2024年10月12日土曜日

花だより 「修身」と「道徳」 ハマギク 松茸

 

「修身」(戦前の「道徳」の教科書)
~兄弟(姉妹)は、同じ父母の乳を飲み、同じ父母の腕に抱かれ、同じ父母の愛情を受けて、人とし て成長するものであるから、父母を除いては、兄弟ほど信頼し合えるものはない。また、人の命は限りがある。父母が世を去ってしまうことになれば、その後は、互いに慰め助け合うことになるから、兄弟の信頼関係ほど長いものはない。だから、 兄は弟を深く愛しなさい。弟は兄をあつく尊敬しなさい。いつまでも変わることなく兄弟は、互いに慈しみ、互いに助け合って、家が栄えるように努力しなさい。~
 明治29年文部省検定改訂小学「修身」の教科書に出合ったのは、若松小学校の祖父母参観日でした。おじいさんの母親が使っていたもので、土蔵に保管してあったものを「校長さん、見たことあるか?」と持ってきてくれたのです。博物館に展示するくらいの貴重な品です。
 「修身」は、現代社会には、そぐわない部分もありますが、戦前の日本人の道徳心、倫理観の原点です。
 「おれおれ詐欺」について、おじいさんたちは、「世の中には悪いことを考える人がいるもんだ!」辛い開拓当時を生き抜いてきた年寄りには、「困ったときは互いに助け合うもの」という考えがある。「感謝や思いやりの気持ちが大切」と教育されてきて人には、まず人を疑ってかかる気持ちはない。そんな人の優しさにつけ込んで悪さを働くのは、許されない。「そんなことする人は、学校でどんなことを学んだのだろうね。」と言いました。
 修身は、戦後、軍国主義的・国家主義的思想として、GHQより廃止されました。「修身とは、身を正しくおさめて、立派な行いをすること」という意味があります。修身を学んだ日本人と現在の日本人、どちらが道徳的な倫理観を持ち合わせているでしょうか?


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