2017年11月21日火曜日

花だより リュウノウギク 校長の日々 


  《毎日が怖い!校長の日々》
 ある新任校長が、「校長になったら、ああしよう、こうしようと思っていたのですが、はっきり言って怖いですね。」と言った。 
 校長はなぜ怖いか。毎朝、子どもたちが学校に来る。次の日も、また次の日も、それが繰り返される。毎日の無事を日常と呼ぶのだが、ならば、日常とは奇跡の連続である。 
 なぜ怖いか。学校には様々な事柄や事態に対応しなければならない。子どもたちの様子、教職員の状況、保護者への説明、外部との関わり、教育委員会とのやりとり、膨大な校務のトップに校長がいる。学校経営の最高責任者であり、最終責任者である。つまり、後ろには誰もいない。もちろん設置者である教育委員会はあるが、学校内のすべての責任が校長にある。仕事はチームで進めても、最後の責任はひとりで負う。孤独な日々である。 
 なぜ怖いか。自分をさらけ出さなければならない場面が多い。式はもとより多くの機会に子どもたちや保護者に何を話すか、どんな文章を書くか。これは誰にも頼めない。当然、様々な判断も自分でしなければならない。自分自身の進退についてもそうである。自分ひとりでしなければならない。足が震えるけれど、そこから逃げることはできない。 
 みんなが校長を見ている。校長が、子どもたちや教員を守っているか。務めを果たしているか。多くの視線を感じる。これで怖くない人はいないだろう。 
 校長の適性とは、周りに助けてもらえるかどうかということのようだ。しかし、心ある周りの人たちも、その場にいない校長を支えることはできない。だから、支えてもらわなければならない者は、怖さに耐え、何とか力を振り絞って、その場にひとりで立ち続けていなければならない。 
 現場は、いま、そこにしかない。お手本はあっても、いつもその通りいくとは限らない。自分で考えるしかない。ブレない学校経営のしっかりした軸を持っていなければならないのだ。



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