいあの日本軍人とは、そして日本国民とはどういう人間だったのだろうか。これを考えるとそもそも戦争を引き起こした日本の軍国主義と、その社会的背景についても、従来の通説を修正する必要があるように思われる。
 有力な通説によれば、戦争を引き起こしたのは一種の熱狂主義(ファシズム)であり、それが支えた煽情政治(ポピュリズム)だったといわれる。直接の犯人は軍の組織だが、それに盲信を注ぎ込んだのは大衆社会の狂気であり、近代人として未熟な付和雷同だったというのである。だが、この主張は特攻や玉砕を説明しても、戦後の営々たる復興活動や日常への回帰を理由づけることにはならない。
 私はこれを説明するのは、日本人の特に顕著に見られる独特の道徳感だと考える。日本人が「律儀」と呼ぶ、両面的に働く倫理感覚だといえるだろう。
 律儀さとは一面では他人に対する美徳であって、ほぼ忠誠とか信義などと翻訳される徳目に相当する。世間の決まりに従うという感情に通じ、悪くすると盲目の服従に見える弊害も引き起こす。
 戦争に召集された多くの庶民は死地に突進したが、それは興奮の余りというより、世間の約束事を守る意識からではなかっただろうか。この面の律儀さとは「恥の文化」と呼ばれ非難を受けたこともあったが、実は律儀さの本質はそれだけではない。律儀な人間は、整理、整頓、清潔、時間厳守を尊び、とりわけ正直さを信条とするが、これらはそうでないと気持ちが悪いから守る美徳である。他人に対する対面から生じる規律ではなく、人が自己の内面に対して誓う誓約だといえる。こういう倫理観は長く日本人を支配し、危機にあっても平時にあっても日々の務めを果たし、身辺の秩序を守るような心性を育て上げた。
 これが最大の効果を発揮したのが戦後であって、廃墟の混乱を最小限に抑え、復興からやがて高度成長まで日本を牽引する力となった。特に戦後経済がもの作りを中心に発展した中で、律儀さは企業の大小を問わず、生産現場を強く励ましてきた。日本人は、同じ心性のまま戦争を平和に転換したといえるだろう。(後略)~
 《過去の全てを否定してはならない》 
 グローバルな時代を迎え、新しい価値観が生まれる中で、今の子どもたちや親を見ているとこの「律儀さ」が薄れてきているようでなりません。両面的に働く倫理観に危険性はあったとしても日本人がこの律儀さを捨てるようなことがあるなら、日本社会は成り立たないのではないか?と心配になります。
 🤷‍♂️大学では日本史を専攻しました。担当教官が歴史についてこう言ったのを覚えています。「歴史は見る立場によって変わる。通説、定説、史実、史学、歴史観、歴史教育は、それぞれ違う。もしかすると歴史小説の方が真実かもしれないが、史学は客観的な資料を基に立証しなければならない。そうでなければ学問にならない。日本史は、明治、大正くらいまでは歴史だが、昭和はまだ歴史(学問)にはならない。なぜなら関係者が存在しているからだ。元寇をどう評価しても外交問題にならないが、先の大戦については、たとえ史実であっても、日本は慎重な立場をとらなければならない。」
 👀戦後75年が経過して、昭和天皇について語られたり、玉音放送の原盤が公開されたりするなど、やっと昭和が歴史になりつつあります。
 歴史は、定説が覆ることがよくあります。邪馬台国が、畿内にあったか、北九州にあったか、諸説ありますが、現段階では分からないのです。


2020年8月14日金曜日

花だより パリコレと筑波大学附属小学校 ハンゴンソウ

 


 パリコレと筑波大学附属小学校
 筑波大学附属小学校の先生(二瓶先生、青木先生など5名)が花咲小学校にやってきて提案授業を行うことになり、T先生に「めったいにない機会だから、行ってみないですか?」と声を掛けました。
 さて、筑波大附属小は、梶田先生、有田先生、坪井先生など、日本の教育界を背負って立つ先生方を多く輩出していることからも分かるように日本トップクラスの研究推進校です。各々の先生方が研究テーマを持って教科研究を進めています。同じ学校でも個人の先生方の考えで授業スタイルは全く違います。それでも学校として成り立っているのは、先生方の力量と児童の能力の高さからだと思います。ですから、そのスタイルがそのまま公立の学校に当てはまるものではありません。われわれ庶民が、パリコレの衣装を着るようなものです。
 👀上半期の反省会議の中で、算数セットやノート、T・Tのことが話題になりました。先生方の考えを尊重して、先生方のやりやすいようにという意見が多く出てきました。それも一理ありますが、残念ながら、うちは筑波大附属小とは違います。学習指導については、担任任せではなくて、ある程度、学校として統一した考えを持って指導しなければなりません。

網走二つ岩

2020年8月13日木曜日

花だより カウンセリングマインド(共感と誠意) とうきび

 


  カウンセリング=その極意は「共感」と「誠意 
「人の心をプラスにすることができる人は、精神科医でなくてもカウンセリングができます」。教師にもカウンセリングは必須条件です。
「私の靴のサイズは、必ずしもあなたの靴と合うとは限りません」
これはカウンセリングの極意です。カウンセリングは、自分の価値観・モノサシでクラアントを当てはめようとするとそこには感情のずれができます。
 歌手の五木ひろしさんは「歌唱力だけでは人を感動させることはできない。そこに歌心(魂)が入って初めて感動させる歌になります」と言っています。
 カウンセリングにおいても技法は大事です。しかし、それに走らず相手の痛みを傾聴しようとするカウンセリングマインド(共感と誠意)が大切です。
👀「うちの担任は、本当にいい先生!」と保護者から言われている先生は、指導技術だけでなく、カウンセリングマインド(共感と誠意)を持ち合わせています。


北見も猛暑が続いています。

 

2020年8月12日水曜日

花だより 通知表の所見 オニユリ

 


  通知表の所見
  1学期の終業式 担任の先生は、あなたたちのことをよ~く見ていますよ!
😃少しくらいイヤなことがあっても笑いとばしてしまう明るく元気な○○さんです。ひらがなの学習では、お手本通りにきれいな文字を書こうと集中して取り組むことができました。
😊まじめで努力家の○○さんです。優しく病気の人を保健室に連れて行ったり、健康カードのファイルを忘れずに配布したりできました。音読の練習も積極的に取り組み、音読カードの枚数をかなり進みました。テストやプリントの間違い直しもきちんとできます。何事にも手を抜かない態度はとても立派です。
😁本が大好きで時間を見つけては学級文庫の本を夢中で読んでいます。その効果は学習にも表れています。文章題は間違いなく答えることができます。また、ひき算の繰り下がりの計算方法や言葉を選びながら黒板で分かりやすく説明することができました。他にも休んでいるお友達の机を移動したり、消しゴムを忘れたお友だちに貸したりと優しい行動が見られました。
😘失敗を恐れず、何事にもチャレンジする姿はとても立派です。学習中も積極的に挙手して発言したり、音読を進んで取り組みます。理科の植物の観察では、葉の形を丁寧に描いたり、感想を含めて観察記録にまとめたりすることができました。
😉学級内で、してはいけないことが見つかり、誰がやったかわからなかったとき、「ぼくがやりました。」と学級全体のことや友だちのことを考えて発言したことがありました。友だちのことをいつも大切にする○○くんは、とても立派です。
😍困っている人を見つけると、必ず声を掛けて、自分にできることを精いっぱい行うので、友だちから信頼されています。誰に対しても優しく、人の意見を素直に聞き入れる姿勢は、よい学習態度にもつながっていて、どの教科も力を付けています。
😊いつも高い目標に向かって努力を重ねることができています。テストの前には、必ず家庭学習で復習をして備え、それが好成績につながっています。それに友だちの良いところを見つけ、素直に認めることができるので、友だちからも大変慕われています。

👀自己評価ができる人は成功します。
 芸能人や大成功をした社長さんでも自分の良いところ、得意なこと、苦手なことをちゃんと分かっている人です。自分の長所、短所を知っている人は、何を努力したらよいか分かっているからです。
 でも、子どもは自分のことはあまり分からないのです。先生や家族の人が見ていて、良いところ、努力しなければならないところを教えてくれます。それを素直に聞くことが大切です。



2020年8月11日火曜日

花だより 「あそび」は『無用の用』 スイカ

 


「あそび」は『無用の用』 
 校長先生の話で覚えているのある?
🤣“高校を卒業するまで、全校朝会や始業式、卒業式など、校長先生の話や訓話、式辞を何度も何度も聞いたけれども、覚えていない。”という記事を読んで愕然としました。
😉そんな中、一つ好評だった話があります。夏休み前の1学期の終業式の話です。 
「あそび」の意味には、“ぴったりしないでゆとりがある。”という意味があります。
 車のハンドルやブレーキには適度な「あそび」が必要で、その方が安全なのです。ブレーキペダルに足をのせた瞬間にブレーキが効いたり、ハンドルをちょっと動かしただけで進路が変わってしまったりしては、非常に危険です。このような機械の「あそび」は、とても重要です。これを「無用の用」と言います。一見無用のように見えて、実は大事なことなのです。
 学校にも遊びは必要です。毎日、勉強ばかりだとストレスが溜まってしまいます。学校に遠足や運動会などの行事、そして夏休みは、「あそび」にあたります。子どもにとって遊びは最も大事なことです。夏休みは、思いっきり遊んでください。
 ある子が家に帰って、「校長先生が、『夏休みは、勉強しなくてもいいから、いっぱい遊びなさい。』て言ってたよ。」とお母さんに言ったそうです。
😃今年は、コロナショックで夏休みが削られて8月7日まで勉強をしました。少なくなった夏休み、思いっきり遊んでほしいと思います。



 

2020年8月10日月曜日

花だより アンプラグド 向日葵

 



 ギガスクール構想で見直し?
 プログラミング教育について (文科省担当者)
 プログラミング教育の導入にあたり、ICt環境が十分ではないという現場の声が殺到したことから、文科省は、こんなことを言っていた。
  ~必修化の3大勘違い~
1 必修化されたからといって、新しい教科になったり、時間が増えたりすることはない。
 教科書もなければ、評価もしない。どの学年、どの教科・単元でどれくらいの時間数で扱うかは、各学校の判断に任せる。
2 プログラミング言語をCPに打ち込んでいく、プログラマーを育成するものではない。
「プログラミング的思考」をいう資質・能力を育成するのが目的である。
*「プログラミング的思考」とは、物事には手順があり手順を踏むと、物事をうまく解決できるといった、論理的に関挙げていく力のこと
3 毎回、PCやタブレットを使って勉強するのではない。
 「アンプラグドプログラミング」PCやタブレットを使わず、紙と鉛筆を使ったり、体を動かしたりして「プログラミング的思考」を学ぶ。*アンプラグド(電気を使わない)
 ところがコロナショックでギガスクール構想が実現可能になると一変した。教育委員会には、毎日のようにICT関連業者からの売り込みの電話が入るようになった。学校現場でも校内研修は、各自PCを持ち寄っての研修内容に変わった。アンプラグドは、どこ吹く風である。コロナショックは、進まなかった教育改革を飛躍的に進めることになった。


                     

2020年8月8日土曜日

花だより 担任の先生が嫌いだ トロロアオイ

 
 「担任の先生が嫌いだ」
🤦‍♂️好き嫌いは、誰にでもあります。内閣府の『平成25年度 小学生・中学生の意識に関する調査』によると、「先生との関係がうまくいっているか」との問いに否定的に回答している割合は6.5%。また、文科省の『平成29年度 全国学力・学習状況調査』によると、「先生は、あなたのよいところを認めてくれていると思いますか」との問いに否定的に回答している割合は14%。さらに、内閣府が平成13年度に行った『第2回青少年の生活と意識に関する基本調査』によると、「あなたは、今の学校生活で、何か困ったことや嫌なことはありますか」との問いに、「嫌いな先生がいる」と回答している割合は10%という結果が出ています。いずれも、先生に対する否定的な意識を持つ子どもが存在しているということを表しているのです。これはどこかの学級ではなく、すべての学級に当てはまる結果であると受け止めてなければなりません。
😢子どもにとって、先生を嫌いになる理由は様々です。成育歴の中で大人不信になり、先生が嫌いな子どもがいます。叱られたことがきっかけで、先生が嫌いになる子どももいます。期待していたとおりに先生が反応してくれなかったから、授業が分からないから、厳しすぎるから、えこひいきするから…、子どもたちは自分たちの感じる様々なことを理由に、先生を嫌いになります。先生を嫌いになるのは、子どもの一方的な理由かもしれません。しかし、先生を好きだと感じている子どもも、嫌いだと感じている子どもも、すべての子どもたちを大きく包み込み成長を願い続ける「先生」というやりがいのある仕事をしているはずです。子どもが先生を好きだろうが、嫌いだろうが、先生の仕事は、子どもの健やかな成長を
願い、教え育むことです。
👀「育む」の語源は、「羽くくむ」であるといいます。「くくむ」は「包む」の古語。親鳥が羽でひなを包み込む姿に由来するといいます。どのような子どもであれ親鳥が羽でひなを包み込むように、先生が子どもを包み込み、安心感の中で、子ども自身が自分の可能性を開いていくことができるようにしていきたいものです。先生こそが、子どもにとって最大の環境であることを信じ、目の前の状況に翻弄されず、恐れず、子どもたちの未来を開くために努力しなければならないのです。



2020年8月7日金曜日

花だより 「和顔愛語」 カノコユリ2 ゴーヤ


 「和顔愛語」
 長く筑波大学附属小学校で教鞭をとられていた坪井先生の退官を記念して、本が出版されました。
~授業がよいものであるように精進すること。伝統ある「教育研究」誌へ研究の発信をすること。さまざまなところでの講演や授業。こんな仕事がひっきりなしにやってくる。授業の工夫、文章の書き方、講演の話し方、これらが常に問われるのである。そんな体験がたくさん活字になって残った。それらの中からエッセイ風に書いたものだけを東洋館出版社のご厚意でまとめて、出版していただけることになった。400ページに近いものになって、駄文もあり、恥ずかしさを顧みずここに載せることにした。
👀「和顔愛語」とは、私の好きな言葉で、仏教用語の教えである。教育の世界にはよい言葉だと思う。先生の和やかな顔は、子どもを安心させる。躊躇無く子どもに対応でき、優しい言葉がけができるのは先生の資質として大切な事である。これは私の心がけでもあった。こんなことが自然にできるようでありたいと思う日々である。~
😃なるほど言われる通り、仏様の顔(仏像)は、優しくうっすら微笑んでいるように見えます。I先生は、いつもニコニコしていて笑顔が素敵です。そんな先生の表情が少しでも曇っていると、「何かあったかな?」と心配になります。子どもは、担任の表情を敏感に感じるものです。また、表情や性格が親子で似ているのと同じように、担任と子どもたちも似てきます。仏様の局地に達することはできなくても、優しい笑顔を心がけたいものです。 
I

2020年8月6日木曜日

花だより 総合のテーマは、その目標が達成されるものであれば何でもよい カノコユリ



 総合のテーマは、その目標が達成されるものであれば何でもよい。
 😃小島 宏先生が言われた言葉です。とかく総合のテーマを何にするかでよく議論しますが、各学校で異なるテーマをやっても、総合で身に付けるものは、全国同じでなければならないということです。環境や福祉問題をテーマに取り上げて、小学生が社会問題の解決の方策を見つけることなどできません。大事なことは、探究的な活動になっているかということです。
 それでは特別活動は? 各教科、道徳、外国語、総合…、以外の教育活動全てをひっくるめて特別活動(学級活動、児童会活動、クラブ活動、学校行事)です。
 その目標は、「望ましい集団活動を通して、心身の調和のとれた発達と個性の伸長を図り、集団の一員としてよりよい生活や人間関係を築こうとする自主的、実践的な態度を育てるとともに、自己の生き方についての考えを深め、自己を生かそうとする能力を養う。」
 職員会議で話題になった5年生のキャンプですが、学習指導要領では、「特別活動 学校行事の内容(4)遠足・集団宿泊的行事」にあたります。
 ~自然の中での集団宿泊活動などの平素と異なる生活環境にあって、見聞を広め、自然や文化などに親しむとともに、人間関係などの集団生活の在り方や公衆道徳などについての望ましい体験を積むことができるように活動を行うこと。~とあります。
 指導要領の解釈について特活の杉田調査官とお話をしたことがあります。この目標や内容を基に、各学校は実態に合わせて学校行事の計画を立てます。(修学旅行とかキャンプとか具体的なことは何も書かれてありません。)
 本校では、遠足と5年生のキャンプ、6年生の修学旅行がこれに該当します。この3つの行事を通して、この内容が達成されればよいと考えます。
 5年生のキャンプでは、みんなで協力してテントを張る。グループで食事をつくり、一晩同じテントで過ごすには自分のわがままは当然通らないし、他人に迷惑をかけられない。準備から片付けまで、責任をもってやることが、集団宿泊活動などの平素と異なる生活環境にあって、人間関係などの集団生活の在り方や公衆道徳などについての望ましい体験を積む機会になったと思います。
 🤷‍♂️反省会では、「テントらんど」or「グラウンド」、または他の施設?という議論になりました。「テントらんど」は、確かに素晴らしい高級リゾートのような施設です。自然に囲まれ、眺めの素晴らしいのですが、移動時間等の問題があるという反省がありました。
 👀ただ行事の反省は、そうしたことだけを取り上げるのではなく、キャンプによってその目標が達成されたかということを議論すべきだと思うのですが、どこの学校でも反省は(キャンプに限らず)、そのところの議論はなく、日程や係分担などで終わってしまいます。目標の達成と効率を考慮して、よりベターな計画を立てることが必要です。

2020年8月5日水曜日

花だより 子どもはなぜ廊下を走るのか? キョウチクトウ









  教師に求めること 
 🤷‍♂️子どもはなぜ廊下を走るのか?
 「走っちゃダメ!」と注意されても、子どもはその直後に走ってしまう。その理由は、子どもに走ろうという意思はない。目標、興味のあるものに向かって早く行きたいと思うと自然に走ってしまうのです。子どもの学びも同じであり、分かりたい。問題を解きたいという目標に向かって駆け足をする力を目に見える形にする手助けをするのが教師の役割です。
 👀子どもの目線に立つ自分とそれを見守るもう一人の自分の存在
 子どもに寄り添うとは、子どもの目線に立つことです。しかし、現実には、課題を持つ子どもに対して親身になって指導しても、裏切られたと感じることがあります。それによって教師は、精神的なショックを受け悩みます。プロの教育者とは、子どもの目線に立って真摯に対応する中でも、その自分を冷静に見つめているもう一人の自分の存在が必要なのです。
小清水原生花園

2020年8月4日火曜日

花だより 勉強しない教師 エンドウ豆の花 日日草



 “勉強しない教師・指導力向上の意欲低く”
 🤷‍♂️~歩き回る児童を注意できない、黒板を見つめ続け児童の方を振り返らない、授業中に騒ぐ児童を廊下に追い出す。~ 道内の教師の間でも「指導力不足の先生」の話題は尽きない。こうした問題教師は若手だけではなく、意外にもベテランも少なくないという。札幌市内の教頭は、「子どもや保護者、社会が変わっているのに、ベテランは昔の教え方に固執する。教科書を復唱させるだけの指導は通用するわけがない。」と指摘。別の教師は、「一校に一人くらい問題教師はいると思う。」と言う。
 「教頭が変われば、職員室が変わり、教師が変わる。」道立教育研究所で、道内から集まった教頭に向けて繰り返し呼び掛けた。研修は教頭の学校経営力の向上が狙いだが、会場には「校長に『人が集まらない』と指示されて来た。」と、あくびをかみ殺す姿も見られた。研究所では、能力向上に向けた研修講座を行っているが、定員が埋まらないことも多いという。
 🤦‍♂️道北のある校長は、「教師自身が勉強しないのだから、子どもの学力が上がるはずがない。」と言い切る。教育技術を学ばなければ、教師は自らの子ども時代の授業を思い出すなど、我流で教えるしかない。「大学時代より教師になってからどれだけ学ぶかが大切。優れた指導法を学ぶ研修は重要だ。」と説明する。
 「学ばない教師」が多い理由について、札幌市内の教師は、「子どもたちの成績が悪くても、原因が明確でないから」と指摘する。教師の能力だけでなく、家庭環境や子どもの学習態度など「責任転嫁する先はいくらでもある。」というのだ。別の教師は「腹の中では、『子どもの学力を上げても給料は変わらない。』と思っている教員は多い。」と打ち明ける。
 😃一方で、教育技術を上げようと自主的に集まる教師もいる。函館市内、民間の研究団体「授業づくりネットワーク」が主催する研修会に道内外から120人を超す教師が集まった。参加した年配教師は、「今まで自分がいかに単調な指導をしてきたか教えられた。」と話した。2日間で参加費は9000円で、交通費や宿泊費は別。自己負担の研修は決して安くはない。道立研究所の一人は、「自腹の研修にそんなに集まるのか?」と驚く。身銭を切って勉強しようとする教師もいる。(読売新聞の記事より)
 😢オホーツク管内の研究団体協議会の実践交流会に16の研究団体がそれぞれの活動内容や研究内容を発表し、会員獲得のPRを行っている。それぞれの研究会とも会員獲得(特に若い先生)に頭を悩ませている。会費は2000~5000円。活動は主に土日、手弁当で研修会に参加する教師は、当管内でも少ない。
 👀今は、必要な情報はネットで手に入り、集まらなくてもZOOMで事足りる時代になった。教師の研修も根本的に変えなければならない時代なのか?

2020年8月3日月曜日

花だより 高校の実態 日日草 枝豆



 高校の実態  
 🤷‍♂️高校の中途退学が増加している。特に定時制高校では、ほぼ半数の生徒が入学して間もなく退学するという。その理由は、経済的なものではなく、勉強についていけない。人間関係がつくれない。いわゆる高1クライシスなのです。
 😒辞めた生徒はどうなるのか? 
 非行や犯罪につながるケースが多く、少年院に入る子のほとんどがそうした子なのです。ある高校では、小学校レベルの勉強をしたり、中一の英語からやり直したりするといいます。
 👀なぜ学力向上なのか?どうしてコミュニケーション能力が必要なのか?
 高校では切実な問題なのですが、高校に入ってから力をつけようとしてもなかなか難しいのです。高校授業料無償化では、高校教育の問題解決にはならないようです。
 我々小学校の教員は、こうした高校の実態を知りません。幼・小・中・高校の異種間連携の必要性が叫ばれています。小学校で落ちこぼれをつくらないことです。

2020年8月2日日曜日

花だより 動物園は生きることを学ぶ場 サギソウ 胡瓜



 釧路動物園の園長さんの講演から
 旭山動物園に比べると影の薄い釧路動物園ですが、アムールトラのタイガとココアで一躍脚光を浴びました。
◇😢動物園は「生死の現場」
 開園からずっと釧路動物園の顔となって市民から愛されていたアフリカゾウ「ななこ」が死んでしまい、これで北海道の動物園からゾウがいなくなりました。これからゾウを動物園で飼育しようとしたら、群れで飼わなければならないそうで、購入資金と施設設備に莫大な費用がかかります。また、お金をいくら積んでも買えない状況(自然動物保護の立場から)にあります。もう動物園でゾウは見られなくなるかもしれません。ゾウに限らず、自然界の動物を捕まえて売買することはできなくなっています。今は、動物園で飼っている動物を繁殖させるしかないのです。それで動物園同士での「婿入り、嫁入り」が多くなっているのです。
◇🤷‍♂️ホッキョクグマのツヨシは、実はメスだった!
 シはメスだったのはある意味幸運だったのです。盛岡の動物園に嫁ぐことになって、ツヨシが生んだ子は、釧路動物園に所有権があるそうです。しかし、動物園での繁殖は、非常に難しいものがあります。育児放棄する親もいて、せっかく赤ちゃんが生まれたとしてもその生存率は非常に低い。
 タイガとココアも瀕死の状態で生まれてきました。それに四肢奇形と分かり99.9%助からないと誰もが思いました。それでも飼育員がネコ用のミルクを与え、曲がった後ろ足のマッサージを毎日続けました。そうした飼育員の献身的な介護が奇跡を呼んだのです。「本来自然の中で生きている動物を動物園という檻の中で飼っているのだから、精一杯のことをするのが動物園の努めなのです。
 👀育児放棄や高齢者の生存不明などの事件に思う?
 園長さんは言っています。「動物園に来て、懸命に生きている動物の姿、それを支える飼育員の姿を見てください。動物園はこれまで公園課管轄でしたが、今は教育委員会管轄となり、教育機関となっています。動物園は、生きることを学ぶ場なのです。」

2020年8月1日土曜日

花だより 未来を担う子どもたちのために塾文化を創造する アサガオ



 地域に根ざした小・中・高一貫指導で
  未来を担う子どもたちのために塾文化を創造する。○○会グループ
「北海道だから学力が低い」なんて、言われたくない!
~北海道だからという理由で子どもたちの学力が低いと思われたなら、私たち北海道人にとってこれほど悔しいことはありません。北海道の未来を担うのは子どもたちだからこそ、その子どもたちがどう言われ、どう思われるかに私たち大人が無関心であってはなりません。子どもたちに「生きる力」を育んでいくのは真の教育であり、導いていく私たち大人の責任にあります。「北海道の子どもたちは学力が低い」なんて、○○会は言わせません!~
👀これは新聞に入っていた大手学習塾のチラシの見出しです。ある保護者が「これって学校がいうべきことですよね?」と言いました。
 子どもたちの確かな学力の保障を学習塾に任せておいてよいとは思えません。これまで課題を先送りにしてきたことで、本来学校がやらなければならないことができずにいます。学習塾に、“学校に通っているだけでは、学力は上がらない。”と思われたなら、私たち教師にとってこれほど悔しいことはありません。「やるなら、今でしょ!」