2018年2月10日土曜日

花だより ホトケノザ 自らの心の子


「息子」は「自らの心の子」と書く 
 娘が小学生の頃、捨て犬を拾ってきたときがありました。「だれが面倒見るの?」と叱ったら、母が「ヨシミツも小さい頃、よく犬や猫を拾ってきて、同じように怒ったことがあった。」と言いました。それを聞いていた祖母が「そういうミツ子(母)も小さい頃、何匹も拾ってきて、叱ったことがあったっけね。」と言いました。たぶん、祖母も、小さい頃そうだったのでしょう。子どもは、親の通った道を歩むものなのです。
 知り合いの息子さんが、東大を出て一流企業に勤めたと聞きました。「我が娘とは違うなあ!」と思ったのですが、子どもの違いではなく親の違いなのです。
 “自らの心の子”
 親として 子どもにかけた期待を裏切られるほど情けなく切ないことはない。
「このできそこないめ!」と子どもを怒鳴る。
できそこないではなく「育てそこなった」のだ。
息子という字は、「自らの心の子」と書く。
なってもらいたいように、自らおこなってみたらどうだろう。
してもらいたくないことは、自らつつしむこと。
子どもは、親の通った道を歩むものなのです。
(ある教育書に書かれてあった言葉です。)
「子どもは親の背中を見て育つ」とも言われます。「率先垂範」(先頭に立って行うこと)という言葉もあります。教え子の子どもを新入生でむかえたことがありました。「お母さん、そっくり!」と言ったら「いやだあ~!」「何が、いやだ~!」なの?と聞いたことがありました。

0 件のコメント:

コメントを投稿