染髪や服装・言葉の乱れ=不良少年 という先入観が我々にはあります。
高校の生徒指導の先生から、「『学年でトップの成績を取って、生徒会の役員をやったら、髪を染めてもいいし、どんな服を着てもいい、それができるか?』と言ったことがあるが、未だかつて、それを実行した生徒はいない。」という話を聞いたことがあります。
ところが今回の世界陸上を見ていて、女子100mのジャマイカ選手の恰好に驚きました。髪が腰まであって、予選から出るたびに髪の色が違って、加えてばっちりメークに、ネイルも派手、さらにタトゥーも入れています。日本選手が同じ格好をして、それも予選で敗退したものなら、大バッシングでしょう。ところがそのジャマイカ選手は、決勝で惜しくも銀メダルでしたが、その存在感を示しました。こうした選手は彼女一人ではありません。
もう30年前の話です。20代の若い女の先生が髪を茶色(ブラウン)に染めると、「学校の先生なのに、いかがなものか?」という保護者からの電話があります。(当時から、黒髪の女性の方が少ない。)もし、これが30代、40代の指導力のある女教師だったら、どうだったか?たぶん、そういう批判的に電話してくる保護者はいなかったと思います。
高校野球、甲子園出場校の選手を見ると、定番の坊主刈りではなく、長髪の学校もありました。女子高生もベンチに入ることを許されるようになりました。
コロナ禍の3~4年で、世の中大きく変わりました。キーワードは、グローバル化と多様性です。
今のこども園の子どもたちが大人になる20年後、社会がどう変化しているか、私には想像がつきません。先行き不透明な時代を生き抜いていかなければならない子どもたちに、私たち教師は、何をしなければならないのか?「不易と流行」という言葉あって、変えてはいけないこともあるが、常に新しい感覚を持ち続けなければならない。そのための研修でなければならない。研修とは「研究」と「修養」です。
自分への戒めとして、「昔の名前で出ています」では、もう通用しないと思っています。
ただし、突拍子もない恰好をしてもいいというものではありません。それは修養を積めば自ずと分かることです。
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