2020年4月24日金曜日

花だより 精神論、根性論で子どもの心は動かない 勿忘草


 日本の教育の下流化を問う   竹内 洋(関西大学・京都大学名誉教授)
 日本の学力が世界のトップクラスだったことは、今のフィンランドと同じように、学力中位以下層の頑張りによるものだった。1980年頃までの学力国際比較の実証的研究は、日本の生徒の学力平均が最も高く、分散(得点の散らばりの度合い)が最も小さいことを指摘していた。
 1970年代半ば、日本の学校のフィールドワークをしたアメリカの人類学者トーマス・ローレンは、著者『日本の学校』のなかでこう言っていた。
「日本の初・中等教育の偉大な成果は、素晴らしいエリートを養成したことにあるのではない。トップの生徒に関する限り、欧米諸国の方が優れている。日本の功績は、むしろ一般の人々の能力水準を高めたことにある。」
 そして、日本では一般の人々の学力が高いだけでなく、行動が「立派」であって、この面でも平均水準が高いとしている。一般人の頑張りと学力の高さが実直な中間層を育てるのに貢献していると喝破(事実を見抜いてはっきり言う)していたのである。
 日本の経済の高度成長は、大企業を支える下請けの中小企業の質の高さによったものであった。日本の資本主義は、西欧先進国のような「エリート」が主導する資本主義ではなく、中間指導者やヒラが頑張る資本主義が特色であり、強みだった。つまり現場の指導者やヒラの優れた力が大きかった。職場の神様とか職場の生き字引といわれたノン・エリートが逆にエリートや指導者を支えてと言ってもよい。実直で頑張る中間層は、実直で頑張る学力中間層と相即していたのである。
 問題はモチベーション ベネッセコーポレーション)
 「勉強って何だろう?」 精神論、根性論で子どもの心は動かない。
 考えれば考えるほど答えの出ない、私たちにとって永遠のテーマです。しかし最近、勉強について、一つ思うことがあります。それは、この国の勉強が精神論や根性論で語られることがあまりに多すぎた、ということ。
 勉強とは、自分の持ちうる知識や技能を活用しながら、思考し,判断し、表現すること。自らの力で見通しを立て、問題を解決すること。根性論では、子どものやる気に火をつけることはできません。知識の詰め込みが、問題を解く力を向上させることもありません。大切なのは、子どもが「一人でやり抜いた!」という実感を獲得すること。その手応えがまた、次なる勉強へのモチベーションにつながることを私たちは知っています。
 それでは、子どもたちの能動的な学びを実現するために、進研ゼミは一体何ができるのか?子どもたちの日常や学習への意欲を脳科学や心理学レベルから研究するうち、見えてきたのは「学習レディネス=勉強に対する子どもたちの経験」の圧倒的な不足でした。どう勉強していいかわからない。勉強することそのものに慣れていない。まずはこの問題から、何とかしなければなりません。 
 進学先の中学校からお迎えテスト(第1回学力テスト、小6の学習内容)4教科(400点満点)の結果が送られてきました。中学校の校長からは、「教え甲斐のある子どもたちです。」と言われました。

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