2019年5月31日金曜日

花だより サツキツツジ 遠足は五感で

 ・・・遠足~出発式のあいさつから~・・・
 今、腰が痛くて整骨院に通っています。整骨院の先生から、「原因は“運動不足”です。歩きなさい!」と言われました。考えてみたら、家から学校まで100mくらいしかありません。これでは歩いているとはいえません。長い距離を汗をかいて歩く「ウォーキング」は健康にとてもいいのです。でも、ただ歩くのはつまらないものです。体全部(五感)を使って遠足を楽しみましょう。
 目~周りの景色を見ながら歩きましょう。
 耳~小鳥のさえずり、風の音、海の音を聞きながら歩きましょう。
 鼻~畑のたい肥のくさい臭いもかぎましょう。潮の香りも感じましょう。パン屋さんの  近づくといい匂いがします。
 手~貝殻を拾ったり、海の水など、いろいろなモノに触れましょう。
後、使っていないのはどこですか?
「足と口!」
「足は、もちろん歩くのに使います。」 
「口は?」
「はい、おやつとお弁当を食べるのに使います。」
体(五感)を全部使った遠足は、思い出がたくさんできます。
思い出がたくさんできるといい作文が書けます。作文を書いたら、校長先生に見せて下さい。


2019年5月30日木曜日

花だより タニウツギ ウォーキングのすすめ


 前任の若松小学校の遠足は、他の学校とは違い距離が長く高学年は25㎞も歩きます。出発は朝6時、さすがに帰りはバスです。そのため1か月前から練習をして本番にのぞみます。
 人間にとって立って歩くことは基本ですが、車社会になって歩くことが少なくなり、最近では健康法としてのウォーキングが注目されています。25㎞も歩くと、体力はあっても歩き方の悪い子は、20㎞を過ぎたあたりから足や腰の痛みを訴えるようになります。お子さんの靴底の減り方を見て下さい。偏減りしていると歩き方に問題があります。
  ~ウォーキングのすすめ~
 ただ散歩のように歩くのでなく、歩く姿勢やスピードなどを意識して歩く。真剣に美しく歩くためにはかなりの体力を要します。また、子供からお年寄りまで全身運動として一番無理がなく、スポーツ経験のない人でも始められる運動です。そして、1人でできるし、時間も好きなときにできる気軽さがあります。家族みんなでできるピッタリの健康法です。そのためには「正しい歩き方」を身につけることです。
 正しい足の運びは、①かかと→②足の外側→③小指の付け根→④親指の付け根→⑤親指と体重移動するのがふつうです。多くの人は、親指まで体重移動せずに小指から踏み出すので、疲れやすく、足や腰に負担がかかります。また、ウォーキングのような有酸素運動は心肺機能を鍛え持久力をアップさせます。酸素摂取量の大きな人は、疲れにくく疲労回復が早いそうです。
 人に勧める前にまず自分です。校長住宅から駅前にある足湯まで、15分かけて歩き15分足湯に浸かり、また15分かけて戻ります。効果は、まだ分かりません。
 

2019年5月29日水曜日

花だより セッコク やさしいお兄ちゃん


【心がホッとステーション】
 妹の忘れ物持ってきた、やさしいお兄ちゃん
 月曜日の朝、職員玄関に中学生の男子がやってきました。「なぜ、平日なのに?」と思ったら、中学校は運動会の振替休日でした。
「すみません。3年の〇〇ですけど、妹が忘れ物したので届けに来ました。」
お母さんから持って行くように言われたのでしょうか?それとも自分から持って行くと言ったのでしょうか?困っているだろう妹のために、忘れ物を持ってきた兄ちゃんはえらい!!
 妹に聞きました。「優しいお兄ちゃんだね。」
「そんなことないよ。家ではケンカしているよ!」
 

2019年5月28日火曜日

花だより シロツメクサ アマリリス 「みんないっしょに」というのは困った風潮


 「みんないっしょに」というのは困った風潮 
   “母の品格” 多湖 輝 著より
 かけっこというのは、おもしろいですね。子供たちが一生懸命走っている姿を見ると、心から「がんばれ」と声援を送りたくなります。見ている者も夢中にさせるのが運動会での徒競走です。
 ところが今の運動会は、子供たちがゴールしても1番や2番を決めるわけではなく、昔のように1等賞、2等賞というような賞をもらうことはしません。
 ゴールには親がビデオカメラや携帯電話のカメラをかまえて待っているので、わが子が何番だったかは、カメラの中に残されているだけというのが多いのです。
 中にはあらかじめ子供たちのタイムを記録しておいて、同じようなタイムの子供を並べて走らせる学校もあるようです。そして、みんな頑張ったからということで、みんなに「健闘賞」を配るところもあるようです。
 なぜこうなったかというと「1等賞がとれなかった子供やビリになった子供がかわいそう」という親の真理が働いているのでしょう。
 今の運動会は、昼のお弁当も親と子は別々の場所で食べるのだそうです。これも「運動会を見に来れなかったお父さんやお母さんがいる子供はかわいそう」という親の心理が働いています。
 子供が「かわいそう」なことはできるだけさせたくないという気持ちは大切です。しかし、それと同じくらい「かわいそう」な状況になったときにどう耐えられるかを子供が学ぶことも大切です。
 今は「かわいそう」という親の気持ちが大きくなって、どんどん子供を過保護にしています。子供を「保護」することと「過保護」にすることは、天と地ほどの大きな差があります。お母さんが子供を「保護」したいというのは理屈ではなく、心の底からにじみ出てくる母性本能でしょう。でも、この気持ちをうまくコントロールしていかないとあふれる母性本能で「過保護」になってしまいます。気持ちがあふれて暴走しないようにコントロールするのが「母の品格」だと思います。


2019年5月27日月曜日

花だより エビナ キンギョソウ 運動会と集団規律

  曇り空の運動会が丁度いい!
 総練習の後「どうせ赤は負けるんだ。」と言った1年生がいました。勝負はやってみなければ分かりません。転んだらすぐ起き上がって走ればいいのです。バトンを落としても気にしない。次の人たちが、その分一生懸命走って挽回してくれます。組み体操、“失敗したらどうしよう”そんなことは考えない。成功してお客さんから大きな拍手をもらう、いいイメージだけを持ってやりましょう。赤組も青組も白組も優勝目指して頑張って下さい。
 保護者の皆様にお願い申し上げます。昨年は、スキーウエアーを着て、毛布を羽織って応援するくらい寒い運動会でした。今年は、晴天とまではいきませんが、暑くもなく寒くもなく、これこそ運動会日和だと勝手に思っています。
 さて、子どもの成長というのは、目を見張るものがあります。1年生、ちょろちょろ落ち着きなく学校中を走り回っていたのが、こうして上級生と一緒に整列をして、話が聞けるようになりました。運動会は、こうした子どもたちの成長を見てもらう場でもあります。
 朝日小学校も児童数が減ってきて、行進の隊列が短くなり、少し寂しくなりましたけれども、その分子どもたち一人一人、精一杯がんばります。
 子どもは、保護者の皆様の声援で普段以上の力が出ます。練習で3等だったの子が1等になるかもしれません。どうか最後まで温かなご声援を賜りますようお願い申し上げます。(運動会のあいさつから)

 【消防団の消防演習】
 一糸乱れない集団規律と集団行動に運動会と重ねて観ていました。
人間には、「集団本能」とか「集団欲」といった生理学的な機能が組み込まれていて、人間社会は、集団規律を守ることで成り立っています。人間は集団でいることで自分の命を守っていると言われています。
 特に消防団とか自衛隊は、集団規律や集団行動ができていないと、事故や死につながることから、徹底した訓練が行われます。学校の集団生活ですから、当然、集団規律や集団行動が重んじられます。運動会は、そうした集団行動を身に着ける学びの場でした。
 ところが最近のオリンピックの入場行進は、昔と違い選手が行進曲に合わせて足並みを揃えて行進するのは「軍隊を連想する。」という批判から、だらだら歩く形になりました。これに影響を受けて、学校の体育の授業でも「集団としての行動の指導」が削除されました。(教えなくなりました。)しかし「集団規律」「集団行動」は必要です。
 個性とか自由とか言っても、それは集団の活動や日常生活の中で発揮されなければ意味がありません。もしこの点を無視すれば、単なる自己中心的なわがままな迷惑行為です。 
 最近、集団生活に馴染めず、反発したり、教室から逃げ出したりする子どもが増えてきています。「集団規律」は、体を通して繰り返し覚えさせる教育の範疇に属することから、体育科において指導する内容です。また普段の学習にも大切なことです。運動会を通して子どもたちに身に付けさせたい大事なことだと思います。消防演習は、大変勉強になりました。

2019年5月25日土曜日

花だより カスミソウ 変わらないもの

よい授業をするための条件
 当たり前のことが当たり前にできること 指導が一貫していること
1 遊び時間と、授業時間のけじめをつけること
2 指示されたこと、決まっている学習用具を忘れないこと
3 必要な学習用具が正しい置き方で机の上に用意されていること
4 教師の話や友だちの発言を終わりまでよく聞くこと
5 指名による発言と自由発言とを区別すること
6 発言は大きな声で、みんなに聞こえるように話すこと
7 友だちのまちがった発言や失敗を笑わないこと
8 友だちを押しのけるような自分勝手な行動を押さえること
9 仕事はすべて終わりまでやり通すこと
10 何事も順番を守って行動すること
11 いつも学習姿勢をくずさないようにすること
 私が新卒の時ですから、40年も前に先輩教師から言われたことです。
 教育改革が進んでも、変わらないもの、変えてはならないものがあるのではないでしょうか?

2019年5月24日金曜日

花だより シャクヤク 明日は運動会


 運動会シーズンを迎えました。近年、全国の小中学校で広がっているのが、午前中もしくは昼食時間を設けずに午後の早い時間までに終了する“時短運動会”です。札幌市内の小学校では、全体の6割超が「昼まで開催」の予定だという。
 運動会といえば、学校行事というより、地域の行事で、家族だけでなく親戚縁者が集まるので、そのために場所取りが必要でした。お母さんは、前日からお弁当作りで大変でした。徒競走や選抜リレーのほか、玉入れや綱引き、騎馬戦、組体操、ダンスなど様々種目の他に、地域や保護者の種目もが用意され、午後3時、4時ごろまで行われていましたが、時代の流れとともに運動会の趣旨も様変わりした。
 運動会の目的を改めて議論すべき  教育評論家 石川幸夫氏
「組体操や棒倒しなどは子どもたちがケガをして危ないということで、ほとんどの学校で禁止になりましたし、順位で優劣をつけないために、徒競走の『手つなぎゴール』や短距離の『全員リレー』にルール変更する学校も増えました。本来の“競う”運動会から、日ごろの体力づくりやチームワークなどを保護者に“披露する”だけの機会に変わりつつあるのです。」
 時短化が進んでいるのは、単にこうした禁止・変更種目が増えたからだけではありません。今年はゴールデンウイークが10連休もあって、ダンスなど運動会に向けた練習をする時間がほとんどなかったうえに、6月になると高学年は修学旅行があるので、その準備も大変。また、来年からは学習指導要綱の改定で、小学3年生以上の英語の授業数が増えます。あまり運動会にばかり時間を割いていられないのが現状です。
 働き過ぎとの指摘も多い学校教員の“負担軽減策”として運動会の規模縮小が図られている背景もあります。
 一方保護者は、「ウチは共働きで、毎年、朝早くにお弁当を作るのも面倒ですし、夫も明け方から場所取りのために校門前に並ぶ“恒例行事”に疲れてしまって……。今年は開会式ギリギリに行って、校庭が見えない後ろでも座れる場所を確保して、子どもの出番の時だけ前のほうで見る予定です。もう午前中だけの運動会になってもいいと思います。」
 弁当要らずの時短化となれば、こうした共働き夫婦の負担を減らすこともできるが、最近は午後まで運動会を開催する学校でも、あえて親と子が別々に昼食を食べる時間を設けているケースもあります。これは弁当を作れない共働き夫婦や、母子・父子家庭への配慮だけが理由ではありません。
「親はまだしも子どもは応援合戦などでずっと直射日光を浴びているので、長時間の運動会で熱中症にでもなったら、すぐクレームに繋がります。そうした問題を起こさないためにも、屋内での昼食や、運動会自体の時間見直しは仕方のないこと。逆に小雨で順延になっても学校に『なんでやらないんだ!』とクレームの電話がかかってくる時代です。
 教育関係者の中には、「時短化してまで続けるくらいなら、いっそ運動会自体をやめてしまったほうが学校も保護者も楽になるのでは」と廃止論まで飛び出す始末です。そこには運動会の主役である子どもたちの存在が完全に無視されています。
 子どもの中には、勉強だけでなく運動が得意な子だって当然いますし、応援合戦やダンスなど表現活動に秀でた子もいる。運動会の時短化や廃止は、子どもたちからそうした能力を発揮する大事な場を奪うことになります
 学校や親の都合、事なかれ主義ばかりではなく、教育的配慮から運動会の目的を改めて議論すべき時期にきているのではないでしょうか。

2019年5月23日木曜日

花だより オオアマドコロ はるな愛さん「居場所は絶対見つかる」


  はるな愛さん「居場所は絶対見つかる」(読売新聞 平成31年4月4日)
 中学に入った頃は、学校も友だちも怖くて嫌でした。
 物心ついた頃から女の子になりたかったのですが、中学1年生の時には、親の言うとおりに男らしく振る舞いました。でも、自分らしくいられずビクビクしていたからか、いじめのターゲットになりました。
 清掃の時間に蹴られたり殴られたりしました。先生に助けを求めたら「あなたにも悪いところがあるんじゃないの?」と言われ、心配をかけたくなくて親にも相談できない。死にたくて歩道橋から飛び降りようとしたこともありました。
 中2の時、母の知人が連れて行ってくれたショーパブで生き生きとしたニューハーフの世界を知り、居場所を見つけたと思いました。自信が持てるようになると、いじめもやみました。
 あの時、死なないで本当に良かった。好きな洋服を着て、美味しいものを食べる。こんな彩り豊かな日が来るとは想像もつきませんでした。
 孤独で辛い気持ちはよく分かります。学校と言う狭い箱にとどまらず別の場所に動いてみてください。世界は広く、絶対に居場所はある。嫌なことがあった分、いいこともある。誰にでもいいからSOSを発信してほしい。一緒に生きていこう。

【性同一性障害・トランスジェンダー】
 性同一性障害は、精神病者ではありません。同性愛者とも違います。
 厚生労働省の2011年の調査では、全国で約4,000人と推計していますが、北海道文教大の調査では、約46,000人と推計しています。
 誰にも相談できず、一人悩んでいる子が私たちの身近にも存在します。はるな愛さんやIKKOさんのような人がテレビで活躍すると勇気づけられるでしょう。

2019年5月22日水曜日

花だより ミカンの花 “無条件に”聴く

子どもや保護者の訴えは、“無条件に”聴く(教師としての心構え)
 訴えてきたのが、子どもであれ保護者であれ、“無条件に”まず聴くことが、対応の出発点です。“無条件に”という意味は、①教師の先入観、例えば「たいしたことではないだろう」とか「どうせ、また…」などという先入観を排すること、②聴くことが最優先、指導は二の次ということです。
 いじめ、不登校、問題行動などは、早期発見・早期対応が長年叫ばれ続けていますが、同じ過ちが学校現場で起きてしまうのは、この一見簡単そうに思えることが最初に行われていないからです。特に①の「先入観」は、どんな教師でも陥りやすい心理です。実際学校現場では、毎日何件もの子ども同士のトラブルやもめごと、嫌がらせ行為に対応していますが、ほとんど解決しています。そのため、子どもや保護者からの訴えに対しても「たぶんたいしたことないだろう」という先入観が生まれます。事実を正確に見る目が曇ってしまいます。さらにこの先入観があると、訴えの対応を後回しにして、事態が悪化していくことが多いです。また、普段子どもと接している教師は、保護者に対して上から目線で話しがちです。不信感を与えると問題解決は図れません。どんな訴えでも、“無条件に”まず聴くことを最優先にすべきであると肝に銘じておくべきです。

2019年5月21日火曜日

花だより セキチク うちの子をよろしくお願いします


 「うちの子をよろしくお願いします。」
 何人もの障がいを持つ子の母親から言われました。
 特認校の若松小学校は、入学を希望する保護者との面談があります。
 若い母親でした。校長室に入室するなり、「涙声で若松小学校にうちの子を入れていただけないでしょうか?街中の学校では、うちの子はいじめにあってしまいます。」
 若松小は、特認校で特別支援学級を持つ学校ではありません。と説明してお断りしましたが、とても切ない思いをしました。
 斜里の朝日小では、両親とも高学歴で我が子の障がいを認めようとしませんでした。担任から「お宅のお子さんは…。」と言われたと激怒して校長室にやってきました。さまざまなデーター(行動記録、客観的資料)をそろえ、何度も家庭訪問をし、納得してもらうまで数ヶ月かかりました。
 網走潮見小では、「こんな学校では、うちの子を安心して預けることはできません。」と言われました。母子家庭で精神的に不安定な母親でした。関係機関と協議をし、転校させることにしました。その判断はとても悩みましたが、どちらがよりベターか、時として、こうした判断も必要なんだと自分に言い聞かせました。
 他にも、特別支援に関わり、さまざま相談を受けてきました。しかし、それは校長の役目です。
「うちの子は、他の子と違うんだ。だから、特支学級に入っているんだ。他の子と同じようなことをされても困る。この子にあった教育をしてくれると言うから、入れたんだ。できれば、普通学級に居て欲しいんだ。この子はだれも守ってくれない。親が守るしかない!」と言った親がいました。
「校長先生、毎晩夢を見るんです。この子がある日突然、話し出す夢を見るんです。他の子と一緒に仲よく遊んでいる夢を見るんです。大きく立派に成長している姿を見るんです。でも、それは夢なんです。」
 障がいを抱えた親の苦悩に私たちは、寄り添っていかなければなりません。大事なのは、その子にとって何が一番大事なのかということです。個別の支援計画、個別の指導計画の作成が義務づけられています。子ども一人一人に要する支援内容が異なります。生育歴など、客観的なデータと行動記録、指導記録を積み上げ、冷静に対応しなければなりません。 


2019年5月20日月曜日

花だより レンギョウ ヒナゲシ お母さんの反抗


 「母の日」カーネーションを見て思う
 言の葉大賞 「言葉の力を感じるとき」《優秀審査員賞》
  「お母さんの反抗」 
                     千葉県木更津市 吉田 美香子
 私はお母さんです。君に「うるさいバカ」と言われたら悲しくなります。「死ね」と言われたら泣きそうになります。例え、無意識に口から出た言葉でも、お母さんは傷つきます。もう何も言い返す元気もなくなります。そんなことを言われた朝は「いってらっしゃい」を言えずに見送る時もあります。君は言ったことすら覚えていなくても、お母さんは忘れられません。学校へ行っていない君の机を見ると、ため息が出ます。反抗期だからと気持ちを整理するには時間がかかりそうです。
 小さい頃から「人が聞いて嫌な思いをすることは言ってはいけません。」と教えていたはずなのに。お母さんは、大好きな君に対して、その様な事は言わないはずです。もし本当にお母さんが死んだらどうするの?それでも平気でいられるの?「死ね」って言う事は、いなくなって二度と会えない事なんです。よく考えると簡単に口に出してはいけない言葉だとわかるはずです。
 お母さんだって君と同じなのです。調子が悪いときや年の為か節々が痛い時や、君の知らない事で悩んだりもしています。君が好きな番組を楽しみにしている日がある様に、お母さんにだってあります。もっぱら、チャンネル権はありませんが。
 君が遠足だとお母さんも前日からワクワクします。お弁当に何入れようかなあ。と考えます。参観日だって、見に行っている方なのに、君が発表する時は、ドキドキします。
 これから先、色々な人と出会い自分を磨きゆっくり成長して親離れして欲しいです。成長の中で反抗期があるとするなら、人を見下すありふれた言葉ではなく、君なりの言い方で、かかってきなさい。お母さんもその反抗を正々堂々受けて立とうとじゃないか。明日も頑張るぞ。


2019年5月18日土曜日

花だより アヤメ バラ② まち自慢の小学校


 ***羨ましい*** 
 「伝書鳩に網走の小学校のことが載ってるわよ。」帰宅すると妻が教えてくれました。
 経済の伝書鳩 あばしりの“風景” ~まち自慢の小学校~
 ~知り合いの男性市民Aさん。この春、長男が網走市立〇〇小学校に入学した。
Aさんは、長男の入学式に出席した。最も感心したのは、〇〇小学校の雰囲気のよさであった。
「〇〇小学校に勤務知る先生全員が『一つになっている』という感じがしました。統制がとれているというか。〇〇小学校の一体感が伝わり、息子は良い学校に入学できたなと思いました。」
 〇〇小学校の話題は、昨冬、北見市でも耳にしたことがある。ある体育館の観客席にいた2人の若き小学校教諭の会話が偶然耳に入り、彼女らは「いつかは〇〇小学校で仕事がしたい。」と言っていた。〇〇小学校は網走の自慢の一つである。~
「どこの学校だか、わかる?」「○○校長のところだよ。学力も全国平均以上だし、体力も高いし、入学式に出席しただけで、良さを感じるもんなんだなあ。すごいよなあ!」
「北小もこんな風に書かれるといいけれどね。無理なんでしょ?」
「どうして?」
「校長の力量の差が出るんじゃないの?」


2019年5月14日火曜日

花だより シラン 一生懸命で頑張り屋な先生ほどSOSが出せない


 ●教師のメンタルヘルス● ~心身の健康のために~
◎一生懸命で頑張り屋な先生ほど、SOSが出せずに孤立
 授業づくりが非常に熱心。そんな先生ほど、ある日疲労から休み始めたかと思うと、そのまま欠勤や遅刻を繰り返すようになることが少なくありません。2~3日休んでいた分、出勤すればまた一人で夜遅くまで頑張り、その疲れでまたダウンしてしまいます。欠勤中には多かれ少なかれ、同僚の先生に迷惑をかけているのですが、素直に感謝の言葉を伝えたり、SOSを出すのが苦手です。本人も徐々に仕事への自信がなくなり、周囲からも信用を失い、どんどん孤立してしまいます。こうなると逃げ出したいという気持ちと頑張らなくてはならないという気持ちの葛藤から、結局体調を崩して動けなくなってしまいます。こうして休職したり、退職に追い込まれる教員が増えています。
◎できる限りみんなの前で愚痴る
 困ったことがあったり、嫌なことがあったら、問題と情報をなるべくみんなに知ってもらうためにすぐにみんなの前で愚痴る。そうすると陰でそっとカバーしてくれる人もいる。何気なく知恵を与えてくれたり、助けてくれる人がいる。お互いに信頼し合い、職員室全体のメンタルヘルスを考えること、お互いにSOSを出しやすい環境づくりに取り組むことが大切です。
 働き方改革で勤務時間が短縮されても働く環境が変わらなければ、この問題は解決しません。

2019年5月13日月曜日

花だより アヤメ 教え子


 【心がホットステーション?】
 不良少年グループがお祭りの露店を歩いていると、怖そうな店主のお兄さんから、「兄ちゃんら、えらいかっこつけて歩いてるな?ちょっとこっちにこいや!」と声をかけられると急に態度が変わって「いや、いや、そんなことありません。」とすごすごと立ち去っていきました。きっと学校の先生が注意してもこうはならなかったでしょう。
「おかしな奴がいたら、俺等に相談してくれ、真っ当な道を教えてやるからさ!」と言ったのは、教え子でした。何か複雑な思いがしました。

2019年5月12日日曜日

花だより カザグルマ GW


 連休の好天でツツジや梅、桜、レンギョウ、ムスカリ、スイセンが一気に咲き、学校の桜はすでに散り始めました。白樺の葉も芽を吹き出し、花粉症の方には、やっかいな時期を迎えますが、若葉香る時期になりました。皆さん、この連休でしっかりリフレッシュされたでしょうか?
 ◇□◇北小の顔◇□◇  ~個性の花開く教育~ 
 道道(屯田通り)側(裏門)にある看板の字が色あせて見えなくなっていたので、連休中に塗り直しました。玄関は、家の顔です。好印象を与えるか、それとも何だこの家は?と思われてしまうか、家の顔は大切にしたいものです。
 犬の散歩をさせていた方から、「あら、“個性の花開く教育”と書いてあったんですか?気がつきませんでした。」と声をかけられました。
 「林家正雀落語独演会」(連休中:北見東急イン)に行ってきました。
 せっかくの機会なので一番前の席で見ました。テレビで見るのと違い、扇子や手ぬぐいの使い方、ちょっとしたしぐさにも、これぞ芸、これぞプロ、本物は違います。でも、終わって立ち上がるとき、足がしびれているのが分かりました。
 落語を聞いて笑うとリュウマチ、痛風、神経痛など成人病が治るし、頭で想像して聞くので脳が活性化され、ボケ防止にもなるそうです。

2019年5月11日土曜日

花だより カキツバタ 校長室 カーネーション


◎×△□最近 校長室は大盛況 クールダウンに校長室へ◎×△□
 校長室に興奮状態でやってくる子がいます。穏やかに「どうしたんだ!」と優しく聞くときもあれば、「わがままは絶対許さないからな!」と怒鳴りつけるときもあります。
◎校長室は立派でなければならない 
 前任校での話です。職員玄関から怒鳴り声がして、「校長先生、大変です。ヤーさん風の人が教頭先生とやり合っています。」事務補さんが校長室にとんで来ました。「校長室にお通ししてください。」と頼みました。するとしぶしぶ校長室にやってきました。
「校長の牧野です。何か学校に粗相がありましたでしょうか?」と切り出しました。(心臓はバクバクしていましたが、平静を装っていました。)すると穏やかになって話し出したのです。
◎校長室は、学校の中で特別な空間(威厳のある)であらねばならない 
 応接セットは高級なモノで、書棚には、いかにも難しそうで重厚な書籍が並べられ、壁には美術品が飾られ、棚には高価な調度品が置かれているべきだと思います。もちろん整理整頓、掃除が行き届いていることは最低条件です。
◎一番重要なのは、そこの住人? 
 校長になったとき母が、「いいかい喜充、校長先生になったんだから、安っぽいスーツなんか着るんじゃないよ。靴は運動靴ではなく、校長先生が履く靴を買いなさい。」と言われました。サラリーマン身分で高級なスーツを着ることは出来ませんので、せめてと思い校長先生が履く靴?を購入しようと札幌の三越に行って「校長先生が履く靴はありますか?」と聞くと(何と恥ずかしいこと)「もしかして、ドクターシューズのことですか?」と言われました。今履いている靴は二足目になりますが、4月の新学期前には必ず手入れをして大切に履いています。
「外見より中身だろう!」と言われそうです。校長としての威厳、権威を身に付けたいと思っていますが、一朝一夕にはなりません。まだまだ修養が足りずカリスマ性もありません。どうしたらカリスマ性が身に付くか?ニュートンやレオナルド・ダ・ビンチなど歴史上の科学者は哲学者であり、哲学者は科学者でもありました。教師もまたそうでありたいものです。
 校長室は来客の接待室でもあります。お得意様サロンです。校長室を有効に活用して下さい。

2019年5月10日金曜日

花だより カーネーション 教師はカリスマ的存在


 ~釈迦に説法~
 どんなに優秀な先生でも、他の学級で授業するのは難しいものです。確かな児童理解と学習訓練ができていなければ、授業は成立しないからです。誰かが作った指導案を使って授業をしてもうまくはいきません。授業の成功・失敗は、4月からの学級経営にかかっています。
 よい授業とは、わかる楽しい授業です。楽しい授業とは、冗談を言って笑わせる授業ではありません。
 先生の評価は、授業だけではありません。「退勤後の教室(整理整頓)で分かる。」と言ったのは、用務員さんです。
 教師はカリスマ的存在 ~教えるプロとしての指導力向上=カリスマ性の発揮~
 教師は教える人という制度的権威の正当性を有しています。その教師がカリスマ性を失えば、学校と教師は尊敬と憧れという対象ではなくなります。教師がカリスマ性を手放せば集団は混乱し、暴れ回る子ども、引きこもる子どもなど、さらにモンスターペアレンツという怪物が出現します。
 

2019年5月9日木曜日

花だより キリ ゼラニウム  無理せず、急がず、はみ出さず、力まず、ひがまず、いばらない


  新任教員の皆さんへ
  無理せず、急がず、はみ出さず、力まず、ひがまず、いばらない
 “健康で長生きすることが人生の目的ではない。しかし、第一の条件である。”先ずは無理をして健康を害さないことです。心と体と頭のバランスが大事です。慣れない環境で、疲れる日が続いていると思いますが、“よく食べて、よく寝て、よく仕事する、生活のリズムを守る”基本的なことをしっかり守って下さい。
 “無理せず”とは、人はつま先立つと、不安定になります。皆さんは若いですからエネルギッシュで、体力も気力も充分あると思いますが、多くの経験や勉強を重ねながら職能が向上することになりますので、“力まず”失敗を恥ずかしがったり、恐れたりしないで前向きにチャレンジして下さい。“向き不向きより、前向きが大切です。” 
 “はみ出さない”とは、教育を担う職業を自分自身で選択した以上、教員としての常識やモラル、社会人としてのマナーはしっかり身に付くよう心がけることです。
 ある教育長さんが、「教育委員会に挨拶に来た職員団体の役員が、コートを脱ぐことなく入室してきた。こういう非常識な先生方に真の意味で子どもの教育を任せられるだろうか、保護者の信頼を得られるかと不安になった。」とおっしゃっていました。
 教師は『背広を着た子どもであってはならない。』一教師である前に一社会人でなければ尊敬の念やこの先生に学びたいという気持ちは起きてこないものです。
 教員として、教育に対する情熱、子どもへの愛情、責任感、使命感も当然大事なことですが、人格、品格も大切です。

2019年5月8日水曜日

花だより ゼラニウム 目指す教師像

学校経営方針解説(2)
《目指す教師像》
 ◎子どもとともにある教師  (尊敬される教師)  
 ◎自らを高めようとする教師 (自己研鑽に励む教師)
 ◎使命感にあふれる教師   (教育公務員として信頼される教師) 
 ◎子どもを見る眼のある教師 (児童理解に努める教師)

・~・「教師らしい」・~・
   (網走市教育委員会 木目澤教育長の「教育のてまひま」より)
『らしい』とは、教育者らしい、政治家らしい、商売人らしい、小説家らしい…のように、例えば政治家を裸にして風呂に入れても政治家らしい感じが動作からしみ出ると言われますし、役者が海岸で泳いでも舞台の匂いが取れないと言われるなど、軍人、学者、実業家、宗教家もみな同様に、その職業の感じが見て取れるといわれます。
 どのような職業にあっても、真の意味で自然に修養と人生の経験が積み重なると、垢がとれ、垢ぬけした人物となり、いざと言う時に、それぞれの組織の長としてその誠の仕事をする人物、真の頂点に立つ人物になるという考え方です。
 「えっ!あの人が先生なの?」と思われないようにすることです。これは多くの先人の教えでもあり、愚職の自戒であり、難しいことですが努力し精進したいと考えていることです。意を汲んでいただければ幸いです。
 高く厚い壁も、課題から目や心を逸らすことなく、果敢に対峙し、見方や考え方、知恵を生かし、継続することによって、やがて壁が階段となって展望が開けるのです。

2019年5月7日火曜日

花だより クリンソウ 学校経営の基本方針


  平成27年度 学校経営の基本方針 《解説》 第1弾 
◎義務教育の段階であること ◎子どものためにあること  ◎公立小学校であること
 学校経営方針は、自分は今年で最後だから、好きなようにするということはできせん。北見市教育行政方針、北海道教育委員会の方針に基づき定めるものです。しかし、その中でいかに独自性を出すか、他の校長とは違うところを見せたいと思うのです。
 ~・~・~ Nプラン2014+1(N) ~・~・~
N~north(北小学校の)  N~new(新しい)  N~next action(次の行動は)
N~nice(見事で、快適で、優しい) N~never(決してあきらめない=精いっぱい)
N~need(特別な支援を必要とする子どもへの配慮)
 HONDAのNボックスの売れ上げが好調のようです。北小のNプランも2年目になり、NEWを取ろうかと思いましたが、新メンバーが加わり、また新しい風が吹き始めたのを感じ、残すことにしました。今年は+1(N)として「特別支援教育の充実」を加えました。
 目指せ!「楽しく学びがいのある学校」 
 子どもにとって学校がホッとできる安心感とやればできるという成就感と達成感が実感でき、子どものよさや可能性が最大限発揮できるような豊かな学びの環境を創り出す。
 《学びがいのある学校とは》
◎温もりと潤いのある学校 (温かさ・安心・自信・自立心)
◎思いやりと協力のある学校  (認め合い・磨き合い・高め合い・助け合い)
◎創意工夫のある学校  (関心・意欲、問題解決力、創造性)
◎活力のある学校  (自己目標・自主性・実践力・達成感)
◎遊びのある学校  (人間関係・社会性・心の安らぎ)
 特に大切にしたいのは「遊び」です。
 ここで言う「遊び」とは、車のハンドルやブレーキの「遊び」のことです。レーシングカーは、この「遊び」がほとんどありませんが、ファミリーカーには、適度な「遊び」が安全には欠かせません。学校の遊びは、教師の人間性や心のゆとりが大きく左右します。
「教職員が協働する学校づくり」(“教育は人なり”) 
 学校教育の正否は、教職員の意欲と姿勢によるところが大きい。教職員の意識や心構えが子どもの成長を促すという考え方に立ち、教職員一人一人が持ち味や専門性、自主性や創造性を発揮し、磨き高め合って、子どもの心に響く教育活動を推進することが大切です。(続く)

2019年5月6日月曜日

花だより シャクナゲ 教育に関する格言


 教育に関する格言
 『教學半』~教うるは学ぶの半ばなり~ 
 教育大旭川校には師範学校時代から、伝統的に「教学半」という 教えがあります。中国の周から漢の時代に儒学者がまとめた 礼記(らいき)に出てくる言葉です。
 人を教えるときには、調べ直したり知識を整理し直したりするから、半分は自分が学ぶことになる。
 教えることは、学ぶことの半ば、つまり、どれだけ学んでも、自分が学ぶだけでは、まだ半分の状態であり、人に教えることで 本当の学びになり 自分のものになるということです。言い換えれば、インプットしたら、必ずアウトプットする。半分で終わらせないようにということです。
 また、「あなたは、教えることも、学ぶことも、まだ半人前だよ」とも解釈できます。

 『一人を粗末にしたとき 教育はその光りを失う』
 大正から昭和にかけての教育者、安部清美氏の愛と情熱の教育格言です。
氏は後に福岡県教育界を導き、参議院議員となり、多くの教育書を残して昭和56年81歳、永眠。3歳の時、日露戦争で父を亡くし、貧苦に耐え祖父の支えで福岡師範を出て、大正9年神興小学校に赴任。その一歩目、担任したのは4年生。そのときの学童であった金森イソの死に直面した。運動会の練習中の心臓麻痺だった。直前まで安部先生に甘えていた子どもだった。子どもを本当に知っていなかった、と教師の現実に苦悶し、悩み、自殺直前まで追い込まれていく。そこから「神興教育」が立ち上がっていくのでした。
 汝、子どものすべてを知るべし 汝、子どもと無心で遊ぶべし 汝、子どもと掃除をするべし
 その子を知り尽くす。その子を取り巻く環境を理解して導く、という教育姿勢は、その日から全員の家庭をまわり、家族と語り村長と語り、地域青年団修養会までも結成し、地域社会全体を見据えた教育へと発展していきました。

 必要なのは「謙虚さ」“実るほど頭を垂れる稲穂かな”
 校長会歓迎・交流会のあいさつに立った管内教育長部会の河原部会長(遠軽町教育委員会教育長)は、新任校長に向かって、「間違っても偉くなったと思わないように…」と語りました。
 歓迎会の席で、校長のところに酒をつ注ぎに来る職員がいませんでした。「この学校の職員は、どうなっているんだ!」呆れ果てました。
 網走市教育委員会の歓迎会のときのことです。木目澤教育長さんは率先して、お酒を注いで周り、一人ずつ声をかけているのです。そんな教育長ですから、宴席では、多くの校長が列をなして、ビールを注ぐ順番を待っているのです。
 北見市の佐藤教育長も同じです。北見の場合は、人数が多いので一回りするだけでも相当の時間がかかりますが、お酒を注ぎ、一声掛けることを怠りません。
 “自分は決して慢心したことはない、校長だからと偉そうにしたことはない。”と思っていましたが、どこかにそんな思いがあったのかもしれないと反省させられました。
“人は尊敬する人からしか、学ぼうとしない”という格言がありますが、“人は尊敬する人にしか、お酒は注がない”ということでしょうか?
 心から尊敬する人、憧れる人は、お金持ちではなく、社会的に成功しているわけでもなく、有名人でもないかもしれません。それでも、人々から慕われ、尊敬される人が存在します。他の人と何が違うのでしょうか。与える達人であり、寛大で、利他(他人の幸福をまず願うこと)の心を持ち、見返りを求めない人です。教師もそうでありたいと思うのです。
 カタクリが咲く季節になりました。 花言葉は「初恋」「嫉妬」「寂しさに耐える」です。早春の短期間に花を咲かせ、「春の妖精」とも呼ばれています。春早く、他の花に先がけて花を咲かせ、逆にまわりの木々や草がすっかり緑になる季節になると地上から全く姿を消してしまう植物のことをヨーロッパでは「スプリング・エフェメラル”春のはかない命”」と呼んでいる(エフェメラとは「かげろう」のこと)。端野に分布した群落が日本の分布域の東端とされています。

2019年5月5日日曜日

花だより ハナミズキ 会長挨拶「なぜ怖いか」

  オホーツク管内小中学校長会総会 会長挨拶から 平成27年4月17日
(前略)まず、めでたく昇任されました新任校長先生に激励の言葉を贈ります。
ある新任校長先生が、「校長になったら、ああしよう、こうしようと思っていたのですが、はっきり言って怖いです。」と言いました。
 なぜ怖いか。学校は様々な事柄や事態に対応しなければならないからです。子どもたちの様子、教職員の状況、保護者への説明、外部との関わり、教育委員会とのやりとり、枚挙にいとまのない諸々の動きの、そのトップに校長がいます。学校経営の最高責任者であり、最終責任者だからです。つまり、後ろには誰もいない。もちろん設置者である教育委員会はありますが、学校内のすべての責任が校長にあります。仕事はチームで進めても、最後の責任はひとりで負う。校長は、孤独な日々です。
 なぜ怖いか。自分をさらけ出す場面が多いからです。卒業式・入学式はもとより多くの機会に子どもたちや保護者に何を話すか、どんな文章を書くか。これは誰にも頼めません。当然、様々な判断も自分でしなければなりません。みんなが校長を見ています。校長は、子どもたちや教員を守っているか。務めを果たしているか。多くの視線を感じます。これで怖くない人はいないでしょう。
 怖さに耐え、何とか力を振り絞って、その場にひとりで立ち続けなければなりません。現場は、いま、そこにしかない。お手本はあっても、いつどこでも、その通りにいくとは限りません。自分で考えるしかないのです。自分自身の進退についてもそうです。自分ひとりで決めなければならないのです。足が震えます。しかし、そこから逃げることはできないのです。
 夢と希望に満ちあふれた新任の校長先生には、厳しい言葉になりましたが、このプレッシャーに負けて、体調を崩す校長先生がいます。
校長の適性とは、周りに助けてもらえるかどうかだと言う人もいます。(中略)その役目を果たすのが校長会です。しかし、2~3人という町村校長会が多くなりました。これからは、ブロック校長会や教育委員会、教頭会との連携がさらに求められていきます。
管内校長会は、会員相互が提携して職能向上に努め、管内教育振興に寄与することが目的です。 
(中略)4月に変わったうちの教頭が、「忙しい、忙しいと言ってはいけないのは、分かっています。態度に表すのもよくない。いつも元気はつらつでいないとだれも教頭になりたいと思いませんよね。」と言いました。こういう教頭だと助かります。
 急激に進む教育改革に迅速に対応しなければならないときに、当管内の課題である慢性的な教頭不足、それに伴う力量不足が指摘されています。このままだとオホーツクはますます置いて行かれます。教頭発掘に加え女性管理職の登用を増やすための条件整備にも取り組まなければなりません。
 さらに教育委員会制度が変わる中で、学力テストの公表、土曜授業、国旗国歌の取扱い、人事など、各市町村教育委員会の独自性が強まります。さらに委員会との連携は強固なものにしていかなければなりません。課題は山積しています。下を向いているわけにはいきません。
 最後に、「健康で長生きすることが人生の目的ではない。しかし、健康は第一の条件である。」という言葉があります。校長先生方、人間ドック等は必ず受けてください。心身共に健康で、管内教育振興のためにご尽力いただきますようお願い申し上げます。(後略)
 ある校長が「これは新任校長への激励の言葉ではなく、自分自身のことを語ったのか?」と聞いてきました。総会を持って会長職を降りました。3年間管内校長会の役職にあって、学校を空けることが多くありました。この間、教頭先生をはじめ、多くの皆さんにお世話になりました。さらに学校を空けるだけでなく、電話の取り次ぎ、電話の独占など、ご迷惑をお掛けしました。まだ、残務が多少残っていますが、これからは学校に居て、校務に専念しますので、よろしくお願いします。ありがとうございました。


2019年5月4日土曜日

花だより ミズバショウ タンポポ 「言葉遣い」について


 「言葉遣い」について
 校長室に居ると廊下からときどき、悪い言葉遣いが聞こえてきます。
 あんなに可愛かった子が「まさか、こんな乱暴な言葉づかいをするようになるとは!」と、誰しも想像できなかったことでしょう。
 保育園に入ってからお友達の影響を受けたり、上に兄弟がいる子は、上の子の悪い言葉遣いを好んで使うようになります。それと案外親もつかっていたりしています。
▼「ばか」「てめえ」など乱暴な言葉を言われたときは、どうしたらよいか?
  かわいい我が子がそんな言葉を口にするとびっくりします。
「なんで・・・?」「いつ覚えたの?」と、親の気持ちは穏やかではいられません。
つい子どもに、「どこでそんなこと覚えてきたの?」「またそんなこと言って!」 などと言ってしまいます。
 しかし、そう言われたときの子どもの顔をよく見てください。何だか、”かまってもらえて、ちょっとうれしい”ような顔をしていませんか?
 子どもは「なんだ」「かんだ」と言って、親の気を引きたいものなのです。ですから、この様な乱暴な言葉も、「子どもが親との関わりを求めるサインなんだ・・・。」と理解して、決して否定的に反応せず、肯定的に受けとめることが大切です。(全てそうとは限りませんが)
 子どもは過剰に反応してくれない親を見ているうちに、知らず知らずに乱暴な言葉を使わなくなっていきます。
「”言っちゃダメ!”って言ったでしょう!」「そんな言葉は遣っちゃダメ!」などと言ったり、口をつねったり、たたいたりしないようにすることです。
   普通は、しばらくすれば飽きてやめていきます。周囲は正しい言葉遣いをすることが大切です。子どもは親の言葉遣いをそっくりそのまま真似します。
 「ぜんぜん、いいじゃん!」「ちょ~、よくない?」言語環境を整える
 日本の言葉は、永い歴史の中で脈々と受け継がれ我が国の文化の基礎を成しています。平明で,的確で,美しく,豊かである日本語をさらに次代へと伝えていかなければなりません。しかし、現在はそのような理想的な姿が十分に実現されているとは言い難く、特に若者言葉、敬語の使い方は、「言葉の乱れ」の中で深刻な問題です。「えっ!どんな意味?そんな日本語あった?」と首を傾げることがよくあります。
「ぜんぜん、いい」ではなく「ぜんぜん、よくない」「まじっすか、ぼくてきには、いいんすけど・・・」??? 
“日本語は難しい?”だから使いこなす日本人は、知性や感受性が豊かだと言われています。


2019年5月3日金曜日

花だより ツクシ 子どもを伸ばすお母さんのふしぎな力



 「子どもを伸ばす お母さんのふしぎな力」
     慶応大学医学部小児科教室 渡 辺 久 子 著
 赤ちゃんの心の研究者パブゼク博士は、親には「直接的な育児能力」(本能的に子どもを育てる力)があると言っています。お母さんは赤ちゃんが幸せな気持ちで興味が湧くように、明るく優しいリズムや調子を選んであやしたりします。これは知識で教えられるものではなく、幼い頃に愛された体験を基盤に親になると自然に湧いてくるものです。直接的育児能力は、未開発国に豊かに見られ、高度に発達した文明社会の母親が高等教育により、頭でっかちになるとだめになるとも警告しています。
 戦後のベビーブームに生まれた私は、母が洗濯機もなく、素手でせっせと家事と育児をこなしていたのを覚えています。子どもの病気も多く、真心と祈りだけがよりどころのその頃、おそらく直接的育児能力は豊かだったのでしょう。
 日本は世界最低の乳児死亡率と最高の平均寿命を誇りながら、子どもたちはかつてなく苦しんでいます。いじめ、不登校、自殺。仲間と心ゆくまで遊びながら自然に鍛え合う、幸せな子どもの発達環境が破壊されているのです。
 しかし、不思議なことに、どんなひどい心の傷を負い絶望している子でも、お母さんが真心をこめてわが子を理解するようになると、水を得た魚のように蘇るのを日々体験しています。子どもの心を癒すお母さんの不思議な力に、私はいつも目を見張ります。この本がご自分の中の愛する力を再発見し、わが子やご自分の幸せの出会いにつながればと願います。
 お母さんは、偉大だなあ!と感心します。どのお母さんもこの力を持っていることに気付いて欲しいです。 


2019年5月2日木曜日

花だより スズラン 象徴天皇


 【象徴天皇】
 「天皇は、国及び国民統合の象徴です。」 
    「先生、“象徴”ってどういう意味ですか?」
   社会科の時間にこんな質問があって、小学生にどう説明しようか、悩んだことがあったことを思い出しました。出した答えは、「みなさんのお手本です。」
 10連休に入って、連日、退位と即位、皇室に関する特別番組が報道されています。特に美智子上皇后さまの特番を見て、「国民と共に、国民に寄り添う」お姿に感動しました。「お手本」と説明したことに間違いはなかったと確信しました。
 平成の時代は災害の時代とも言われ、被災地へのお見舞いでは、跪き、被災者の目線でお言葉をかける姿が何度もありました。お付きの人が「時間です。」と言ってもなかなか立たなかったそうです。天皇陛下のこうした行為に勇気づけられた国民は大勢いたそうです。これは天皇に対する畏敬の念から生まれるものですが、受ける国民の中には、胡坐をかくなど、非礼な人も少なくありません。これが今の日本人なのです。「お手本」は見習うものです。
「令和」の時代の象徴天皇は、どうなるのでしょうか? 


2019年5月1日水曜日

花だより ソメイヨシノ コデマリ ボタン 北国の春




  “3つの「あ」を大切に”
「あいさつで人を大切に」「あとしまつでモノを大切に」「安全・安心で命を大切に」と子どもたちに呼びかけてきました。学校の教育目標の一つに「思いやりのある子」とありますが、学校評価で、“校長先生にはあいさつするが、あいさつが徹底されていない。「思いやりのある子」に育っていないのではないか。”という反省がありました。そうか、これも中途半端で終わるのか、退職を迎えたほとんどの先生は、満足感と達成感を味わっているのではないかと思いますが、学力も体力も心も育てないまま教職を終わることに懺悔の気持ちでいっぱいです。
 日当たりのいい土手の斜面には、蕗の薹(フキノトウ)でいっぱい
 若松小学校時代に「石森じいちゃん(当時90歳)」という名物おじいちゃんがいました。雪が溶けると自転車でやってきて、「校長さん、フキノトウ採ってきた。冬眠開けの熊はな、真っ先にフキノトウを食べるんだ。身体の中の悪いモノを全部出してくれるんだ!ちょっと苦いけどな、天ぷらにして食べたらうまいぞ!」「何でそんなに元気なの?」と聞くと、「健康で長生きすることが人生の目的じゃないんだ!わしはな、まだやりたいことがいっぱいあるから、元気でいたいんじゃ!」 
 北国にも遅い春がやっと来ました。これから花を季節を迎えます。