2025年1月11日土曜日

花だより 姿より香りに生きる花もある ハコベ デコポン

 

 

 姿より、心こそ素敵な香りを放つ
 容姿の美しさや若さにこだわる、見た目を重視する人がいます。しかし、「三日見む間の桜かな」と詠まれるように「花の命は短いもの」です。容姿は加齢とともに否応なく衰えていきます。
 また、自分では「心は若い」と思っていても、年老いてくるとつい説教じみてきて、動くより屁理屈、「最近の若いもんは」と放言したり、「私の若いころは」と自慢話をしてしまうことが増えてきます。ところが周囲に示すことができるのは、容姿や若さなどではなく、その心と言動だけです。
 「山椒は小粒でぴりりと辛い」「一寸の虫にも五分の魂」「美しいバラにはとげがある」など、見た目にとらわれてはいけないという格言はたくさんあります。また、仏教には「体は花のように萎れて散っていくが、心はたなびく香りのようにいつまでも残る」という例えがあります。姿より香りに生きる花もあるのです。
                        和尚さんの言葉より

2025年1月10日金曜日

花だより 「活動あって学びなし」(生活科の課題) オトメコザクラ

 

 「活動あって学びなし」
  元札幌市生活科・総合的な学習教育連盟委員長 森田 智也
 教育情報誌に懐かしい名前がありました。生活科研の若手の有望株と思っていた先生が、もう退職していました。改めて自分の年齢を悟りました。
~生活科聡明期の担い手から  
 「活動あって学びなし」 生活科でずっと課題となっているワードです。なぜそうなるのか2つの面が考えられます。
一つ目は「こんな力をつけることを目標に、この活動をするのだ。」という想定が甘かったり、さらには想定していなかったりすることが起きるためです。つまり、目標設定が不十分だったということです。
 二つ目は、受け継がれてきた「形」をそのまま続けているためです。受け継がれてきた活動例がありますが、その活動の形だけを追い求めてしまい、何のために活動しているのか、分からなくなるような、魂(本来の生活のねらい)が抜けた授業になっていることが考えられます。
 そして、「活動あって学びなし」に陥っていると感じるのは「表現」です。限られた時間の中で、活動を振り返り、全ての子どもたちと対話して確認することはできません。そのために活動の後に「書かせる」ことです。しかし、書けない子には難しいものです。そこで先生は、「たのしかったことは?」「どこが?」「なぜ?」「どんなふうに?」と深堀するような各材料・起点が見つかるような支援をすることです。そして、それを紹介することです。交流の場を持てば、「こんなことを書けばいいんだ。」と書き方を知る場となります。

 幼児教育では「遊びは学びである」といいます。生活科との違いは「10の姿」という目指す姿はあっても、到達目標ではなく、故に評価がないことです。生活科の課題のような「遊びあって学びなし」という発想は無いようです。それが小学校に結び付いていない原因ではないかと思います。

2025年1月9日木曜日

花だより 欠けた部分を補い合う トキワコザクラ

 


 ギザギザな歯車だから、かみ合って力が出る
 人はどこからしら欠点があります。しかし、自分の欠点を卑下することはありません。
 能の「高砂」の松の精に登場する翁(おきな)と媼(おうな)の老夫婦の人形を結婚のお祝いに贈る習慣があります。「ともに白髪の生えるまで」との思いが込められているだけでなく、翁の持つ熊手は福をかき集め、媼が手にする箒は邪気を払う意味があります。
 旦那が熊手ではき残したものを奥さんが箒で掃いていく、夫婦とはそういうものなのです。大きいものを掃くための熊手は、細かいものは取り切れない、いわば欠点ですがそこを箒が補ってくれるのです。
 欠点は「欠けた部分」という意味で歯車と似ています。歯車は凹んだ部分と出ている部分に、別の歯車がかみ合って回るのです。人と人の関係もこの歯車のようなものです。欠点を補い合える相手を見つければ、物事歯車のごとくうまく動き始めます。
                             和尚さんの言葉から
 こんな話を結婚式のスピーチでするとよいのでしょうが、若者には理解できないかもしれません。

2025年1月8日水曜日

花だより ネットをむさぼり歩く、止まらぬ欲 カンツバキ

 

 まだ食べる、まだ欲しがる、おまけにネットをむさぼり歩く、止まらぬ欲 
 スマホ片手に「食べ放題」「飲み放題」で話題の店を探しては出向き、支払代金の倍ほども飲み食いするのが当然とばかりに胃袋に詰め込む人がいます。はち切れそうなお腹で「得をした」つもりになっている。ガツガツと食う姿はまるで飢えた虎、ガブガブ飲む様子はウワバミ(大蛇)のようです。そのくせ食べ過ぎた。太ったなどと嘆くのだから開いた口がふさがりません。
 「『飲食(おんじき)』とは、飢えをしのぎ体力を保持するための薬を服するがごとく取りなさい。」と釈迦様はおっしゃっています。それを知らず、ひたすら食べ物や飲み物をむさぼり、さらにインターネットでもっといい店、もっと安く飲み食いできる店はないかと情報までむさぼり歩く姿は、もはや亡者です。どれだけむさぼっても心は、満たされないのだから、次々にわいてくる‘’欲‘’を野放しにせず、愚かな執着は捨てることです。‘’欲‘’を減らし今の状態に満足し「足ると知る」ことを学ぶ、これこそが心豊かに暮らす知恵なのです。
       「どれだけむさぼっても心は豊かにならない」  和尚さんの言葉より
1貧困をなくす 2飢餓をゼロに 3すべての人に健康と福祉を…、私たちみんなが、一つしかない地球で暮らし続けるために持続可能な社会を目指すSDGsをお忘れなく!

2025年1月7日火曜日

花だより 今年のお正月 胡蝶蘭

 

    

 ~今年のお正月~
 休みに入ってすぐに体調を崩し床についていました。回復したと思ったら、今度は腰痛で、どこへも出かけず、家の中でテレビを見たり、積んであった本や教育雑誌を読んで過ごしました。これから「和尚さんの言葉」が多いのは、「和尚さんの1分で心が整う言葉」という本を読んだからです。
  巳年は「再生と復活、新しいことに挑戦する年」といわれていますが、この歳になると、無理をせずにおとなしくしているのが一番と思っていました。ところが、お正月恒例のテレビ番組「大間のマグロ漁師」を見ていて、「60歳後半から体力の衰えを感じるようになった。あと何年漁に出られるか?」とベテラン漁師がつぶやいていました。「そうだよなあ~、分かるわあ~」と思いました。まてよ?自分はこの漁師さんのように長年身体を酷使してきたわけではない。75歳の漁師さんは「死ぬまで、まぐろの一本釣りを続ける」と言いました。ヌルヌルの生活を送っていることを反省して、下半身強化のため、休み最後の日、10階から下まで階段で降りて、階段で上ることにしましたが、5階で挫折しました。
 1月4日、ジョブチューンの一流シェフが査定する番組で、☆新春SP「餃子の王将」ジャッジ&ローソンスイーツ№1決定戦を見ました。餃子の王将は、どのメニューも千円以下ですが、一流のプロが驚くくらいクオリティーの高さがあります。北見はイオンの中に入っていますが、いつも30分以上待ちは当たり前です。お節料理にも飽きてきて行きたくなりましたが、テレビ放送直後はさらに混雑しているだろうと思い、行くのは止めにしました。そこでローソンスイーツを買いに近くのコンビニに向かいました。
 再生と復活には程遠いお正月でした。


 

2025年1月6日月曜日

花だより 正論だけでは心に響かない カンアオイ 市田柿

 

 

  100%正しいことを言っても、聞いてくれるとは限らない
 安定志向で真面目な人は、100%正しいことを言うのが好きです。先生も同じです。
「今宿題をやらないと、後が大変です。」「朝起きられなくなるから、早く寝なさい。」「お酒を飲みすぎると、身体を壊すよ。」「お菓子ばかり食べていたら、身体に悪いよ」などは、確かに疑う余地のない100%正しい事実です。
 そういう人は言行一致で、やるべきことをはしっかりやっているので、言われた方は反論できません。先生に反論する子どももいません。
 しかし、一つ残念なことは、「宿題をしたくない」「まだ寝たくない」「もっとお酒を飲みたい」「お菓子を食べたい」という相手(子ども)の心情を分かろうとしない点です。こうした気持ちを理解せず頭ごなしに正論をぶつけて、さらに「あなたのために言っているのに」と追い打ちをかければ、言われた方は一方的に価値観を押し付けられたと感じて、心を閉ざしてしまいます。子どもも一緒です。
 「宿題以外にやりたいことがあるんだね」「まだ起きていたいよね」「まだ飲みたい(食べたい)気持ちわかるよ」と、共感を示す簡単な言葉を最初に伝えることが大事です。そうすれば相手は心を閉ざさずにあなた(先生)の言葉に耳を傾けれてくれるはずです。
                                                             和尚さんの言葉から引用

2025年1月5日日曜日

花だより 迷惑かどうかは生き方の問題 カトレア アオキ

 



 迷惑をかけなければ何をしてもいいなんて、そんなの嘘だ!
 「授業中は、帽子を取りなさい。」と先生に言われた学生が「自分のおしゃれは、誰にも迷惑をかけていません。」と反論した。
 「人に迷惑をかけるようなことはしてはいけません。」と言われ続けてきて育った結果、勝手に拡大解釈して、「迷惑をかけなければ何をしていい」と考える人が増えてきました。
 しかし、迷惑かどうか判断するのは、相手であって自分ではありません。帽子をかぶったまま授業を受けるのは、先生にとっては「マナー違反」という迷惑を被っているのです。「誰にも迷惑をかけていない」とはいえません。「それなら、どんなことだって迷惑になり得るのだから、何にもできない。」と反論したくなるでしょう。しかし、大切なのは、「迷惑かもしれない」と思うことなのです。「迷惑をかけていない」と開き直るような生き方自体が、他の人には「迷惑」になることを知っておくべきです。 和尚さんの言葉から
 確かに最近、若者だけでなく「誰にも迷惑をかけていない」と開き直る人が増えました。
 髪を染め、奇抜な服装で登校してきた子を注意したら、「髪を染めたらダメという校則がありますか?誰に迷惑をかけたというのですか?」と言ってきた親がいました。「中学生になったら制服だし、校則もあるし、先輩の目もあるから、やるなら今でしょ!」と思っているらしいのです。

2025年1月4日土曜日

花だより これからの日本の教師の役割「伴走者」  スノードロップ みかん

 

 
 日本の先生は本当によくやっていると思います。
 学校のことだけではなく、家庭や社会の分までやっています。子どもたちとじっくり接したいと思っているのです。しかし、残念ながら、そのような環境や余裕はありません。それでも先生が努力しているのは、子どもが大好きだからです。学校の未来だけでなく、日本の未来を期待しているからです。今の教育は、そうした献身的な先生ありきで成り立っています。しかし、これが持続可能かは厳しい状況にあります。働く環境を改善していかないと先生になりたいと思う人がいなくなる可能性があります。
 今の日本社会は、外国の人がさまざまな職種で働いています。教育の分野も例外ではなくなるかもしれません。さまざまな国の人が日本で先生になる可能性があります。そうなったとき、子どもたちとのコミュニケーションの時間をもっと増やす必要があります。子どもたちもまたグローバルな社会で生きていかなければなりません。
 これからの先生の役割は、方向性を指し示すのではなく、子どもと向き合い、ヒントを指し示しつつ、自由な発言を引き出すことです。そうしないと先生がいないと何もできなくなってしまいます。「教師は伴走者」だといいます。今の教育改革は、このような方向で進められています。
 日本の先生は、業務多忙で大変な思いをしています。働き改革が進められていますが、残念ながら簡単に解決することはできません。問題を一人で抱え込まず、悩みを他の人とも共有して助け合いながら克服していくことが大事です。ところが、これが先生方は苦手なのです。先生が孤独感を持たないように学校や社会全体で支えていくことが大切になってきます。そうしないとこれからのグローバルな社会を生き抜いていくことはできないでしょう。

2025年1月2日木曜日

花だより 今年の元日は「鎮魂の日」 みかん オモト

 


 新しい年を迎え、去年のあれこれを引きずる人も12枚のカレンダーが丸ごと替わる正月は、前へ向き直しどきです。
 能登半島地震から1年になります。1月2日は、能登へ救援物資を運ぶ海上自衛隊の飛行機と旅客機が接触する事故が起きました。加えて能登では夏に洪水があり、二重苦に会いました。家族を亡くした人の悲しみの深さは伺い知れません。家屋を失い、仮設住宅で年を越さざるをえなかった人の心細さはいかばかりか、災害関連死が増加の一途をたどっています。住民が抱える重さを少しでも取り除いていきたいと思っても、能登の復興に駆けつけることはできませんが、元日はおめでたい日ですが、1年経っても忘れない、せめて能登の皆さんへ思いをはせる鎮魂の日にしたい。
 巳年は、蛇のごとく脱皮して、新しく生まれ変わる再生の年にしたいものです。


2025年1月1日水曜日

花だより 2025年 元旦 年賀

 

  今年の元日は雪になりました。「一年の始まりの日からお金を使うものではない」と祖母が言っていました。おとなしく家でテレビを見て過ごします。
 皆さんにとって、2025年:巳年が、復活と再生の新しいことが始まる良い年であることを願っています。
 今年も、退職校長(じいさん)のブログをよろしくお願います。