2020年4月21日火曜日

花だより 『教 學 半』 サクラソウ


 『教 學 半』(教うるは学ぶの半ばなり) 
 教育大旭川校には師範学校時代から、伝統的に「教学半」という 教えがあります。中国の周から漢の時代に儒学者がまとめた 礼記(らいき)に出てくる言葉です。
 人を教えるときには、調べ直したり知識を整理し直したりするから、半分は自分が学ぶことになる。
 教えることは、学ぶことの半ば、つまり、どれだけ学んでも、自分が学ぶだけでは、まだ半分の状態であり、人に教えることで 本当の学びになり 自分のものになるということです。言い換えれば、インプットしたら、必ずアウトプットする。半分で終わらせないようにということです。
 また、「あなたは、教えることも、学ぶことも、まだ半人前だよ」とも解釈できます。私は、ずっとそう思っていました。
「一人を粗末にしたとき 教育はその光りを失う」
 大正から昭和にかけての教育者、安部清美氏の愛と情熱の教育格言。
氏は後に福岡県教育界を導き、参議院議員となり、多くの教育書を残して昭和56年81歳、永眠。3歳の時、日露戦争で父を亡くし、貧苦に耐え祖父の支えで福岡師範を出て、大正9年神興小学校に赴任。その一歩目、担任したのは4年生。そのときの学童であった金森イソの死に直面した。運動会の練習中の心臓麻痺だった。直前まで安部先生に甘えていた子どもだった。子どもを本当に知っていなかった、と教師の現実に苦悶し、悩み、自殺直前まで追い込まれていく。そこから「神興教育」が立ち上がっていくのでした。
●汝、子どものすべてを知るべし ●汝、子どもと無心で遊ぶべし ●汝、子どもと掃除をするべし
 その子を知り尽くす。その子を取り巻く環境を理解して導く、という教育姿勢は、その日から全員の家庭をまわり、家族と語り村長と語り、地域青年団修養会までも結成し、地域社会全体を見据えた教育へと発展していきました。到底マネなどできないと思いましたが、志だけはと思い書きました。

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