小型ジェット旅客機「スペースジェット」(SJ、旧MRJ)事業開発を凍結することになった。もう10年近く前になる。全連小(全国小学校長会)の理事会に出席したとき、MRJ開発担当者の講演を聞いた。なぜ教育に「グローバル化」が求められるのか?MRJ開発と教育との関連は、とても興味深い話だった。その後もテレ東の日経スペシャル「ガイヤの夜明け」でも何度か取り上げられ、窮地に陥っていることは知っていたが、今回のニュースは、とても残念でならない。
三菱重工がスペースジェットの開発に着手したのは2008年。経済産業省が音頭をとり、官民で「日の丸ジェット」(日本人による、日本のためのジェット旅客機)を実現しようと立ち上げた。「国内市場が縮小、若者の車離れが進む中、自動車一本足の産業構造だと日本のものづくりはおぼつかない。自動車1台に使う部品数は2万~3万。航空機になるとその数は2桁増える。産業の裾野の広さは車とは比べものにならない。雇用確保にも大いに貢献する。」という内容だった。
そんな大きな期待を持ってスタートした日の丸ジェット開発だった。しかし、民間ジェット機の開発は1962年の「YS11」以来のこと。YS11は1973年に生産を終えていた。当初から、技術的なブランクへの心配があった。残念なことにその不安が的中してしまった。
これまで累計1兆円の開発費を投じながら空回りが続いた。そこには技術への過信があった。自前主義にこだわり傷を深くしてしまった。三菱重工だけの問題ではない。日本の製造業に重い教訓を投げかけることになった。
開発の足を引っ張った「変に高いプライド」
SJだけではない、中国、韓国勢に追い上げられ、青息吐息だった造船業の復権を狙って立ち上げた大型豪華客船事業でも三菱重工は2400億円もの損失を計上している。特に豪華客船は「海に浮かぶホテル」とも呼ばれ、内装など凝った設計が要求される。軍艦や大型タンカーを造っていた感覚では、大型豪華客船は造れなかった。赤字を垂れ流したまま客船事業からの撤退を余儀なくされた。
講演では、「国際社会で活躍する人材育成が課題である。英語が話せるのは当たり前で、ただ英語が話せるだけでなく、英語で考えられることが大事だ。つまり、国際感覚を持った人材育成がこれからの教育の課題である。」と開発担当者は言っていたが、そう簡単に人材は育たない。
そんな大きな期待を持ってスタートした日の丸ジェット開発だった。しかし、民間ジェット機の開発は1962年の「YS11」以来のこと。YS11は1973年に生産を終えていた。当初から、技術的なブランクへの心配があった。残念なことにその不安が的中してしまった。
これまで累計1兆円の開発費を投じながら空回りが続いた。そこには技術への過信があった。自前主義にこだわり傷を深くしてしまった。三菱重工だけの問題ではない。日本の製造業に重い教訓を投げかけることになった。
開発の足を引っ張った「変に高いプライド」
SJだけではない、中国、韓国勢に追い上げられ、青息吐息だった造船業の復権を狙って立ち上げた大型豪華客船事業でも三菱重工は2400億円もの損失を計上している。特に豪華客船は「海に浮かぶホテル」とも呼ばれ、内装など凝った設計が要求される。軍艦や大型タンカーを造っていた感覚では、大型豪華客船は造れなかった。赤字を垂れ流したまま客船事業からの撤退を余儀なくされた。
講演では、「国際社会で活躍する人材育成が課題である。英語が話せるのは当たり前で、ただ英語が話せるだけでなく、英語で考えられることが大事だ。つまり、国際感覚を持った人材育成がこれからの教育の課題である。」と開発担当者は言っていたが、そう簡単に人材は育たない。
そこで相次ぐ開発の延期に自前主義を捨て、打開を目指すべく着手した。カナダの航空機大手などから外国人の技術者を多数集めた。しかし、それでもうまくいかなかった。
半導体、スマホ、家電用品、電気自動車、そして、薬の開発を含めた医療体制にしても日本の国際競争力や技術力は、日本人が思っているほどではないということが露呈した。GDPもまだ辛うじて世界第3位だが、これからインド、ドイツに抜かれると言われている。
技術力の高さは、日本人の勤勉さにあった。それを支えていたのが高い教育力であった。その勤勉さも揺らいできている。戦後の焼け野原からV字回復した当時のポテンシャルが今あるかどうか甚だ疑問だ。
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