2019年2月3日日曜日

花だより ナズナ 義務教育の現状

「義務教育の現状」 
  山崎 正和氏 (大阪大学教授、東亜大学学長、中央教育審議会会長)
首相が「1億総活躍社会」を目指し、人材育成への期待が高まっている昨今だが、人づくりの基礎となる義務教育の現場が、今危機に直面している事実は意外なほど知られていない。
経済格差の拡大、家族関係の歪みなどによって、学齢以前の子どもの基礎教育が疎かになっていることが原因である。
貧困家庭や父子・母子家庭の増加に伴い、いわゆる要保護児童・生徒とそれに準ずる子どもの数は、2012年には6人に1人に達している。
そういう家庭では親子の接触の時間が減り、しつけを中心とする家庭教育は不十分にならざるをえない。これは確実に学校現場に影響を与え、関係者の間では、教員は新入生に学科を教える前に、まず教室で静かに着席させるために苦心するありさまだという。
統計的に見ても、親の所得と学齢を合成したSES(社会経済的背景)という指数があるが、これが子どもの学力と強く相関していることは、文部科学省の資料から明らかである。貧困家庭は次の世代をも貧しくすると言われるが、その前にこれを防ごうとする学校教育を難しくし、教員の負担を重くしているのが現実である。
また現代では注意欠陥・多動性障害の場合も通常の学級に在籍するなど障害児童・生徒も通常の学校で教える傾向が強まっている。その数も1993年度の1万人余りから2014年度には8倍に増え、これを症状ごとに個別に教える苦労は尋常ではない。
元来、日本の教員は忙しかったが、こうした社会変化はその多忙を加速し、労働時間の過酷な延長をももたらしている。こうした困難な学校を支援するために、かねて教員には「加配定数」という制度があって、法定の定数外に若干の増員が認められていた。だが、財務省は子どもの減少を理由に、教職員全体を大量に削減する中で、この加配定数の大幅縮小を主張したのである。
論拠は「費用対効果」だが、教育の効果は道路整備のように目に見えるものではない。現に学校現場が苦境の中で完全に荒廃していないのは、それ自体が加配定数の効果だと見ることは十分できる。
義務教育の本質をさらに深く見直せば、現在の小中学校の実態は、ただ現状を守るという姿勢では終われないことは明らかである。責任は文教行政だけでなく、社会全体に及ぶことだが、現代日本の「高学歴・低学力化」には目を覆うものがあり、分数のたし算ができない大学生がいるという事実も広く知られている。その遠因は明白に義務教育にある。
 義務教育の内容は相当に高く、習得すれば社会人の教養として不足はないのに、それを国民の義務として習得させる制度がない。学制のどこにも落第の関門がなく、質を問わなければ全生徒を受け入れるだけの高校、大学がある。義務教育の充実は国の義務であり、それを習得するのは国民の義務である。両者の義務を果たすためには、ぜひここで制度の不備を正し、学校教育の強制力を強める必要があろう。(要約:牧野) 
「教育は人なり」言い尽くされた言葉ですが、「教育は金なり」という言葉の方が当てはまるのではないかと思います。
 TTが導入されるとき、「1+1=2ではなく、1+1=1にする。」と言った学者がいました。「本来一人の教員がやるべきことができなくなり、チームでそれを補うのがTTの考えだ。」というのです。また、「総合的な学習の時間」ができたときは、「教科書のある教科指導すら満足にできない教師に、一からカリキュラムづくりをする高度なことが今の教師にできるはずがない。また、そんな時間などない。」と言った人もいました。なんと教師は低く見られたものだと反感を持ちましたが、現状は「1+1+1=1」になるくらい深刻です。
 「教育は人なり」と教師の尻を叩くだけで今日の課題は解決しません。国が教育に力を入れるとは、予算をつけることですが、総枠はあまり変わらないので、どこか増えるとどこかが減らされるということなのです。
 そして、問われるのが費用対効果です。例えば「加配によって、学力は上がったのですか?」いやいや、道路整備のように目に見えるものではないのです。

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