2024年4月9日火曜日

花だより 子どもの居場所は学校なのに レンゲソウ

 

 17時を過ぎて学校に電話すると、留守電になっています。しかし、先生方は職員室に居ます。働き方改革は進んでいるように思います。
 世の中の多忙さが、学校への過度な期待と批判を生み、それこそが教師を多忙にしています。教師の多忙さは、子どもの居場所づくりを阻害しています。多忙な教師に気に入られるために、よい子でいなければ学校に居れないのです。一部のお気に入りの子ども以外は、居ても居なくてもよい存在になりかねない。教師は、すべての子どもたちにしっかりと向き合おうとします。そうするとますます多忙となり、教師のメンタルヘルスの悪化してしまう。このような「いたちごっこ」のような悪循環にあるのではないでしょうか。
 このような厳しい環境で教師は授業をしています。教材研究をしっかりした授業では、子どもが楽しいと目を輝かせ、できないことができるようになったという実感を持ち、食らいついてきます。そんな授業を教師はしたいと思っています。そのような授業の場こそが子どもにとって最高の「居場所」です。
 休み時間や放課後などの自由な時間での友だちとのかかわり合いで、子どもたちの授業への身の入り方に影響します。しかし、授業時間以外の場への目配りは、多忙な教師ほど余裕がなく手薄になります。子どもたちと自然と雑談をしあえる時間の確保は、多忙な教師には極めて難しいのです。
 学校にせよ家庭にせよ大人の忙しさは、子どもを寂しい気持ちにさせ、居場所感を減じさせることになります。朝早く出かけ夜遅く帰宅する父親、せわしなく動き自分の話をしっかり聞いてくれない母親、両親の多忙さが子どもの自尊心低下につながっています。
 しかし、父母が仕事や家事から解放されて子育てに十分時間を割くことができた時代が今までにあったでしょうか。その代わりに、祖父母や親戚、多数のきょうだい、近所の同世代の子どもたちが、幼子の面倒を見、子どもの育ちを見守り、切磋琢磨して成長するコミュニティ(居場所)がかつてはありました。このような場が、現代社会では学校とならざると得なくなっています。子どもの減少や親戚関係の縮小、近所付き合いの希薄化の中で、学校はコミュニティの育ちを保障するための居場所的役割が増しているのです。
 働き方改革で、教師の働く時間が短くなったら、それだけ子どもの居場所が減ることになります。

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