~五感を磨いて「六感しぐさ」~
江戸商人はわが子たちを、知識と同時に視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚の五感を鋭敏に研き澄まして育つように心がけていました。すべてのものごとを自分で感じ、自分で考え、自分の言葉で話す自立した人間を育てるように努力したのです。「観る」「聴く」「読む」「書く」「話す」ことを大事にしました。そして、機転が利かないと馬鹿にされました。
「打てば響く」~鐘や太鼓がたたけば即座に鳴るように人間も打てば響く、つまり気配りをして、即行動する機敏さが尊ばれました。言葉をキャッチボールするセンスもその一つでした。
自分で自分を守るために五感は敏感でなければなりません。何かことが起ころうとしたとき、起こったとき、この五感をフル回転させ、瞬間的に総合的判断して、ひらめく能力を第六感と言い、江戸の町はこの「ロクの利く」人たちの集合体だったのです。
江戸の町が美しいと言われたのは、建物、壁の色、町並み、松や柳などの植物の美しさ(ハード)とともに、そこに住んでいた江戸っ子たちが、空気の汚れ、樹木の生育、暑さ、寒さに敏感に反応して手当をした(ソフト)からなのです。その敏感さが商いには何より必須条件でした。商いでなくても、生きるための敏感さは自己の危機管理に能力を発揮するはずです。関東大震災の朝、胸騒ぎを感じ、東京から引っ越して助かった江戸っ子が何人もいたそうです。
文明の発達で便利重宝に慣れすぎ、動物としての本能や敏感さを年々失って鈍感になってきてしまった現代人。自然への畏敬も忘れ(畏敬の念が無くなると自然からの予告や警報を体感できなくなるそうです。)人への思いやりもだんだん失ってきてしまった私たちに自ら警報を鳴らしたいと思います。
三代住んで江戸っ子の資格ができるとされてきたのも、この第六感を磨いて磨いて磨き抜くには三代かかるということなのです。(NPO法人江戸しぐさ理事長 越川禮子)
時代が進むにつれて社会が成熟するとは限りません。文化水準は、江戸町民の方が高かったかもしれません。
哲学とか倫理、道徳など、人としての生き方について、現代人は、まじめに考えなくなったように思います。学問の中心は、哲学であったはずです。
「自然に囲まれた地方都市に住んでいるから、まだいい。」と思っている人がいたら大きな間違いです。むしろ刺激の少ない地方の人こそ、感覚は鈍いと言われています。
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