年末、有馬記念の時期なるとオグリキャプを思い出す。
もう10年も前のこと、北海道小学校校長会の全道研究大会が日高町で開催された。「大きな会場も宿泊施設もない、そんなところで全道大会ができるのか?」と心配する声があった。おまけに日高管内は、北海道でも学力が低い管内であった。そのときの大会要項の表紙を飾ったのがオグリキャップである。
もう10年も前のこと、北海道小学校校長会の全道研究大会が日高町で開催された。「大きな会場も宿泊施設もない、そんなところで全道大会ができるのか?」と心配する声があった。おまけに日高管内は、北海道でも学力が低い管内であった。そのときの大会要項の表紙を飾ったのがオグリキャップである。
1990年12月23日の有馬記念、怪物オグリキャップ伝説のラストラン、連敗を喫して「オグリは終わった」とささやかれた中での劇的な勝利は、今も伝説として残っている。苦しいときに、オグリの存在に助けられたと話す人は多い。こんなに愛された競走馬がいただろうか?
サラブレッド(育ちがよく、優秀な人という意味で使われる)
サラブレッド(育ちがよく、優秀な人という意味で使われる)
競走馬は、優秀な戦績を残している血統から生まれているかどうかで、その価値は大きく左右される。血統が良ければ、取引額も高く、大きな期待が寄せられる。一方、血統が悪ければ、いうまでもない。競走馬は、血統が圧倒的にものを言う、厳しい“格差社会”で生きている。オグリキャップは、父親の競走成績が優れていなかったため、“二流の血統”と評価されていた。そのため地方の岐阜の笠松競馬場でデビューしたとき、活躍を期待する人は、ほとんどいなかった。
しかし、馬主の小栗孝一は、オグリキャップに自分の人生を重ね合わせ、期待を寄せていた。貧しい家庭に生まれ、幼くして叔母の家に養子に出された孝一。「恵まれない環境に負けてたまるか」と、自ら事業を興し成功した。馬主となった孝一は、たとえ血統が良くなくても、きゅう舎を毎日訪ねるなど、家族の一員として馬に愛情を注いだ。馬に託した願いはただひとつ。「“血統”という格差を乗り越えて、走ってほしい」
地方競馬から中央競馬会に殴りこんだオグリは、次々に血統の良いサラブレッドたちを打ち破っていった。
オグリキャップを表紙に使ったわけ、そこには日高校長会の「雑草魂」が込められていたに違いない。
0 件のコメント:
コメントを投稿