オンライン授業は「ばんそうこう」 日本大学教授 佐藤晴雄
「オンライン授業は、『ばんそうこう』のようなものだ。」と言う人がいる。教育は、やはり教場でのリアルな体験が不可欠だから、コロナ禍のオンライン授業は、傷を一時的に癒す、ばんそうこうの役割を果たすに過ぎないと言うのである。うまい比喩である。
あるアイドルグループの大規模ライブでは、最後部だと、アイドルの顔もほとんど見えないのではないかと思うのだが、アイドルファンによると、「同じ時間に同じ場所にいて同じ空気を感じられるのがいい。」という。なるほど、授業もライブも参加者が同じ空間で同じアクターを見ながら音声を聞き、同じ雰囲気を体感できることに大きな意味があると改めて理解した。
教室で座ったままで意欲的な反応を示さない子を「お客さま」と称することがある。たとえ「お客さま」でも、教師や他の児童生徒と雰囲気を体感できることには大きな教育的意味がある。
ICT活用が重視される今日、オンラインやタブレットによる授業が浸透してきている。そうした授業も重要だが、知育に有効な副次的手段にすぎないだろう。体感で受け止めるリアルな授業が中心になるべきである。しかし、コロナ禍を契機に、リアルな授業が母屋を取られはしないか心配である。
オンラインやタブレットは、あくまでもリアル授業のばんそうこうや補助具にとどまってほしい。コロナ禍でアナログ感覚に浸りつつ、思ったことである。
(「内外教育」2月23日から 牧野要約)
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