《穏やかなときに指導する》
特別支援教育でご講演いただいた丸山先生の話の中で、パニック(興奮)状態のときにいくら言ってもダメ!穏やかなときに指導しなければ効果がないと言われました。
北進保育園の運動会が本校のグラウンドで開催されました。保育園の先生の動きを見ていて思い出したことがあります。
若松小学校は、運動会、学芸会などの学校行事は、地域の保育所と合同で行います。ですから、校長は、入園式や卒園式などの保育所の行事によく参加しました。
卒園式の最中でした。一人の女の子が急に泣き出しました。ベテランの保母さんが、とんでいってその子をぎゅっと抱きました。こんなとき小学校の先生ならどうするでしょう?「どうしたの?何があったの?」と問い正すでしょう。しかし、その保母さんは、「わかったよ。いいよ、いいよ。」と別室に連れて行き、泣き止むまでずっと抱っこしていたのです。そして、泣き止んで落ち着いてから、「何かイヤなことあったの?」と聞いたのです。
子どもは、よく泣きますが、どうしていいか分からなくなったとき、不安になったときも泣きます。頭も心もめいっぱいのときには、何も受け入れなくなってしまいます。
「どうして言わないの?泣いていたって分からないでしょ!」と言われても、何をどう言ってよいか分からないのです。子どもの心理をよく理解している保母さんは、まずは安心させるために、落ち着くまでぎゅっと抱っこしてあげるのです。
丸山先生は、「大人の発達障害が心配です。」と校長室で話していました。「学校の先生にも結構いますよ!」と言っていましたが、大人だとぎゅっと抱っこするわけにはいきません。深刻な問題です。
2019年9月7日土曜日
花だより コルチカム 穏やかなときに指導する
平成28年3月 北見市立北小学校退職、その後、北見市教育委員会教育専門相談員、令和2年4月から、訓子府町教育委員会教育専門員 令和3年4月から、訓子府町認定こども園長 令和8年3月退任
2019年9月6日金曜日
花だより ヨルガオ 期末テスト
◎×△ 期末テスト ◎×△
朝、中学生とすれ違いました。珍しく制服を着ていましたが、表情が冴えません。
「今日は何か特別な日なの?」と声をかけました。
「今日と明日、期末テストなんです。今日は、国語、社会、理科、英語、音楽、体育、技術家庭、6教科も…。昨日は12時まで、勉強したんだけど、自信ありません。」
横を通った小学生が、「小学校はそんなのなくてよかった!うちの姉ちゃん、さっぱり勉強しないから、母さんに叱られていたよ!」
「あと何年かしたら、中学生なんだから、今からちゃんと勉強しておかないとダメだよ!」
「なったら、なったで、そのとき、考えるよ!」
高校に入るのも試験、就職するにも試験、資格をとるのも試験、運転免許をとるのも試験、試験(テスト)から逃げることはできないのです。
朝、中学生とすれ違いました。珍しく制服を着ていましたが、表情が冴えません。
「今日は何か特別な日なの?」と声をかけました。
「今日と明日、期末テストなんです。今日は、国語、社会、理科、英語、音楽、体育、技術家庭、6教科も…。昨日は12時まで、勉強したんだけど、自信ありません。」
横を通った小学生が、「小学校はそんなのなくてよかった!うちの姉ちゃん、さっぱり勉強しないから、母さんに叱られていたよ!」
「あと何年かしたら、中学生なんだから、今からちゃんと勉強しておかないとダメだよ!」
「なったら、なったで、そのとき、考えるよ!」
高校に入るのも試験、就職するにも試験、資格をとるのも試験、運転免許をとるのも試験、試験(テスト)から逃げることはできないのです。
平成28年3月 北見市立北小学校退職、その後、北見市教育委員会教育専門相談員、令和2年4月から、訓子府町教育委員会教育専門員 令和3年4月から、訓子府町認定こども園長 令和8年3月退任
2019年9月5日木曜日
花だより ヤマゴボウ 開運!なんでも鑑定団
『開運!なんでも鑑定団』(テレビ東京 火曜夜9時)
様々な人が持っている「お宝」を陶芸や古美術品・アンティークなど骨董の専門家が鑑定し、値段付けを行うバラエティー番組。意外なものが高価な鑑定結果を得たり、高価だと思われていたものが偽物などで安価になってしまうという意外性や鑑定物に対する蘊蓄(うんちく)がおもしろいのが特徴です。鑑定の結果、埋もれていた芸術家や芸術作品が発見されたこともあります。特に掛け軸は、有名な作者ほど偽物(贋作)が多く、二束三文の値が付きます。
「偽物ですが、よく描けていますので、床の間に掛けて楽しんで下さい。」と鑑定士に言われても憤慨する人はいません。自分の目利きの無さを反省するのです。
「校長先生、真似るのはダメなんですか?」
「学ぶ(まなぶ)」は「まねる」から来ていると言われています。書や絵(日本画)は、お手本を写すことから始まります。また、俳句の世界では、一字違うとオリジナルになるといいます。日本人は、元々そういうことには寛容なのかもしれません。しかし、グローバルな社会での商業デザインとなると大きなお金が動くので、そうはいきません。「まねる」のは大いに結構、でもウソをつくことはいけません。
平成28年3月 北見市立北小学校退職、その後、北見市教育委員会教育専門相談員、令和2年4月から、訓子府町教育委員会教育専門員 令和3年4月から、訓子府町認定こども園長 令和8年3月退任
2019年9月4日水曜日
花だより レンゲショウマ 学習状況調査
全国学力・学習状況調査(児童質問紙)より
学力調査と一緒に学習状況調査(学習時間、学校生活、基本的生活習慣)を質問紙形式で行っています。
ちょっと気になる?(全国より10ポイント以上下回った項目)
▽難しいことでも、失敗を恐れないで挑戦しますか
▽自分には、よいところがあると思いますか
▼1日どれくらいの時間、テレビゲームをしますか*3時間以上が27%(全国17%)
▼家の人と学校のできごとについて話しますか
▽家で学校の宿題をしますか
▽学級みんなで協力して何かをやり遂げ、うれしかったことがありますか
▼今住んでいる地域の行事に参加していますか
▽地域や社会で起こっている問題や出来事に関心がありますか
▽学校のきまりを守っていますか
(35項目中9項目が10ポイント以上下回る結果になり、気になりました。)
自分には良いところがない。難しいことには挑戦しない子が多いことにも驚きました。
ある意味、自分の気持ちや考えを正直に答えているのかもしれませんが?この結果をこれからの指導に生かしていきますが、学校だけではできないこともあります。ご家庭の協力もよろしくお願いします。
学力点だけでなく、こうした学習状況調査の結果もきちんと分析して、普段の指導に反映していかなければなりません。
平成28年3月 北見市立北小学校退職、その後、北見市教育委員会教育専門相談員、令和2年4月から、訓子府町教育委員会教育専門員 令和3年4月から、訓子府町認定こども園長 令和8年3月退任
2019年9月3日火曜日
花だより ツルボ 保護者とどうつながるか?
保護者とどうつながるか?
~これだけはやめてほしいかかわり方~
問題行動や不登校、いじめ問題とかかわっていると本人の問題行動の背景に保護者(家庭)に問題があると感じています。保護者にも家庭で取り組んでほしいとことや、保護者自身の在り方を改善してほしいと感じることもよくあります。
保護者の多くは教師を支援のプロだと思っていますので、方向性を示してほしいと思っています。ですから、話を傾聴し、うなずいたり、ときには「そうだったのですね。」と共感したりしながらも「私もお子さんのために、できることをしていきたいと考えています。例えば、…」というような提案や方向性を話すといいでしょう。
しかし、保護者との信頼関係が構築されていないのに家庭での支援の連携をお願いすると、保護者によっては「それは学校がやることでしょ!」と拒否反応を起こされてしまったり、さらには保護者自身が変わらないまま、教師への要望のみ増えていったりするケースもよくあります
ですから、相手を変えるという意識ではなく、自分自身の在り方が問われていると考え、まずは不安を抱える保護者の立場に寄り添う姿勢を示しながら、信頼関係の構築を心がけていただけるとありがたいです。
子どものために何がベストなのか?と一生懸命かかわる気持ちが伝われば関係は良好になっていくと思います。
「理で説き 法で押さえ 情で動かす」
平成28年3月 北見市立北小学校退職、その後、北見市教育委員会教育専門相談員、令和2年4月から、訓子府町教育委員会教育専門員 令和3年4月から、訓子府町認定こども園長 令和8年3月退任
2019年9月2日月曜日
花だより ミョウガ ネット社会での学校の危機管理
学校の「危機管理意識」をどう変えるか
アドラー心理学実践家 椎名 薫
(月刊「生徒指導」8月号)
いま私たちは、たくさんのデジタル機器に囲まれ、スマートフォンを体の一部のように生活しています。このようなネット社会を踏まえた危機管理を考えることが、今日的課題と言えるでしょう。
≪ネット社会での危機管理≫
ネット社会は情報の画一化をもたらします。誰かの極端な意見、あるいはちょっと口を滑らした失言に敏感に反応し、不謹慎、非常識、無神経だと声が上がり、あっという間に非難・炎上です。その一方で、多くの人たちは自分でものを考えることをせずに、ただちにスマホ画面をタッチして、そこに集まる大多数の意見に影響されます。これは一見、個性的な考えに見えて、みんな同じようなことを言っています。そして、本当に因果関係があるのか、道理にかなっているかなど怪しく思われることがあります。
一例を挙げれば、いじめの問題がそうです。昨今はいじめ問題イコール学校と教育委員会が「おかしい」という論調が主流です。識者もマスコミも、そこに原因を収斂し非難と糾弾を繰り返します。学校には、「隠ぺい」的体質がある、教室は「密室」だから何が起こっているかわからない…。何か事が起こると「(学校は)○○ってことですか?」と、いまの社会通念を押し付けて事件の解決を求めます。さらに状況がこじれはじめると、「(学校は)逃げる」、そして担任は「辞めろ」とたやすく進退問題にエスカレートします。
ネット社会の特性として、それぞれが自分の考えをもって行動するのではなく、ある限られたキーワードによって組み立てられたパターンに従っているところがあります。そして、個人の直接的な利害に結びつかなければ無関心なのに「~であるべき」との評論で賑わうのもその特徴です。学校で発生する危機は、オーバーに宣伝され、その火消しに終始しなければならないケースがしばしばあるのではないでしょうか?
これからの危機管理意識で重要なことは対応の迅速さです。どの学校も「ホウ・レン・ソウ」で対応に当たるでしょうが、そればネット時代のスピードに即応しているでしょうか?いじめ問題で考えるならば、初動対応で後れを取らないことです。また、情報の真偽をよく見極め、的を射た対処を心がけたいものです。
≪だれの責任なのか 誰がリスクを引き受けるか≫
ネット社会が私たちの日常を次々と変容させているのに、学校は相変わらずアナログ的な教師の「手仕事」による管理及び処理を行っています。キャッシュレス、ペーパーレスの時代なのに、なぜ学校(だけ)は旧態依然なのか?保護者の人たちの大半はそう思っているでしょう。集金は集金袋、家庭との連絡は「おたより帳」、学習内容や持ち物など、毎日数枚のプリントを渡します。プリントの中には、子どもの情報を記入させて回収するものなど、個人情報がそのまま載っています。学校現場ではありふれた光景ですが、これはかなりのリスクを伴っています。現金が教室にあったり、個人情報が身近に置かれていること自体が問題で、何か事が起こったら、そこに遡って危機管理が問われることでしょう。
情報化社会の中で、一人置いてけぼりにされた感のある学校現場にネットシステムを導入しようと思えば決してできないことではありません。集金は、銀行口座やネット銀行、学校からの連絡はメール配信、個人情報はクラウドシステムへ、そうすれば教師たちの紙ベースの膨大な事務処理は大幅に軽減され、必然的に教育の質がアップするはずです。
しかしながら、これば言わば机上の空論に近く、学校の特殊性を踏まえて考えれば様々な壁にぶち当たります。一口に集金と言っても、教材費、赤い羽根、緑の羽根などの募金、PTA会費など、勧進元が多方面にわたります。いろいろな経緯があってアバウトに学校・教師に「おまかせ」の状態なのです。まずはその交通整理をしなければネットシステムはかえって災いをもたらします。
学校は担任を窓口とする仕事が多すぎること、そして職員室という一つの部屋で指導案や成績処理、文書作成、備品営繕、その他の物品管理などなど多種多様な仕事をこなしているということも指摘しておかなければなりません。「学校は遅れている、だからネット導入だ」ではなく、学校、家庭、各関係機関の責任をより明確にし、線引きした上でのネット利用が望まれます。
≪新学習指導要領の実施のもとで≫
新学習指導要領の実施の時期を迎えています。「社会に開かれた教育課程」と銘打ち、カリキュラムをマネジメントして、そこにプログラミング教育、小学校では英語、そして、現代的諸課題への対応、スピードを増しているネット社会の変化に応えるべく多様な内容など、新機軸が目白押しです。
しかし、一読してため息が出てしまいます。一体これをいつ、どこでやるのか。いまだって子どもたちは、ガチガチに組まれた分刻みの日課表のもと、休み時間も各学校独自の「○○タイム」で実質つぶされることが多いため、一日を終えると高学年はクタクタです。新学習指導要領は「学習内容の削減は行わない」と明言し、内容もより高度になっています。現在の状況にさらに新しい活動が盛り込まれれば、ますます息が詰まってしまいます。
しかし、そんな姿を知ってか知らずか、ネット上では、アメリカの学習プログラムを見よ、フィンランドメソッドを見習い子ども主体の授業を、などと優れた授業サンプルが提示されています。それは分かりますが、それぞれのお国の事業と学校への期待が違うのです。
一例を挙げれば、いわゆる学校行事にこれほど準備時間を費やす国はないでしょう。他の国でも運動会や遠足、修学旅行などはありますが、原則として自由参加です。また、いわゆる集団行動という発想そのものが無いのです。教師たちが声をからして訓練する整列や全体行進、さらに組体操を外国の人たちが見たらどう感じるでしょう。
子どもたちにいま必要なのは、メンタルヘルスであり、ホッとした時間を与える心身の均衡をとることです。ネット社会はどこまでも速い・簡単・便利を追求しますが、その代償として私たちは常に忙しく慌ただしく暮らさなければなりません。したがって、教師は、子どもの学習意欲を鼓舞する一方でストレスマネジメントに心を砕かなければならいでしょう。
また、学校における最も急務の課題は、学校行事の精選・削減であり、小学校のクラブのような教科・領域に属さないものは、いままでの習慣にとらわれず思い切って止めるべきです。かつて学校の「スリム化」、最近は「断捨離」などと言われますが、まだまだ足踏み状態と言ってよいでしょう。
新教育課程の中で、こうした取り組みがまさに「子どもたちを守る」という危機管理の基本として考えるべきではないでしょうか。
アドラー心理学実践家 椎名 薫
(月刊「生徒指導」8月号)
いま私たちは、たくさんのデジタル機器に囲まれ、スマートフォンを体の一部のように生活しています。このようなネット社会を踏まえた危機管理を考えることが、今日的課題と言えるでしょう。
≪ネット社会での危機管理≫
ネット社会は情報の画一化をもたらします。誰かの極端な意見、あるいはちょっと口を滑らした失言に敏感に反応し、不謹慎、非常識、無神経だと声が上がり、あっという間に非難・炎上です。その一方で、多くの人たちは自分でものを考えることをせずに、ただちにスマホ画面をタッチして、そこに集まる大多数の意見に影響されます。これは一見、個性的な考えに見えて、みんな同じようなことを言っています。そして、本当に因果関係があるのか、道理にかなっているかなど怪しく思われることがあります。
一例を挙げれば、いじめの問題がそうです。昨今はいじめ問題イコール学校と教育委員会が「おかしい」という論調が主流です。識者もマスコミも、そこに原因を収斂し非難と糾弾を繰り返します。学校には、「隠ぺい」的体質がある、教室は「密室」だから何が起こっているかわからない…。何か事が起こると「(学校は)○○ってことですか?」と、いまの社会通念を押し付けて事件の解決を求めます。さらに状況がこじれはじめると、「(学校は)逃げる」、そして担任は「辞めろ」とたやすく進退問題にエスカレートします。
ネット社会の特性として、それぞれが自分の考えをもって行動するのではなく、ある限られたキーワードによって組み立てられたパターンに従っているところがあります。そして、個人の直接的な利害に結びつかなければ無関心なのに「~であるべき」との評論で賑わうのもその特徴です。学校で発生する危機は、オーバーに宣伝され、その火消しに終始しなければならないケースがしばしばあるのではないでしょうか?
これからの危機管理意識で重要なことは対応の迅速さです。どの学校も「ホウ・レン・ソウ」で対応に当たるでしょうが、そればネット時代のスピードに即応しているでしょうか?いじめ問題で考えるならば、初動対応で後れを取らないことです。また、情報の真偽をよく見極め、的を射た対処を心がけたいものです。
≪だれの責任なのか 誰がリスクを引き受けるか≫
ネット社会が私たちの日常を次々と変容させているのに、学校は相変わらずアナログ的な教師の「手仕事」による管理及び処理を行っています。キャッシュレス、ペーパーレスの時代なのに、なぜ学校(だけ)は旧態依然なのか?保護者の人たちの大半はそう思っているでしょう。集金は集金袋、家庭との連絡は「おたより帳」、学習内容や持ち物など、毎日数枚のプリントを渡します。プリントの中には、子どもの情報を記入させて回収するものなど、個人情報がそのまま載っています。学校現場ではありふれた光景ですが、これはかなりのリスクを伴っています。現金が教室にあったり、個人情報が身近に置かれていること自体が問題で、何か事が起こったら、そこに遡って危機管理が問われることでしょう。
情報化社会の中で、一人置いてけぼりにされた感のある学校現場にネットシステムを導入しようと思えば決してできないことではありません。集金は、銀行口座やネット銀行、学校からの連絡はメール配信、個人情報はクラウドシステムへ、そうすれば教師たちの紙ベースの膨大な事務処理は大幅に軽減され、必然的に教育の質がアップするはずです。
しかしながら、これば言わば机上の空論に近く、学校の特殊性を踏まえて考えれば様々な壁にぶち当たります。一口に集金と言っても、教材費、赤い羽根、緑の羽根などの募金、PTA会費など、勧進元が多方面にわたります。いろいろな経緯があってアバウトに学校・教師に「おまかせ」の状態なのです。まずはその交通整理をしなければネットシステムはかえって災いをもたらします。
学校は担任を窓口とする仕事が多すぎること、そして職員室という一つの部屋で指導案や成績処理、文書作成、備品営繕、その他の物品管理などなど多種多様な仕事をこなしているということも指摘しておかなければなりません。「学校は遅れている、だからネット導入だ」ではなく、学校、家庭、各関係機関の責任をより明確にし、線引きした上でのネット利用が望まれます。
≪新学習指導要領の実施のもとで≫
新学習指導要領の実施の時期を迎えています。「社会に開かれた教育課程」と銘打ち、カリキュラムをマネジメントして、そこにプログラミング教育、小学校では英語、そして、現代的諸課題への対応、スピードを増しているネット社会の変化に応えるべく多様な内容など、新機軸が目白押しです。
しかし、一読してため息が出てしまいます。一体これをいつ、どこでやるのか。いまだって子どもたちは、ガチガチに組まれた分刻みの日課表のもと、休み時間も各学校独自の「○○タイム」で実質つぶされることが多いため、一日を終えると高学年はクタクタです。新学習指導要領は「学習内容の削減は行わない」と明言し、内容もより高度になっています。現在の状況にさらに新しい活動が盛り込まれれば、ますます息が詰まってしまいます。
しかし、そんな姿を知ってか知らずか、ネット上では、アメリカの学習プログラムを見よ、フィンランドメソッドを見習い子ども主体の授業を、などと優れた授業サンプルが提示されています。それは分かりますが、それぞれのお国の事業と学校への期待が違うのです。
一例を挙げれば、いわゆる学校行事にこれほど準備時間を費やす国はないでしょう。他の国でも運動会や遠足、修学旅行などはありますが、原則として自由参加です。また、いわゆる集団行動という発想そのものが無いのです。教師たちが声をからして訓練する整列や全体行進、さらに組体操を外国の人たちが見たらどう感じるでしょう。
子どもたちにいま必要なのは、メンタルヘルスであり、ホッとした時間を与える心身の均衡をとることです。ネット社会はどこまでも速い・簡単・便利を追求しますが、その代償として私たちは常に忙しく慌ただしく暮らさなければなりません。したがって、教師は、子どもの学習意欲を鼓舞する一方でストレスマネジメントに心を砕かなければならいでしょう。
また、学校における最も急務の課題は、学校行事の精選・削減であり、小学校のクラブのような教科・領域に属さないものは、いままでの習慣にとらわれず思い切って止めるべきです。かつて学校の「スリム化」、最近は「断捨離」などと言われますが、まだまだ足踏み状態と言ってよいでしょう。
新教育課程の中で、こうした取り組みがまさに「子どもたちを守る」という危機管理の基本として考えるべきではないでしょうか。
平成28年3月 北見市立北小学校退職、その後、北見市教育委員会教育専門相談員、令和2年4月から、訓子府町教育委員会教育専門員 令和3年4月から、訓子府町認定こども園長 令和8年3月退任
2019年9月1日日曜日
花だより オシロイバナ 向き合っていますか?
「向き合う」とは
兵庫県尼崎市教育委員会管理部職員課(管理主事) 石 川 一
「子どもと向き合う時間がとれない」「子どもの悩みに向き合うことが大切」などと、生徒指導の場面での児童生徒とのかかわりを考えたときに頻繁に使われる言葉です。しかし、「向き合う」とは、具体的にどうすることなのでしょうか。
今日の社会においては効率よく結果を出すことが求められ、問題解決のために手早く正解を得ようとする傾向が見られます。そのせいで、解決が難しいと思われる問題に出合うと、思考停止に陥り、通説や多数意見に飛びついてしまうことが少なくありません。正解と見えるものであっても、こまやかに内容を吟味し、さまざまな場面に当てはめて妥当性を検証することが必要なのです。解決できない(できそうもない)問題から目を背けず、答えの出ない宙ぶらりんの状態の中で粘り強く問い続ける姿勢こそが「向き合う」ということなのでないでしょうか。
子どもたちは信頼する先生は、一緒に遊んでくれる楽しい先生、何でも分かってくれる先生ばかりではありません。悩んだり、時には弱みを見せたりする先生も、信頼される先生です。自分がどれほどのことができるのか、と自らのありようを愚直に問うことができる教師こそが、子どもと誠実に向き合うことができる教師であると考えます。
大事なことは、教師自身が児童生徒の行動を見るときの自分の立ち位置に気づくこと(自己覚知)です。問題の原因を本人や家庭に求めるのではなく、子どもと教師は相互に影響し合うという認識に立ち、問題を理解しようとする姿勢が求められます。子どものためにと思って行った行動が期待通りに受け止められなかったときこそ、自分を見つめ直して子どもとの関係に気づき、信頼関係を築こうとする気持ちを持ち続けることが、子どもと「向き合う」ということにほかならないと考えます。
兵庫県尼崎市教育委員会管理部職員課(管理主事) 石 川 一
「子どもと向き合う時間がとれない」「子どもの悩みに向き合うことが大切」などと、生徒指導の場面での児童生徒とのかかわりを考えたときに頻繁に使われる言葉です。しかし、「向き合う」とは、具体的にどうすることなのでしょうか。
今日の社会においては効率よく結果を出すことが求められ、問題解決のために手早く正解を得ようとする傾向が見られます。そのせいで、解決が難しいと思われる問題に出合うと、思考停止に陥り、通説や多数意見に飛びついてしまうことが少なくありません。正解と見えるものであっても、こまやかに内容を吟味し、さまざまな場面に当てはめて妥当性を検証することが必要なのです。解決できない(できそうもない)問題から目を背けず、答えの出ない宙ぶらりんの状態の中で粘り強く問い続ける姿勢こそが「向き合う」ということなのでないでしょうか。
子どもたちは信頼する先生は、一緒に遊んでくれる楽しい先生、何でも分かってくれる先生ばかりではありません。悩んだり、時には弱みを見せたりする先生も、信頼される先生です。自分がどれほどのことができるのか、と自らのありようを愚直に問うことができる教師こそが、子どもと誠実に向き合うことができる教師であると考えます。
大事なことは、教師自身が児童生徒の行動を見るときの自分の立ち位置に気づくこと(自己覚知)です。問題の原因を本人や家庭に求めるのではなく、子どもと教師は相互に影響し合うという認識に立ち、問題を理解しようとする姿勢が求められます。子どものためにと思って行った行動が期待通りに受け止められなかったときこそ、自分を見つめ直して子どもとの関係に気づき、信頼関係を築こうとする気持ちを持ち続けることが、子どもと「向き合う」ということにほかならないと考えます。
平成28年3月 北見市立北小学校退職、その後、北見市教育委員会教育専門相談員、令和2年4月から、訓子府町教育委員会教育専門員 令和3年4月から、訓子府町認定こども園長 令和8年3月退任
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