「みんないっしょに」というのは困ったものだ
運動会の“かけっこ”というのは、おもしろい。子どもたちが一生懸命走っている姿を見ると、心から「がんばれ」と声援を送りたくなります。見ている者も夢中にさせるのが運動会での徒競走です。 ところが一部の運動会は、ゴールしても1番や2番を決めるわけではなく、昔のように1等賞、2等賞というような賞をもらうことはしません。
ゴールには親がビデオカメラやスマホをかまえて待っているので、わが子が何番だったかは、カメラの中に残されているだけというのが多いのです。
あらかじめタイムを記録しておいて、同じようなタイムの子を並べて走らせる学校がほとんどです。そして、みんな頑張ったからということで、みんなに「努力賞」を配るところもあるようです。
なぜこうなったかというと「1等賞がとれなかった子どもやビリになった子どもがかわいそう」という親の真理が働いているようです。
ある学校の運動会は、昼のお弁当も親と子は別々の場所で食べる。これも「運動会を見に来れなかったお父さんやお母さんがいる子どもはかわいそう」という親の心理が働いています。コロナ以降、運動会は午前中で終了し、お弁当自体ありません。そうした親の思いをそのまま受け止める学校もどうかと思います。
子どもが「かわいそう」なことはできるだけさせたくないという気持ちは大切です。しかし、それと同じくらい「かわいそう」な状況になったときにどう耐えられるかを子どもが学ぶことも大切です。
今は「かわいそう」という親の気持ちが大きくなって、どんどん過保護にしています。保護」することと「過保護」にすることは、天と地ほどの大きな差があります。保護者が子どもを「保護」したいというのは理屈ではなく、心の底からにじみ出てくる親の本能でしょう。でも、この気持ちをうまくコントロールしていかないとあふれる本能で「過保護」になってしまいます。気持ちがあふれて暴走しないようにコントロールするのが親の責任です。
今は「かわいそう」という親の気持ちが大きくなって、どんどん過保護にしています。保護」することと「過保護」にすることは、天と地ほどの大きな差があります。保護者が子どもを「保護」したいというのは理屈ではなく、心の底からにじみ出てくる親の本能でしょう。でも、この気持ちをうまくコントロールしていかないとあふれる本能で「過保護」になってしまいます。気持ちがあふれて暴走しないようにコントロールするのが親の責任です。

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