2020年4月30日木曜日

花だより 教頭先生の仕事 牡丹

教頭先生の仕事
 教頭先生は、こんなことに注意している(朝だけでも…)
1 一般の先生より早めに出勤し、出勤簿に押印し、校舎内外を注意して一巡し、校舎の異常の有無・安全を確認する。校舎巡視は、子どもたちが安全に楽しく学び、集団で生活できるようにするためです。
2 校内巡回・巡視中に登校してきた子どもには、先に挨拶をし会話を通して、健康状態を把握する。
3 廊下や教室、トイレ、特別教室などの「落書き」「掲示物の状態」「はがれや傷みの具合」をつぶさにチェックし、担任や担当に指示し、環境の整備に努めています。
4 掲示物は、季節や時期、場所など、言語環境の整備と大きな関係があり、蔑ろにしてはいけないのです。
5 画鋲は四隅を止め、その際、後で抜きやすいようにやや斜めに刺す。管理職の細かな目配りがなければ校舎内外の美化は保持できない。教室や廊下の掲示物に目を働かせています。
6 職員朝会時に出勤状況を的確に把握し、「滑り込み」がいる場合は、余裕のある生活行動を促し、通勤等の交通事故防止を図ります。
7 出勤簿を常に点検し、押印漏れの職員を指導し「当たり前のことを当たり前にできる職場づくり」に努めています。
8 職員一人一人と「心のこもった挨拶」をするように努め実行しています。
9 職員の顔色、身のこなし方などから健康状態を把握しています。
10 職員朝会前に校長と打ち合わせをし、的確な情報を伝えています。(「報・連・相」の率先垂範)

2020年4月29日水曜日

花だより 研究会(網走小)の助言者として 小手毬



  美しい人をつくる所作の基本 
  “もてなしとは、もてなす側ももてなされる側も力量が問われるとあります。
 研究会も同じ 授業者と参観者、ホストとゲスト両方の力量が問われます。特にゲスト(参加者)の力量が問われるという話をしたいと思います。
 筑波大学附属小学校の学習公開・初等教育研修会 2月の研修会に参加したことがありました。授業者も教育雑誌で登場するような先生ばかりです。公開するどの教室も全国から集まった先生方で溢れかえっていました。その先生方の授業が終わるな否や参観者が授業者に詰め寄って質問攻めになるのです。
「素晴らしい授業を見せていただきありがとうございました。」そんな社交辞令の言葉は一切無し、「どうして、あのときあの発問したのですか?わたしは、こう思ったんですけど…。」「教材解釈は、あれで本当にいいのですか?」矢継ぎ早に質問が飛び、授業した先生と直接やり合うのです。その光景に衝撃を受けました。
 研究会の授業者は、何ヶ月も前から指導案検討をして錬りに練った授業をします。もちろん授業者が研究会の主役です。しかし、研究会の善し悪しは、授業だけではなく、参加者(参加者の質)で決まるのではないでしょうか?
 網走小学校は、学校力向上の指定校です。全国学力学習状況調査の結果も全国平均を上回っています。公表しなくても、みんな知っています。それより何より、経済の伝書鳩に、「我が町の自慢学校」という記事が載りました。学校名は書いていませんでした。「若い先生が、いつかこの学校に勤めたい。」と言っています。とも書いてありました。
網小は、名実共に管内一の学校です。札幌、旭川、函館、釧路には、附属小があったり、それぞれに研究推進校、伝統校というのが必ずあります。ところが残念ながらオホーツクにはありませんでした。しかし、網走小学校は、その伝統校になりつつあります。
 北海道は全国最低レベル、その最低レベルの北海道の中で、さまざまな要因はあるにせよ、オホーツクは、下から2番目というこの現実を厳しく受け止めなければならない。
 オホーツクの学力向上は、網小の研究会にかかっていると言っても過言ではないと思います。今、管内で一番人が集まる研究会は網走小学校です。ここに集まった先生方が、ここで得たことそれぞれの学校に持ち帰える。そして、さらにレベルアップする。それが学校力向上の指定校のねらいなのですから、この授業協議でのさらなる盛り上がり、参加者皆さんの活発な討議を期待します。
 私の学校から今回3名の先生が参加しています。昨日、3人を呼んで言いました。「いいですか、授業協議では必ず発言するように、そのとき素晴らしい授業を見せていただきありがとうございました。何て言わないで、気の利いた質問をしなさい。何なら、批判しても構いませんよ。」これが参観したお礼だと…。授業だけでなく、掲示物や掃除用具入れもチェックしなさい。習字、絵も見逃さない。先生方の振る舞い方もよ~く見なさい。「公開研=学校力」と言って聞かせました。
「もてなしとは、もてなす側ももてなされる側も力量が問われる。」ということです。
網小の岩渕校長先生は、高校・大学と同期です。「牧野、助言頼むけど、優しく言ってくれよ。」と念を押されました。精いっぱい優しく言いました。ありがとうございました。

2020年4月28日火曜日

花だより 校長が変われば、学校は変わる スイトピー

論理的説得力と校長の品性
              オホーツク管内校長会長として思うこと
 学力向上には、教職員に校長の経営方針を理解させ、参画意識(危機意識、意欲)を高めることが肝要です。
 「論理的説得力」について、「“なるほど”と倫理的に説明することで教職員を納得させる」ことが必要です。教職員に参画意欲を促すとは、「よし、この校長に付いていこう!」と思わせることですが、先輩校長や管内で実績をあげている校長を観ると、教職員にそう思わせるのは、論理的説得力だけではなく+αが必要ではないかと考えます。
 校長としての使命感と品性(誇り)斯かる校長は良校長なり(大正時代の校長像) 
①人格の修養に励み、確固たる信念を有するもの 
②寛弘にして、よく人の意見を容れ、又よく自己の意見を発表すべし 
③部下職員の美点特徴は之を賞揚発揮せしめ、其の欠点に対しては自ら責任を負うべしとあります。
 どのような職員であれ、自分の部下職員であるという慈しみや教職員の思いや願いをいったんは受け止める度量も大切だということ。そして、優れた校長像の大前提として、校長と教職員との信頼関係の確立のために不断の努力を積み重ねることだと言っています。
 「校長が変われば、学校は変わる」
 校長会は、職能向上を目的とする団体です。校長一人一人が、教育への強い使命感のもと、学校を取り巻く諸課題に積極的に取り組んでいく決意を持つことが肝要です。オホーツクが変わらないのは、“校長がしっかりしていないからだ!”という指摘は、校長会に向けられたものとして強く受け止めました。
 

2020年4月27日月曜日

花だより 当たりまえのことを当たりまえに 藤


 『当たりまえのことを当たりまえに』(研修録発刊にあたって)  
 学力向上のキーワードは、「当たりまえのことを当たりまえに」すること。実績を上げている学校力向上推進校が提唱している言葉です。「決して、難しいことや新しいことをやるのではなく、当たり前のことを当たり前にやることで学力は必ず向上する。」と断言しています。
 ところで「当たり前のこと」とは具体的にどういうことでしょうか?
○チャイムが鳴ったら席に着く。 ○次の学習の準備をしてから休み時間に入る。など
実家の本棚から30年前の「小1教育技術(4月号)」引っ張り出し、書店で最新のモノと比べてみましたが、ほとんど変わっていません。
 当たり前のことを普通にこなすこという、一見簡単に見えることをずっと続けることで、ものすごく差がつくものです。
 メジャーリーガーのイチロー選手は、「小さいことを積み重ねることが、とんでもないところへ行くただひとつの道である。」という素晴らしい言葉を残しています。
「誰よりも早く球場に行く」、「毎日準備を欠かさない」、「道具を大切にする」
小さなこと(「当たり前のこと」)を小学生のころからずっと愚直に続けて世界のトップに立ったのがイチロー選手なのです。
 年度末反省会議で、ある先生から「学校経営計画に学習規律(学習のルール)について記載されていますが、全校的にどの程度徹底されているか、生徒指導部ではおさえていますか?」という質問がありました。
 研修部からは、「学習環境を整える取り組み」が盛り込まれた研修内容が発表されました。学校の課題解決のために最も重要なのは「校内研修」です。研修部は、次年度の方向性をまとめ上げるために何度も会議を重ね、議論を積み上げてきました。そこには、子どもたち一人一人を大切にし、確かな学力を身に付けさせたいという強い思いを感じました。
 自分たちの足下を今一度見つめ直す。そんな取り組みが研修ばかりでなく、今年は、随所に見られました。今年も全員が授業公開をしました。授業力、指導力を磨くのは、管内大会や全道大会ではなく校内研です。授業者を知り、子どもの実態を知っている者が、指導案づくりから参加し、遠慮無く評価し、もの申すことができるのが校内授業研だからです。

2020年4月26日日曜日

花だより インクルーシブ教育の実現 ケマンソウ


 Nプラン2015 学校経営方針の重点 
 障害を抱える子どもの親は、他の子と一緒に学ばせてほしいと願っています。
 共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システムの構築のための特別支援教育を充実します。児童数が減少する中で、特別支援学級の数は増えています。特別支援教育は、共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築が急務です。また、特別支援教育を推進していくことは、子ども一人一人の教育的ニーズを把握し、適切な指導及び必要な支援を行うものであり、障がいのある子どもにも、グレーゾーン(経過観察)の子どもにも、更にはすべての子どもにとっても、良い効果をもたらすことができるものと考えます。
 「特別支援教育の充実」を学校経営の重点に
① 障がいのある子どもが、その能力や可能性を最大限に伸ばし、自立し社会参加することができるよう、医療、保健、福祉、児相等との関係機関との連携を強化し、社会全体の様々な機能を活用して、十分な教育が受けられるよう、障がいのある子どもの教育の充実を図る。
② 障がいのある子どもが、地域社会の中で積極的に活動し、その一員として豊かに生きることができるよう、地域の同世代の子どもや人々の交流等を通して、地域での生活基盤を形成することが求められている。このため、可能な限り共に学ぶことができるよう配慮する。
③ 特別支援教育に関連して、障がい者理解を推進することにより、周囲の人々が、障がいのある人や子どもと共に学び合い生きる中で、公平性を確保しつつ社会の構成員としての基礎を培っていく。
 理想を掲げることは簡単ですが、実際の学校の現状は極めて厳しいものがあります。
 児童数403名、内:特別支援学級在籍は35名です。通常学級にいるグレーゾーンの子を含めると約1割が特別な支援を要する児童です。それもマンツーマンの指導が必要な児童が多いという実態があります。この現実を受け止めなければなりません。学力向上、体力向上も大事ですが、特別支援教育の充実は、本校の最優先課題です。
 校長の職務の要点は人、もの、金を統括することにある。 
 今回の人事異動では、特別支援の充実を重点に、人材の確保に努めました。さらに28年度に開催される特別支援の全道大会に向け、校内研修でも特別支援教育について職員全員で研修を深めることを確認しました。また、予算を確保し、旭川で開催される特支研全道大会への複数教員の派遣、講師を招聘しての研修を行います。

2020年4月25日土曜日

花だより 目指す教師像「先生らしい」 二輪草 ライラック


 ・~・ 目指す教師像「先生らしい」・~・
 『らしい』とは、教育者らしい、政治家らしい、商売人らしい、小説家らしい…のように、例えば政治家を裸にして風呂に入れても政治家らしい感じが動作からしみ出ると言われますし、役者が海岸で泳いでも舞台の匂いが取れないと言われるなど、軍人、学者、実業家、宗教家もみな同様に、その職業の感じが見て取れるといわれます。
 どのような職業にあっても、真の意味で自然に修養と人生の経験が積み重なると、垢がとれ、垢ぬけした人物となり、いざと言う時に、それぞれの組織の長としてその誠の仕事をする人物、真の頂点に立つ人物になるという考え方です。「えっ!あの人が校長先生なの?」と思われないようにすることです。
 これは多くの先人の教えでもあり、自戒でもあり、難しいことですが努力し精進したいと考えていることです。
『高く厚い壁も、課題から目や心を逸らすことなく、果敢に対峙し見方や考え方、知恵を生かし、継続することによって、やがて壁が階段となって展望が開けます。』

2020年4月24日金曜日

花だより 精神論、根性論で子どもの心は動かない 勿忘草


 日本の教育の下流化を問う   竹内 洋(関西大学・京都大学名誉教授)
 日本の学力が世界のトップクラスだったことは、今のフィンランドと同じように、学力中位以下層の頑張りによるものだった。1980年頃までの学力国際比較の実証的研究は、日本の生徒の学力平均が最も高く、分散(得点の散らばりの度合い)が最も小さいことを指摘していた。
 1970年代半ば、日本の学校のフィールドワークをしたアメリカの人類学者トーマス・ローレンは、著者『日本の学校』のなかでこう言っていた。
「日本の初・中等教育の偉大な成果は、素晴らしいエリートを養成したことにあるのではない。トップの生徒に関する限り、欧米諸国の方が優れている。日本の功績は、むしろ一般の人々の能力水準を高めたことにある。」
 そして、日本では一般の人々の学力が高いだけでなく、行動が「立派」であって、この面でも平均水準が高いとしている。一般人の頑張りと学力の高さが実直な中間層を育てるのに貢献していると喝破(事実を見抜いてはっきり言う)していたのである。
 日本の経済の高度成長は、大企業を支える下請けの中小企業の質の高さによったものであった。日本の資本主義は、西欧先進国のような「エリート」が主導する資本主義ではなく、中間指導者やヒラが頑張る資本主義が特色であり、強みだった。つまり現場の指導者やヒラの優れた力が大きかった。職場の神様とか職場の生き字引といわれたノン・エリートが逆にエリートや指導者を支えてと言ってもよい。実直で頑張る中間層は、実直で頑張る学力中間層と相即していたのである。
 問題はモチベーション ベネッセコーポレーション)
 「勉強って何だろう?」 精神論、根性論で子どもの心は動かない。
 考えれば考えるほど答えの出ない、私たちにとって永遠のテーマです。しかし最近、勉強について、一つ思うことがあります。それは、この国の勉強が精神論や根性論で語られることがあまりに多すぎた、ということ。
 勉強とは、自分の持ちうる知識や技能を活用しながら、思考し,判断し、表現すること。自らの力で見通しを立て、問題を解決すること。根性論では、子どものやる気に火をつけることはできません。知識の詰め込みが、問題を解く力を向上させることもありません。大切なのは、子どもが「一人でやり抜いた!」という実感を獲得すること。その手応えがまた、次なる勉強へのモチベーションにつながることを私たちは知っています。
 それでは、子どもたちの能動的な学びを実現するために、進研ゼミは一体何ができるのか?子どもたちの日常や学習への意欲を脳科学や心理学レベルから研究するうち、見えてきたのは「学習レディネス=勉強に対する子どもたちの経験」の圧倒的な不足でした。どう勉強していいかわからない。勉強することそのものに慣れていない。まずはこの問題から、何とかしなければなりません。 
 進学先の中学校からお迎えテスト(第1回学力テスト、小6の学習内容)4教科(400点満点)の結果が送られてきました。中学校の校長からは、「教え甲斐のある子どもたちです。」と言われました。

2020年4月23日木曜日

花だより 全国学力学習状況調査 オダマキ

全国学力学習状況調査
 コロナショックで今年は、中止になりました。来年実施された場合、休校がどう響くか、どんな分析がなされるのか注目です。
 道教委は、「テストの点数や順位自体は、目的ではない。大切なのは、義務教育で習得すべき学力が身に付いているかどうかだ。」と協調していますが、全国最低レベルからの脱却を目ざし、“なりふりかまわず”の取組が求められています。
 過去の弱点 改善状況測る 全国学力学習状況調査 
 問題を作成した国立教育政策研究所によると、過去の学力テストを分析し児童生徒の弱点を把握し、その改善状況を見る問題が出題されています。
 小学校算数では、わり算とたし算が混じった計算の順番が弱点と指摘されました。例えば、サッカー女子日本代表「なでしこジャパン」を題材に、4つのチームの勝ち点や順位を計算させる問題で理解度を測るものでした。
 小学校国語では、東日本大震災の苦難を乗り越えて選抜高校野球大会に出場した石巻工業高校主将の「日本中に届けます。感動、勇気、そして笑顔」という選手宣誓を取り上げ、表現の工夫がどんな効果を生んでいるかを問うた。過去に苦手にした「考えが伝わるよう、スピーチの表現を工夫する力」が改善されたかを見る狙いです。
 北海道教育大学旭川校の高橋准教授(教育学)は、国語の問題について「昨年、一昨年と比べて難しい内容。問題が長く、複雑になっている。単なる知識ではなく、文章を理解して要約し、表現する力が問われている。北海道の子どもは、長文を読んで理解するのが苦手な傾向にあるので、難しく感じたのではないか」と指摘しています。
 休校により、宿題のプリントが多く出されています。計算ドリルや漢字の書き取りドリルが中心です。これでは、今望まれている学力は身につきません。
 

2020年4月22日水曜日

花だより 「謙虚さ」“実るほど頭を垂れる稲穂かな” 躑躅


 「謙虚さ」“実るほど頭を垂れる稲穂かな”
 今年は、コロナショックで歓迎会もなくなりました。歓迎会で思い出すことがあります。
 管内教育長部会の河原部会長は、新任校長に向かって、「間違っても偉くなったと思わないように…」と語りました。
 赴任してすぐの歓迎会、校長のところに酒を注ぎに来る者がいませんでした。「この学校の職員は、どうなっているんだ!」呆れ果てました。
 ところが網走市教育委員会の歓迎会のときのことです。木目澤教育長さんは率先して、お酒をついでまわり、一人ずつ声をかけているのです。
 北見市の佐藤教育長も同じです。北見の場合は、人数が多いので一回りするだけでも相当の時間がかかりますが、お酒をつぎ、一声掛けることを怠りません。
 “自分は決して慢心したことはない、校長だからと偉そうにしたことはない。”と思っていましたが、どこかにそんな思いがあったのかもしれないと反省させられました。
“人は尊敬する人からしか、学ぼうとしない”という格言がありますが、“人は尊敬する人にしか、お酒はつがない”ということでしょうか?
 心から尊敬する人、憧れる人は、お金持ちではなく、社会的に成功しているわけでもなく、有名人でもないかもしれません。それでも、人々から慕われ、尊敬される人が存在します。他の人と何が違うのでしょうか。与える達人であり、寛大で、利他(他人の幸福をまず願うこと)の心を持ち、見返りを求めない人です。

2020年4月21日火曜日

花だより 『教 學 半』 サクラソウ


 『教 學 半』(教うるは学ぶの半ばなり) 
 教育大旭川校には師範学校時代から、伝統的に「教学半」という 教えがあります。中国の周から漢の時代に儒学者がまとめた 礼記(らいき)に出てくる言葉です。
 人を教えるときには、調べ直したり知識を整理し直したりするから、半分は自分が学ぶことになる。
 教えることは、学ぶことの半ば、つまり、どれだけ学んでも、自分が学ぶだけでは、まだ半分の状態であり、人に教えることで 本当の学びになり 自分のものになるということです。言い換えれば、インプットしたら、必ずアウトプットする。半分で終わらせないようにということです。
 また、「あなたは、教えることも、学ぶことも、まだ半人前だよ」とも解釈できます。私は、ずっとそう思っていました。
「一人を粗末にしたとき 教育はその光りを失う」
 大正から昭和にかけての教育者、安部清美氏の愛と情熱の教育格言。
氏は後に福岡県教育界を導き、参議院議員となり、多くの教育書を残して昭和56年81歳、永眠。3歳の時、日露戦争で父を亡くし、貧苦に耐え祖父の支えで福岡師範を出て、大正9年神興小学校に赴任。その一歩目、担任したのは4年生。そのときの学童であった金森イソの死に直面した。運動会の練習中の心臓麻痺だった。直前まで安部先生に甘えていた子どもだった。子どもを本当に知っていなかった、と教師の現実に苦悶し、悩み、自殺直前まで追い込まれていく。そこから「神興教育」が立ち上がっていくのでした。
●汝、子どものすべてを知るべし ●汝、子どもと無心で遊ぶべし ●汝、子どもと掃除をするべし
 その子を知り尽くす。その子を取り巻く環境を理解して導く、という教育姿勢は、その日から全員の家庭をまわり、家族と語り村長と語り、地域青年団修養会までも結成し、地域社会全体を見据えた教育へと発展していきました。到底マネなどできないと思いましたが、志だけはと思い書きました。

2020年4月20日月曜日

花だより 新入生・新入社員 ヤマブキ ヤグルマギク

○△◇新入生・新入社員○△◇
 学校の駐車場が手狭だと聞き、健康のためにもなると思い徒歩通勤をしています。朝7時過ぎに家を出ると、高校生とすれ違います。女子高生のスカートの丈は、まだ普通です。男子学生は、袖から指先しか見えません。新入生だとすぐ分かります。真新しいスーツを着た若者ともすれ違います。おそらく誰よりも早く出勤するのでしょう。
 人だけでなく、道路沿いの花壇に福寿草やクロッカス、ムスカリの芽が出ているのも見つけました。春はいろいろな出会いがありますが、これも歩かないと分からないことです。
  ~初々しい新入社員~ 
 厳しい就職戦線を経て、新たな環境で歩み始めた新社会人が各職場にさわやかな風を運んでいるのでしょう。焦らずに着実に経験を重ねてほしいものです。
 ■嫌われる新人
①あいさつをしない。②暗くて愛想がない。③黙っているだけ。④気が効かない。
⑤反応が薄い…など
 いつの時代も先輩から見ると、何とももどかしく映るものです。ただ、経験者の中には中途採用でもない限り、新人に即戦力としての期待を抱くことはまずありません。失敗の許容範囲も広いものです。職場環境に慣れて、仕事を一つずつ覚えてほしいと願うのが常です。とはいえ、そこは甘えてもらっては困ります。教えてくれるのが当然という受け身の姿勢は通用しません。先輩だってそんなに暇じゃありません。積極的に仕事を覚えようとしなければ、徐々に相手にされなくなります。まずは誰よりも元気な声を出すことです。知ったかぶりはせず、謙虚な気持ちになることです。薄っぺらな虚栄心は「スーツを着た子ども」と笑われるだけです。新社会人の皆さん、世の中はあなたを中心に回ってはいないことを早く気づくことです。
 これは新入社員に限ったことではありません。校長室に“しあわせ七変化”を貼ってあります。その時々にふさわしい言葉を書いて貼ろうと思っています。新年度の始まりに心に留めておきたい言葉です。初任者研修の第一は、一人前の社会人になるためのものです。 
  あわせ七変化
 自分が変われば相手が変わる
 相手が変われば心が変わる
 心が変われば言葉が変わる
 言葉が変われば態度が変わる
 態度が変われば習慣が変わる
 習慣が変われば運が変わる
 運が変われば人生が変わる
 幸せな人は
 そのまんまでいいのです



2020年4月19日日曜日

花だより 和気藹々 躑躅

新年度スタート 「和気藹々」
 厳しく辛い冬が過ぎ、やっと春になりました。待ち遠しかった春の訪れです。
 網走の帰り、車を停めて日当たりのよい斜面で何かを探している人がいました。
全国的には、春を告げる桜前線が毎朝のニュースになっていますが、北国に真っ先に春を告げるのは、なこやなぎとフキノトウです。
 まだ道端には雪が残っていますが、日当たりのよいところには、フキノトウの芽が顔を出しています。フキノトウの花言葉は「待望」です。
 4月2日 新しく転入された教職員の皆さんが顔をそろえました。
 これまで学校の中核にいた先生方が転出しました。アイコンタクトで物事が進んでいたことが、これからはできなくなります。協力と「ほう・れん・そう」(報告・連絡・相談・確認)の徹底が必要です。
 『和気藹々(わきあいあい)』 
 前年度親睦会長だった〇〇先生が、新年度の“職員室のスローガン”を歓迎会で語りました。すると〇〇先生が、「おいおい、『和気藹々』もいいが、馴れ合いになってはダメだ!」と釘を刺した一幕もありましたが、「和気藹々」とは「なごやかな気分でみちみちているさま」という意味です。
 26年度も引き続き、なごやかな雰囲気の中で、子どものことが語り合える職員室でありたいと思っています。

2020年4月18日土曜日

花だより 校長の方針 ハナビシソウ

2015 学校経営方針(3)
《地域・保護者との連携》 北小は、自治会、学区、PTA、子ども育成会など、大変活発で協力的な校区と認識しています。ところが、美芳町内会の総会で「街頭指導に人を出せない」となったそうです。そこで有志の方数人で新たに組織を作って街頭指導をすることになり、代表の方が過日来校されました。大変ありがたく思いましたが、有志の皆さんはご高齢で、「地域の若い方々が学校に協力するとか、支えるという感覚が希薄になっていることに危機感を感じます。後継者育成が課題です。」と話していました。学校からの情報発信や啓発活動を通して、学校教育への理解を深めてもらう必要性を感じています。
《チームで対応:生徒指導上の問題について》 何人かの保護者の方が生徒指導上の問題でお得様サロン(校長室)を利用されました。生徒指導の問題は、どの学級でも起こりうるもので担任一人が背負うものではありません。組織的な対応をとることが大切です。保護者対応とか関係機関への連絡等、相談、苦情の窓口は管理職が対応するのは当然ですが、事後処理、事後報告、未然防止など、情報を共有するなど、学校全体での対応が大切です。
《新任教師心得8箇条について》 送別会でK先生からS先生に送った言葉の中に「新任教師心得8箇条」(出勤時間の厳守、提出物の期限厳守など、基本的なことの注意)がありました。釈迦に説法ですので、私から改めて、あえて提示はしませんが、「率先垂範」という言葉があります。子どもに手本を示す立場にありますので、今一度、服務規律の厳守をお願いします。
《最後に》 まだまだ若いつもりでいましたが、私も退職まで残りわずかとなりました。最近、気力、体力がめっきり落ちてきたと感じています。老眼も進んで名前の読み違えもするようになりました。しかし、この歳になると役職がどんどん増えてきて、今年も学校を空けることが多くなりそうです。
 ある先生が、「何かあるとみんなで協力するのが北小のよいところです。」と話しました。その通りだと思っています。今年1年間、協力・協働でやっていきたいと思っていますので、よろしくお願いします。

2020年4月17日金曜日

花だより 重点課題は特別支援教育の充実 木蓮


 今年の重点課題
***「特別支援教育の充実」(信頼される学校づくり)***
 普通学級の児童数が減少する中で、特別支援学級の入級者が増加傾向にあります。これは本校に限ったことではありません。学校は今、特別支援教育を中核に据えた学校経営を推進しなければなりません。  
 4月5日、特別支援学級の保護者説明会がありました。
 Kくんがそろばん暗算3段合格の話をしました。Kくんのお母さんが、「3段に合格したのも北小で学んできたお陰です。特別支援学校に入っていたら寝たきりの生活だったと思います。親として、できるだけのことをしてあげたい。」と言ってくれました。さらに、マラソン記録会の時、「『こうへいはいいよな。走らなくていいから』と言う子がいたので、『走りたくても走れない子もいるんだよ。走れるあんたは、一生懸命走りなさい。』と私は言うんだよね。うちの子が一緒にいることで他の子もよくなってほしい。これが私の願いです。」と話されました。
 また、卒業式で「卒業生の合唱」に感動した来賓の方がいました。Yくんの歌のことです。調子外れの大きな声で歌っていましたが、それを素直に認める学級・学校であること。まさに6年間の特別支援教育の成果が出た卒業式であったと言われて、大変うれしく思いました。
 特別支援学級と普通学級との交流で生まれる思いやりの心が育てば「いじめ」など起きないはずです。「Kくんがあんなに頑張っているんなら、おれも頑張る。」障がいのある子、普通学級の子も互いに高めあえる。そんな学校を目指したい。
 特別支援の充実は、それぞれの学級にいるいわゆるグレーゾーンの子どもたちの保護者の理解も深まるのではないかと思います。今年、市の特別支援教育研究会の事務局を本校で担当します。私も会長という立場になりますので、私自身も勉強をして参ります。

2020年4月16日木曜日

花だより 北小学校経営方針2015 ヤマブキソウ


 北小学校経営方針2015は Nプラン+1《need》 続き
《特別支援教育の充実》
 今年は、特別支援教育の全道大会会場校になります。特別支援学級在籍児童の増加への対応とインクルーシブ教育システムの構築が求められていますので、特別支援教育は学校経営の重点に据えなければならないと考えます。
 校長がまずやらなければならないことは人的な配置です。今回の人事では、特別支援担当者の確保を重点にしました。加えて研修が大事です。全道大会を機会に全職員で特別支援教育について研修を深めるべきです。
《学力・体力向上対策は外せない》
 病気の処方箋は、さまざまな検査で決められます。今の世の中、触診やレントゲン写真だけで診断する医者はいません。血液検査やMRI・CTなど、最新の医療器具を駆使して診断し、治療方法を決定します。教育も同じです。精度の高い検査(知能検査・学力検査・新体力テスト)をして、何が課題なのかを明確にし、それを共有することがまず必要です。
 少人数指導加配、授業改善チーム活用事業や時間講師など考えつく加配(通級学級は残念でしたが)は、全てもらいました。後はその成果を上げるだけです。
《生徒指導と保護者対応が悩みのタネ》
 生徒指導と保護者対応は、決して一人で抱えないことです。責任を背負い込むようなことはしないことです。問題が生じたときは、すぐ生徒指導部や教頭に相談することです。また、関係機関との連携が解決の鍵を握ります。早い段階での報告・連絡・相談が大事です。
《+1はNと+C(clean)も考えた?》
 職員室の配置が新しくなり、机の移動に伴い長年溜まっていたゴミが大量に出てきました。誰かがいなくなったからではありませんが、これを機に職員室がきれいになることを願っています。
 3年前に初めて斬新なデザインのこの校舎に入ったとき、外観と異なり汚い学校だと思いました。
 図書コーナーやプレイルームの上はグチャグチャ、準備室はゴミ屋敷?観葉植物は瀕死の状態、賞状額は埃まみれ、賞ケースは雑然と置かれているだけ、中庭は雑草が伸び放題、学校周辺の樹木も手入れが行き届いていませんでした。(決して先生方を批判しているのではありません。)ところが、この3年で少し環境がよくなってきました。先生方や用務員さん、事務員さん、土曜警備の方など、さまざまな方の協力のお陰だと感謝しております。
 しかし、まだまだ気になるところがたくさんあります。改善するにはお金が伴いますので、あれもこれもやりたいことがあってもそう簡単に実現できるものではありませんが、職員室の机上の整理整頓は、お金が無くても心がけ次第できれいになります。
 「学校が変わった?」 手っ取り早い方法は、目に付くところをきれいにすることです。これで印象が大きく変わります。皆さんの協力をよろしくお願いします。

2020年4月15日水曜日

花だより 有終完美 マーガレット

「有終完美」  
 「校長先生、いよいよLAST YEARですね。」とM先生に言われました。
 2015スタート 三寒四温を繰り返しながら、桜の季節を迎えようとしています。オホーツクに桜前線が到着するのは、まだまだ先の話ですが、北小4年目にもなると、ご近所のどこの庭先に福寿草が咲くか分かるようになり、朝の街頭指導に合わせて福寿草を探しに回ってみると、いつもの庭にやっぱり咲いていました。蕗の薹も春を告げる花ですが、黄色の鮮やかな花を咲かせる福寿草には敵いません。
 「別れと出会いの季節」と言われますように、多くの方々との別れと出会いの中で新学期を迎えました。このご縁を大切にして新しいスタートを切っていただきたいと願っています。一番早く咲く寒桜の花言葉は、“春はもうすぐ「あなたに囁く」”です。福寿草の花言葉は「幸福を招く」、蕗の薹は「待望」「仲間」です。なるほどうまくできています。
  平成27年度 学校経営の基本方針 《解説》 第1弾 
◎義務教育の段階であること ◎子どものためにあること  ◎公立小学校であること
 学校経営方針は、自分は今年で最後だから、好きなようにするということはできせん。北見市教育行政方針、北海道教育委員会の方針に基づき定めるものです。しかし、その中でいかに独自性を出すか、他の校長とは違うところを見せたいと思うのです。
 ~・~・~ 北小Nプラン2014+1(N) ~・~・~
N~north(北小学校の)  N~new(新しい)  N~next action(次の行動は)
N~nice(見事で、快適で、優しい) N~never(決してあきらめない=精いっぱい)
N~need(特別な支援を必要とする子どもへの配慮)

 HONDAのNボックスの売れ上げが好調のようです。北小のNプランも2年目になり、NEWを取ろうかと思いましたが、新メンバーが加わり、また新しい風が吹き始めたのを感じ、残すことにしました。今年は+1(N)として「特別支援教育の充実」を加えました。
 目指せ!「楽しく学びがいのある学校」 
 子どもにとって学校がホッとできる安心感とやればできるという成就感と達成感が実感でき、子どものよさや可能性が最大限発揮できるような豊かな学びの環境を創り出す。
 《学びがいのある学校とは》
◎温もりと潤いのある学校 (温かさ・安心・自信・自立心)
◎思いやりと協力のある学校  (認め合い・磨き合い・高め合い・助け合い)
◎創意工夫のある学校  (関心・意欲、問題解決力、創造性)
◎活力のある学校  (自己目標・自主性・実践力・達成感)
◎遊びのある学校  (人間関係・社会性・心の安らぎ)
 特に大切にしたいのは「遊び」です。
 ここで言う「遊び」とは、PLAYではなく、車のハンドルやブレーキの「遊び」のことです。レーシングカーは、この「遊び」がほとんどありませんが、ファミリーカーには、適度な「遊び」が安全には欠かせません。学校の遊びは、教師の人間性や心のゆとりが大きく左右します。
「教職員が協働する学校づくり」(“教育は人なり”) 
 学校教育の正否は、教職員の意欲と姿勢によるところが大きい。教職員の意識や心構えが子どもの成長を促すという考え方に立ち、教職員一人一人が持ち味や専門性、自主性や創造性を発揮し、磨き高め合って、子どもの心に響く教育活動を推進することです。

2020年4月14日火曜日

花だより 新学期がスタート オオバナノエンレイソウ

  
《不安と期待》 いよいよ新しい顔ぶれでの新学期がスタートします。
 転出される先生の挨拶がありました。一人は「久しぶりの転勤でわくわくしています。」と期待に胸ふくらませ、ある人は感極まって涙を流し、そして、新天地での不安を口にする人と様々でした。春休みに入り、保護者から担任の要望を受けました。「なぜ1年で担任が替わるのですか?昔は持ち上がりでしたよね。勝手の知っているあの先生がいい!あの先生なら安心!毎年替わるのは不安です。」と言うのですが、「替わることも大事です。」と言っています。
 自立への基礎を養う(保護者の声に)   
 ただ学力をつけようと思ったら、家庭教師を付けて勉強させればいいのですが、それだけでは、人として成長しません。なぜ学校で勉強するかと言えば、人は社会の中で生きていかなければならないからです。仲間と一緒に学ぶためには、友だちとの付き合い方、先生との関係、集団のルールを身に付けなければなりません。それが学校で学ぶ大切なことです。
「校長先生、〇年生になっても〇〇先生を担任にしてください。」と校長室によくやってくる子が言いました。こういう子は、新しい担任、新しい環境になってもすぐ対応できる子だと思います。
 教え子の中に未だに年賀状(当時の思い出を書いて)を送ってくる子がいます。その子は目立たなく、私の近くにはあまり寄ってこない子でした。人それぞれです。
 新しい先生、新しい友だち、新しい環境に早く適応する能力も必要なことです。

2020年4月13日月曜日

花だより 「学習」の「習」という字 シャガ


 新年度スタート
 毎年のことですが、年度末・年度初の業務、卒業式、入学式、送別会、歓迎会、引っ越し、慌ただしい日々でした。まだまだ忙しい日が続きます。
 AKB48の『さくらの栞』の一節です。 
 春のそよ風が  どこからか吹き  通い慣れた道  彩りを着替える
 喜びも悲しみも  過ぎ去った季節  新しい道  歩き始める

  職員室のメンバーが替わって、打ち合わせが細かくなり、時間がかかるようになりました。新しく生まれ変わるためには必要なことです。
 新採用教員の皆さんへ 
/////「学習」の「習」という字/////
 この字は「羽」と「白」から成り立っています。これは色の付いていない「白い雛・初々しい雛」が羽をひたすら動かして飛ぶ練習を反復している様子を表しています。
 つまり、命を懸ける思いで繰り返し行うことが“習う”ということです。天性の能力は、生まれたときからそれ程大きな違いはないといわれ、学んだことを繰り返し反復するか否か、自ら目指すものをもって努力したか否か、が大きな差を生むといわれています。つまり、人生は学びの連続ということです。特に教師は“学ばない者に教える資格なし”という厳しい言葉もあります。
 “嬉しいことや悲しいこと 色んなことが 折り重なって 人生は深まっていく”といわれますが、新採用の先生方が、元気はつらつとして、教師として大きく成長するか否かは、職場環境にかかっていると思います。先輩の先生方、よろしくご指導とご支援をお願い申し上げます。
 “子どもは教えられた以上には育たない”という言葉があります。
 余程の偉人でない限り教師といえども初めから寸分抜かりのない人物はいません。振り出しの学校での先輩教師との出会いやそれぞれの学校の研修体制や実践者の有無による職場環境が大きいのではないかと思います。
 当然、教職に就くまでの環境や個人の資質によるものは大ですが、研究熱心な先輩との出会い、公開研究会を継続開催している学校に着任した新任教員と、校内研修の体制が不備の学校で振り出す新任教員との差は大きいものがあります。“教師は専門職としての指導力を高く評価されて当たり前のこと”です。教育職の給与が一般職より高いことからも明らかです。
 うれしい便り~
 転出された先生の学校の校長から、「いい先生に来てもらいました。初日から職場に溶け込んで、学級開きの準備をしてもらっています。」と言われました。嬉しい限りです。私もそう言いたいと思います。人事異動は新しい風を運んできてくれます。春は出会いの季節です。この出会いを大切にしたいと思います。

2020年4月12日日曜日

花だより 美しい人をつくる所作の基本 ミヤコワスレ


 美しい人をつくる所作の基本
   心を整えるためにまず自らの所作を整えることから入る
一 良い所作は良い縁をもたらす
一 イライラしている人に美しい所作の人はいない
一 便利さや効率ばかり追い求めると美しさから離れる
一 日常の全ての動作を疎かにすると心が乱れる
一 姿勢を整えると仕事も健康もいいことだらけ
一 手の所作は心のあらわれ
一 人物判断は足元をチェックされる
一 ゆっくり季節を感じながら歩く
一 箸や器を大切に使えば所作は自然と身につく
一 着ている物はあなたの心をあらわす
一 華道の心を知り花を飾る
一 過去のことを悔やまない 将来のことを不安に思わない
一 あいさつの力を知る
一 美しい文字を書く
一 感謝は感じたときにすぐ伝える
一 感謝は手紙であらわす
一 もてなしとは もてなす側ともたなされる側 両方の力量が問われる
一 どんな人にも敬意を持って接する
   所作を磨くと心も体も人生も輝く
                  禅と所作の基本より  枡野 俊明 

2020年4月11日土曜日

花だより コロナ対策 山桜


 《心がホッとステーション》 
  コロナ対策 交通指導員さんのポケットから出てきたのは?
 学校の新学期に合わせて、交通事故から子どもたちを守るために、春の交通安全運動が始まりました。これまで勤めていた北見市教育委員会を辞めて、4月1日から、訓子府町教育委員会にお世話のなっています。通勤時間が約30分になりました。朝の通勤時間に交差点で停止すると、横断歩道をマスクをした小学生や中学生が渡る横で交通指導員の方が立って見守っています。中に一人マスクをしていない子を見つけると、ポケットからマスクを出して、その子に渡し、何やら声をかけていました。その子は頭を下げ、マスクをしました。
 ドラッグストアには、数少ないマスクを買い求める客が並んでいるそうです。交通指導員の方は、年配のように見えました。きっとこの方も、マスクをしていない子のために朝早くから並んで買い求めたのでしょう。
 「今こそ、一人一人が努力して、逆に社会を守るときです。」と京都大学の山中伸弥がテレビ番組で語っていました。


2020年4月9日木曜日

花だより 「よさ」と「良さ」 翁草

「よさ」と「良さ」
 漢字を使うと反対の意味の漢字につながるので、悪い子どもはいない。という観点から ひらがなで「よさ」と表記する。さらにひらがなで書くと、漢字よりもやさしく感じる。女性は、自分の名前を「幸子」ではなく「さちこ」と書いた方が、何となくやさしいひとのように感じる。
 変換されるままに 便利なパソコンでの文書作成も使う人の心はいつも優しくありたい。

2020年4月8日水曜日

花だより 命を下す 蓮華草

命を下す
 自分がこうしたいと思うことを人に命じて、その命のままに自在に人が動くということは、事を運ぶうえにおいて、きわめて大事なことではあるけれど、命になれて、いつのまにか命がなければ人が動かないということになっては、これは大変である。こんな硬直した姿では、進歩も発展も生まれないであろう。
 たとえ命令がなくても、以心伝心、命ずる人の意を汲んで、それぞれの人が適時適確にすすんで事を運んでゆく~こういう柔軟な姿のなかにこそ、かぎりない発展性が生まれてくる。
 そのためには、命を下す前に、まず人の言うことに耳を傾けることである。まず聞くことである。聞いた上で問うことである。そして、そこに我が思い異なるところがあれば、その気づかざる点を気づかしめ、思い至らざる点の理非を説く。そうした納得の上に立って、断固、命を下さねばならない。命を受ける人に納得があるということは、その人の知恵がそれだけ高まったということである。わけのわからぬままに命に従わせていたのでは硬直する。命を下すということは、ほんとうにそんな容易なことではないのである。
                            (松下幸之助)

2020年4月7日火曜日

花だより 人間としての「眼」を育てる 踊子草

人間としての「眼」を育てる
                    村瀬千樫(元北海道教育大学教授)
 いつの時代も人間は美しさを求める
「ヒトの眼に感性の働きが加わるとき人間の眼になる」と言われている。4億年という長い時間をかけてヒトの眼になり、その上に優しさやいたわりなど、人間味を加えた眼、つまり、人間性を持つ眼ができて初めて「人間」と言えるのである。
 子どもたちは様々な環境の中で生まれ、育てられ、人間になっていく。しかし、この一人一人の子どもたちを取り巻く成長過程のその時々が、決して美しく、温かい環境ばかりではない。学校教育の中では、教科はもちろん、様々な学びを通して、自分の身の回り人々の優しさや思いやり、自然の美しさや崇高さなどを見る「目」を持った人間に育って欲しいと心から思う。
 目は耳からの540倍の情報量が得られるという。目が情報獲得の窓であり、また、大脳と眼球は密接な関係にあることから創造力を育てると言われる所以である。
 子どもたちには、「何を見るか、真実は何か、これを見て何を感じるか、どのような価値を持つか」など、目を育てる教育が求められている。
 同時に、教師は包容力を持ちつつ、濁りのない素直な目で子どもたちを見つめる。そして、教育に関わる人間の「眼」を大切にし、感性を常に磨き続けなければならない。

2020年4月6日月曜日

花だより 校長の職務 イカリソウ

校長の職務   
 教育とは適材適所たらしむるこ
 新しい教職員を迎え、新年度がスタートした。㋃当初は、入学式や学級開きで忙しいのだが、今年は、加えてコロナ対策が加わり、特に異動した校長先生は、緊張の毎日だろう。こんなときこそ校長のリーダーシップが求められる。
 一人一人の能力を引き出し、それを十分に発揮することのできる分野、あるいは仕事に打ち込めるようにすること。その方法として適時適授、すなわち、経過する時に応じてタイミングを失うことなく、師弟の間には、互いに授け、授けられるとう関係が成り立たなければならない。
 ビジョンと必要な人材が見えてくると実は気がつかなかった自校の教職員の別な一面や新しい一面が見えてくる。どこの学校にも、いろいろな個性を持った教職員はいるが、それを校長がよく把握し、それぞれの能力に応じて適時適授を忘れることなく、適材適所たらしむることこそ円滑な学校運営につながる。 (井出源四郎著より)

2020年4月5日日曜日

花だより 先生たる必須条件は… キジムシロ


  先生たる必須条件は…  北見市元教育長 佐藤 宣秀
 いろいろな事情で学校に行けなくなっている子どもたちも数多くいるという現状を思い起こすと、何とか、それぞれ気持ちを振り絞って玄関から一歩外に出て欲しい。
 学校や行政だけでは限界があることは重々承知していますが、やはり一人一人の子どもの状況を把握し、緻密に接点を保っていくことが、まず私たちに求められるのだと思います。
 いろいろな事情で子育てのできない親御さんも居て、苦しんでいるかもしれませんが、子どもの心はそれ以上に苦しんでいると受け止めるべきだと思います。明るい出口を求めて…。
 是非とも読者諸君には、個々の子どもの心に寄り添い、子どもが安心して話しかけてもらえる先生であって欲しいと思います。先生たる必須条件は、学生時代の頭の良さより、子どもや保護者に対する広くて深い包容力と洞察力だと思っています。
 【鬼手仏心(きしゅぶっしん)】  
~外科医は手術のとき,残酷なほど大胆にメスを入れるが,それは何としても患者を救いたいという温かい純粋な心からである。~網走の元木目澤教育長さんから教えられた言葉です。
 組織のトップは、「鬼の手と仏の心が大切なのだ。」ということです。校長の心構えを今さらながら教えられました。鬼の心、仏の手では、子どもたちや部下職員を救うことは出来ないのです。
 「たくましさ」と「優しさ」        
「タフでなければ生きて行けない。優しくなければ、生きる資格がない。」
 アメリカの作家レイモンド・チャンドラーの遺作となった小説「プレイバック」の中で、主人公フィリップ・マーロウが言った台詞である。日本ではキャッチコピーとして使われ有名になりました。
 次世代を担う子どもたちに求められる資質・能力について、数々の提言がなされています。それらの土台となる不易の資質がこの台詞に凝視されています。
 痛ましい事件、いじめ、経済格差、厳しい環境の中で、今を生きる子どもたちへ、祈りを込めて贈る言葉です。 


2020年4月4日土曜日

花だより 理で説き 法で押さえ 情で動かす 二輪草

『理で説き 法で押さえ 情で動かす』
【二人の人間 (論語)】 人間には「徳の人」と「才の人」とがある
「徳の人」は大将の器なるべし、「才の人」は補佐役たるべし
NHK大河ドラマ「西郷どん」が放映されていて毎週楽しみに観ていました。西郷隆盛を「徳の人」、大久保利通は「才の人」とよく例えられます。
 リーダーとしての地位が高ければ高いほど、技量的能力よりも徳の方を要求されます。
 これを学校に例えると、校長と教頭、主幹教諭、教務主任などが当てはまります。教頭までは「才の人」ですが、校長には「徳の人」が求められます。但し、はじめから「徳のある人」はそうはいません。「徳を積む」という言葉があるように、校長になるまでの経験が徳となるということであり、校長になってからも不断の修養が肝心だということです。
◇小惑星探査機「はやぶさ」のプロジェクト・マネージャーに学ぶ
 奇跡の生還をもたらした秘訣について3点挙げました。
①3億キロの彼方のイトカワから星のかけらを持ってくるという目的・ゴールの明確さ
②困難に遭遇しても決してブレない姿勢 
③よい意見であれば積極的に採り入れる度量
◇土光敏夫氏(国鉄民営化・組合交渉)や後藤新平氏(関東大震災後の帝都復興)に学ぶ
  どんな国をつくるかという明確な目標を示せるか、消費税増税など腰砕けをすることなく筋を通せるか、反対派の意見にも耳を傾け、採り入れる度量の大きさが問われる。 
◇英国元首相サッチャー氏に学ぶ
 “私は確信の政治家です。旧約聖書の預言者たちはこう言いました。「これが私の信仰であり、ビジョンでもある。あなた方もそれを信じるのであれば私についてきなさい。」私も同じことを申し上げます”さすが『鉄の女』と呼ばれた人の言葉です。
 難しいことだと思いますが、トップには、これくらいの気迫が必要なのです。また、このような先たちの言葉は、そっくりそのまま『校長のあるべき姿(指導性)』に当てはまります。
  ① どんな学校をつくるかという明確なビジョンを示すこと 
  ② それを貫徹するブレない姿勢
  ③ 反対勢力の言うことにも耳を傾ける度量の大きさ

2020年4月3日金曜日

花だより 教師は「頑張れ」と言い過ぎ ヒトリシズカ

「頑張れ」と言わない 
 ≪教師は「頑張れ」と言い過ぎ≫
 ~こんなときに使いませんか?~
 A 朝から廊下ですれちがった子に「おはよう!頑張ってる?」
 B 帰りの会で「今日もよく頑張ったね。明日も頑張ろう!」
 C 問題行動の指導後「次から頑張りなさい。」
 D 試合や発表を控えた子どもたちに「頑張ってください!」
 E 子どもから相談を受けたとき「負けずに頑張るんだよ。」
「頑張れ」は当り障りのない便利な言葉である半面、抽象的で曖昧な言葉でもあります。
≪何を頑張ればいいのか≫
いじめを受けている子に「負けずに頑張れ」と教師が迫れば、その子をますます追い込むことになりかねません。言葉をかけるなら「頑張れ」ではなく「助けを求めてもいいんだよ。私は君の味方だよ。」ではないでしょうか。
 次のA~Eの例ではどう話すべきでしょうか。
A「おはよう!ずいぶん寒くなったね。寒いのは平気?」「元気がないように見えるけど具合悪いの?」など、その子に応じた声かけができれば良いと思います。
B「今日も一日お疲れさま。気をつけて帰ってくださいね。」
C「君が話した今後の決意を応援しているよ。」その子の反省や決意を受け止め、後押ししてやりたいものです。
D「練習の成果が発揮できるように祈っています。」
E「つらかったね。」「大変な思いをしてきたんだね。」などの共感的な言葉かけが良いではないでしょうか。ここは教師の人間性や教育に対する理念が表れるところです。
≪指導言葉を磨く≫ 
 スポーツのコーチが選手を指導するときは技術面をチェックして、改善・矯正に向けた助言をするものです。「頑張れ」とハッパをかけるだけのコーチはいないはずです。
 教師の仕事も同じように考えてもいいのではないでしょうか。子どもと接する全ての場面で「頑張れ」を使わないように心掛けると必然的に適切な言葉を探すようになります。
 優れた教師は、いろいろな会話の言葉や指導の言葉を持っています。「頑張れを禁句にする。」とは「頑張れと言わずに子どもの良さを引き出す。」そう心掛けることで教師の指導力も高まっていきます。

2020年4月2日木曜日

花だより 校長になって毎日が怖い エイザンスミレ

北極星はどこにあるか
                  京都市教育委員会教育企画監  荒瀬 克己
 方角を知らない船は進めない。学校も似ている。たとえ順風満帆であっても、度重なる難事を乗り越えいかなければならない場合でも、常に方角を知っているからこそ目的地をめざせる。学校も新たなものに取り組む際にはもちろん、日常の営みを積み上げていくことでさえ方角を知ることが必要だが、それを示すのは誰か。
 ある新任校長が、「校長になったら、ああしよう、こうしようと思っていたのですが、はっきり言って怖いですね。」と言う。
 校長はなぜ怖いか。毎朝、子どもたちが学校に来る。次の日も、また次の日も、それが繰り返される。しかも子どもたちはたいてい無事である。もちろん無事でなければならない。毎日の無事を日常と呼ぶのだが、ならば、日常とは奇跡の連続である。
 なぜ怖いか。学校には様々な事柄や事態に対応しなければならない。子どもたちの様子、教職員の状況、保護者への説明、外部との関わり、教育委員会とのやりとり、枚挙にいとまのない諸々の動きの、そのトップに校長がいる。学校経営の最高責任者であり、最終責任者である。つまり、後ろには誰もいない。もちろん設置者である教育委員会はあるが、学校内のすべての責任が校長にある。仕事はチームで進めても、最後の責任はひとりで負う。孤独な日々だ。
 なぜ怖いか。自分をさらけ出さなければならない場面が多い。式はもとより多くの機会に子どもたちや保護者に何を話すか、どんな文章を書くか。これは誰にも頼めない。当然、様々な判断も自分でしなければならない。自分自身の進退についてもそうである。自分ひとりでしなければならない。足が震えるけれど、そこから逃げることはできない。
みんなが校長を見ている。校長が、子どもたちや教員を守っているか。務めを果たしているか。多くの視線を感じる。これで怖くない人はいないだろう。
 校長の適性とは、周りに助けてもらえるかどうかということのようだ。しかし、心ある周りの人たちも、その場にいない校長を支えることはできない。だから、支えてもらわなければならない者は、怖さに耐え、何とか力を振り絞って、その場にひとりで立ち続けていなければならない。
 現場は、いま、そこにしかない。お手本はあっても、いつどこでもその通りいくとは限らない。自分で考えるしかない。その際、自分の学校経営の軸になるものを持っていたい。それは自分にとっての北極星を探すようなものだ。

2020年4月1日水曜日

花だより 「失敗から学ぶ」 蕪(かぶ)


 お世話になった校長・教頭先生へ
 3年間、教育専門相談員として、いろいろな問題に直面しました。
1年目、妻から「昨夜は、ずいぶんうなされていたけど…。」と言われたことが何度かありました。よく考えてみると実務者会議(要対協ケース会議)のあった夜に限ってのことでした。悲惨な家庭環境や養育放棄された子どもたちを目の当たりにして、無力感に苛まれました。また、保護者からの学校批判、担任不信の電話も多く受けました。その都度、校長先生方の苦渋の顔が浮かびました。
 私は3月をもって退任します。送別会では、お礼のご挨拶と思っていましたが、コロナショックのためにそれも叶わなくなりましたので、現職の校長先生と教頭先生には、生担連の資料用に用意していたものをお届けして、お礼のご挨拶に代えさせていただきます。
 満職を迎えた校長先生には、お祝いの言葉を贈りたいところですが、退職後は決してバラ色ではありません。年金支給まで、まだまだ働いてください。大変な時期にご栄進される教頭先生には、どうかお身体ご自愛くださいまして、学校経営に邁進されることをご期待申し上げます。
3年間、大変お世話になりました。ありがとうございました。
「失敗から学ぶ」 ~保護者対応は慎重に~
 最近の校長業務で一番気を遣うのは、「保護者対応」ではないでしょうか。日頃から保護者との相互理解を深め、クライシス・マネジメントの発動に陥らないように努力すべきことは言うまでもありません。先輩校長から「校長の仕事は教職員が安心して勤務できる防波堤になること」と言われました。しかし、実態を正確に把握しないまま中途半端な対応をすると、かえって問題をこじらせることになります。今回のコロナウィルス対応もそうですが、危機管理の鉄則は、「空振りはいいけれども、見逃しはするな」ということです。
 【失敗事例】 指導主事、公立学校の校長、その後大学の講師になった先生の話
 教頭から、“Aさんの息子が体育の時間にケガをした際に、担任の対応が不適切ではなかったか、という申し出がきている。さらに普段からクレームが多い保護者で、跳び箱の学習で、着地の際にねん挫したのだが、教員が適切な処置を怠った。”という旨の報告を受けました。
 担任に確認したところ、軽いねん挫のようであったため、保健室に行くように指示したということでした。ベテランの教員であったため、私は「保護者に会って話す」と対応を引き受け「教員に事実確認したが、対応には問題がないように思われる」と伝えました。
 しかし、Aさんは納得せず、息子と同級生から聞き取りをして、実際は放置に近い対応であり、友人が保健室に同行したことが明らかになったのです。Aさんの態度はそれを機に一変し、連日ように苦情の面会や電話が来るようになりました。感情的に激高され、約半年間に及んだのです。その間に、さまざまな状況を調べると、Aさんは学級担任の平素からの指導に強い不満を持っており、そのことを担任に相談したが納得できる対応がなされず、そのうえ、管理職の対応も不誠実だと怒りを募らせたようでした。状況を十分に理解せずに、安易に教員からの伝聞をAさんに伝えたのが災いしたのです。
 さまざまな情報を収集し、状況をよく把握したうえで、校長自ら保護者に誠実に対応することが肝要であると反省しました。Aさんの件で、間に入ってとりなしてくれたのは他の保護者であったことも、私に大切なことを再認識させてくれました。
   令和2年3月