9月22日の読売新聞に、社会に変革をもたらす生成AIの急速な発展に、どう向き合うべきなのか。7月に「京都哲学研究所」を設立したNTTの澤田会長と哲学者の出口京都大学教授の対談が掲載されていた。
新たな社会感が必要 「一人で生きている」錯覚 人の道徳問われている
SNSのような疑似空間が、社会と切り離されて極端に個人化されると、本当は伝達能力に乏しい人にも影響力が備わっているかのような錯覚を生じさせ、社会性を失わせてしまう。自分のいる国や地域、会社、学校などを意識しながら人間関係を築いていく大切さを、もう一度想起する必要がある。国や地域によって文化の違いがあっても、共有できる「道徳」を互いに認めることが必要である。
17世紀、近代哲学の祖であるデカルトは、目の前の事象がすべて偽りであったらどうするかという問いから思索を始めた。「絶対に確実なものなどないのではないか」というデカルトの懐疑が、AIによって現実になってしまった。
人間は一人では生きていけない。常に家族や仲間、あるいは動物などに囲まれている。そのうちの一つにAIが加わってくる局面が来たともいえる。ただ重要なのは、道徳が問われているということだ。今のところ、AIには道徳や倫理観はない。損得を超えた道徳心を持つ人間の責任で、AIを社会全体の中に位置づけなければならない。(以上抜粋)
学問の最高は哲学である。なぜ勉強するか、正しい判断力の身に着けるためで、人間として成熟することだが、急速な科学技術の進歩に、人間の道徳や倫理観が追い付いていない。未成熟な人間に刀や拳銃を持たせてはいけない。学校教育で取り組まなければならないことが、また増えた。
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