2024年10月31日木曜日

花だより 子育て応援団 「6ポケット」 イチョウ ヨメナ

 

 

 子育て応援団 「6ポケット」
 子どもの数が減り、少ない孫を祖父母はとても大切にしています。両親に祖父母を加えて計6人の「6ポケット」というように、一人の子どもにたくさんの支援が集まります。そのこと自体は良いことです。しかし、時に加熱してしまい、お節介やトラブルになることもしばしばです。
 子育てをするのは基本的に親の役割と責任であり、祖父母は良いサポートやアドバイスをする役割を担うべきです。反対に、祖父母に頼りすぎの親も問題です。お互いに子どもが可愛くて大切に思っているので、いろんなことをしてあげたいと思いがあふれています。素敵なことである反面、何事にもバランスが大切です。社会の変化や子育ての常識も変化しているので、昔と今の子育てについてすり合わせが必要です。
 親と祖父母が対立する必要はありません。子ども家庭庁の提唱する「こどもまんなか」という理念が社会に浸透し始めています。子どもを真ん中において、親と祖父母が一緒に話をして、丁寧に関わる手数を増やすことです。お互いが「子どものための良い環境」を意識することが大切です。 小崎恭博 大阪教育大教授(牧野要約)

2024年10月29日火曜日

花だより お褒めの言葉が疲労回復剤 ホトトギス 椎茸

 


  ~お褒めの言葉が何よりの疲労回復剤~
 学芸会が終わった後、ある保護者さんから「校長先生、これまでと雰囲気が変わってよくなりましたね。子どもたちの声もよく聞こえました。会場も静かでした。照明や音響などずいぶん工夫されていましたね。」とお褒めの言葉をいただきました。
 本番前に集音マイクやピンマイクが故障して、十分でない状態でしたが、それをカバーする子どもたちのがんばりがあったと思います。
 片付けが終わり、職員室に戻ってから暮会の中で、この話を紹介しました。疲れ果てた先生方にこの言葉は、“ファイト一発!リポ○タンD”を飲んだ以上の疲労回復剤になりました。ありがとうございました。
 保護者アンケートの自由記述欄にも、「先生、お疲れ様です。いつもありがとうございます。」と書かれたあると、心がホットステーションになります。
秋の網走湖

2024年10月28日月曜日

花だより 衆議院選挙結果を受けて モミジ センブリ

 

 
 衆議院選挙の結果が出ました。与党に厳しい審判が下りました。
 国民は何を基準に投票したのでしょうか?
10月26日投票前日の読売新聞に特別編集委員の橋本五郎氏は、こう書いていました。
 ~福沢諭吉は言っています。「政治とは悪さ加減の選択である」 政治にベスト(最善)を求めても無理。ベター(次善)も至難です。せいぜいどちらが悪くないかという「醒めた目」で判断すればいいのではないかと思うのです。
 福沢は生涯官に支えることなく、民の立場を貫きました。それでも国の大事を前にしては、自分がその掌の責任者になったつもりで論じなければならないと自らを律しました。ましてや公に仕える政治家なら、その心得と覚悟なしに振舞ってはいけない思うのです。
 この政治家は本当に国全体のことを考えているのか。実現可能性を十分検討した上で約束しているのか。大事な基準の一つです。~
 今回の選挙は「政治とカネ」一色でした。選挙にあたっては「政治とカネ」は必要条件であっても十分条件ではなかったはずです。混沌とした日本の政治が始まります。

2024年10月26日土曜日

花だより 学芸会の作文 アシタバ キンモクセイ

 


 2年生の学芸会の作文
 「まちがえないぞ!」 ぼくは、げきをやる前、きんちょうしてきんちょうしてたまりませんでした。そして、まくがあいて、げきがはじまりました。人がゾロゾロ、ガヤガヤとたくさんいたので、セリフをいうのもきんちょうしてしまいました。でも、あまりにも上手だったみたいで、パパとお母さんとちがうおきゃくさんたちが、「あの子上手だね~。」とたくさんの人がいってくれました。だからぼくは人気もののようでした。それがあまりにもうれしかったです。ぼくはセリフをちょ~はりきっていったからだとおもいます。だからぼくが3年生になっても、ちょ~はりきってセリフをいって、たくさんの人からほめられたいです。
 これは、2年生の学級通信に載っていたものです。助演男優賞をあげたいくらい上手だった子の作文です。楽しかったり、思い出に強く残ったり、うれしい体験をした子は、いい作文を書くことができます。「パパとママ」と書かないで「パパとお母さん」と書いてあるのも、その家族の有りようがわかる子どもらしい素直な表現です。演技と同じくらいこの作文に感動しました。



2024年10月25日金曜日

花だより 日本は労働生産性が低い キキョウ

 


 OECDによる国際調査で「先進国の成人の半分が簡単な文章を読めない」という衝撃の結果が明らかになった。人間社会のタブーを暴いた 『もっと言ってはいけない』 の著者は、知能格差が経済格差に直結する。知識社会が、いま直面しつつある危機に警鐘を鳴らす。
              橘 玲/週刊文春 2019年2月1日号(牧野要約)
「国際成人力調査」の結果概要
(1)日本人のおよそ3分の1は日本語が読めない。
(2)日本人の3分の1以上が小学校3~4年生以下の数的思考力しかない。
(3)パソコンを使った仕事ができる日本人は1割以下しかいない。
(4)65歳以下の日本の労働力人口のうち、3人に1人がそもそもパソコンを使えない。
 ほとんどの人は、これを何かの冗談だと思うだろう。しかし、これは事実なのです。
 先進国の学習到達度調査PISAはその順位が大きく報じられることもあってよく知られているが、PIAAC(ピアック)はその大人版で、16歳から65歳の成人を対象として、仕事に必要な「読解力」「数的思考力」「ITを活用した問題解決能力(ITスキル)」を測定する国際調査です。OECD(経済協力開発機構)加盟の先進国を中心に24カ国・地域の約15万7000人を対象に実施され、日本では「国際成人力調査」として2013年にその結果の概要がまとめられました。しかし、これでも日本の成績は、世界のトップレベルだというのだから驚きです。
 アメリカの7割程度しかない日本の労働生産性
 知識社会では、知的な職業スキルが高いほど生産性が高くなるはずです。ところが、日本の労働生産性は主要先進7カ国で最低で、アメリカの7割程度しかないのです。高い能力が仕事で活かされていないのです。(年功序列主義と能力主義)
 男女の社会的な性差を示すジェンダーギャップ指数で日本は世界最底の110位。女性のスキルを活用できていないことが男女の収入の大きな差につながっています。
 日本人は確かに知的には優秀かもしれないが、その能力を無駄にしている。それは日本人の働き方が間違っているからであり、さらにいえば、日本社会の仕組みの大きな欠陥なのです。
網走天都山からの眺望(網走湖と能取湖)10月20日




2024年10月24日木曜日

花だより 日本人の約3割は正しく問題文を読めない オヤマリンドウ

 



 先進国の5割の成人が「問題文が読めない」という現実
 移民出身者を検査すると、言語的背景が異なる移民のスキルは顕著に低く、とりわけ北欧で(もともと得点の高い)主流派白人との差が大きく開いている。この「スキル格差」が移民出身者の失業率を高くし、生活保護に依存せざるを得なくさせ、その結果、世界でもっともリベラルな国でも排外主義的な政党が台頭することになっているのです。
 人生100年時代を迎え、AIに負けないよう生涯学習すべきだという話になっています。しかし、日本人の3割、先進国の5割、そしておそらく世界全体ではそれよりずっと多い成人が、問題の解き方がわからないのではなく、問題文が読めないのです。この現実に対して教育はどこまで有効なのでしょうか。
 生まれ持った知能のちがいに触れることは、これまでずっとタブーとされてきました。しかし、知識社会の矛盾を知能の分布を無視して語ることは不可能になってきています。
 私たち日本人も、また近い将来、この現実を突きつけられることになります。人口減少、人出不足解消のため、移民を受けるべき。という単純な発想は危険です。
 過日、こども園の採用試験が行われました。一般教養試験は、業者テストが用いられました。問題用紙を見ると、時事問題から中学卒業程度の国語、社会(歴史、地理、政治経済)、理科(物理、化学、生物、気象など)、数学、英語(長文読解)まで幅広く、解答時間は2時間、問題文を正しく読めなければ、話にならない。他に専門分野である幼児教育についてのペーパー試験と実技試験(ピアノ、読み聞かせ、ダンスなど)、作文(小論文)と最後に町長、教育長等による面接があります。受ければなるということはありません。保育教諭になるのは容易ではありません。
 なぜ学力が低いと問題なのか?なぜ勉強しなければならないのか?よ~く考えるべきです・
      橘 玲/週刊文春 2019年2月1日号(牧野要約) 病院の待合室で




2024年10月23日水曜日

花だより 教育無償化の背景 アキノキリンソウ

 


              秋の北見フラワーパラダイス
 ≪幼児教育・高等学校無償化の背景≫
 日本の教育への公的支出は、OECD加盟国で最下位(2014) 
 経済協力開発機構(OECD)加盟国の国内総生産(GDP)に占める教育機関への公的支出の割合が日本は3.2%です。比較可能な34ヵ国で最低です。各国平均は4.4%。公的支出の割合が最も高いのは、デンマーク6.3%とノルウェーの6.1%と続きます。大学など高等教育への公的支出の割合でも、英国の28%に次いで日本は34%で、各国平均70%の半分の低さです。OECDの担当者は、「日本は授業料が各国より高いうえ、『公的支援が少ないため、家庭の負担が大きい』と指摘しています。少子化に伴って国立大学の授業料も引き上げられることになりました。家計負担がさらに増すと見て、奨学金など経済的支援を充実する必要性を訴えています。
 「どんなに貧乏でも、子どもには教育を受けさせたい。」昔の親の考えは通用しない時代になりました。しかし、地方では、地元の公立高校を存続するために、自治体が多額の支援をしています。給食の提供やスクールバスの運行などなど、それにこども園では正規の保育料を払っている家庭はなく、ほとんど無償化状態です。支援をすればするほど、学校任せ、行政任せになる。これが現実です。それで学力が上がっていればよいのですが、学力も体力も落ちています。高校を出て、大学や専門学校に進学した子は、地元には戻ってきません。
 これが実態です。
10月20日のパークゴルフ場







2024年10月22日火曜日

花だより 学校の統廃合 シコンボタン カッコウアザミ

 


 北海道特にオホーツク管内は小規模校が多い。20年前は約180校の小中学校があったが、現在は120校まで減ってしまった。減った学校の大半は小規模・へき地複式校である。廃校になった地域の人は、「運動会も学芸会もなくなって寂しくなった。お祭りには、神社の境内で子どもたちが相撲をとったり、子ども神輿もあった。あの頃が懐かしい。」と話す。
 児童数の減少は、小規模ゆえに目立つ。その変化にいち早く気付いた保護者たちが、町の学校へといち早く子どもを自ら移そうとしている。そうやって減っていった後で最後に残った少数の子どもの親たちの間では、「早く統廃合を進めて、子どもたちが大きな学校で学べるようにしてほしい。」と行政に訴えるようになる。
 要するに、学校統廃合の起因は、自治体の財政減少やその学校の教育内容にあるのではなく、人々の不安の増大が一番ではないかと思う。
 もちろん、中には子どもの数がみるみる減っていく現状を見かねて、自治体側から進める統廃合もあるが、そうしたケースでもやはり、その底流に保護者たちの不安があるから統廃合が進むわけで、地域から「学校を残してほしい」という抵抗の声が強く出れば、行政は無理な統廃合を進めず様子を見守るのがふつうである。そうして残った学校も数年後には統廃合されることになる。
 オホーツク管内の3市(北見・網走・紋別)以外は、ほとんどが小学校と中学校が1校でだけとなって、1学年1学級でクラス替えもない。こども園も一か所しかないと1歳から預けられた子は、中学を卒業するまで15年間、同じ集団で過ごすことになる。
 小規模校には、大規模校にはない良さがある。あえて小規模校を選択する親もいる。小規模校の教員は、その特色を生かした学校づくりに努力している。「小規模校から市内の中学校に進んだ子は、基本的な生活習慣がしっかり身についている。生徒会や部活動で活躍している子が多い。」と聞くことがよくある。自治体も教育予算にかける割合は高い。しかし、中学3年生に「なぜ、地元の高校に進学しないのか?」と尋ねると、「高校生活くらい新しい仲間と過ごしたい。」と答える。高校を卒業して札幌や道外の大学に進むと、まず地元には帰ってこない。ますます過疎化は進む。これが現実である。
 

2024年10月21日月曜日

花だより 「義務教育学校」広がる オオケダテ

 


 「義務教育学校」 小中一貫教育広がる     
 改正学校教育法が制度化されてから、小・中学校9年間の教育を一つの学校で行う「義務教育学校」が増えています。小中一貫教育は、中学校に進学して環境変化になじめず不登校になる「中1ギャップ」の解消などに効果があるとされています。義務教育の9年間をこれまでの「6・3」制の枠にとらわれず、例えば「4・3・2」制のように区切ることができるので、柔軟な教育課程を編成することが可能になります。
 オホーツク管内の小中学校は、現職時代に約180校ありましたが、少子化により、今は120校あまりに減少しました。小学校と中学校それぞれ1校しかない町が多くなり、それもほとんどが学年1~2学級の小規模校です。地元の高校に進学すると、保育所・幼稚園から高校まで、15年近く同じ顔触れで過ごすことになります。中1ギャップは、本当にあるのか疑問です。
 高校受験を控えた生徒が、「高校くらい、この町を出て、新しい友だちとやりたい部活を選んで、好きなことをしてみたい。」と言いました。中学生は、少子化で生徒数が減り、好きな部活ができなくなりました。野球部をはじめ、ほとんどが連合チームです。その気持ち、よくわかります。
 教育的課題よりも財政難と人口減に悩む地方の自治体では、義務教育学校の経済効率の高さが魅力なのかもしれません。校舎の建て替えが迫られている町のほとんどは義務教育学校を検討しています。町には、保育所と幼稚園が一緒になったこども園と義務教育学校1校だけ、高校は都市部に通う。オホーツクのほとんど町がこれからそうなります。仕方ありません。


 

2024年10月20日日曜日

花だより 江戸の町民の方が文化水準は高かった フジバカマ リョウビュ


 ~五感を磨いて「六感しぐさ」~ 
 江戸商人はわが子たちを、知識と同時に視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚の五感を鋭敏に研き澄まして育つように心がけていました。すべてのものごとを自分で感じ、自分で考え、自分の言葉で話す自立した人間を育てるように努力したのです。「観る」「聴く」「読む」「書く」「話す」ことを大事にしました。そして、機転が利かないと馬鹿にされました。
 「打てば響く」~鐘や太鼓がたたけば即座に鳴るように人間も打てば響く、つまり気配りをして、即行動する機敏さが尊ばれました。言葉をキャッチボールするセンスもその一つでした。
 自分で自分を守るために五感は敏感でなければなりません。何かことが起ころうとしたとき、起こったとき、この五感をフル回転させ、瞬間的に総合的判断して、ひらめく能力を第六感と言い、江戸の町はこの「ロクの利く」人たちの集合体だったのです。
 江戸の町が美しいと言われたのは、建物、壁の色、町並み、松や柳などの植物の美しさ(ハード)とともに、そこに住んでいた江戸っ子たちが、空気の汚れ、樹木の生育、暑さ、寒さに敏感に反応して手当をした(ソフト)からなのです。その敏感さが商いには何より必須条件でした。商いでなくても、生きるための敏感さは自己の危機管理に能力を発揮するはずです。関東大震災の朝、胸騒ぎを感じ、東京から引っ越して助かった江戸っ子が何人もいたそうです。
 文明の発達で便利重宝に慣れすぎ、動物としての本能や敏感さを年々失って鈍感になってきてしまった現代人。自然への畏敬も忘れ(畏敬の念が無くなると自然からの予告や警報を体感できなくなるそうです。)人への思いやりもだんだん失ってきてしまった私たちに自ら警報を鳴らしたいと思います。
 三代住んで江戸っ子の資格ができるとされてきたのも、この第六感を磨いて磨いて磨き抜くには三代かかるということなのです。(NPO法人江戸しぐさ理事長 越川禮子)
 時代が進むにつれて社会が成熟するとは限りません。文化水準は、江戸町民の方が高かったかもしれません。
 哲学とか倫理、道徳など、人としての生き方について、現代人は、まじめに考えなくなったように思います。学問の中心は、哲学であったはずです。
「自然に囲まれた地方都市に住んでいるから、まだいい。」と思っている人がいたら大きな間違いです。むしろ刺激の少ない地方の人こそ、感覚は鈍いと言われています。

2024年10月19日土曜日

花だより 選挙と政治と論語 モミジ サルビア

 



 論語に学ぶ 「生と死」について、孔子は「生きることがわからないのに、どうして死ぬことがわかろう。まずは生き方を知ることだ。」と言っています。また、「道徳をもって国民を指導する。」という件(くだり)には、“政治を行う場合、法律や刑罰で取り締まろうとすれば、国民は法の裏をかくことばかり考えて、恥ずかしいとは思わなくなる。逆に道徳をもって国民を指導すれば、秩序の元である礼を重んじ、不法な行為を恥ずかしいと思って、正しい道を歩むようになる。”とあります。
  衆議院選挙の最中なので気になります。「ルールを守る自民党」当たり前のことが選挙公約です。野党も裏金問題だけでは、自民党を倒せません。「まずは生き方を知るべきです」



2024年10月18日金曜日

花だより 正坐のすすめ シオン 柿

 


「正坐のすすめ」  
  昭和大学名誉教授 森 義明 (整形外科教授:専門は膝・リュウマチとリハビリテーション)
 最近、正坐ができなくなっている人が多い。また、正坐をする機会も少なくなった。
 お寺でお坊さんの説法を背筋を伸ばし、正坐をして聞いている金髪の若い女性を見た。その傍らでGパン姿の日本の若い女性が両膝を伸ばして聞いていた。
 正坐は日本特有の座り方である。特に正坐は、茶道などの習い事、柔道などの武道、日本舞踊などの芸道や礼儀作法も含めて、日本の伝統文化と言われるものはどれも正坐抜きには考えらない。
 敗戦後、アメリカ文化が怒濤のように押し寄せ、衣・食・住や生活習慣にいたるまで欧米化された。日本人でありながら、日本本来の良さを認めず、欧米のものを批判することなく受け入れる習性が顕著にみられる。そのために消えようとしている大事な生活習慣の一つが「正坐」である。 
 正坐は、膝に悪い、がに股になる、下肢が短くなるなどと最先端の知識のように振りまく無責任な多数の指導者がいた。それには根拠のないことが多く、逆に膝だけでなく、姿勢、呼吸、それに身体的にも、精神的にも有益な面が多くあり、また作法にも大切であることが忘れられている。
 しかし、欧米人に、このような正坐の作法は理解されない。彼らには人前でしゃがむ、坐ることは、屈辱の姿勢であるからで、もともと価値観が異なっている。
 これから先、生活習慣が欧米化し、正坐をすることが少なくなれば、長い間培われた日本の誇れる伝統文化というものが消滅してしまうのではないかと懸念する。
 私たちは、幼児の頃から正坐を礼儀として教えられ、親に叱られる時には、正坐をさせられ、心がしまる思いをした。生活習慣の中で「正坐」の大切さを見直し、日本の正坐の文化との関わりを、次の世代へと伝えていきたい。
 *膝の専門家は、こう言っています。




 

2024年10月17日木曜日

花だより 「働きづらさ」教員の本音 ヒヨドリバナ ハロウィンカボチャ

 


 「働きづらさ」教員の本音 

●多忙が日常化していて、物理的に勤務時間内に仕事を済ませるのは無理
●時間をかけただけ子どもの成長につながるので、多忙はある程度仕方がない。
 本来時間をかけたい子どもとのコミュニケーションや学校経営に、十分時間がとれない。
●部活動がある限り、定時退勤はまず不可能
●仕事ができる者に多く仕事が集まる。
●教員の協働意識が低い。結局自分がやることになる。
●全体的に忙しいので、困っている職員を助ける雰囲気が薄い。
●周りが何となく忙しくしているので、定時に帰りにくい。
●「失敗したくない」という思いが働きづらさを助長している。先輩は「失敗しなさい」と
 言うが、保護者はそう思っていない。
●管理職こそ労働問題に目を向けてほしい。「昔はこうだった」「教員だから仕方ない」「管理職だって大変なんだ」で済まさないでほしい。 
                 北見:菊祭り始まる
          

2024年10月15日火曜日

花だより 子どものやったことは親の責任 胡桃 収穫

 

 ~子どものやったことは親の責任~
 ラジオの「人生相談」 不登校の中学生を持つ親が相談者で、「原因がよく分からず1年近く学校に行っていない。」という悩みでした。相談を受けた先生は、「中学生なんだから、子どもと進路についてきちんと話し合いなさい。お母さんは、どうしたいのか?自分の考えをはっきりさせなさい。問題を解決する“魔法の杖”なんかないのです。」とアドバイスすると、「そうは言っても、それがなかなかできないし、子どもにそんなこと言っても聞いてくれない。」と答えました。先生は、呆れて、「あなたはアドバイスを受けたくて電話をかけてきたのではないのですか?お母さんがそういうことだと、お子さんの不登校は解決しません。」と声を荒げました。
 連休の温泉は、家族連れで賑わっていました。小学生の男の子がいきなり湯船にとび込んで来ました。それを見た父親が、いきなりゲンコツをして「他の人に迷惑をかけるだろ!」と叱り、周りの人に謝罪していました。子育ては、難しいです。

2024年10月14日月曜日

花だより おじいさんの嘆き「葬儀をしない?」 ユウゼンギク 栗

 


 日本人の心はどうなってしまったんだ?校長さん、子どもたちの教育しっかり頼むよ! 
~おじいさんの嘆き「葬儀をしない?」~
 校長さん、ちょっと聞いてくれないか。この前な。死んだばあさんの葬式を息子がしないという家があってな。わしが、「それはおかしい」と言ったら、「喪主の俺がしないといっているんだ。文句あるか。」こう言うんだ。「死んだじいさんとばあさんが一生懸命働いて広げた畑を息子の代になって売ってな。そのお陰で今の生活があるんだろ!葬式というものは、関わりのある人が集まって故人を偲ぶものだ。あんた一人で決めるもんじゃないだろ。そんなことも分からんのか!」と意見したことがあってな。わしらは、戦前の教育を受けてきている。家族や両親を大切にすることは当たり前だと思っている。戦前の教育が全て悪かったわけではないだろう。そして。「おれおれ詐欺にひっかかる年寄りが悪い!」と言われたよ。“いったい日本人の心は、どうなってしまったんだろう?”と嘆いていました。

2024年10月13日日曜日

花だより 子どもに後始末をさせる ショウメイギク カボチャ

 


 「イキイキ子育て」 子どもに後始末をさせる
 コップやボタン、おもちゃなど、形ある物はみな壊れます。そんなとき、多くの親は子どもの不注意さに腹を立て、自分でサッと後始末をするものです。
 しかし、自分でできる範囲内で後始末させる。たとえば、飲み物がこぼれたら雑巾で床を拭かせ、コップが割れたら床の掃除をさせるのです。
 さらに、子どもに物を修理する技術を教える。かなづちの使い方、のりづけの仕方に始まり、子どもが大きくなるにつれてボタンの縫い付け方やすそのまつり方、電球の替え方などを教えるのです。
 技術によっては、幼い子にはまだ無理なものもあります。子どもの不器用さ、手先の動かし方、判断力などを考慮に入れながら教えることが重要です。
 修理の方法を学んだ子どもは、ものが壊れてもたいていの物は直せるということを学びます。そして、子どもが成長するにつれて、この教訓が人間関係にもあてはまることを学びます。子どもに修理して再び使う機会を与えることです。子どもは物がつくられる工程を理解し、それが役立っていることに感謝の念を持つようになります。

2024年10月12日土曜日

花だより 「修身」と「道徳」 ハマギク 松茸

 

「修身」(戦前の「道徳」の教科書)
~兄弟(姉妹)は、同じ父母の乳を飲み、同じ父母の腕に抱かれ、同じ父母の愛情を受けて、人とし て成長するものであるから、父母を除いては、兄弟ほど信頼し合えるものはない。また、人の命は限りがある。父母が世を去ってしまうことになれば、その後は、互いに慰め助け合うことになるから、兄弟の信頼関係ほど長いものはない。だから、 兄は弟を深く愛しなさい。弟は兄をあつく尊敬しなさい。いつまでも変わることなく兄弟は、互いに慈しみ、互いに助け合って、家が栄えるように努力しなさい。~
 明治29年文部省検定改訂小学「修身」の教科書に出合ったのは、若松小学校の祖父母参観日でした。おじいさんの母親が使っていたもので、土蔵に保管してあったものを「校長さん、見たことあるか?」と持ってきてくれたのです。博物館に展示するくらいの貴重な品です。
 「修身」は、現代社会には、そぐわない部分もありますが、戦前の日本人の道徳心、倫理観の原点です。
 「おれおれ詐欺」について、おじいさんたちは、「世の中には悪いことを考える人がいるもんだ!」辛い開拓当時を生き抜いてきた年寄りには、「困ったときは互いに助け合うもの」という考えがある。「感謝や思いやりの気持ちが大切」と教育されてきて人には、まず人を疑ってかかる気持ちはない。そんな人の優しさにつけ込んで悪さを働くのは、許されない。「そんなことする人は、学校でどんなことを学んだのだろうね。」と言いました。
 修身は、戦後、軍国主義的・国家主義的思想として、GHQより廃止されました。「修身とは、身を正しくおさめて、立派な行いをすること」という意味があります。修身を学んだ日本人と現在の日本人、どちらが道徳的な倫理観を持ち合わせているでしょうか?


2024年10月11日金曜日

花だより 周りから「敬遠」される大人 クルミ サラシナショウマ

 

 ~周りから「敬遠」される大人~
 「現場か勝手にやったことです。」などという企業のトップは、従業員から敬遠されてしまいます。
 「敬って遠ざける」:「敬遠」とはおもしろい言葉です。心から敬っているのではなくて、敬うふりをして近づかない。親しくならないということです。いくら企業のトップだと威張っていても、所詮は裸の王様です。
 責任のとれない大人は、陰で笑われる裸の王様です。しかし、実をいえば「責任の取り方」などというのは、教育やしつけではないのです。ごくごく当たり前の常識をたくさん身に付けることによって、いわばその集大成として、責任とは何かということがわかってくるのです。ですから、子どものうちからしっかりと常識を身に付けさせることです。
 常識とは、決して難しいものではありません。人に会ったらあいさつをするとか、自分の思い通りにならなくてもがまんするとか、人には親切にするとか。それはみな当たり前の常識なのです。そういう当たり前のことを、親が当たり前のようにやっている姿を見て、子どもの気持ちの中に少しずつ常識が芽生えてきます。
 「やってみせ、いって聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば人は動かず」(山本五十六)という教えがあります。お母さんが常識と思っていることを子どもに一つずつ伝えていくことが大事です。手間暇のかかることですが、手間暇を惜しまないのが愛情です。

2024年10月10日木曜日

花だより  “お母さんといっしょ”体操のお兄さん ダリア カボチャ

 

 
 何でも孫の言うとおりにする甘甘のおじいちゃん、おばあちゃんでは困ります。子育てのアドバイスがしっかりできるような祖父母であってほしいものです。
 “お母さんといっしょ”体操のお兄さん 佐藤弘道さんの著書『子どもはぜんぜん、悪くない。』から
 12年間でのべ15万人の子どもたちを見てきて感じたことのなかに、スタジオに子どもが来ても、お母さんから離れず、体操のお兄さんと一緒に遊べない子どもがだんだん増えてきた。以前もそういう子どもは時々あったのですが、最近は特に多くなってきたのです。せっかくスタジオに来ても見学になってしまうことが出てきた。もちろん、佐藤さんはプロですから、子どもの関心を引いて、お母さんから離れるような技をたくさん持っています。しかしそれを持ってしても、どうしても離れられない子どもが増えてきたのです。
 「子どもが親から離れて遊べるのは、いつも親が見ていてくれるという信頼感と安心感があるからです。少しでも離れたら、親がどこかに行ってしまうのではないかと思ったら、子どもが親から離れないのは当然です。ぼくは、親子の信頼関係が薄れてきているような気がします。」
 ~子どもの「生きる力」を育むのは、安心感~
 『子どもを自立させるには、どうしたらいいか?』
 自立の元になるのは、意欲です。意欲の元になるのは、安心感です。安心感は、じゅうぶんに甘えて、甘えを受け止めてもらうことで得られます。
 じゅうぶん甘えて、安心感をもらった子どもが、「自分でやりたい」という意欲を持ち、自立に向かってゆくのです。甘えない人が自立するのではなく、甘えた人が自立するのです。甘えていい子ども時代に、じゅうぶん甘えた人が自立するのです。
 「10歳まではしっかり甘えさせる。そうしたら、子どもは心の安定したいい子に育つ」という言葉があります。ただし、甘えさせるということは、子どもの言うなり、子どもの言うことをそのまま全て鵜呑みするということではありません。

2024年10月9日水曜日

花だより 「食育」がどうして必要なのか? イタドリ ハゲイトウ

 

 「食育」がどうして必要なのか?
 本来は家庭ですることと思っていませんか?日本人の食生活の現状は、大変なことになっています。読売新聞に掲載された記事「食・ショック」を思い出しました。
 カップラーメンとレンジでチンするご飯の夕食。煮炊きしない家庭、好物をバラバラに食べる家庭など、家庭の変化が食生活を変えています。「和食の柱、『米と汁』の存在感が薄れ、おかずばかり目立つ」 これが現代の食卓の問題です。
 「一汁三菜」:ご飯とみそ汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の食は、高度成長を経て急速に崩れていきました。銘々皿が大皿盛りになり、学校給食の影響でパンに焼き魚と牛乳が並ぶ。清涼飲料水のペットボトルが汁わんに取って代わった。栄養のバランスのとれた「和食」の伝統が消えつつあるのです。
 変わる文化と習慣:ホテルの朝食バイキング~中年の太った女性は、ダイエット中なのかトーストとコーヒーだけ。その隣のスレンダーな白人女性が、ごはんとみそ汁、焼き魚。箸を上手に使い、やきのりでご飯を丸めて食べている。日本はそういう国になりました。
 家庭でできなくなったことを学校で「食育」としてやらざるを得なくなりました。

2024年10月8日火曜日

花だより ちっぽけなプライド マツムシソウ 吾亦紅

 

子どものプライドって何?
 授業についていけない生徒に、学力がどのレベルまで達しているのか調べるため先生が小学校低学年の問題を解かせてみた。ところがこの生徒の親が学校に抗議に来た。
「低学年の問題を解かされて、子どものプライドは傷つけられた」という。
 この親が考えているプライドとは何と小さいものなのか。勉強に限ったことではありませんが、わからなくなったら立ち止まって考え、わかるところまで引き返してやり直すのが基本です。
 親は子どもに「わかるところまで引き返せたのだからよかったじゃない。わからないまま先に進んでしまったら、戻るのに苦労したわよ」といってあげてほしかった。
 引き返すのをこわがる小さなプライドなら、一度壊してしまった方がいい。この子の親は、プライドというよりむしろ「子どものメンツがつぶされた」ということに腹を立てている。そして、そんなことをさせた先生や学校に責任を押しつけているのです。
 人間誰でもプライドはある。子どもには子どものプライドがあります。しかし、そのプライドは、経験を積み重ねながら強くしっかりとしたものにしていかなければならない。ときにはこなごなに打ち壊されて、強くなっていくのがプライドです。学校や先生が悪いと責任を人に押しつけているだけでは、この先もちょっとしたことで傷つけられたと思いこんでしまうようなガラスのプライドになってしまう。そんなプライドは、強く生きていくためには何の役に立たない。