2025年4月16日水曜日

花だより 保護者とうまくやっていくために オオバナノエンレイソウ



 保護者とうまくやっていくために       
 「モンスターペアレント」という言葉が登場して、もう20年になりました。子どもと教師と保護者は、本来「三本の矢」でした。ところが時代の変化で、矢じりの先が学校に向かうようになってきました。
 世の中の二極化が進み、ゆとりのある家庭とそうでない家庭に分かれてきました。保護者会に来る家庭と来ない家庭がはっきりとしています。
 問題は保護者会に来ない家庭です。「何だ!あの家庭は?」と「批判」する前にまず、「保護者も大変なんだ」と思える優しさが教師には必要です。
 保護者会に欠席した家庭には、資料を渡すだけでなく、電話を入れることです。
「今日、お子さんに保護者会の資料をお渡ししましたので、もしわからないことがありましたら、遠慮なくいつでも連絡ください。」と伝えることです。人は最終的には「情」で動くものです。(「理で説き、法で押さえ、情で動かす」)こうした配慮なくして批判はできません。
 また、保護者の中には、深い悩みの一つや二つ抱えている方がいます。ですから、面談では、保護者自身の「困っていること」にも耳を傾けることが必要です。そして、悩みを共有した後は、保護者を「ほめる」ことで終わることです。子どもより大人の方が、ほめられることに対していい意味で「不慣れ」なので、効果は「てきめん」です。
 とどめは、保護者を「お母さん(お父さん)」と呼ばないことです。苗字で呼ぶためには、「注意力」がないとできません。大変ですが、小学校は6年間、中学校は3年間あるので、顔を一度覚えてしまうと人間関係の大きな財産となります。つい「お母さん」と言ってしまいがちですが、保護者は、教師のお母さんやお父さんではありません。その誤解が誤解を呼ぶことになります。「お母さん」と呼ぶのは、学校現場くらいです。お母さんと呼ぶことをまず止めることです。 

2025年4月15日火曜日

花だより 親は子どもと共に成長する シャガ クロッカス

 



 親は子どもと共に成長する 
  “子どもが生まれて親になるのではなく、子どもの成長に合わせて親としても成長する。”と言われています。子どもが小学校に入学するということは、親も小学校のPTとなり、親としての勉強が始まるということです。
 こども園に通っていた時は毎日のように園の先生と会って話をすることができました。小学校に入ると、その機会はずっと減ってしまいます。参観日、学級懇談、運動会や学芸会などの学校行事などで学校に来ることがあります。保護者さん同士の交流、先生との交流、ときには校長室にも寄ると良いでしょう。これまで以上にコミュニケーションを図ることが大事です。それが親としての勉強であり、成長することにつながります。 
 子どもは日々成長します。それまで素直に聞いていたのに、急に反抗したりします。これはどの子も通る道です。対処法は子育ての先輩や教育のプロである先生(保育教諭)に聞くのが一番です。

2025年4月14日月曜日

花だより 熊と蕗の薹 クロッカス

 


 ふきのとう 雪解けを待たずに顔を出す春の使者。一番早くでてくる山菜です。独特の香りとほろ苦さが春の息吹を感じさせます。「春の皿には苦味盛れ」と言います。 
 冬眠から目覚めた熊は最初に蕗の薹を食べるそうです。 体にたまった毒素を出す働きがあるのを熊はちゃんと知っているのです。
 若松の古老が、沢で採った蕗の薹を自転車に積んでやってきて、「校長さん、天ぷらにして食べたらうまいぞ!クマが食うくらいだからな!」と、冬の間にたまった脂肪を流し、味覚を刺激して気分を引き締めて一年の活動をスタートさせると良いと聞き、言われた通りに天ぷらにして食べました。(苦みが強く私は苦手です)
 最近の熊は蕗の薹を食べずに、街中にやってきて美味しいものを物色するような美食家になりました。困ったものです。




2025年4月13日日曜日

花だより 子どもの居場所 オキナグサ フキノトウ

 

 

 世の中の多忙さが、学校への依存度を増し、それが教師を多忙にしている。教師の多忙さは、子どもから居場所を奪っている。多忙な教師に気に入られるために、よい子でいなければ学校に居にくくなる。一部のお気に入りの子ども以外は、居ても居なくてもよい存在になりかねない。教師はもちろんそのことに気づいていて、すべての子どもたちにしっかりと向き合おうとする。そうするとますます多忙となる。教師のメンタルヘルスの悪化は、このようないたちごっこの循環を産んでいる。
 このような厳しい環境で、教師は授業をしている。しっかりとした授業では、子どもは目を輝かせ、できないことができるようになった実感を持ち、もっとやろうと食らいつく、そんな授業を教師はしたいと思っている。そうした授業こそが最高の「居場所」なのだ。
 ほとんどの教師や子どもたちは、そのことを知っている。ところが、それがなかなかできない。休み時間や放課後などの授業時間以外での子ども同士のかかわり合いが授業への取り組みに影響するからだ。
 授業時間以外の場への目配りは、多忙な教師ほど余裕がない。休み時間に子どもと雑談する時間の確保は、多忙な教師には難しい。
 学校や家庭の大人の忙しさは、子どもをさびしい気持ちにさせ、心の居場所を奪っている。朝早く出かけ夜遅く帰宅する父親、せわしなく動き話を聞いてくれない母親、両親の多忙さが子どもの自尊心低下につながっている。
 しかし、多忙さは今始まったことではない。父母が仕事や家事から解放され、子育てに十分時間を割くことは、これまでもなかった。そのかわりに、祖父母や親戚、多数のきょうだい、近所の同世代の子どもたちが、幼子の面倒を見、子どもの育ちを見守り、切磋琢磨して成長するコミュニティ(居場所)がかつてはあった。このような場が、現代社会では学校や幼児施設が担わなければならなくなった。

2025年4月12日土曜日

花だより 不平不満が顔に出る 山桜 ミヤコワスレ

 

 「不平不満が顔つきに出る」
目先の人事で一喜一憂することなく、素直に前向きに仕事していれば、到るところ青山あり
 本意・不本意な人事はサラリーマンである以上は不可避です。そして、親と上司は選ぶことができないのです。与えられた場所・仕事・職責を自分なりに気持ちを整理して立ち向かうことが求められます。
 どんな異動でも人事でも「なぜ私が…?」「なんであの人が…?」と思った瞬間、不平・不満が顔つきに出てくるものです。そして、それが何度も積み重ねられ、その人の顔そのものになっていくのです。
「置かれた場所で咲きなさい」ノートルダム清心大学の名誉学長を務めた渡辺和子シスターが、学生たちに伝えた言葉です。
 周りの環境を言い訳せず、努力を続けなさい。人生は、見方一つ、考え方一つで幸せにも不幸にもなるから、そこで最善を尽くし、文句を言わず、その場で花を咲かせなさい。
 親や子どもは、担任を選ぶことはできません。

2025年4月11日金曜日

花だより 40年前の学校経営方針 福寿草と蕗の薹

 



 40年前の学校経営方針から
【めざす学校像】
◇子どもが生き生きとしている学校
 日々の授業やさまざまな活動の中で、子ども一人一人が充実した喜びや楽しさを感得し、伸びていく意欲に燃えた満足感の持てる学校にしたい。
◇開かれている学校
 子ども一人一人の成長に責任を持つ教師として、自らの実践力を高めるために、謙虚に誰からでも学び、誰にでも開ける豊かな実践をする学校にしたい。
◇視野が広く見通しのしっかりしている学校
 広い視野に立って教育思潮を考え、自らの実践が子どもの将来にどのような影響を与えるかという、巨視的なものの見方、考え方のできる学校にしたい。
◇さわやかな挨拶が交わされる学校
 挨拶は、人と人をつなぐかけ橋であり、人間尊重の基本的態度である。子どもと子ども、子どもと教師、教師と教師が、朝夕の出会いや別れに、親しみを込めて、さわやかな挨拶を交わされている学校にしたい。
◇保護者の期待と信頼に支えられている学校
 教育は人間関係の信頼で成り立つものである。子ども・父母・教師が互いに尊重し合い、子どもの成長を軸に学校・家庭・地域との連携を深め、父母の期待に応え、父母の信頼と愛情に支えられている学校にしたい。
【学校像が求める教師像】
◎健康に気を配る教師 
 「健全な身体に、健全な精神が宿る」といわれる。教育は体力のいる仕事である。体力は気力(やる気)の根源である。常に自らの体力づくりに心がけ、健康管理に努めよう。(いつまでも若いと思って無理をしてはいけない。休むことも大切である。)

 今は、グランドデザインといって1ページの中に教育理念や役割、育成したい生徒像がきれいにレイアウトされていて、一見わかりやすいように見える。今はそうしたことが求められているが、40年前の校長が自分の言葉で、自分の思いをつづっている学校経営案は、とても新鮮に感じる。

2025年4月10日木曜日

花だより 人は死して 財を残し、恩を残し、教えを残す レンゲソウ 福寿草

 


・・・人は死して 財を残し、恩を残し、教えを残す・・・
   ~施して 報いを 願わず 受けて 恩を 忘れず
 新卒の時、大変お世話になった校長先生の葬儀がありました。お通夜には、当時の職員が参列しました。現職なのは私だけになってしまいました。
 “温厚誠実”の言葉通りの校長先生でした。当時は、組合活動が激しく主任制で現場は大揺れの時で、校長として難しい学校運営でしたが、そのお人柄と奥様も素晴らしい人で、職員に大変慕われていました。
 お寺さんのお説教の中で、“人は死して、3つのものを残す。財を残し、恩を残し、教えを残す”というお話がありました。特に、校長先生は、教育者として「恩」と「教え」を残しました。「恩」とは、人から受ける感謝すべき行為、「恵み、情け、慈しみ」であり、「教え」とは、人を諭し、導くことです。最近、歳をとったせいかお寺さんのお説教が身に染みるようになりました。
 隣に座った当時の先輩から、「牧野さん、いいお手本を失ったな!」と言われ、胸に熱いものを感じました。
                 福寿草 花言葉「幸せを招く」「永久の幸福」

 

2025年4月9日水曜日

花だより 四つの「しん」(新・心・真・信) オキナクサ フクジュソウ

 



 四つの「しん」(新・心・真・信) 
  新年度を迎えました。今年の経営方針です。
1 新~校長が新しくなりました。新しい学校経営が始まります。
2 心~心情(心持ち、愛情、思いやり)
「さしすせそ運動」の展開
【子どもの心構え】 
 さわやか しゅうちゅう すすんで せいいっぱい そんちょう
【教師の心構え】  
 さわやか しんらい すすんで せいじつ そんちょう
*わかりやすい言葉で、意識的・全校的・日常的に全員で取り組む。  
3 真~真剣(まじめに本気で取り組む)
 保護者の信頼に応えるため、真剣に学級経営や研修に取り組む。
 開かれた学校~学校・家庭・地域が相互の信頼関係と役割を果たす学校 
4 信~信頼(保護者に信じて頼られる教師)
 学校教育は、家庭・地域・学校の信頼関係と協力によって成り立つもの

クロッカスが芽を出しました。



2025年4月8日火曜日

花だより 入学式・入園式ウォッチング ニリンソウ

 




 4月に入っての雪は足下を悪くしてしまいました。入学式、着物にしようか?洋服にしようか?迷ったお母さんもいたと聞いています。新入生も晴れの舞台です。「卒園式に着た服とは違う服を着る」と楽しみにしていた女子がいました。
 4月4日、こども園の入園式は3歳児が対象です。小学校より一足早く始まります。最近は両親そろって参加するようになりました。シャッターチャンスを逃すまいと写真とビデオと役割を決め、真剣にわが子を見つめる姿が印象的でした。
 新5歳児さんが「失礼します」「失礼しました」とても礼儀正しく職員室に来て、驚きました。縦割り保育で優しくお世話する5歳児の姿があり、年長さんになると違うなあと思いました。
 小学校でも入学式がありました。4月7日、色とりどりのランドセルを背負ったピカピカの1年生がやってきました。せっかくのカラフルなランドセルも明日からはみんな黄色のランドセルになります。「担任の先生は誰だろう?わくわくして来たよ!新しい先生って、どんな感じ?」入学したことでしょう。教室の黒板に書かれた、担任からのメッセージを食い入るように見る親子の姿に、教員の責任を感じなければなりません。
 入学式後、ランドセルのスポンサー、おじいちゃん、おばあちゃんに報告に行ったようです。

2025年4月7日月曜日

花だより 権限委譲で自立を促す オドリコソウ 蕗の薹

 


 自分で考え、自分で行動できる人に育ってほしい ~自立を支援する~
 年度末反省会議で、「生きる力」と言うけれど、指示待ち、言われないとやらない、自主性が育っていない、などの反省が多くありました。
 そういう教員はどうでしょう? 「校長(教頭)先生、これはどうしますか?」と聞くことが多くありませんか?教員に自主性がないのに、どうして子どもに自主性が育つでしょうか?「こうしたいと思うのですが、どうでしょう?」にしませんか?
 権限委譲~職員(ミドルリーダー)に業務上の権限を一部または全部委ね、職員が自律的に行動できるような環境を整えることで、学校運営を活性化する
 少子高齢化が進み、子どもと年寄りが威張っていると言われています。子どもの進む先の障害物を先回りしてどけたり(過保護)、一歩一歩にあれこれ指示をしたり(過干渉)していることが原因かもしれません。子どもが好きな物を見つけるまで待ち、できるだけ子どもの力を信頼し、それを見守り、力づけることが大切です。あれこれしないで見守ることは、モノを買ってやったり、何かをしてやったりするより、ずっと難しく愛情がいることです。
 また、親は自分が子どものために考えたことは正しいと思いがちですが、必ずしもそうとは限りません。自分の思いや考えを押しつけるのではなく、「あなたはどう思う?」とまず子どもの言い分をじっくり聞き、子どもの気持ちをしっかり受け止めてから、「自分はこう思うけれど」と、一緒に考え一緒に学んでいく姿勢が大切です。子どもが自分で考え、勇気をもって行動し、達成感を味わう、または失敗から学び強くなるチャンスなどを子どもから奪わないように気をつけましょう。 ~過保護や過干渉はやめる~

       


2025年4月5日土曜日

花だより 新たな気持ちでがんばる!(ストレスコントロール) ネコヤナギ 桃の花

 



《ストレスコントロール》   
 ストレスコントロールとは、お酒を飲んだりしてストレスから逃げることではありません。人生をより充実させて生きていくために、ストレスを自分が成長するための糧として主体的に取り入れていく姿勢が大切です。ストレスと上手に向き合い、ストレスへの耐性を強化しながら、さらに上のレベルを目指していくことがストレスコントロールです。苦労を乗り越えた収穫ほど、人間的に成長させ、深みを増していきます。ストレス発散で他人に迷惑をかけてはいけない。ストレスのない快適な環境をつくる努力をするより、ストレスに耐える心を育てることが大切です。
 ストレスへの耐性強化法
1 日光を浴びる
2 体を動かす 
3 映画、ドラマ鑑賞、読書など
4 趣味や創作・作業に没頭する
5 湯船にゆっくりつかる
6 休息と睡眠
7 好きなものを食べる
8 仲のいい人と時間を過ごす
9 掃除をするなど環境を変える
10 紙に書きだし客観的に振り返る
11 紙をびりびりに破る
12 大声を出す
13 ぼーっとする
 ぼーっとすることは、よくないことのように思いますが、脳にとっては大切な時間になります。心が落ち着き、集中力がアップしてストレス解消になります。
 子どもは遊びの中で、1、2、4,6,7,8,11,12,13をしています。それにプラスして、甘える、親や先生に抱っこしてもらうのでストレスを感じないと思います。
 ストレスを解消して、4月からまた新たな気分で頑張りましょう!
 

2025年4月4日金曜日

花だより なぜ、校長は校内巡視をするか? ヒトリシズカ  フクジュソウ

 




 なぜ、校長は校内巡視をするか? 新校長先生へ
  田んぼの肥やしは人の足音  教員の肥やしは校長の足音
  毎日、毎日、丹念に田んぼを見回り、しっかり管理すること
 
 教育とは適材適所たらしむること
 一人一人の能力を引き出し、それを十分に発揮することのできる分野、あるいは仕事に打ち込めるようにすること。その方法として適時適授、すなわち、経過する時に応じてタイミングを失うことなく、師弟の間には、互いに授け、授けられるとう関係が成り立たなければならない。
 ビジョンと必要な人材が見えてくると実は気がつかなかった自校の教職員の別な一面、新しい一面が見えてくる。どこの学校にも、いろいろな個性を持った教職員はいるが、それを校長がよく把握し、それぞれの能力に応じて適時適授を忘れることなく、適材適所たらしむることこそ円滑な学校運営につながる。( 井出源四郎氏)

2025年4月3日木曜日

花だより 「子育てに休みはないが癒しあり」 キジムシロ

 


   ~ 自分を大切にできな親は、子どもを大切にすることもできない~
 「子育てに休みはないが癒しあり」
 子育ては大変です。一日中、わき目もふらずに集中していては疲れてしまいます。親のイライラは、子どもにも伝わっていくものです。特に働きながら子育てをしているお母さんは大変です。生後6か月から、こども園に預ける家庭が多くなりました。3~4年前の0歳児の就園率は3~割でしたが、今は8割超になりました。
 しかし、大事な子育てだからこそ、自分の時間をつくり、心を健康に保つことが大切です。夫婦で助け合ったり、子育てでサポートや子育てネットワークといった育児を手伝う仲間や仕組みを活用したりして、リフレッシュする時間をつくりことが大切です。
 親が幸せで笑顔でいる家庭でこそ、子どもも幸せを感じられます。
「イライラを感じる」 仕事をしている母親=18% 専業主婦=32% 意外な結果です。
      ・・・親の笑顔が子どもの笑顔をつくる・・・ 家庭教育手帳より






2025年4月2日水曜日

花だより 入学準備 イカリソウ

 
 「小鳥遊」と書いて「鷹無し(タカナシ)」と読む
 我が家のバードテーブルには、朝、雀がチュンチュン鳴いてエサをついばんています。
 新学期が始まると、子どもたちが交通事故や不審者等に合わないように学校でも指導しますが、今は、地域の方のたくさんの目で子どもたちを見守ってもらっています。「子育ては社会で担う」子どもの数が少なり、町全体で子どもの安全を見守るようになりました。
 日曜の朝、お父さんとランドセルを背負った子が手をつないで歩いていました。入学準備の登下校通路の確認をしているのです。
 春が誕生する光景、生命の息吹が感じる季節を迎えましたが、校庭には、まだ雪が残っています。用務員さんが日陰の雪を除雪車で陽の当たるところに出す作業を連日してくれました。新1年生は、入学後の1週間は2時間授業です。子どもへの負担が理由ではありません。担任が1日持たないからです。それでも新学期はいいものです。忙しい中にも、みんなハツラツとしています。やる気、元気がみなぎっています。

2025年4月1日火曜日

花だより 新年度スタート エイザンスミレ

 

♪ 桜のしおり 
 “喜びも悲しみも 過ぎ去った季節 新しい道 歩き始める 大切なこのときを いつまでもわすれぬように” “あきらめてしまうより このページ 開いてみよう” 
 新しいページがめくられました。また忙しい日々が始まります。
「以和為貴」(和を以て貴しとなす)聖徳太子の十七条憲法第一条
“和”の気持ち どんなときも一人じゃない みんなでやれば大きな力に職員の力を信じて、 協働体制(権限移譲)で学校は変わる。
《不満を正当化するなかれ》
 3月は不満、愚痴をこぼす毎日だった?4月からは、不満を成長の糧とする。
「満足は成長を留め、不満は成長の糧となる。」とあります。いたずらに不満を否定するつもりはありません。問題は不満を正当化し物事を諦めてしまうことです。
 例えば、勉強できないことを棚に上げ親のせいと正当化し努力を怠ることです。これでは全く成長の糧とはなりません。
 今は、政治とりわけ教育など朝令暮改の様相で不満も多いことでしょう。学校にあっても「学校経営がうまくいかないのは、いい教員がいないからだ。」と正当化して逃げるわけにはいかないのです。要は、現実をいかに受け入れ不満を止揚して成長への糧にできるかです。

2025年3月31日月曜日

花だより 祝:主幹教諭昇進 福寿草 ハルジオン

 


  
 新聞に教職員の異動が載った。年々、知っている先生が少なくなったし、字が小さく最近は、あまり真剣に見なくなった。ところが妻が「○○先生、主幹教諭になってる!」と南小時代に期限付きだった先生の名前を見つけた。
 なかなか採用試験に合格できないでいたが、その指導力を買って6年生担任に抜擢した先生だった。採用試験の合格発表のあった翌日、欠席の連絡が入った。電話をすると「すみません、子どもたちに『夢や目標に向かってがんばりなさい』と語りかけている自分がこんなあり様で、子どもたちの前に立つ資格などありません」涙声だった。
 毎日遅くまで教材準備や教材研究をする真面目で責任感の強い人だったので、受験勉強が十分にできなかった。そこで必勝合格のために教員採用アカデミーに入り勉強するため期限付きを辞め、翌年、晴れて教員になった。この人は、絶対にいい先生になると思っていた。あれからもう20年以上になる。
 すぐに電話をし昇進を祝った。「次は教頭を目指し、学校経営をやってみたい」と自信に満ち溢れていた。絶対いい管理職になると確信した。
 今の教員採用は、受ければ受かる時代になった。こんな先生が出てくるか心配だ。
 
 

2025年3月30日日曜日

花だより 別れの3月 送別会 ヒヤシンス 

 


 別れの3月 連日の送別会 花束を手にした教員が夜の街を歩く姿がありました。
 「よっぽどの縁があってのあなたと私」
 自分に与えられている縁は「たまたま」とか偶然ではなく、目に見えないすべてのモノがお整えの上に成り立っているのです。
 目の前にあるモノすべてがよっぽどの縁を感じられたとき、本当の幸せを戴けると私は信じます。
                                       大本山薬師寺執事長 大谷徹奬
 「会うは別れの始まり」
 教員にとって異動がつきものです。偶然ではない縁を大切にしたいものです。
  母校とは 必ずしも卒業した学校にあらず
      心交わした学校こそ 本当の母校である。
  生まれたところ 必ずしも 故郷にあらず
      心通じたところこそ 本当の故郷である
 教頭で最初に赴任した学校の校長室にあった言葉です。セピア色の色紙に雅号が「紅林」とありました。だれの言葉で、だれの書かわかりませんが、異動が宿命の教員に贈った言葉だろうと思います。
 新天地での活躍を期待すると共に、また、異動するとき、こう思ってくれたらなあ~。と願いを込めて、送別の言葉(挨拶)として毎回使っています。



 

2025年3月29日土曜日

花だより これが小学校の先生の一日 ムスカリ

 



小学校の先生の一日 

7:20≪出 勤≫ 
 職員室で荷物を整理して、すぐに教室へ行く。窓を開けて空気の入れ替えをする。授業で使うプリントを確認する。
7:40~ 早い子は登校してくる。あいさつを交わしつつ、前日にやり残した仕事を片付ける。
7:55~  不登校気味だった子どもと保護者が登校。保護者としばし話す。
8:15~8:30 ≪職員打ち合わせ(職朝)≫ 
 パソコンを開きメールチェック、行事、指導の確認*朝自習や読書の準備、連絡帳の確認
8:30~ 朝の会 出欠や日直の進行を見守りつつ、宿題のチェック
8:40~12:10 ≪午前中4コマの授業≫ 
 支援を要する子が情緒不安定になり、教室から飛び出す。支援員と対応を協議
 休み時間もなかなかトイレにも行けない。
 休み時間は、数の少ないICT機器など教材・教具の準備に費やす。
12:10~12:50≪給 食≫ 
 配膳係りがちゃんとできているか、やけどや嫌がらせはないかなど、目が離せない。アレルギーの子どものために献立をチェックする。自分の給食は、ゆっくり食べることはない、10分以内で済ませ、提出物に目を通す。「よくできました」のハンコを押すだけだと「先生、これだけですか?」と言われたので、一人ひとり丁寧にコメントを書く。
12:50~13:10≪掃 除≫ 
 担当場所を巡回して、まじめにやらない子も多いので目配りは欠かせない。
13:10~13:30(児童の昼休み) 
 ここでやっと一息つけそうだが、子どもから体育館で遊ぼうと誘われる。一緒に遊ぶのも担任の大事なところ
 職員室に戻り、配布物や連絡事項の確認する。5理科や習字の授業は、準備に時間がかかるから5時間目にすることが多い。
13:30~15:10≪授業(2コマ)≫
 低学年は、午後の授業は集中力が欠けるので、ここが教師の腕の見せどころである。
15:10~≪帰りの会≫ 通信など配布物を配り、連絡事項を伝える。
15:20~15:30 玄関で下校の見送り
15:45~16:30 
 一応休憩時間となっているが、評価事務、雑務処理で休んでいる先生はいない。曜日によっては会議(打合せ)がある。
16:30~19:00
 退勤時刻になってもだれも帰らない。授業の準備、分掌業務がはじまる。
19:00~ 帰ろうかなと思ったら、保護者から電話がかかってくることもある。
20:00 ≪退 勤≫ 残った仕事は、持ち帰る。
*この中で、働き方改革で言っている本来教員の仕事ではなく、他に任せるようなものがあるでしょうか?
 学校の先生は大変です。それ以上にこども園の先生の方が大変だと私は思います。

2025年3月28日金曜日

花だより 教師は子どもの伴奏者 タチツボスミレ


《子どもの伴奏者になるための基本姿勢》
①姿勢・態度 ・向き合う ・ともに悩み、考える ・寄り添う
 それは決して、子どもの言うことを鵜呑みにして、子どもと同じ目線、子どもと同レベルではなく、大人として客観的に判断し、サポート(支援)すること
②最終的な決定権(拒否権)を保障する。
 決めたことについては途中で投げ出さす、最後まで自分で請け負っていく、そのためのサポートをする。
《伴走者としての心得》
①「認める」 
 ・応援者としてできることはそう多くないことを認める。
 ・解決するのではなく、解決に寄り添う。 
 ・凛として対応し、細かな出来事に振り回されない。
②「信じる」 
 ・本人の持っている力を信じる、回復を信じる。 
 ・目に見える形での成果をあまり 早急に求めない。
③「任せる」 
 ・ある程度は時間に任せる。ただし、何もしないで放任すると悪化の一途をたどる。
《伴走者として具体的にできること》
①困っている子の話を聞く。
 ただし、自分の負担にならない程度に、「わかってやれるのは、自分だけだ」とは思わないこと
②中立的な立場を守る。
③情報を共有する。 家庭・学校・医療機関などとの報告・連絡・相談の共有化を図る。




 

2025年3月27日木曜日

花だより 見る・みる 時・とき 使い分け カタクリ

 


  “悩ましい用字・用語” 
「子供」と「子ども」という表現が同じ文章にあったり、「例えば」と「たとえば」が混在している場合は、校正すれば統一することができます。しかし、よくある例として、「持つ」と「もつ」、「言う」と「いう」、「見る」と「みる」、「時」と「とき」が同じ文章の中にあると、文の流れや意味のよって使い分けしなければなりません。
 教頭になると、児童生徒全員の通知表の所見や通信の内容をチェックしなければならなく一苦労です。
 漢字の「持つ」は、手に持つことができる場合は漢字を使い、「夢をもつ」など、手に持てない場合は、ひらがなで表記する場合があります。具体的に目でモノを「見る」場合は、漢字を使い、その他の場合は「みる」とひらがな表記する。時間の場合は「時」、条件は「とき」で使い分けます。「言う」と「いう」の使い分けは、難しく悩むところですが、迷ったときは、ひらがな表記にするのがいいかもしれません。
 用字用語の統一は、新聞、雑誌、書籍などによって異なります。学校の場合は、文部科学省や北海道教育委員会の用字用語例が基になっています。例)「取り組み、取組み」(名詞扱い)で「取組」としています。こうした知識があって文章を読んだり、書いたりすると文章に深みが出ます。通知表の所見の添削・校正をして覚えました。

2025年3月26日水曜日

花だより お母さんの不思議な力 桜

 


 人間の教育は、誕生から始まり、母親のだっこやひざの上からはじまる
 親には「直接的な育児能力」(本能的に子どもを育てる力)があるといいます。お母さんは赤ちゃんが幸せな気持ちで興味が湧くように、明るく優しいリズムや調子を選んであやしたりします。これは知識で教えられるものではなく、幼い頃に愛された体験を基盤に親になると自然に湧いてくるものです。この直接的育児能力は、未開発国に豊かに見られ、発達した文明社会の母親は高等教育により、頭でっかちになるとだめになると警告しています。
 戦後のベビーブームに生まれた世代の人は、母親が洗濯機もなく、素手でせっせと家事と育児をこなしていたのを見て育ちました。子どもの病気も多く、真心と祈りだけがよりどころのその頃の母親は、おそらく直接的育児能力は豊かだったはずです。ところが、今の日本は世界最低の乳児死亡率と最高の平均寿命を誇りながら、子どもたちは、いじめ、不登校で苦しんでいます。仲間と遊びながら自然に鍛え合う発達環境が破壊されているのです。
 しかし、どんなひどい心の傷を負い絶望している子でも、お母さんが真心をこめてわが子を理解するようになると、水を得た魚のように蘇るのです。お母さんには、子どもの心を癒す不思議な力があります。どのお母さんもこの力を持っています。 
 

2025年3月25日火曜日

花だより 「しつけ」で所得が増える? 福寿草

 

 自制心が大事
 4才児を対象に、マシュマロを食べるのを我慢する自制心を測る追跡調査の結果、4歳のときに自制心が働いた子どもは、そうでない子どもと比べて大学適性試験のスコアが高くなる。さらに将来の賃金にも影響するというのです。
 幼少期の家庭環境をサポートし、十分な教育機会を与える政策は効果があるといわれています。我慢させ自制心を育てることは児童生徒の将来にまで影響するのです。
 全国の男女約1万6千人を対象にした別の調査では、「うそをついてはいけない。」などの基本的なしつけを受けた人は、所得が多くなると言う結果が出ています。
 新年度がはじまります。生徒指導の担当になって、気持ちを新たにやる気がみなぎっている先生も多いのではないでしょうか。生徒指導がもっと楽に、もっと楽しく、もっと真摯に取り組めるようにしたいものです。そのためには保護者にこうした情報を伝え、協力を仰ぐことです。「教育」=「共育」です。

2025年3月24日月曜日

花だより 集団生活で「耐える力」 フキノトウ

 

 
  集団生活で「耐える力」を身に着けるのがこども園です。親が働くので代わって保育するだけの施設ではありません。教育機関です。
 甘やかされ、わがままいっぱいに育った子どもは、何か思い通りにならないことがあると、たちまちパニック状態になります。しかし、世の中は一歩家の外に出ると、むしろ思い通りにならないのが当たり前です。
 誰しも学校、地域、職場と、世間の仕組みや周囲の人々と折り合いをつけながら人間的に成長していくものです。その基礎づくりをするのがこども園です。
 家庭は子どもを育み、守ると共に、社会に適応できるように準備する場でもあります。そして、そのために欠かせないのが、耐える力をつけてやることです。しかし、親が働かなければならない今、それをこども園が担っています。
 豊かな時代だからこそ、我慢することを覚えさせる必要があります。それが自分をコントロールする第一歩です。そのためには、子どもに言う前に、まず大人が慎む姿勢を示さなければなりません。毎日の生活に追われ、大事なことを忘れがちです。自分のことしか考えられなくなり、相手のことを推しはかる奥ゆかしさとか謙虚さが必要です。子どもを預ける=親の責任を放棄してはなりません。

2025年3月23日日曜日

花だより 紙の教科書がなくなってデジタルだけになれば授業は成立しない チューリップ

 


 「紙の教科書がなくなってデジタルだけになれば授業は成立しない」
 特にベテラン教師はそう思うだろう。一人一台の端末を用意したのだから使うようにと教育委員会からせっつかれる。ところが授業で学習端末を使おうとすると、「家に忘れてきました」「電池切れです」とクラスの四分の一が手を挙がって授業にならないというのが学校現場の現状らしい。
 紙の教科書が我が国の教育に大きな役割を果たしてきたことは疑いはない。目の前からなくなる状況には、不安を覚える教師は多い。「教科書は紙が基本だ」絶対なくすべきではないと主張する教育関係者は多い。
 ところが、コロナ禍で一変した。GIGAスクール構想が加速し多額の予算を費やし端末が行き渡ったことで外堀が埋まり「紙が基本」という文字が消え、中教審がデジタル教科書化を提起するに至った。しかし、デジタル教科書は、まだ科学的根拠に基づいていない、見切り発車を危惧する意見が多い。
 孫が予備校通いをするようになると「タブレットを用意してください」と言われた。個別学習への対応と担当教師とのやり取りにタブレットは欠かせないと言われた。
 紙かデジタルか二択の選択ではない、どう使うかという議論が必要ではないかと思う。


2025年3月22日土曜日

花だより 評価するとは自分を評価すること フキノトウ(2)

 


 「玩物喪志(がんぶつそうし)」???
①無用なものをもてあそぶことで、本心を失うこと。② 学問上細かな部分に力を注いで、真に習得すべき大切なものを見失うこと。
 支援員さんの採用面接で履歴書の短所欄に書かれてあったものです。恥ずかしながら、何と読むのか?どういう意味なのか?わかりませんでした。
 学校に戻り調べてみました。このことを教頭先生に話すと「校長先生、逆に支援員さんに試されたんじゃないんですか?」と言われました。なるほど人を評価するということは、自分が評価されていることなのか?採用試験(面接)は、その人の生活にかかわることです。その責任の重大さを感じた次第です。私自身、大変勉強になりました。
 年度末の評価時期になりました。子どもを評価するということは、この一年間の教師としての自分を評価することです。
 「校長先生、わたしの通知表見て!」と校長室にやってきました。「算数の一か所だけ[B]だね。惜しかったね。」と言うと、「みんなも[B]だよ」と言いました。これは、教えた側の問題です。

2025年3月21日金曜日

花だより 良い校長とは? ソメイヨシノ

 

 《斯かる校長は良い校長なり》
1 研究心に富む者
2 人格の修養に励み、確固たる信念を有する者
3 公平無私にして性淡白なる者
4 寛弘にして、よく人の意見を容れ、又よく自己の意見を発表すべし者
5 部下職員に対して親切にして且つ其の昇進を計ることを決する者
6 部下職員の美点特徴は之を賞揚発揮せしめ、其の欠点に対しては自ら責任を負う者
7 一定の識見を有し、常識に富むを要する者
 *前回の「斯かる校長は感心せず」の反対
 校長五訓(大正5年に示された 校長像)
1 明晰なる判断  2 豊富な学力  3 燃ゆるが如き同情
4 信頼すべき統率の才  5 確固たる不動の胆力

 「良い校長とは?」 AIが答えてくれました。
 学校組織のリーダーとして、教職員の成長を促し、学校教育目標の達成を図る人物です。
 【良い校長の資質】は、的確な判断力、決断力、交渉力と出てきました。さらに【良い校長の役割】も詳しく出てきます。
 これからの校長に求められるのは、AIを上手に使いこなすことかもしれません。
  

2025年3月20日木曜日

花だより 大正時代の校長心得 レンギョウ

 

 ~校 長 心 得
 《斯かる校長は感心せず》
1 研究心乏しく頑迷固陋(がんめいころう)なる者
  かたくなで正しい判断、見聞が狭く、古いことに固出する(前年度踏襲主義)
2 自分天狗にして修養を怠る者 高慢になったり、自慢したり、うぬぼれたりする者
3 部下職員の意見を聞かず、自分独りで仕事をなさんとする独りよがりの者 
官僚的態度をなす者 伝統的なしきたり重んじる。過去の事例を常に参照して、新しいことにチャレンジしない。
愛憎偏頗(へんぱ)の者  えこひいき(依怙贔屓) 好き嫌いが激しく、偏って不公平でえこひいきする
阿附諂諛なる者(あふてんゆ) へつらい したがうこと お世辞を言って、人の気に入るようにふるまう

アメリカの望ましい管理職像(アメリカ キャンベラプログラム)
 ~ 個人的資質~
(1)身体の健康 外見、顔つき
(2)精神の健康 プレッシャーの下での反応 批判に対する敏感性 ストレスの下での判断
(3)声 質(説得力)
(4)道徳観念
(5)勤勉さと熱心さ
(6)ユーモアのセンス 敗北を愛想よく認める能力 他人の感情を認めること
(7)判断と常識
(8)公正さ 口論を仲裁する能力
  アメリカでは、校長の個人的資質として、①身体の健康、外見、顔つき ②精神の健康(プレッシャーの下での反応、批判に対する敏感性、ストレスの下での判断) ③声質(説得力) ④道徳観念 ⑤勤勉さと熱心さ ⑥ユーモアのセンス(敗北を愛想よく認める能力、他人の感情を認めること) ⑦判断と常識 ⑧公正さ(口論を仲裁する能力)となっています。
 今は、アメリカ的な管理職が求められるようになってきたのかもしれません。


2025年3月19日水曜日

花だより 日に丸・君が代と国旗・国歌 編み笠ユリ

 

 
 現職時代、卒業式が近づくと職員団体との「日の丸・君が代」で憂鬱でした。今思うと不毛の論争でしたが、いい勉強をさせてもらいました。
 国家という概念は曖昧で解りづらいものです。国旗は、その国家を象徴するシンボルとして、またその国家の尊厳を表す証として、広く尊崇されるものです。国際社会においては、他国と交流し、友好を深め、平和を築いていくためには、相互の文化や伝統を尊重することはもちろんのこと、国家や国民の象徴である国旗や国歌に対し、敬意を表すことは当然に責務なのです。
 こども園の卒園式に国旗と町旗を掲揚することを提案すると、快く賛成してくれました。そして、準備をしていると「園長先生、私たちでやりますから…」と言ってくれました。学校現場の常識が社会の非常識と言われる一つです。
 こども園の卒園式では、学校ではなくなった修礼があります。子どもたちに、誰に、何のために礼をするか、子どもたちにわかりやすく話しました。
 卒園式の式次第は、小中学校、高校の卒業式とほとんど同じです。イベントではありません、儀式です。2週間前から毎日毎日練習します。大事な経験だと思います。決して、うちの園は「右より」ではありません。
 

2025年3月18日火曜日

花だより 「みんな なかよし」ほど難しいことはない スミレ

 

「みんな なかよし」 これほど難しいことはありません。
 集団生活をするということは我慢することです。我慢はストレスになります。
“いじめのある学級”と“まったくいじめのない学級”の子どものストレスは、“いじめのない学級”の方が強いと言われています。子どものストレス発散は、わがままな行動や自己中心的な行動として現れるのが特徴です。いじめているという意識がないままに、ある一定の子どもに攻撃的になったり、また、必要以上に親に甘えたりするのです。“いじめのない学級”には、先生や親の言うことをよく聞く、お利口さんが多いのです。
 お利口さんほどストレスが多い 子どもは成長するとお母さんにべったりくっついて甘えることもできない。友だちのいやがることをしてはいけない。先生の言うことは、きちんと聞かなければならない。親の期待に応えなければならない。いつも良い子でなければならない。と思えば思うほど子どもにストレスは、たまってきます。本来子どもは、休み時間汗びっしょりになって遊んだり、家に帰っても暗くなるまで外で遊んで、兄弟げんかをしたりしてストレスを発散するものなのです。学校という集団生活することで我慢強くなっていきます。

2025年3月17日月曜日

花だより 田中角栄元首相が大事にしていた言葉 シダレザクラ

 

「以和為貴」(和を以て貴しと為す) 
 田中角栄元首相がよく揮毫していた聖徳太子が制定した十七条憲法の第1条 
 ~時代の証言者 読売新聞から~
 歴代最長の5年2か月、自民党幹事長を務めた二階敏弘氏、政権与党中枢をよく知る「最後の党人脈」が、昭和から平成、令和の政治を語る。
 二階氏は、田中角栄元首相を政治の師だと思っている。「政治は一人の力ではできない」と教えてくれた。どんなに優れた人でも一人の力には限界がある。大勢の人の協力がなければ、政治は動かせない。「以和為貴」という言葉には政治の基本が示されている。
 「争いを起こさず、和を大切にする」~物事を進める際に、お互いの心が和らいで(仲良く)協力することが大切であることを意味する言葉です。
 「戦争がやみ、世界は一つになれるように」と願う言葉でもあります。二階氏だけでなく、石破 茂現首相も田中角栄氏を政治の師と言っています。田中角栄氏は昭和の偉大な政治家でした。田中氏は、気遣い、心配りのある政治家でした。「家族のために使いなさい」と10万円くらいポンと出したのでしょう。それを真似て今やると問題になります。

2025年3月16日日曜日

花だより 「蛍の光」を知らない クロッカス

 

~・~・春3月 別れ、旅立ち~・~・
 春のそよ風が どこからか吹き 通いなれた道 彩りを着替える 
 喜びも悲しみも 過ぎ去った季節 新しい道 歩き始める 
 大切な瞬間を いつまでも忘れぬように 晴れの日も 雨の日も 
 明日は来る 微笑みながら 一歩踏み出す 
 あきらめてしまうより このページ開いてみよう

 これはAKB48の曲ですが、これももう古いと言われました。
 別れの歌、旅立ちの歌といえば、山口百恵さんの「いい日旅立ち」が定番だと思っていましたが、今の子は、百恵さんは知らないと言います。ということは、武田鉄矢さん(海援隊)の「贈る言葉」は、もっと知らないと思ったら、GReeeeNの曲でしょ?と言われました。
 私たちの時代は、卒業式の歌といえば「仰げば尊し」と「蛍の光」と決まっていました。デパートの閉店時刻を知らせる曲でした。ところが今の子は、~蛍の光 窓の雪 ふみよむ月日 重ねつつ いつしか年も すぎの戸を あけてぞ 今朝は 別れ行く~ この歌詞の意味を全く理解できません。
 式歌は卒業式で涙を誘うクライマックスです。そのため何度も練習します。カラオケマシンの採点で高得点を取るのと同じく音程を外さないように抑揚をつけるように指導します。
 ところがこども園の式歌は違います。最初から最後までフォルテです。音程も外れっぱなしです。カラオケマシンでは50点くらいでしょう。それでも涙を誘うのです。
 
 

2025年3月15日土曜日

花だより 一度だけ「学校だより」を書くのをやめようと思った クサボケ ハルリンドウ

 

 ~学校だより~
 学校、家庭、地域の連携と言いながら、なかなか分かってもらえない。理不尽な要求をしてくる親が増えました。先生方が一番苦労しているのは、保護者対応です。そこで学校だよりに、「子育てアドバイス(心がホットステーション)」コーナーを設けて、分かりやすく家庭教育の啓発をしてきたつもりでしたが、一度だけ書くのを躊躇ったことがありました。
 問題行動のある子の親を召喚したときのことです。校長室に入るなり、担任批判、我が子の弁護、友だち批判が飛び出しました。冷静に聞いて対応したつもりでしたが、私の言葉にトゲがあったのでしょうか、その後、「校長からひどいことを言われた。」と教育委員会へ電話を入れたのです。教育委員会から指導が入りました。校長としての言動を反省して、お詫びの手紙を書きましたが、これまで学校だよりで書き続けてきたことは何だったのだろう?思いは通じていないのだと落胆しました。
 そんなとき思い出したのが、斜里朝日小学校でのことです。4月のことでした。校長室の窓を叩く女子中学生がいました。3月に卒業した子でした。
「校長先生、『学校だより』ください。うちのばあちゃんが、『校長先生の通信が読めなくなって寂しい。』て言うから、『私が校長先生のところに行ってもらってきてあげる。』て言ってあげたんだけどいいよね。」うれしかったですね。これが本当の心がホットステーションでした。