
Googleレンズは強い味方 道端で目にした花をすぐ教えてくれる
「どうして勉強しなければならないの?」
勉強ができる子は言わない。
「算数の勉強て将来役に立つの?」
算数・数学こそ大事だと、数学の先生は思っている。
「勉強だけできたって…」
こういうのは東大出のできる人のセリフ。勉強のできる子の親は言わない。
「どうして勉強しなければならないのか、それは勉強していないからわからない。」
ほとんどの親は、子どもに「勉強しなさい」と言うものです。それは自分が“もっと勉強しておけばよかった”と後悔しているからです。
子どもたち一人一人に最低限の学力を身に付けさせて社会に送り出すことは、教員に身を置くものとして共通の願いです。生きるために必要な最低限の学力を保証すること、基礎学力を担保してやらなければならないことは言うまでもありません。
そのためには教師自ら学ぶ(研修)ことが必要です。ところが、最近は研究団体に加入しない教員が増えていると聞きます。今の時代、教育技術等に関する情報は、会費をかけなくても、休日に集まらなくても、ネットで簡単に得ることができるというのが理由のようです。しかし、学び(研修)は、人との交流やディスカッションにより得ることが多いものです。
“教師にとって研修とは、心の食糧である。その有無は教師の存在にかかる良心であり、教師として生き抜く糧である”(木目澤訓)
「どうして勉強しなければならないの?」と問われ、「それは、まだまだ勉強が足りないから分からないんだよ。もっと勉強しなさい!」と言えるよう、教師もまた勉強(研修)することが大事です。


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