2019年2月19日火曜日

花だより アネモネ 子どものできる「責任の取り方」


 シリーズ 「母の品格」 多湖 輝 著
  子どものできる「責任の取り方」を親がきちんと教える
 小さな子どもは本来わがままなものです。だから赤ん坊のうちは人のものを取ってもあやまろうとしません。それが少しずつ大きくなるにつれ、いたずらするとあやまるようになります。しつけがうまく進んでいくと、子どもが社会性を身に付けていきます。それはやっていいことと悪いことの区別をつけていくということです。
 スーパーの中で5歳くらいの男の子が走り回っていて、お菓子コーナーにぶつかり、山積みになっていたお菓子がバラバラに落ちてしまいました。男の子は呆然として見ているだけです。するとお母さんがやって来て「何してるの。こっちに来なさい・」と子どもを呼んで、どこかへ行ってしまったのです。
 ばらまかれたお菓子を拾ったのは、近くの大人でした。子どもが自分でやったことに責任をとるということを実践で学ばせる大切な機会を逃しただけでなく、まずいことをしたらその場を逃げるという余計なことを学んでしまったことになります。お母さんがやらなければならなかったことは、お菓子を拾ってくれた人にお礼を言って、子どもに散らばったお菓子を拾わせる。もし、壊れたり、汚れたりしたものがあれば、責任をとって買い上げるということです。子どもでもやったことに責任をとるということは大切なことです。
 周りから「敬遠」される大人にはしたくない 
「子どもが勝手にやったことです。」などという親は、周りから敬遠されてしまいます。敬って遠ざける、「敬遠」とはおもしろい言葉です。心から敬っているのではなくて、敬うふりをして近づかない。親しくならないということです。
 責任のとれない大人は、陰で笑われる裸の王様です。でも、実をいえば「責任の取り方」などというのは、教育やしつけではないのです。ごくごく当たり前の常識をたくさん身に付けることによって、いわばその集大成として、責任とは何かということがわかってくるのです。ですから、子どものうちからしっかりと常識を身に付けさせることです。
常識とは、突拍子もないものではありません。人に会ったらあいさつをするとか、自分の思い通りにならなくてもがまんするとか、人には親切にするとか。それはみな当たり前の常識なのです。そういう当たり前のことを、親が当たり前のようにやっている姿を見て、子どもの気持ちの中に少しずつ常識が芽生えてきます。
 「やって見せ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば人は動かじ」(山本五十六)という教えがあります。お母さんが常識と思っていることを子どもに一つずつ伝えていって欲しいと思います。手間暇のかかることですが、手間暇を惜しまないのが愛情でもあります。

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