2024年4月6日土曜日

花だより ~苛立ちの時代~道徳教育の重要性 ヒトリシズカ フキノトウ

 




これからの道徳教育 ~苛立ちの時代~ 
 今の時代を端的に表現すると「苛立ちの時代」だと思っています。小さい子どもから高齢者まで、苛立ちを覚えています。その理由の一つに、マナーの悪さ、モラルの低さというものをあげることができます。モラルの低さは学校とか子どもとかでなく、日本国中に蔓延しています。それが苛立ちを起こさせている一つの原因だろうと思います。モラルの低さに対して、規範意識の低下ということをよくいいます。確かにそういう側面があるわけですが、私は共通規範が崩壊していると思います。必ずしも規範意識がなくなったというよりも、頼るべき規範が見えないという苦しみを子どもたちが味わっています。
 「学校で何を学びたいか」と、子どもたちに聞いたアンケートで、第1位が「善いことと悪いことの区別を教えてほしい。」ということなのです。2番目が「人間関係の作り方を教えてほしい。」「勉強を教えてほしい。」は3番目です。なぜこうした結果になったか。今は、善悪の判断を自分の好みでやっているからです。自分が「善い」であって、他人は関係ない。私はこう思うのだ、それが善であるということです。これは自分自身で主体的に判断するという意味では大事な部分ですが、同時に「あなたにとってはどうですか」ということから対話が始まらなければならないのです。ところが対話がないまま決めてしまっているから、何が善で何が悪なのか分からないという状態にあるのではないかと思います。
 道徳が教科になりました。北教組は、特設道徳に反対していました。そんなこともあって道徳をどう教えたらよいか、戸惑っている先生がいるようです。しかし、先生方は道徳の授業が嫌なのではありません。今、子どもたちの様子を見たり、保護者の様子を見ていて、共通の当たり前のルールやマナーさえ無視することが起こってきています。だからやらなければいけないとみんなが思っているのです。しかし、やり方が分からないのです。
 今回学習指導要領が改訂になりましたが、そのもとになる中教審答申の中に「知識基盤社会」という言葉が出てきました。しかし、知識などとっくの昔から基盤です。知識の獲得は、一人一人個々にやるものです。一緒に学習はしても知識の獲得自体は個人的作業です。本当に共通の安心できる社会を求めるならば知識より、本当の意味での道徳教育です。
 学力向上の基盤となるのが学級経営・学級づくりです。子どもと教師、教師と保護者の信頼関係づくりです。日課に生徒指導の時間はありません。生徒指導は、毎日の授業の中(全教育活動)で行うものです。教室の掃除をする、しないの論議がありますが、掃除は清掃活動、掲示は掲示教育、給食も給食指導といいます。道徳教育は全ての教育活動の核なのです。

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