2025年1月31日金曜日

花だより 「子どもに望むこと」を話す タラバガニ オホーツクの流氷

 


 「子どもに望むこと」を話す
 どんな親も子どもには、・健康と長寿・性格のよさ・豊かな人間関係・物質的な充足・充実した仕事を望みます。親は、子どもが衣食住に困らないこと、例えば、十分な食べ物、きれいな飲み水、清潔な衣類、安全な寝場所、暑さと寒さを凌ぐ冷暖房などです。特に発展途上国ではそうでしょう。加えて、子どもが人間関係について恵まれることも願っています。いろいろな話ができる友だち、いっしょに働いて目標を達成できる同僚、人生について教えてくれる師。また、子どもが立派に仕事をして充実感が得られることも願っています。そして、子どもが立派な人格を形成することを何よりも願っています。正直さ、貞節、忍耐力、親切心、心の平和、喜び、愛情、郷土愛、ボランティア精神などです。
 ところが、面と向かってこんな話を子どもにする親はいるでしょうか?
 しかし、こんな人物になって欲しいという思いを具体的に伝えるのが親です。緊急事態でも冷静さを保つこと、他の人の不幸に同情すること、不正に対して怒りを感じること、困っている人を助けること、などなどです。これらは、直接言うのではなく、親の背中を見て理解するものだと言われてきましたが、最近はどうもそれでは伝わらないようです。
 折に触れて子どもと希望を分かち合うことで、子どもは親が自分の将来のことを思ってくれていることに感謝し、自分の将来について真剣に考えていると理解することができる。かもしれません。

               ~オホーツク海の流氷と知床~

2025年1月30日木曜日

花だより 批判はありがたく受け止める フキノトウ

 

  批判はありがたく受け止める
 でも、なかなかそう思えないものです。人から批判されると、人格も何もかもすべてを否定された気がして意気消沈してしまいます。時には批判した人を恨むこともあります。しかし、批判の内容と批判した人への恨みは、別々なものなのです。
 嫌いな人から「あなたは間違っている」と言われたら、「うるさい!」と聞く耳を持たないでしょう。ところが、尊敬する人から言われると「どこがどう間違っていますか?」「どうすればいいでしょうか?」と意見を求め、改善したいと思うはずです。
 嫌いな人、苦手な人はともかくとして、批判の内容が妥当であれば、自分へのアドバイスだと思えばいいのです。批判に耳を傾けないのはもったいないことです。批判されるのはありがたいことなのです。その時は、素直に受け入れなくても3日も経てば、「あれはアドバイスだ」と思えるようになります。 和尚さんの言葉から
 あるスーパーの掲示板に「クレーム受け付けます。」「あなたのクレームがお店をよくします。店長」と書いてありました。学校評価の集計していて、そうありたいと思いました。

2025年1月29日水曜日

花だより 感性が加わると人間の眼になる カンザクラ

 

 人間としての「眼」を育てる   村瀬 千樫(元北海道教育大学教授)
 いつの時代も人間は美しさを求める
 「ヒトの眼に感性の働きが加わるとき人間の眼になる」と言われています。4億年という長い時間をかけてヒトの眼はできました。その上に優しさやいたわりなど、人間味を加えた眼、つまり、人間性を持つ眼ができて初めて「人間」といえるのです。
 子どもたちは様々な環境の中で生まれ、育てられ、人間になっていきます。しかし、この一人一人の子どもたちを取り巻く成長過程のその時々が、決して美しく、温かい環境ばかりではありません。学校教育の中では、教科はもちろん、様々な学びを通して、自分の身の回り人々の優しさや思いやり、自然の美しさや崇高さなどを見る「目」を持った人間に育って欲しいと心から思います。
 目は耳からの540倍の情報量が得られるといいます。目が情報獲得の窓であり、また、大脳と眼球は密接な関係にあることから創造力を育てると言われる所以でもあります。
 子どもたちには、「何を見るか、真実は何か、これを見て何を感じるか、どのような価値を持つか」など、多様な時代だからこそ、目を育てる教育をしてほしいものです。
 同時に、教師は包容力を持ちつつ、濁りのない素直な目で子どもを見つめるために、教育に関わる人間の「眼」を大切にし、感性を常に磨き続けなければなりません。(牧野要約)
 

2025年1月28日火曜日

花だより 「探求」と「探究」 ハナアナナス

「学後知不足 教然後知困」探求心と自律心 
 ~研究の成果は、子どもの変容で示す~
 「学後知不足 教然後知困」とは、「学問をして初めて知識不足が分かり、教えて初めて勉強の難しさを知る」という意味
 幕末北海道開拓に夢と希望を持った榎本武揚が当時の学生のために中国の古典「礼記」から引用したもので、自筆の書が東京農大オホーツクキャンパスに飾られています。
 公開研究会のために教材研究をし、教材を準備し、指導案を何度も書き直して臨んでも、思った通りの授業はなかなか出来ないものです。やればやるほど自分の未熟さを知るのが研究授業です。
 研究の成果は、子どもの変容を示すことが大事です。今学校に求められているのは結果責任です。いくら研究会を開催しても、学力が全国平均を下回っていれば、何のための研究なのかと言われます。
 研究会の最大の成果は、新たな課題が分かるということ。これが「探求活動」です。
園児が「園長先生、どうして豆まきするの?鬼は豆で本当にやっつけられるの?ところで本当に鬼っているの?」と矢継ぎ早に聞いてきました。これはまさに「探求」の極まりです。
「探求」とは探し求めることで、「探究」(探し究める)とは違います。
 


2025年1月27日月曜日

花だより 「娯楽」と「遊び」は違う エンドウ豆

 


  1月23日 テレ東「カンブリア宮殿」 ボーネルンド
 「娯楽」と「遊び」は違う。自宅でコンピューターゲームをするのは「娯楽」、子どもが自発的に身体と頭を使って想像力やコミュニケーション能力などの「生きる力」を身に着けるのが「遊び」である。「おもちゃ」は「遊び道具」
 あそぶことは生きること。子どもは遊ぶことで、生きるための力を獲得します。重要なのは、幼児期の2~5歳ころの遊び、この考えから、「ボーネルンド」は創業以来およそ40年間、優れたあそび環境の研究、企画開発、デザイン、メンテナンスまでをトータルに手がけてきました。 子どもを取り巻く環境は、自然、都市、屋内外と多種多様。ボーネルンドはそれぞれの役割を考えながら、保育園、幼稚園、幼児教室、小学校、公共施設、商業施設、医療施設、集合住宅など多くの人と手を組み、子どもが自立した大人に成長するために必要な実体験をあそびを通して得られる安全かつ自由に遊べる環境づくりを実現しています。

           オホーツク流氷観光船「オーロラ」

 

2025年1月26日日曜日

花だより 教育とは「言葉の力」を育てること クリンコザクラ

 

 
 「今の子は、味を言葉で表現できない。」と保育士が心配しています。甘い、辛い、苦い、しょっぱいなどは、家庭での会話の中で覚える言葉です。これもコロナ過の黙食などによるコミュニケーション不足ではないかというのです。
 学習指導要領に「言語活動の充実」が盛り込まれました。「言語活動の充実」とは、「言葉の力を育てる活動の充実」です。
 これからの社会で大切なことは、論理的な思考や感性を働かせながら問題解決の方策を探り、自分の考えを自分の言葉で表現する能力です。自己実現や社会参加のための重要な道具として、言語を活用できる能力を獲得することが不可欠です。
 「言語活動の充実を全教科・領域等で展開する。」としています。「言語活動」というと一般的には「国語科で行うべきもの」と考えがちです。しかし、低学年では、生活科こそ地域の人とのかかわりや自然観察などの体験を通して、「言葉の力」を伸ばす絶好の教科です。同じようなことが他の教科でも言えます。もちろん、「言葉の力」を育てる上で軸になるのは国語科です。しかし、「言葉の力」は単に言葉を学べば身に付くものではありません。国語科の学びが、「言葉を通して言葉の力を育成」であるのに対して、他教科・領域の学びは「体験を通した言葉の力の育成」であり、「言葉の力の育成」においては、その両方が重要です。
 言語環境の一番は家庭です。しかし、言葉も学校や幼児施設が担わなければならない時代なのです。

2025年1月25日土曜日

花だより みんなに好かれる人 エリカ

 

 みんなに好かれる人よりも、みんなを好きになる人を目指す
 子どもができたとき、母親は「どうか、みんなから好かれる人になりますように」と願うものです。
 みんなに好かれる人とは
 1 笑顔が絶えない
 2 誰にでも対等な態度をとる
 3 相手の話をよく聞く
 4 親切で助け合いの精神がある
 5 約束を守り、嘘をつかない
 6 思いやりがあり、相手を気遣う
 7 ユーモアがあり、楽しい雰囲気を作る
 8 努力を惜しまない
 9 ポジティブな発言が多い
10 身だしなみが整い、清潔感がある
  しかし、こんな人が本当にいるでしょうか?どんなに素敵な人でも、その人のことを悪く言ったり、ねたんだり、足を引っぱったりする人がいるモノです。誰からも好かれるなんてありえないのです。
 一方で、生きやすさを求めて、人にへつらい、媚を売り、その場しのぎの対応をする人がいます。自分のことを好きになるかどうかは、相手次第です。「好きになってもらおう」とすれば、膨大な労力と手間が必要です。それに人に好かれることばかり考えていたのでは、いつまでも自立できません。その点「人を好きなる」ことは、自分の意識一つでできるのです。好きな人が周りにたくさんいるのは、とても素敵なことです。
                        和尚さんの言葉から

2025年1月24日金曜日

花だより 愚痴る(ストレスコントロール) ワカサギ

 



 教員のストレスコントロール
◎できる限りみんなの前で愚痴る
 困ったことがあったり、嫌なことがあったら、問題と情報をなるべくみんなに知ってもらうためにすぐにみんなの前で愚痴る。そうすると陰でそっとカバーしてくれる人がいるものです。何気なく知恵を与えてくれたり、助けてくれる人がいる。お互いに信頼し合い、職員室全体のメンタルヘルスを考えること、お互いにSOSを出しやすい環境づくりに取り組むことが大切です。
◎一生懸命な頑張り屋ほど、SOSが出せずに孤立
 授業づくりが非常に熱心な先生ほど、ある日疲労から休み始めたかと思うと、そのまま欠勤や遅刻を繰り返すようになることが少なくありません。2~3日休んでいた分、出勤すればまた一人で夜遅くまで頑張り、その疲れでまたダウンしてしまう。欠勤中には多かれ少なかれ、同僚の先生に迷惑をかけているのですが、そういう先生は、素直に感謝の言葉を伝えたり、SOSを出すのが苦手です。本人も徐々に仕事への自信がなくなり、周囲からも信用を失い、どんどん孤立してしまいます。こうなると逃げ出したいという気持ちと頑張らなくてはならないという気持ちの葛藤から、結局体調を崩して動けなくなってしまいます。
 愚痴る~個人の感情を外部に放出し、内面のストレスを和らげる役割を果たします。ただし、愚痴る相手は慎重に選びましょう。

2025年1月23日木曜日

花だより 表現力の低下はコロナのせい? ミスモソウ フウキギク

 


「幼少期からの英語教育を進めるべき」という意見がありますが、その前に国語の表現力です。コロナ禍の影響で、子どもの表現力の低下しているのではないかと言われています。
【表現力】とは、「これまでの経験をイメージ化し、それを基に自分の考えをまとめてきちんと話す、書ける力」のことです。この力が今の子は弱いと言われています。
 幼児施設や小学校の間に多くの経験をして、それを常に家庭や学校、こども園で楽しく言語化するよう促していれば、言葉の表現力は自ずと身に付くはずです。しかし、子どもの話をきちんと聞かなかったり、威圧的になったりすると、子どもは萎縮して自由な表現ができなくなります。
 ~子どもの話を最後まで聞くことが大切~
 まず大事なことは「表現したい」「伝えたい」という子どもの気持ちを喚起させることです。そのために重要なポイントは、親や先生が子どもの話をきちんと最後まで、真剣に根気よく聞くことです。
【低学年】では、言いたいことを時系列で書く
 低学年は語彙が少ないため、主語と述語のみを使った表現が多いものです。「誰が」「何を」「いつ」「どこで」「なぜ」「どうやったのか」という5W1Hを使った表現はまだ難しいものです。この時期に大切なポイントは、「だいたいがおさえられている」、また「時間の順序がまちがっていないか」という2つです。
 きちんと主語と述語を入れ、「走る」「見る」「食べる」「聞く」など、動詞を正しく使えるようにすることです。  
「思ったことを自由に書きなさい。」と言ってもダメです。書き方をきちんと指導すべきです。小学生になった時点で、容易に文章が書けるようになるには、年中~年長さんの段階で「作文の書き方」の土台を身に付けることが大切です。


2025年1月22日水曜日

花だより 生活科・総合が根付かない国家は滅びる! 林檎

 


 「生きる力」の理念が再々掲げられています。この「生きる力」については、それを答申した中央教育審議会答申の文言によれば「将来の職業や生活を見通して、社会において自立的に生きるために必要とされる力」であると述べています。そこでは重ねて「これからの学校は、進学や就職について子どもたちの希望を成就させるだけではその責任を果たしたことにはならない。」とまで言い切っています。ところが、まだまだ「生きる力」は、身に付いていません。
 「生活科・総合が根付かない国家は滅びる!」  文部科学省元主任視学官 嶋野 道弘氏
 教育は、柔軟で、ゆるぎのないものであることが望まれる。それは大いなる創意工夫であるが、地に足が着いて軸がぶれないということ。一人一人の子どもの学びには何らかの背景がある。したがって、教育は十把一絡げ、というわけにはいかない。一律の、画一した教育の予期の成果を期待するのは難しい。子どもに応じ、学校に応じ、学校の置かれている地域に応じ、教師の持ち味等に応じて独創的であるべき。同時に、一定の水準と共通性も保証されなければならない。独創性を独断的に、共通性を画一的にしない精神と形が必要。それは主体的で自立的な教師にとっては、とてもやりがいのある取組になるはず。
 生活科・総合が根付くカギを握っているのは教師である。




2025年1月21日火曜日

花だより スマホより辞書(カタカナ語) フウキギク

 


  2025年版 カタカナ語のトレンドワード
 「インフルエンサーによると、今の時代に求められるのは、ダイバーシティとリスキングとのことです(?)」
 最近は、カタカナ語が多くて意味が分からなく付いていけません。テレビの解説者も使っているので、知らないカタカナ語が出てくるとスマホで調べるようになりました。ところが、言葉の意味を調べる際は、スマホを使うよりも紙の辞書を用いた方が脳がよく働くらしいと聞きました。スマホで検索すると、またすぐ調べられるから、覚える必要がないと脳が勝手に捉えてしまい、記憶に残らないというのです。だからといって、その都度辞書を引くのは面倒なことです。知らないカタカナ語が多すぎます。
 インフルエンサーとは、世間に大きな影響を与える人
 ダイバーシティとは、多様性、性別、国籍、年齢、宗教などで区別しない、様々な人材を積極的に受け入れること
 リスキングとは、新しい職業への就労、または、時代の変化に対応するため、新たなスキルを獲得すること *2025年版カタカナ語辞書による。
 「専門家によると、今の時代に求められているのは、多様性と新たなスキルを獲得すること」と言ってくれれば、何となく分かります。
 アナウンサーを司会者、デパートを百貨店とは言わなくなりました。カタカナ語は日本語だと理解すべきです。


2025年1月20日月曜日

花だより 風邪をひいたら“ミカンと桃の缶詰” ミカン

 


 風邪をひいたら“ミカンと桃の缶詰”
 インフルエンザの流行が過去最高です。今は有効な薬が開発されましたが、昔は、頭を冷やして寝ているだけでした。
 ラジオを聞いていると「昭和の思い出」と題した特集がありました。投稿者は60代以上です。
~私が小学校に入る前の風邪をひいたときの話です。父と母は、共働きで休むこともできず、兄と姉は学校に行き、一人寂しく家で寝ていなければなりませんでした。お昼になって、父がミカンと桃の缶詰を買って持ってきてくれました。三度の食事にも困る家計でしたので、それがどれだけ贅沢なものか幼いながらも分かりました。
 後になって分かったことですが、父は給料の前借りをして買ったものでした。それを会社から歩いて往復1時間をかけて持ってきてくれたのです。貧乏でしたが、仲のよい家族でした。それが私の昭和の思い出であり、自慢です。~
 これを紹介したアナウンサーは、声を詰まらせていました。このアナウンサーも同世代だったと思います。私もそうです。

2025年1月19日日曜日

花だより インフルエンザ対策 オンシジウム

 

 インフルエンザが過去最高の流行、学校では閉鎖が相次いでいます。
  「三首を冷やすべからず」
 三首とは「首」「手首」「足首」です。皮膚の近くには太い血管が通っているため、そこを外気にさらすと全身に冷えが広がりやすいのです。さらに冷えは全身の血管の収縮を引き起こして、血流が悪くなり冷えを悪化することになります。体が冷えると血の巡りが滞ってしまい、免疫力が下がり風邪や痛みなど、さまざまな症状が出てしまいます。
 三首を冷やさないコツは、首には、マフラーやネックウォーマー、手首は、袖の長い服を着る、手袋をする、足首は、足首が隠れるブーツや長靴、厚手で長いソックスを履いたり、レッグウォーマーをして、三首を温めることです。さらに入浴(温泉)、サウナも有効です。大人は熱燗やホットワインを飲むと体が温まりますが、飲みすぎると免疫力を下げることになるので注意しましょう。再春館製薬のパンフレットに書いてありました。

2025年1月18日土曜日

花だより 教育は、未完のプロジェクト 胡蝶蘭

「改革」は過去の全てを破壊してもいけないし、過去の大部分を温存してもいけない。
「教育は“未完のプロジェクト”
完成することのないプロジェクトである。どのような制度をつくっても、それでよくなるというものではない。豊かな教育が保証されるというものはない。しかし、絶えず改善を積み重ね、誠実に努力を積み重ね、支え続けてこそ、それなりの成功を確かなものにすることができる。教育とはそういう営みである。」
                          (東大名誉教授 藤田英典)
 教育改革の必要性は、30年前から叫ばれていましたが。「教育改革は、学校の廊下までは来ているが、なかなか教室まで入ることができない。」と言われるように一向に進んでいません。教師本来の仕事に専念できるように、働き方改革で雑務を減らす努力をしているが、新たな課題が次々に出てきて追い付いていません。いじめ・不登校も増加の一途です。
 「いやいややらされている人は、不平や不満を口にするが、自ら改革の必要性を感じている人は、積極的に取り組む。」これはトヨタの社長の言葉です。 
 無駄をなくし、効率を上げることが改革のように言われますが、「行き過ぎたリストラで職場の和がなくなり、企業が活力を失っている面がある」と企業経営者が反省しています。
 学校でも、完全学校週5日制の影響として、5日間に仕事が圧縮され、1日の勤務時間が増加し帰宅時間が遅くなった。またそれだけでは間に合わず、土日の出勤が増えた。会議を開く時間が無く、会話をする時間も少なくなり共通理解が図りにくくなった。などなど批判的な反応が多いのも確かです。その対応として、休み時間が短縮されたり、学校行事が削られたりしました。また、職員朝会をなくした学校もあります。研修がリモートになったり、諸会議も減らされることが多く、結果的に精選され、合理化が図られたように見えます。 しかし、言い訳的に取りつくろったような取り組を設定し、教科だけを重点的に指導したり、各領域での活動をバラバラに行っても、子どもたちの意欲と自信は形成されません。また、成果が上がらなかった原因を子どもの能力、家庭の背景、地域の実情や制度に押しつけようとするならば、学校としての無能さを露呈することになります。
 学校はラインではなく、スタッフで構成される組織(チーム学校)です。情緒的な要素も大切にしなければ、組織の活性化を図ることはできません。
 「全ては、子どもたちのために」です。一方的にやらされるのではなく、自らその必要性を感じることが一番大切だと思います。

2025年1月17日金曜日

花だより 出る杭は打たれる セントウソウ 椿

 

 出る杭は打たれる
 「みんな一緒が安定していい」これは狭い島国で仲よく共に生きていくための日本人独特の知恵かもしれません。
 「能ある鷹は爪を隠す」この方が目立たず楽に生きられます。自分の光を和らげて、他人の中に同化する「和光同塵」は、慎み深む人生を無難に生きるための教えの一つです。しかし、自分でやりたいことや、やるべきことはあるでしょう。
 他の人が自分ほど一生懸命やらなければ、横並びの杭に1本がひょいと頭を出すようなもので、あなただけが目立ちます。しかし、凹むことはありません。やりたいことをやるべきことを行った結果として抜きん出たのですから、打たれたくらいでくよくよせずに堂々としていましょう。そこで傲慢になって、他を見下したりせず、一生懸命やっている人に手を貸してあげれば、それでいいのです。和尚さんの言葉から

2025年1月16日木曜日

花だより この先、今日より若い日はない カニサボテン

 

 この先、今日より若い日はない
 この言葉には二つの解釈があります。一つ目は、「今日が一番若いのだから、この先は年をとる一方だ。」という、高齢者には嫌なことですが、ごまかしようのない事実です。この事実に向き合う勇気を持つと、二つ目の「今日より若い日はないのだから、やるなら今だ」と前向きな解釈になります。
 「〇〇をやりたかったが、もう年で…」という人が多くいます。「若いうちにやっておけばよかった。」人生にはそんなことがたくさんあります。また「不正知」なすべきことと、そうでないことを知らないままに年をとってしまってはいないでしょうか。
 本当にやりたいことがあるなら「もう年だから」とできない理由を並べている暇などありません。明日は確実に一日年をとるのです。やるなら今からです。今やれることは、いっぱいあるのです。 和尚さんの言葉から
 90歳のおじいさんが、「健康で長生きしたいのではない、まだやりたいことがあるから、健康でいたいのだ。」と言いました。
 

2025年1月15日水曜日

花だより 若手教員からの質問 ストック シンビジウム

 

  同窓の集まりで、若手教員から先輩に質問があった。
「小6を担任することになった。注意することや心がけることは何か?」という質問に、退職間近の校長が手を挙げて答えた。まあ無難な解答だった。
 そのやり取りを「質問する方も答える方もどうかな?」と思いながら聞いていた。
 「小6(中3)の運動会、学芸会、卒業式を見れば、その学校の教育力がわかる。なぜなら、その学校で一番長く教育を受けてきたのだから…小6は学校の顔」 だから小6を担任するのは、他の学年とは異なり責任は重い。
 教員生活で小6を担任するのは何度あるか?それほど多くない。一般的なことは、How-to本に書いてある。小6の学級経営は、集団の特性、地域性などによって異なる。ましてや10年前の小6と比較することはできない。「小6は、こうあるべき」と先入観を持って担任すると失敗する。大事なことは、子どもたちとの触れ合いを通して、目標や指導法(学級経営)を考えることだ。校長や先輩は「責任はとるから、思い切ってやりなさい!」と言ってやること。

2025年1月14日火曜日

花だより 青学:原 晋監督の指導法に学ぶ クンシラン

 

  ≪若手の指導の在り方の変化≫
 箱根駅伝で青山学院大学の一時代を築いた原 晋監督
 今の選手は、ワンマンではついてこない!
 選手は1か月の目標と達成方法を目標管理シートに記入し、5~6人で互いに批評を加える。コーチ・トレーナーの分業制を確立し、監督は全体を管理する。こうして、選手が毎年入れ替わる学生スポーツの世界で結果を出し続けるチームを作り上げた。
 「コロナ過を経て世界は変わった。自分で考え、空気を読まずに発言する人間を育てること、これがこれからの時代に必要な組織につながる。」という。
 スポーツ界の若手育成の姿は、これまでの縦割型社会の一方的な指導ではなく、話を聞く、コミュニケーションの重視と自分で考えようにする。相互に批判する等々、これは今、学校教育で「主体的、対話的、深い学び」を重視し、具現化しているといえる。
 教員を目指す若者が減少している。若手教員の育成にあたっての見方、考え方及び指導の在り方を見直すよき例として生かしてもらいたい。

2025年1月13日月曜日

花だより 自分を知ってもらう前に他人を知る カンツバキ テンドロビウム

 

 

 自分を知ってもらう前に他人を知る どれだけ人のことを分かろうとしているか?
 人間には4つの社会的な欲求を持っている。そのうち一つでも満たされていたら生きる希望が湧いてくると言われています。
 1 誰かに愛されたい(関心を持たれたい)
 2 認められたい
 3 褒められたい
  以上の3つは、自分がだれかにしてもらいたいことです。
 4 人の役に立ちたい
  最後の一つは、自分が誰かにしてあげたいことです。
 世の中には、周囲の関心を引きたくて、いたずら(犯罪)をする人がいます。他の人に認められたくて、自慢話ばかりする人がいます。子どもは褒めてもらいたくて頑張りますが、大人になると「誰も私のことを分かってくれない」とがっかりする人がいます。そんなとき「自分は人のことをどれだけ分かろうとしているか」と気づけているでしょうか。人のことを分かっていないのに、人が自分のことを分かるはずがないのです。もっと人に関心を持って、相手を認め、良いとところを褒めようと努力すればいいのです。
                       和尚さんの言葉から

2025年1月12日日曜日

花だより 70歳からのスマホの使いこなし術 黒松

 

  同窓会の案内が届いて、出欠はQRコードでした。年配の会員から「出席したいのだが、どうやるかわからない」と電話がありました。「スマホはお持ちですよね。カメラを向けるだけで簡単にできますよ。」と伝えると「それができるくらいなら、電話なんかしない。」と言われました。
 世界一簡単!「70歳からのスマホの使いこなし術」(スマホ活用アドバイザー:増田由紀)という本がコンビニで売られていました。ベストセラーだそうです。
 帯には、もう人に聞かなくても大丈夫!スマホの使い方がよくわからないを、この本が完全解決!「70代80代をスマホ好き」に変えてきた教え方の達人が伝授、大きい文字で読みやすい!とありました。
 ・スマホで人生はこんなに変わる
 ・QRコードが読めない。パスワードを忘れるを簡単に解決する方法とは
 ・病院ではスマホが大活躍
 ・財布に小銭は必要なし、スマホ決済で買い物は簡単
 ・スマホがルーペになる
 ・物忘れを防ぐスマホメモ術
  など、高齢者のためのスマホのコツを全公開  (1,650円)
 「社会が年寄りに合わせろ!年寄りに配慮しろ!」と主張ばかりするのではなく、簡単便利な仕組みは、年寄りのためにあると思い、少しは努力すべき!!
 

2025年1月11日土曜日

花だより 姿より香りに生きる花もある ハコベ デコポン

 

 

 姿より、心こそ素敵な香りを放つ
 容姿の美しさや若さにこだわる、見た目を重視する人がいます。しかし、「三日見む間の桜かな」と詠まれるように「花の命は短いもの」です。容姿は加齢とともに否応なく衰えていきます。
 また、自分では「心は若い」と思っていても、年老いてくるとつい説教じみてきて、動くより屁理屈、「最近の若いもんは」と放言したり、「私の若いころは」と自慢話をしてしまうことが増えてきます。ところが周囲に示すことができるのは、容姿や若さなどではなく、その心と言動だけです。
 「山椒は小粒でぴりりと辛い」「一寸の虫にも五分の魂」「美しいバラにはとげがある」など、見た目にとらわれてはいけないという格言はたくさんあります。また、仏教には「体は花のように萎れて散っていくが、心はたなびく香りのようにいつまでも残る」という例えがあります。姿より香りに生きる花もあるのです。
                        和尚さんの言葉より

2025年1月10日金曜日

花だより 「活動あって学びなし」(生活科の課題) オトメコザクラ

 

 「活動あって学びなし」
  元札幌市生活科・総合的な学習教育連盟委員長 森田 智也
 教育情報誌に懐かしい名前がありました。生活科研の若手の有望株と思っていた先生が、もう退職していました。改めて自分の年齢を悟りました。
~生活科聡明期の担い手から  
 「活動あって学びなし」 生活科でずっと課題となっているワードです。なぜそうなるのか2つの面が考えられます。
一つ目は「こんな力をつけることを目標に、この活動をするのだ。」という想定が甘かったり、さらには想定していなかったりすることが起きるためです。つまり、目標設定が不十分だったということです。
 二つ目は、受け継がれてきた「形」をそのまま続けているためです。受け継がれてきた活動例がありますが、その活動の形だけを追い求めてしまい、何のために活動しているのか、分からなくなるような、魂(本来の生活のねらい)が抜けた授業になっていることが考えられます。
 そして、「活動あって学びなし」に陥っていると感じるのは「表現」です。限られた時間の中で、活動を振り返り、全ての子どもたちと対話して確認することはできません。そのために活動の後に「書かせる」ことです。しかし、書けない子には難しいものです。そこで先生は、「たのしかったことは?」「どこが?」「なぜ?」「どんなふうに?」と深堀するような各材料・起点が見つかるような支援をすることです。そして、それを紹介することです。交流の場を持てば、「こんなことを書けばいいんだ。」と書き方を知る場となります。

 幼児教育では「遊びは学びである」といいます。生活科との違いは「10の姿」という目指す姿はあっても、到達目標ではなく、故に評価がないことです。生活科の課題のような「遊びあって学びなし」という発想は無いようです。それが小学校に結び付いていない原因ではないかと思います。

2025年1月9日木曜日

花だより 欠けた部分を補い合う トキワコザクラ

 


 ギザギザな歯車だから、かみ合って力が出る
 人はどこからしら欠点があります。しかし、自分の欠点を卑下することはありません。
 能の「高砂」の松の精に登場する翁(おきな)と媼(おうな)の老夫婦の人形を結婚のお祝いに贈る習慣があります。「ともに白髪の生えるまで」との思いが込められているだけでなく、翁の持つ熊手は福をかき集め、媼が手にする箒は邪気を払う意味があります。
 旦那が熊手ではき残したものを奥さんが箒で掃いていく、夫婦とはそういうものなのです。大きいものを掃くための熊手は、細かいものは取り切れない、いわば欠点ですがそこを箒が補ってくれるのです。
 欠点は「欠けた部分」という意味で歯車と似ています。歯車は凹んだ部分と出ている部分に、別の歯車がかみ合って回るのです。人と人の関係もこの歯車のようなものです。欠点を補い合える相手を見つければ、物事歯車のごとくうまく動き始めます。
                             和尚さんの言葉から
 こんな話を結婚式のスピーチでするとよいのでしょうが、若者には理解できないかもしれません。

2025年1月8日水曜日

花だより ネットをむさぼり歩く、止まらぬ欲 カンツバキ

 

 まだ食べる、まだ欲しがる、おまけにネットをむさぼり歩く、止まらぬ欲 
 スマホ片手に「食べ放題」「飲み放題」で話題の店を探しては出向き、支払代金の倍ほども飲み食いするのが当然とばかりに胃袋に詰め込む人がいます。はち切れそうなお腹で「得をした」つもりになっている。ガツガツと食う姿はまるで飢えた虎、ガブガブ飲む様子はウワバミ(大蛇)のようです。そのくせ食べ過ぎた。太ったなどと嘆くのだから開いた口がふさがりません。
 「『飲食(おんじき)』とは、飢えをしのぎ体力を保持するための薬を服するがごとく取りなさい。」と釈迦様はおっしゃっています。それを知らず、ひたすら食べ物や飲み物をむさぼり、さらにインターネットでもっといい店、もっと安く飲み食いできる店はないかと情報までむさぼり歩く姿は、もはや亡者です。どれだけむさぼっても心は、満たされないのだから、次々にわいてくる‘’欲‘’を野放しにせず、愚かな執着は捨てることです。‘’欲‘’を減らし今の状態に満足し「足ると知る」ことを学ぶ、これこそが心豊かに暮らす知恵なのです。
       「どれだけむさぼっても心は豊かにならない」  和尚さんの言葉より
1貧困をなくす 2飢餓をゼロに 3すべての人に健康と福祉を…、私たちみんなが、一つしかない地球で暮らし続けるために持続可能な社会を目指すSDGsをお忘れなく!

2025年1月7日火曜日

花だより 今年のお正月 胡蝶蘭

 

    

 ~今年のお正月~
 休みに入ってすぐに体調を崩し床についていました。回復したと思ったら、今度は腰痛で、どこへも出かけず、家の中でテレビを見たり、積んであった本や教育雑誌を読んで過ごしました。これから「和尚さんの言葉」が多いのは、「和尚さんの1分で心が整う言葉」という本を読んだからです。
  巳年は「再生と復活、新しいことに挑戦する年」といわれていますが、この歳になると、無理をせずにおとなしくしているのが一番と思っていました。ところが、お正月恒例のテレビ番組「大間のマグロ漁師」を見ていて、「60歳後半から体力の衰えを感じるようになった。あと何年漁に出られるか?」とベテラン漁師がつぶやいていました。「そうだよなあ~、分かるわあ~」と思いました。まてよ?自分はこの漁師さんのように長年身体を酷使してきたわけではない。75歳の漁師さんは「死ぬまで、まぐろの一本釣りを続ける」と言いました。ヌルヌルの生活を送っていることを反省して、下半身強化のため、休み最後の日、10階から下まで階段で降りて、階段で上ることにしましたが、5階で挫折しました。
 1月4日、ジョブチューンの一流シェフが査定する番組で、☆新春SP「餃子の王将」ジャッジ&ローソンスイーツ№1決定戦を見ました。餃子の王将は、どのメニューも千円以下ですが、一流のプロが驚くくらいクオリティーの高さがあります。北見はイオンの中に入っていますが、いつも30分以上待ちは当たり前です。お節料理にも飽きてきて行きたくなりましたが、テレビ放送直後はさらに混雑しているだろうと思い、行くのは止めにしました。そこでローソンスイーツを買いに近くのコンビニに向かいました。
 再生と復活には程遠いお正月でした。


 

2025年1月6日月曜日

花だより 正論だけでは心に響かない カンアオイ 市田柿

 

 

  100%正しいことを言っても、聞いてくれるとは限らない
 安定志向で真面目な人は、100%正しいことを言うのが好きです。先生も同じです。
「今宿題をやらないと、後が大変です。」「朝起きられなくなるから、早く寝なさい。」「お酒を飲みすぎると、身体を壊すよ。」「お菓子ばかり食べていたら、身体に悪いよ」などは、確かに疑う余地のない100%正しい事実です。
 そういう人は言行一致で、やるべきことをはしっかりやっているので、言われた方は反論できません。先生に反論する子どももいません。
 しかし、一つ残念なことは、「宿題をしたくない」「まだ寝たくない」「もっとお酒を飲みたい」「お菓子を食べたい」という相手(子ども)の心情を分かろうとしない点です。こうした気持ちを理解せず頭ごなしに正論をぶつけて、さらに「あなたのために言っているのに」と追い打ちをかければ、言われた方は一方的に価値観を押し付けられたと感じて、心を閉ざしてしまいます。子どもも一緒です。
 「宿題以外にやりたいことがあるんだね」「まだ起きていたいよね」「まだ飲みたい(食べたい)気持ちわかるよ」と、共感を示す簡単な言葉を最初に伝えることが大事です。そうすれば相手は心を閉ざさずにあなた(先生)の言葉に耳を傾けれてくれるはずです。
                                                             和尚さんの言葉から引用

2025年1月5日日曜日

花だより 迷惑かどうかは生き方の問題 カトレア アオキ

 



 迷惑をかけなければ何をしてもいいなんて、そんなの嘘だ!
 「授業中は、帽子を取りなさい。」と先生に言われた学生が「自分のおしゃれは、誰にも迷惑をかけていません。」と反論した。
 「人に迷惑をかけるようなことはしてはいけません。」と言われ続けてきて育った結果、勝手に拡大解釈して、「迷惑をかけなければ何をしていい」と考える人が増えてきました。
 しかし、迷惑かどうか判断するのは、相手であって自分ではありません。帽子をかぶったまま授業を受けるのは、先生にとっては「マナー違反」という迷惑を被っているのです。「誰にも迷惑をかけていない」とはいえません。「それなら、どんなことだって迷惑になり得るのだから、何にもできない。」と反論したくなるでしょう。しかし、大切なのは、「迷惑かもしれない」と思うことなのです。「迷惑をかけていない」と開き直るような生き方自体が、他の人には「迷惑」になることを知っておくべきです。 和尚さんの言葉から
 確かに最近、若者だけでなく「誰にも迷惑をかけていない」と開き直る人が増えました。
 髪を染め、奇抜な服装で登校してきた子を注意したら、「髪を染めたらダメという校則がありますか?誰に迷惑をかけたというのですか?」と言ってきた親がいました。「中学生になったら制服だし、校則もあるし、先輩の目もあるから、やるなら今でしょ!」と思っているらしいのです。

2025年1月4日土曜日

花だより これからの日本の教師の役割「伴走者」  スノードロップ みかん

 

 
 日本の先生は本当によくやっていると思います。
 学校のことだけではなく、家庭や社会の分までやっています。子どもたちとじっくり接したいと思っているのです。しかし、残念ながら、そのような環境や余裕はありません。それでも先生が努力しているのは、子どもが大好きだからです。学校の未来だけでなく、日本の未来を期待しているからです。今の教育は、そうした献身的な先生ありきで成り立っています。しかし、これが持続可能かは厳しい状況にあります。働く環境を改善していかないと先生になりたいと思う人がいなくなる可能性があります。
 今の日本社会は、外国の人がさまざまな職種で働いています。教育の分野も例外ではなくなるかもしれません。さまざまな国の人が日本で先生になる可能性があります。そうなったとき、子どもたちとのコミュニケーションの時間をもっと増やす必要があります。子どもたちもまたグローバルな社会で生きていかなければなりません。
 これからの先生の役割は、方向性を指し示すのではなく、子どもと向き合い、ヒントを指し示しつつ、自由な発言を引き出すことです。そうしないと先生がいないと何もできなくなってしまいます。「教師は伴走者」だといいます。今の教育改革は、このような方向で進められています。
 日本の先生は、業務多忙で大変な思いをしています。働き改革が進められていますが、残念ながら簡単に解決することはできません。問題を一人で抱え込まず、悩みを他の人とも共有して助け合いながら克服していくことが大事です。ところが、これが先生方は苦手なのです。先生が孤独感を持たないように学校や社会全体で支えていくことが大切になってきます。そうしないとこれからのグローバルな社会を生き抜いていくことはできないでしょう。

2025年1月2日木曜日

花だより 今年の元日は「鎮魂の日」 みかん オモト

 


 新しい年を迎え、去年のあれこれを引きずる人も12枚のカレンダーが丸ごと替わる正月は、前へ向き直しどきです。
 能登半島地震から1年になります。1月2日は、能登へ救援物資を運ぶ海上自衛隊の飛行機と旅客機が接触する事故が起きました。加えて能登では夏に洪水があり、二重苦に会いました。家族を亡くした人の悲しみの深さは伺い知れません。家屋を失い、仮設住宅で年を越さざるをえなかった人の心細さはいかばかりか、災害関連死が増加の一途をたどっています。住民が抱える重さを少しでも取り除いていきたいと思っても、能登の復興に駆けつけることはできませんが、元日はおめでたい日ですが、1年経っても忘れない、せめて能登の皆さんへ思いをはせる鎮魂の日にしたい。
 巳年は、蛇のごとく脱皮して、新しく生まれ変わる再生の年にしたいものです。


2025年1月1日水曜日

花だより 2025年 元旦 年賀

 

  今年の元日は雪になりました。「一年の始まりの日からお金を使うものではない」と祖母が言っていました。おとなしく家でテレビを見て過ごします。
 皆さんにとって、2025年:巳年が、復活と再生の新しいことが始まる良い年であることを願っています。
 今年も、退職校長(じいさん)のブログをよろしくお願います。