2021年2月7日日曜日

花だより 「責任の取り方」を親がきちんと教える カブ・スズナ

 


  「責任の取り方」を親がきちんと教える

 小さな子どもは本来わがままなものです。だから赤ん坊のうちは人のものを取っても謝ろうとしません。それが少しずつ大きくなるにつれ、悪いことをすると謝るようになります。しつけがうまく進んでいくと、子どもが社会性を身に付けていきます。それはやっていいことと悪いことの区別をつけていくということです。
 同じ1年生でもずいぶん違うもの。その違いはどこにあるのか?
 男の子が遊んでいたブロックを片付けずに次の遊びを始めたので、支援員から注意された。しぶしぶ戻ると、きれいに片付けられていた。隣にいた女の子が、やってくれていたのだ。「『ありがとう』とお礼を言いなさい。」と言われても、なかなか言わない。児童センターでは、よくあることだ。
 スーパーの中で低学年くらいの男の子が走り回っていて、お菓子コーナーにぶつかり、山積みになっていたお菓子が落ちてしまった。男の子は呆然として見ているだけ。するとお母さんがやって来て「何してるの。こっちに来なさい。」と子どもを呼んで、どこかへ行ってしまった。
 親の責任を果たす ばらまかれたお菓子を拾ったのは、近くの大人だった。子どもが自分でやったことに責任をとるということを学ばせる大切な機会を逃しただけでなく、まずいことをしたらその場を逃げるという余計なことを学んでしまった。お母さんがやらなければならなかったことは、お菓子を拾ってくれた人にお礼を言って、子どもに散らばったお菓子を拾わせる。もし、壊れたり、汚れたりしたものがあれば、責任をとって買い上げるべきだ。「責任の取り方」というのは、教育やしつけではない。ごくごく当たり前の常識をたくさん身に付けることによって、いわばその集大成として、責任とは何かということがわかってくるのです。子どものうちからしっかりと常識を身に付けさせること。
 常識とは、何も難しいことではない。人に会ったらあいさつをするとか、自分の思い通りにならなくてもがまんするとか、人には親切にするとか。当たり前のことを、親が当たり前のようにやっている姿を見て、子どもの気持ちの中に少しずつ常識が芽生えるのです。
「やって見せ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば人は動かじ」(山本五十六)という教えがあります。社会の常識を子どもに一つずつ伝えていくこと。手間暇のかかることを手間暇を惜しまないのが愛情で、親のつとめです。
 🤷‍♂️ところが親が働いていて、幼児期のときから、こども園や児童センターに長時間預けている家庭では、手間暇かける時間がありません。わがまま放題の子が増えないように、こども園や児童センターで、親に代わって「しつけ」をしなければならない時代になりました。


0 件のコメント:

コメントを投稿