日本人は毎年8月15日になると足を止めて振りかえなければならないことがある。
終戦記念日が近づくとテレビでは、戦争番組の特集を組みますが、年々少なくなっているような気がします。
~日本的「律儀さ」に潜む功罪~ 山崎正和氏
私はあらためて戦後という時代を考える。戦中には特攻も辞さなかった日本人は、いったん平和の詔勅を聞くと、その後は一度のテロも反乱も起こさなかった。米国側も完全な支配権を持ちながら、軍票も発行せず直接統治も行わず、敗者の尊厳に配慮した。後のアフガンやイラクの戦後と比較すると、これがどれほど文明的な事件だったかは明白であろう。
とりわけ印象的なのは、戦陣では自殺的な戦闘に従事し、特攻や玉砕の連続で世界の耳鼻を驚かせた日本軍人が、勅命とはいえ敗戦を受け入れ、急速に平和な日常生活に復帰したことである。いったいあの日本軍人とは、そして日本国民とはどういう人間だったのだろうか。これを考えるとそもそも戦争を引き起こした日本の軍国主義と、その社会的背景についても、従来の通説を修正する必要があるように思われる。
有力な通説によれば、戦争を引き起こしたのは一種の熱狂主義(ファシズム)であり、それが支えた煽情政治(ポピュリズム)だったといわれる。直接の犯人は軍の組織だが、それに盲信を注ぎ込んだのは大衆社会の狂気であり、近代人として未熟な付和雷同だったというのである。だが、この主張は特攻や玉砕を説明しても、戦後の営々たる復興活動や日常への回帰を理由づけることにはならない。
私はこれを説明するのは、日本人の特に顕著に見られる独特の道徳感だと考える。日本人が「律儀」と呼ぶ、両面的に働く倫理感覚だといえるだろう。
律儀さとは一面では他人に対する美徳であって、ほぼ忠誠とか信義などと翻訳される徳目に相当する。世間の決まりに従うという感情に通じ、悪くすると盲目の服従に見える弊害も引き起こす。
戦争に召集された多くの庶民は死地に突進したが、それは興奮の余りというより、世間の約束事を守る意識からではなかっただろうか。この面の律儀さとは「恥の文化」と呼ばれ非難を受けたこともあったが、実は律儀さの本質はそれだけではない。律儀な人間は、整理、整頓、清潔、時間厳守を尊び、とりわけ正直さを信条とするが、これらはそうでないと気持ちが悪いから守る美徳である。他人に対する対面から生じる規律ではなく、人が自己の内面に対して誓う誓約だといえる。こういう倫理観は長く日本人を支配し、危機にあっても平時にあっても日々の務めを果たし、身辺の秩序を守るような心性を育て上げた。
これが最大の効果を発揮したのが戦後であって、廃墟の混乱を最小限に抑え、復興からやがて高度成長まで日本を牽引する力となった。特に戦後経済がもの作りを中心に発展した中で、律儀さは企業の大小を問わず、生産現場を強く励ましてきた。日本人は、同じ心性のまま戦争を平和に転換したといえるだろう。(後略)~
《過去の全てを否定してはならない》
グローバルな時代を迎え、新しい価値観が生まれる中で、今の子どもたちや親を見ているとこの「律儀さ」が薄れてきているようでなりません。両面的に働く倫理観に危険性はあったとしても日本人がこの律儀さを捨てるようなことがあるなら、日本社会は成り立たないのではないか?と心配になります。
🤷♂️大学では日本史を専攻しました。担当教官が歴史についてこう言ったのを覚えています。「歴史は見る立場によって変わる。通説、定説、史実、史学、歴史観、歴史教育は、それぞれ違う。もしかすると歴史小説の方が真実かもしれないが、史学は客観的な資料を基に立証しなければならない。そうでなければ学問にならない。日本史は、明治、大正くらいまでは歴史だが、昭和はまだ歴史(学問)にはならない。なぜなら関係者が存在しているからだ。元寇をどう評価しても外交問題にならないが、先の大戦については、たとえ史実であっても、日本は慎重な立場をとらなければならない。」
👀戦後75年が経過して、昭和天皇について語られたり、玉音放送の原盤が公開されたりするなど、やっと昭和が歴史になりつつあります。
歴史は、定説が覆ることがよくあります。邪馬台国が、畿内にあったか、北九州にあったか、諸説ありますが、現段階では分からないのです。
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