平成22年7月9日 網走潮見小学校 学校便り「輝け!潮見っ子」53号より
【シリーズ「いきいき子育て」】
「母 の 品 格」より 「子どものしつけに「自由」は役立たない」
「自由」は確かに素晴らしいのですが、欠点があります。例えば「よいと思うことは一生懸命やりましょう。」とか「悪いことをしてはいけません。」ということを子どもにしつけようとするときに、自由はほとんど役に立ちません。場合によってはそれが妨害することさえあります。
「よいと思うことは個人によって違うのだから、一律に決めつけることはできません。それぞれがよいと思うことを自由にやればいいじゃないですか?」これでは子どものしつけになりません。何かシラケた気持ちになってしまいます。「人に迷惑さえかけなければ個人の自由なんじゃないですか?」こう言われたら、人に迷惑をかけるということはどういうことかということから説明しなければなりません。こんな考え方が広まってきて「勧善懲悪」(かんぜんちょうあく)という言葉が死語になりかけています。善いことを勧めて悪を懲らしめるという意味です。昔ならかけ値なしにそれはいいことだという土壌がありました。だから昔の映画やマンガは、全て勧善懲悪のストーリーでした。
家庭で子どもに教える基本は、「よりよく生きなさい」ということです。しつけるとは「仕向ける」ことです。自分の好きなように自由に生きていきなさい。」などと無責任なことは言わないことです。
「ゆとり教育」の誤解 学習内容は増加します。
「学校で勉強して、帰ってきたら塾へ行き、お母さんからは毎日のように『勉強したの?』と言われ、遊ぶ暇もありゃしない。これも一流大学に入るため、一流会社に就職するため。それより子どもにもっとゆとりを・・・。」とはじまったこれまでの教育改革と皆さんは理解されているのではないでしょうか?
本来は“ゆとりある教育活動を展開する中で、基礎・基本の確実な定着を図り、個性を生かす教育を充実させる。”です。どうもこの「ゆとり」の解釈が間違っていたようです。確かに教科書の内容は易しくなりました。その分、基礎的基本的な内容を確実に身につけることが求められてきました。しかし、日本の子どもたちの学力は下がってしまいました。基礎・基本も残念ながら身についていないのです。先進国の中で、家庭学習の時間が一番短いのが日本の子どもという結果が出ました。「学力低下で日本は滅びる」と主張する人もいます。ゆとり教育は、“勉強しなくてもいい”ということではないのです。
ゆとり教育が見直されましたが、考え方は変わっていません。
いつの時代も勉強はしなければならないのです。
お父さんの仕事が○○なら、子どもの仕事は勉強です。「よく遊び、よく学べ」です。「勉強しなさい」と言ってもしないものが、言わなかったら全くしません。小学校のときに、家庭学習の習慣が身に付いていない子は、中学校に行っても勉強はしません。「勉強しなさい!」と強く言えるのは小学校までです。中学・高校になってから言うと大変なことになります。小1プロブレム(問題)、中1ギャップ(溝)、高1クライシス(危機)が問題(進学してから適応できない。)になっています。「小学生になったんだから、もう中学生なんだよ。高校生にもなって…」と言っても、それまでのことが大事なのです。
・・・「学問のすすめ」(福沢諭吉)より・・・
人間には生れながらにして貴賎貧富の差別はない。天は生まれながらの人に富貴を与えるのでなく、その人の働きに与えるのである。誰でも自らの働きにより富貴が得られる機会において、平等なのである。では、現実社会における賢愚、貧富、身分(地位)の差は何からきているのか。その理由は明白である。「学ぶと学ばざる」とによる差である。学問に励み物事をよく知る者は貴人、富人となり、無学な者は貧人、下人となる。
◎▲□ 勉強ができるようになるための前提条件があります。◎▲□
人の話をきちんと聞ける。そのためには、姿勢が正しくなければなりません。姿勢を正しく保つには、腹筋や背筋(体力)が必要です。体力をつけるには正しい食生活と運動が必要です。「勉強しなさい。」と言う前に、早寝・早起き・朝ごはんの基本的な生活習慣を身に付けることです。それが家庭の役割です。
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