2026年8月31日月曜日

花だより 「協働」と「家庭・学校・地域」の連携(CS) ゼラニウム シシウド

 

 「協働」と「家庭・学校・地域」の連携
 「協働」とは、広辞苑には「共同、協同、協働」と出てきますが、古い大辞典には「協働」は見当たりません。「協働」が使われるようになったのは最近のようです。「協働」は≪協力して働く≫とあります。「共同」は≪二人以上の人が力を合わせてすること≫、「協同」は≪力を合わせること≫となっています。それに対して「協働」は≪同じ目的や目標に向かって対等の立場の異なる複数の主体が、対等の立場で互いの特性を活かし、協力して取り組むこと≫とあります。
 コミュニティ・スクール(CS:学校運営協議会)がどの市町村、学校にも組織されるようになりました。保護者や地域住民が学校運営に参画し、地域と一体となって特色ある学校づくりを進める組織です。
 「家庭・学校・地域」の連携が大事であること、「家庭」が最初に並ぶのは、それなりの意味があり、家庭が一番大事だということでしょう。教育基本法が改正されても、今なお古くて新しい課題です。そのために学校はこれまで「開かれた学校」、「信頼される学校」づくりに努めてきましたが、その成果は上がっているのでしょうか?
 「協働」の≪対等な関係≫、≪役割分担≫、≪目的共有≫が図られていない現実があるように思います。
 例えば、参観日は行かなくて当たり前、PTA総会に残る人が少ない、PTAに入らない人まで出てきました。学校運営協議会の委員さんは、町内会長さん、地域活動の代表をされている方など、年配の方が多く、意見を求めると「我々が通っていた学校と全く違う、今の学校のことはよくわからん?」と言います。年に3~4回くらいの開催で、最初は組織や会議の目的などの説明、2回目は各学校の現状と課題を説明し、やっと理解してもらったところで任期が終わってしまい、なかなか「協働」とまではいかないのです。
 しかし、愚痴を言っている場合ではありません。「家庭・学校・地域」の連携の真ん中に「学校」があります。学校の役割は、家庭や地域にまずはいろいろな手段を使って情報発信することだと思います。                

           JR北見駅構内(赤字ローカル線ですが農産物の輸送を担っています。)
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2026年8月30日日曜日

花だより 校長の情熱が教師の心を揺り動かす イタドリ アサガオ キョウチクトウ フヨウ

 

 校長が燃えなくては、先生方は燃えません
 先生が燃えなくては、子どもたちは燃えません
 校長が元気がなくては、先生方も元気が出ません
 先生が元気がなくては、子どもたちも元気が出ません
 自ら研究し続ける教師を育成するのが、校長の代々の仕事です。

 校長の情熱が教師の心を揺り動かすと信じます。辛くても校長になった以上、教頭になった以上、教師になった以上は、頑張らなくてはならない。 “この校長の言うことなら、この校長のためなら…”と言わしめる。努力があれば必ず人はついてくると信じます。”(木目澤訓)
 ある校長は、「妻を大病で亡くしたので、健康のありがたみが骨身に染みる。だから先生方が体調不良を言ってきた時には、決して無理をさせない。」と言いました。
 苦難のない人はいません。人生の挫折を経験した方の話には重みがあります。物事を悪い方に解釈せずにプラス志向でありたいものです。“あれもダメ、これもダメ”のように負の見方からは、何も生まれません。また、ストレスのない人はいません。その人にあった解消法や健康法を身に付けることが大切です。
 苦難を乗り越えた人には
 人の痛みが分かる 
 人の喜びがわかる 
 強さの中に優しさがある。
 
木目澤先生からイヤというほど聞かされましたが、そんな校長にはなれませんでした。

夏の終わり  *ウェブバージョンでご覧ください。 

  

2026年8月29日土曜日

花だより 「蒔かぬ種は生えぬ」と「忙中閑あり」 夕顔 薔薇 

 



 「蒔かぬ種は生えぬ」と「忙中閑あり」
 分かりきった道理でも人間の世界ではうっかりということがよくあります。無理が通れば道理が引っ込み、道理が引っ込めば、やがて身が破滅に導くといわれますが、何もしなければよい結果を得ることはできません。それにふさわしい種を蒔いておくこと(事前の準備と努力)が必要です。
 また「忙中閑あり」、「仕事は忙しい人に頼め」とよく言います。先生方、特に校長・教頭の皆さんは、土日も休みなく忙しい、会議や研究会、地域行事、児童生徒の応援や引率など限りがありません。そういう時でも、仕事が集まるのは、その人の実力が認められており、一目も二目も置かれている証拠です。
 失敗を予想して、仕事を頼む人はいない
 仕事が多いということは
 仕事を頼まれるということは
 能力のバロメーターである
 「人生の最大の楽しみは何かと聞かれれば、仕事を手段として自己表現をすること」
 コンビニの神様と称された元セブンイレブン・ジャパンの鈴木敏文会長の言葉です。
 本当に忙しく働かれている人は、「忙しい、忙しい…」と口にしないものです。働き方改革とは相反することですが、心に留めておく必要があります。

タマキ花園にて
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2026年8月28日金曜日

花だより 人間だから失敗することもある AIとの違い ナデシコ ナツスイセン

 


 ある市長さんの職員に対しての訓示
「市民に感動を与える組織を目指す。市役所がどのようなサービスを提供できるかではなく、市民が求めている満足を事業として始めることで市民に感動を与える組織になれる。そのためには市民と感動を共有することが何より大切である。そして、市役所は人こそが最大に資産。仕事の成果は百発百中ではない。真摯な仕事への取り組みこそが豊かなまちづくりにつながる。」
 これを学校に置き換えて考えてみると、学校は子どもが主体であり、子どものための公教育機関です。そして、子ども、教員こそが最大の財産です。
 教師が消極的で新しいことに挑戦しなければ、たぶん失敗はしないでしょう。しかし、それでは前進や改善につながらない。「進まざる者は必ず退き、退かざる者は必ず進む」(福沢諭吉『学問ノススメ』)という言葉に通じます。
 人間だから失敗することもある。要はその受け止め方、生かし方にかかっている。「道に迷えば、道を憶える」 失敗を恐れず挑戦すること、AIの時代だからこそ大切にしたいものです。
夏もそろそろ終わり
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2026年8月27日木曜日

花だより 徳の人(西郷隆盛)」か才の人(大久保利通)か? ルリタマアザミ ブッドレア 宿根草ロゼア ノリウツギ  

 


 【二人の人間 (論語より)】
 今のNHK大河ドラマは「豊臣兄弟」ですが、これまで徳川家康、西郷隆盛、坂本龍馬など歴史上の偉人を取り上げてきました。
 論語には、~人間には「徳の人」と「才の人」とがある「徳の人」は大将の器なるべし、「才の人」は補佐役たるべし~とあります。
 代表例として西郷隆盛を「徳の人」、大久保利通は「才の人」とよく例えられます。リーダーとしての地位が高ければ高いほど、技量的能力よりも徳の方を要求されます。
 これを学校に例えると、校長と教頭、主幹教諭、教務主任の人事に当てはまります。教頭までは「才の人」ですが、校長には「徳の人」が求められる。ただし、はじめから「徳のある人」はそうはいません。「徳を積む」という言葉があるように、校長になるまでの経験が徳となるということであり、校長になってからも不断の修養が肝心だということです。
 土光敏夫氏(国鉄民営化)や後藤新平氏(関東大震災後の帝都復興)に学ぶ
 この2人の偉人は、反対派の意見にも耳を傾け、採り入れる度量の大きさから日本を救った人物です。政治家には、どんな国をつくるかという明確な目標を示せるかが問われます。
 英国元首相サッチャー氏に学ぶ
 “私は確信の政治家です。旧約聖書の預言者たちはこう言いました。「これが私の信仰であり、ビジョンでもある。あなた方もそれを信じるのであれば私についてきなさい。」私も同じことを申し上げます。” さすが『鉄の女』と呼ばれた人の言葉です。
  難しいことだと思いますが、トップには、これくらいの気迫が必要です。また、このような先人たちの言葉は、そっくりそのまま『校長のあるべき姿(指導性)』に当てはまります。それ以上に今の政治家に求めたい。
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2026年8月26日水曜日

花だより 教師の標準装備 トマト ピーマン

 

 
 標準装備 愛車の車検が近付いてきて、馴染みのセールスマンが、「そろそろ替え時じゃないですか?」と言ってきました。「そろそろかな?」と考えているところです。「大衆車にするか、憧れのクラウンにするか?」 どちらにしても高い買い物なので即断できません。
 セールスマンは「クラウンは、全て標準装備ですから高価ですがお得ですよ。」 
 標準装備とは、豪華な虚飾ではありません。ブレーキシステムやカメラやセンサーなどの最新の安全装備のことを指します。セールスマンは、高級車の安全性とお買い得感を盛んにアピールします。 
 教師の標準装備は「気配り、目配り、心遣い」
 いじめは教師から見えにくい。いじめを受けた児童・生徒の約半数は、「先生は、いじめに気づかなかった。」と回答しています。いじめに気づく精度を上げ、休み時間に一人でいるといった小さなサインを見逃さないようにしなければならない。
 一方、「先生が気づいた」とした半数のうち、教師がいじめをなくそうと対応してくれたという回答は約8割に達し、その多くがいじめを解決しているのです。教師の介入がいじめの解決に有効なのは明らかです。
 しかし、いじめの察知や対応を教師個々の力量だけに委ねることは問題です。アンテナの鋭い教師もいれば、そうでない教師もいます。相談しやすい、しにくいといった、教師と子どもとの相性もあります。複数の教師が情報を共有し、学校として組織的に対処していくことが必要です。(森田洋司氏 日本生徒指導学会長)
  教師の標準装備 「教師は五者であれ!」
1 教師は、学者であれ 教師は、博学で物知りでなければならない。
2 教師は、医者であれ 教師は、常に子どもを観察し、医者のように心の治療にあたる。
3 教師は、芸者であれ 教師は、サービス精神を持ち、おもてなしの心で接する。
4 教師は、役者であれ 教師は、演技者であり、演出家である。    
5 教師は、達者であれ そのためには、教師はいつも元気でなければならない。
 夏休み明けの今、子どもを観察するとても大事な時期です。
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2026年8月25日火曜日

花だより 北見てこんなマチだった?何にもないし、汚ないし… ナナカマドの実 ガガイモ エノコログサ ヨシタケ

 

 オホーツクの中核都市北見
 夏休みの最後の土曜日、ウォーキングの目標歩数に少し足りなかったので夕方6時過ぎ、出かけると観光客に遭遇した。駅前のホテルに宿泊して夕飯に出かけるようだ。
 「えっ!北見てこんなマチだった?何にもないし、汚ないし…。」という声を聞いた。ショックだった。
 確かに商店街はシャッター街だし、草ぼうぼうの歩道、花は植えられていても手入れがされていない。空き家が目立ち庭は荒れ放題。公園の草刈りも1回しただけなので、もう伸びてきた。財政難で手が回らないのだろう。
 それに比べて隣町の訓子府町は、小さな町だが町並みはきれいだ。1本奥の通りに入っても家の周りはきれいで公園も整備されている。町長さんに「訓子府はきれいですね。」と言うと「町内会組織がしっかりしているのと年寄りが多いからかね。皆さん朝早くから家の周りの清掃や草取りをしている。」という答えが返ってきた。
 北見も道路を挟んで花が植えられてきれいにしているところもあるかと思えば、反対側は草ぼうぼう状態。道路に草が生えているのは当たり前になっていて気にならない?
 それでも朝早く家の周りの掃除や庭の手入れをしているお年寄りを見かける。早めに出勤して全員で店先の清掃をしている銀行もある。町並みがきれいかどうか、行政だけの問題ではなく、市民一人一人の意識の問題だろう。
 子どもの頃、北見は憧れだった。デパートのレストランでお子様ランチを食べるのが楽しみだった。総合病院があって、大きなホールがあって、映画館やスポーツ、文化施設などがある。オホーツクの中核都市としての誇りを持ってほしい。
                                                           散歩&ゴミ拾い 石北通り公園

2026年8月24日月曜日

花だより 夏休み明けが心配 ノリウツギ ノゲシ

 

 “心 配”   夏休み明け、子どもの自殺者が増える。
 教師は、「何か困りごとがあったら、すぐに相談してください。」と言うが、いじめや不登校など、教師に相談するケースは、残念ながら少ない。そもそも相談できるような子は、不登校にはならない。
 ≪相談しない子の心理状態 100人100様≫ 
【タイプ1】~困っていると認識していないために相談しない。適切な知識がないために自分の置かれている状況に問題があるという認識を持てない。周囲は大変な状況に思えても本人は慣れてしまって問題を感じていない。
【タイプ2】~自分なりに問題があると認識し対処しているが、その対処法が周囲からは不十分・不適切に見える状況。自身の対処法の結果の良い側面しか認識していない。
【タイプ3】~困っていることに自分なりに対処しているが、うまくいかないと感じながらも、誰かに相談しようとは思わない。「助けてほしいと思わない。」
【タイプ4】~相談したいとある程度強く思う一方で、実際に相談する行動に結びつかない。相談することに対する期待感よりも抵抗感の方が強い。(北海道教育大学 山田 真大氏)
 今は悩みをSNSで発信したり、AIに相談して、それで救われている子が多いという。SNSが禁止されると困る子がいる。SNS禁止ができない理由になっている。教師や親は、こうした子どもの心理状態を把握して対応することが必要です。
 北海道では、学校が始まりました。全員が元気に登校してくることを願うばかりです。
玉ねぎ列車運行開始(JR北見駅)          
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2026年8月23日日曜日

花だより お盆休みの出来事「赤ペン先生」  ロシアンセージ ハーブ グラジオラス バイカウツギ 

 

                   玉ねぎの収穫が始まりました。

 ■お盆休みの出来事■ 
 北見駅で 「じいじ!会いたかったよ~。」とかわいい女の子がおじいちゃんに抱きついているのを見ました。今は、「お年玉」ならぬ「お盆玉」があるといいます。ランドセルもお盆中に売れる時代だそうです。「じいちゃんに会いたかったよ!」と言われりゃ。ついつい顔もほころび、財布のひももゆるんでしまう。可愛い孫には勝てません。
 お墓参りに実家に帰ったときおそば屋さんで、教え子とお母さんに15数年ぶりに会いました。「牧野先生じゃないですか?けんすけは、この近くの〇〇に勤めているんですよ。2年生のときに描いた絵、まだ玄関に飾ってあるんですよ。」と声をかけられました。
 “ああ~、夏休みに描いたキタキツネの絵だ。確か『とてもじょうずにかけました。げんかんにかざって、みんなに見てもらいましょう!』”と赤ペンで書いた記憶がよみがえりました。
 日記や図工の作品、テストや家庭学習には、必ず短くてもコメントを書くのは、どの先生もやっていることだと思います。赤のボールペンは固くてどうも書きづらいので、最近は見られなくなった赤のソフトペン(インク式で先がフェルトになっている)を使っていました。子どもたちは『赤ペン先生のペン』と呼んでいました。
 誕生日に子どもたちから、赤いソフトペンをプレゼントされたことがありました。手紙が添えられていて、「まきの先生、いつも赤ペンでいろいろ書いてくれてありがとうございます。赤ペンが太くなってきたので、新しいのにしてください。」と書かれてありました。ソフトペンは、先が柔らかいので、使っているうちにだんだんと太くなってくるのです。当時、1本200円だったと思います。一人10円ずつ出して買ったものでした。
 赤ペンを入れる まちがいを正すのはもちろんですが、やる気を喚起するようなコメントを書くためには、自分の感性を磨き、どんな視点で、文章を見たり、作品を評価するか工夫することが大切です。私がそれに気が付いたのは、残念ながら担任を外れて指導する立場の管理職になってからのことでした。子どもの作品から、自分を磨いて下さい。
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2026年8月22日土曜日

花だより AIだけじゃない、夏の猛暑は人々の暮らしを変える 百日草 千日草

 

 
 夏の猛暑は人々の暮らしを変える
 夏の暑さは年ごとに厳しさを増す一方です。子どもの頃、夏休みに30度を超える日は2・3日あるかないかだったように思います。「涼しい北海道にはエアコンは必要ない。」と言われていましたが、今では40度近くなる日もあり、学校にもエアコンが設置されました。
 この暑さをしのぐため、日々の暮らしを見直されています。ハーフパンツやTシャツの軽装で通勤する職員の姿があったり、涼しい早朝に出勤したり、工事現場では、ファン付きの作業着が必需品となりました。団扇や扇子が「ハンディファン」になり、男性も日傘をさすようになりました。冷感性や遮光性、遮断性の製品が多くなりました。さらに公民館や図書館などの公共施設、ショッピングモールなどを誰もが涼めるクーリングシェルターに指定したり、暑さをしのぐ対策が進んでいます。
 熊本地震や千葉豪雨の被災地では、暑さが追い打ちをかけ、過酷な避難生活を送っています。AIが人々の暮らしを変えるといいますが、地球温暖化がさらに拍車をかけています。
学校教育も変わり、全てのことが変わり始めています。これまでの常識が通用しなくなりつつあります。年寄りは、それに対応するのが大変です。
            玉ねぎの収穫が始まりました。今年は大ぶりで豊作のようです。
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2026年8月21日金曜日

花だより 災害が起きると学校は避難場所になる 銀杏の実 カエデの実 ツリバナの実

 

 熊本の震災、千葉県の豪雨による災害が起きました。「〇〇年ぶりの大雨」は、毎年やって来るようになりました。
 学校のほとんどは避難場所に指定されています。防災計画では、避難誘導の指揮を執るのは担当する市職員の役目ですが、これだけ大きな被害になると市職員だけでは対応できない。結果として、子どもの安全確保に専念するべき校長と教員が現場判断で全体を動かしている。教職員も泊まり込んで、昼夜を問わず避難者の救護などの世話をあたることになります。被災地の教育長は、「教員が通常業務を超えて献身的に尽力していることに敬意を表したい。」と話していました。
 佐渡行のフェリーの中で、船酔いしながら壁の掲示板に目をやると、「非常時のお願い」と書いてありました。~非常時には次の方々にお手伝いをお願いします。医者、看護師、警察官、消防士、自衛官、教員…。“そうか教員も公務員だ。「全体の奉仕者として…」宣誓書にサインもした。でも、船酔いをしていたら、逆に助けられる立場になってしまう!?”と情けなく思ったことがありました。
 被災地では、市町村職員や警察官や消防士、教員も被災者です。避難生活が長引くと、疲れもピークに達しているはずです。時間が経つと報道も少なくなり、関心が薄まってきます。被災地の学校はどうなっているのでしょうか?

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2026年8月20日木曜日

花だより 本州から引っ越してきて驚いた「北海道の人は大らか?」 宿根ヒマワリ オニユリ ナミキソウ 吾亦紅

 

 「北海道の人は大らか?」
~夏休みになると、子どもの友だちが、朝から遊びに来るのに驚きました。そして、昼になっても帰らない。暗くなって夕飯時になっても帰ろうとしません。我が家では、“遊びに行く時は、午後からで夕飯の支度が始まる前には帰宅する。親が留守の時は、友だちを家に入れてはいけない。”と決めています。それが当たり前と思っていましたし、実家ではご近所の皆さんそうでした。ところが「今日は、誰もいないから、うちで遊ぼう。」と誘われるそうです。  北海道の人は“大らかですね。”~
 「門徒物知らず」 
 浄土真宗の信者に、「仏教の作法を知らない」と批判する言葉ですが、本来の意味は、「門徒物忌み知らず」ということで、迷信俗信にとらわれない浄土真宗の門徒の生き方を示した言葉だったのです。「浄土真宗の門徒は弥陀一仏を信ずること専らにして、いかなることありても祈祷などすることなく、病苦ありても呪術、お守りをもちいず。みなこれ親鸞氏の力なり」という教義なのです。決して門徒の人が世間知らずではないということです。
 震災が起きるたびに、日本人としての生き方とか尊厳が語られます。日本人の心や仕来たり、接遇は、長い歴史の中で人と人の関わりを通じて親から子へ伝わってきたものです。教員なら、こうしたことを身につけておかなければなりませんし、子どもに指導しなければなりません。自らの行動を振り返り、この歳になって改めて無作法を恥じているところです。
    
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2026年8月19日水曜日

花だより 戦後81年も経つとこうなってしまう キジムシロ ツユクサ 浜茄子 ヒモゲイトウ

 

 街頭で「8月15日は何の日ですか?」と聞くと、50代以上のほとんどは「終戦の日」と答えるが、30代以下は「何かの記念日ですか?」 戦後81年も経つとこうなってしまう。(池上彰氏の番組から) 今の若者が悪いのではありません。伝えてこなかった大人の責任です。
   山東昭子氏が参院議長だったときの追悼の辞を思い出します。
【山東参院議長の追悼の辞(概略)】
 戦争によって過酷な運命を余儀なくされた方々の無念、悲しみは何度この日を迎えても、とても言葉で言い尽くせるものでありません。人の記憶は時の流れの中で少しずつ淡くなっていきますが、戦争の記憶を遠い歴史の一部にしてはなりません。戦争で何が起きたのかを後世に伝え、一人ひとりの平和への強い思いを着実に引き継いでいくのは、今を生きる私たちの使命です。民主主義の理念の下に揺るぎない平和を築けるよう、力の限り尽くしていくことを固くお誓い申し上げます。
 まず、他の三権の長より、平易な言葉で書かれてあること、文章もさることながら元女優で声優だったことから、聞いている者の心に響く。当時の総理の棒読みとは全く違う。政治家には、スピーチ力は必須のスキルです。
香りゃんせ公園 日曜日
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2026年8月18日火曜日

花だより 教職員の精神疾患離職最多 子どもの多様化や親対応疲弊 カノコユリ オニユリ 

 



 教職員の精神疾患離職最多 子どもの多様化や親対応疲弊
 離職した教員は、2024年度1,319人に上り過去最多を更新した。背景には多様化する児童生徒への対応や事務的な残務量などが影響しているとみられる。
 精神疾患により離職者は15年前の2倍以上に増えた。ストレスチェックの分析結果では、高ストレスの教員の割合は過去最大の11.8%に上がった。その要因の1番は対処困難な児童生徒への対応(28%)で、8年連続で最も多かった事務的業務量(25%)を初めて上回った。発達障害や不登校、いじめなどの増加が背景にあるとみられる。3番目は「同僚との人間関係」(22%)、4番目の「保護者対応」(17%)は近年増加傾向にある。
 業務量に対して人手が足りない。やりがいを感じていても心身ともに疲弊し、別の道を模索する教員が多い。
 なりて不足、多忙に拍車 全国の公立学校の教員不足数は4,317人に上った。
 待遇の良い民間企業に流れているだけでなく、教員の年齢構成の偏りにも影響を与えている。これまで産休、育休を取ると正規採用を目指す既卒者が臨時講師として教壇に立ってきたが、採用拡大でなり手がいなくなり、定年退職した教員OBの再雇用が増加している。25年10月時点で1,588人で16年度の82人から20倍近く増えている。また50歳前後のベテラン教員が少なく、指導に悩む若手を支援する体制が弱体化している。 (8月10日読売新聞)

 自分はいい時代に教員をしていたと思う。新卒の時は、もちろんパソコンなどはなく、すべて手書きで今思えば非効率な事務作業だった。不登校の子はいなく、いじめはあっても陰湿ではなかった。保護者もみな学校に協力的だった。土曜日も授業があり今以上に授業時数は多かったがゆとりがあったように思う。先輩からたくさんのことを学び、教員を辞めようなどと思ったことはなかった。
「俺たちの時代も大変だった。」と今の教員に言うつもりは全くない。時代は変わった。 「給料を上げてください。」と言ってもなかなか難しい。今の給料に見合うだけの仕事量にしてあげてください。夏休みも残り少なくなってきました。まずはゆっくりしてください。

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2026年8月17日月曜日

花だより 体育「遊び」小学4年生まで拡充 グラジオラス エキノプス リアトリス コスモス

 

 低学年(1・2年生)の体育「遊び」を小学4年生まで拡充
    運動を楽しむ機会増(次期学習指導要領)

 例えば:「走る、跳ぶ運動」→「走る、跳ぶ運動遊び」、「水泳運動」→「水遊び」
 運動が苦手な児童でも楽しく活動量が多い体育を目指す。中学、高校では高度過ぎる内容を改めるなど、楽しく体を動かす機会を増やし生涯にわたってスポーツを親しむ土台づくりをねらう。 子どもの運動時間や体力低下傾向にあり、屋外で遊ぶ機会の現象やスマホを見る時間の増加などが背景にあるとみられます。
 スポーツ庁の担当者は、「仲間と一緒に体を動かす楽しさや達成感を味わえる体育を目指したい、生涯にわたって心身の健康を保持し、豊かなスポーツライフを実現してほしい。」と話す。(8月8日読売新聞)
 幼児教育の「遊びは学び」の考えを小学校へ発展するように思います。体育の時間だけで泳げるようになったり、スキーやスケートが上達するのは、ごく一部の能力の高い子だけです。苦手なこと、難しいこと、忍耐力やチャレンジするよりも、「楽しさ」を重視するようです。
 地方にもチョコザップが進出してきて、ジム通いをする人が増えてきました。子どもたちは、水泳、テニス教室に通ったり、人気の野球やサッカー少年団に隣町まで通っています。学習塾にも通わなければならないし、運動するにもお金がかかる時代になりました。
 近所の公園で子どもたちが集まって遊ぶ光景は見られません。学校体育の役割も様変わりします。
        香りゃんせ公園で涼む親子連れ *ウェブバージョンでご覧ください。


2026年8月16日日曜日

花だより 夏休みは動物園  シオン ツユクサ サボンソウ アサガオ

                                     
 娘が小学校低学年まで、夏休みには必ず動物園に行きました。小学校の修学旅行でも絶対外せない場所です。コロナ禍にあっても旭山動物園は人気スポットでした。子どもの情操教育のためにも動物園は必要という意見がある反面、動物の一生を檻の中でつぶしてまで得ることがあるのか?人間が動物と触れ合いという理由で動物たちの自由を奪っていいのか?と言う人もいます。 
 “いのち”を伝える  
 長い間、動物園で動物の子育てを見続け,“いのち”を伝えることについて考えてきた。動物たちは自然が創りあげた巧妙な子育ての仕方を見失うことなく、淡々と命をつないでいる。お乳は、子の腹を満たすだけでなく、親子の触れ合いをつくり温もりで心にも栄養を与えているのです。たっぷり愛情を受け、子は生きる力を身につけ成長します。やがて親になり自分が経験したことを子に伝える。実に単純だが、そこに大事なものがある。“Education”の語源には「お乳で育てる」とあります。“いのち”の教育、その始まりは親子の触れ合いではなのです。“いのち”はイノチからしか伝わらないのです。 (秋田市大森山動物園 小松 守園長)
 命の大切さ、親の愛情、家族の大切さ、自然の厳しさなど、「生命」と「共生」について理解するのが動物園の目的です。動物園で何を見、何を感じるかが大事です。
 上野動物園からパンダがいなくなりました。定番のゾウやキリンのいない動物園もあります。寂しい限りですが、夏休み、動物園や水族館に子どもを連れて行ってみてください。
北見でも連日30度超えの暑い日が続いています。
ウェブバージョンでご覧ください。

2026年8月15日土曜日

花だより 81回目の終戦記念日 浜茄子 百日草

 



 81回目の終戦記念日を迎えました。
 日本人が決して忘れてはならない日として、1945年の戦争にまつわる4つの重要な日(6月23日、8月6日、8月9日、8月15日)があります。平和の尊さと命の重みを知るために、私たちが心に留めるべき大切な日です。 子どもたちに伝えていかなければならない日です。
 戦争と平和にまつわる4つの日
6月23日(沖縄慰霊の日): 沖縄戦の組織的戦闘が終結したとされる日です。多くの尊い命が失われた沖縄の歴史と平和を祈る日です。
8月6日(広島原爆の日): 広島に原子爆弾が投下された日です。核兵器の恐ろしさと犠牲者の鎮魂を祈る日です。
8月9日(長崎原爆の日): 長崎に原子爆弾が投下された日です。二度と悲惨な戦争を繰り返さないことを誓う日です。
8月15日(終戦記念日): 戦没者を追悼し平和を祈念する日: 1945年、日本がポツダム宣言を受諾し、戦争が終わったことを国民に伝えた日です。 
 この4つの日は、歴史の教訓や平和への思いを深める日ですが、80年も経つと戦時下を知る人は少なくなり、記憶と関心が薄れてきています。この時期は、新聞やテレビでの関連ニュースが報道されます。子どもや孫と一緒に見ること、話をすることが大事だと思います。
 *ウェッブバージョンでご覧ください。

2026年8月14日金曜日

花だより お盆特集(2)「合掌」とは? アサガオ アザミ セイタカアワダチソウ

 

 子どもの頃、8月15日が近づくとテレビ各局は、先の大戦に関するドキュメンタリー番組やドラマを放送していて、それで戦争の怖さを知ったものだが、最近はNHKだけで民法はやらなくなった。
 お盆は、帰省し墓参りをするためにお盆休みができたのだが、今は先祖の供養より、バカンスを楽しむようになったような気がする。
 お盆の法要で「合掌とは仏様と一体になること、右手は仏様の世界、左手は現世を表し、合わせることで一体となり成仏を願うものです。」とお寺さんの説教で知った。
 合掌には3つの意味がある。
 一つは、何事にも至らない自分をどうぞお許しください。(お詫びの心)
 二つは、それにもかかわらず、毎日順調に生かしていただき(感謝の心)
 三つは、どうぞこの身を、この心を人の喜びに役立ててください。(お願いの心)

 いつも心の中で合掌する気持ちで勇んで人生を送る。
 葬儀や仏事での祈りの他に、食前、食後の「いただきます」「ごちそうさま」、手紙の結語にも使われます。信仰や宗教に関係なく、日本人が大事にしてきたものです。
 毎年、お盆には家族や親戚が集まり、先祖を供養するために合掌する。そんな体験を子どもにもさせることが大切です。
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2026年8月13日木曜日

花だより お盆特集(1) 「半眼」とは? ヤナギラン ヒオウギ

        

  お盆 「半眼」とは? お寺さんのお説教から
 半眼(はんがん)とは読んで字のごとく、眼を半ば開くことです。仏教的にいえば、半分は外の世界を見、そして、半分は自己を見つめる、あるいは目には見えないものを見る(考える)ということです。
「私は宗教を信じない」と明言する人は、大金や宝石、それに美しいスタイルやご馳走など、目に見えるものにばかりに注意を奪われ、他のことには目をつぶった生き方をしているのではないと思います。
 目に見えるものには注意を払い大切にするのは当然ですが、一方で目に見えないもの、例えば、子どもの将来を大切にするという両面性を備えた生き方が大切です。
 仏像は、ほとんど半眼になっています。これは仏像に向かって手を合わせている人々を優しい眼差しで見つめてくださる、と共にその人々のためになる何かを思案してくださっているということです。仏像は単に見えているものだけを見ているのではなく、見えないものにも思いを馳せるという姿勢がはっきりと表れています。
 坐禅も本来は半眼です。要するにもっとも大切なことは、自分の内側と外側との両方を見ようという半眼の心がけです。いずれか一方に偏ってはいけないし、もちろん一方を遮断する(目をつぶってしまう)ことは許されないのです。
 子どもの見方と同じです。夏休みが終わると前期の評価事務が始まります。表面だけを見て評価しないようにしましょう。




2026年8月12日水曜日

花だより 「この国の人は、今まで発見された国民の中で最高である」フランシスコ・ザビエル サルスベリ オオハンゴウソウ

 


 熊本がまたも大きな地震に見舞われた。それに追い打ちをかける酷暑と台風、遠くにいる私にできることは少額の義援金だけで申し訳なく思う。
 SNSでの「閲覧数稼ぎ」の偽情報投稿が拡散しているという。被災者の苦悩、昼夜問わず懸命に災害復旧作業をしている人たち、ボランティアや自治体の職員の皆さん、警察、消防、自衛隊の皆さんのことを思うと、なんと不届き者か! いつから日本人は、こうなってしまったのか?
 富国有徳への道 
「この国の人は、今まで発見された国民の中で最高であり、日本人より優れた人々は異教徒の間では見つけられない。彼らは親しみやすく、一般に善良で、悪意がない。驚くほど名誉心の強い人々で、他の何よりも名誉心を重んじる。大部分の人は貧しいが、武士もそういう人々も貧しいことを不名誉とは思わない…」
 1549(天文18)年、キリスト教布教のため日本にやってきたフランシスコ・ザビエルが、本国に送った手紙である。
 1856(安政3)年、通商条約を結ぶために来日したハリス提督の日記には、「彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もない。これが人民の本当の幸福の姿といえるだろう。私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、この人々の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか、疑わしくなる。私は質素と正直の黄金時代をいずれの他の国よりも多く日本において見出す。生命と財産の安全、全般の人々の質素と満足とは、現在の日本の顕著な姿であるように思われる。」とある。
 フランスの詩人ポール・クローテルは、1921~1927(大正10~昭和2)年まで、駐日大使を務めたが、日本の敗戦が濃くなった1943(昭和18)年、パリで言った。 「日本は貧しい。しかし、高貴だ。世界でどうしても生き残って欲しい民族をあげるとしたら日本人だ。」
 私たちの祖先は勤勉・正直・親切・謙虚・素直・感謝といった徳目を規範に、幾世紀も暮らしてきた人たちであった。外国の人たちの証言は、そのことを明らかにしている。
 しかし、今の日本は隔世の感と言わざるを得ない。この日本人の美徳を取り戻し、後世に渡さなければならない。それが教育の使命である。私たち一人一人がこの美徳を涵養し、発揮した時、日本は真に豊かな国となる。「富国有徳」とはこのことである。
         「富国有徳論」 川勝平太著より 抜粋:牧野要約
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2026年8月11日火曜日

花だより 「子どもが嫌がることはさせない」 ほめて育てる教育の落とし穴 ムクゲ コスモス 牛舎 ひまわり畑 

                                           

  「子供が嫌がることはさせない」親のせいで「失われた30年」はこれからも延々と続く
  子供にがまんすることを教える親が急減している。いい方を替えれば、子供が何をしても叱らない親が急増している。その結果、がまんすることを学ぶ機会が失われてしまった。 なぜそうなったのか。1つは1990年代に「ほめて育てる教育」が欧米から輸入され、急速に普及したことが挙げられる。「日本の子供は自己肯定感が低いので、ほめて育てて自信をつけさせるべきだ」と声高に叫ばれ、それが大流行になった。
「ほめて育てる」教育の落とし穴
 子供を叱るにはエネルギーが必要だ。叱らずに済み、そのほうがむしろいいといわれれば、親にとってはありがたい。しかし、「ほめて育てる教育」を日本に輸入する際、大事なことが抜け落ちていた。 欧州では子供をほめながらも子供に厳しい。歴史的に個人主義が根づいているので、親は幼少期から子供を別人格としてあつかい、子供が公の場で他人に迷惑をかけないように、日本よりずっと腐心している。また、成績が悪ければ小学校でも落第する。日本よりずっと社会全体が子供に対して厳しい。社会が子供に厳しいので、親は子供が自己肯定感を失わないように「ほめて育てる」必要がある。  
 ところが、日本では欧米の前提を無視して、「ほめて育てる」という表面だけを取り入れてしまった。学校現場だけでも厳しさを保っていればよかったのだが、1990年代の後半から、モンスターペアレントという言葉や現象が注目され、親の行きすぎたクレームを避けるために、学校現場でも子供を叱る機会は急速に失われていって、怒ったり叱ったりすることを制限したり、忌避されるようになった。いま小学生の暴力行為が急増するなかで、授業中に騒いだり、席を立ったり、暴れたり、ほかの子供や教師に暴言を吐いたりする子供が増えているが、それでも教師は叱ることができない。むろん親も、学校からそういう報告を受けたとしても子供を叱らない。子供が嫌がることはさせないのだ。
 子供が叱られなくなってもう30数年。いまや親世代にも叱られた経験がない人が急増しており、そういう親は子供を叱ることができない。 叱るとは暴力やハラスメントとは似て非なるものだ。子供がまちがったこと、協調性が大切な社会でそれを乱したときや、子供自身の成長を阻んでしまいそうなときに、親や教師が子供を正しく導いてやるのが「叱る」という行為である。親子、または教師と親とのあいだに信頼関係が築けているかぎり、子供のために「叱る」行為は、ハラスメントと同列に判断されるべきものではない。
 ところが、いまの親の多くは、自分自身が叱られた経験がない。このため親自身が、だれかに叱られると過度に落ち込んでしまいがちで、ましてや子供を叱ることなどできない。また、2002年度から小中学校で導入された「ゆとり教育」では、子供に無理をさせないことが奨励された。子供を叱らない。子供に無理をさせない。そんな流れを受け、教育現場や家庭では、「子供が嫌がることを無理にやらせず、好きなことを伸ばす」という風潮が生じた。それ自体、文科省が定めた方針ではないが、「無理をさせない=嫌な気持ちにさせない」と誤解されてしまった。  
 サッカーのように「好きなこと」なら、とことん伸ばしていいと思っている親が多いから、すぐれた選手が輩出するのかもしれない。一方、遊びの延長ではじまるサッカーと違って、勉強を最初から「好きだ」「おもしろい」と感じる子供は少ない。しかし、やっているうちに「おもしろい」と感じるようになる子供も少なくない。「おもしろい」とまでは思わなくても、意欲が生じるケースは多い。意欲が生まれれば、忍耐ができるようにもなる。 ところが、子供がそれに気づく前に、親が先回りして子供の可能性の芽を摘んでしまうのである。叱られたことがない若者が厳しい社会に適応できない、という事例はよく耳にする。今後の社会が心配になる。加えて、せっかくポテンシャルがあったのに、能力を十分に伸ばす機会が得られない子供が急増するとしたら、その子にとって不幸なのはもちろん、日本社会にとって大きな損失である。このままでは、日本が「失われた30年から」から回復できるとはとても思えない。
 香原斗志(かはら・とし) 音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。
 中央教育審議会の委員は、教育関係者以外のこうした人物がなったらいいと思う。
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2026年8月10日月曜日

花だより デジタル教科書の何が問題なのか? オオマチヨイグサ チングルマ

 

 
 デジタル教科書の何が問題なのか?  QRコードやリンクが逆効果なワケ
  デジタル機器のスイッチを切れば、教科書の実態は一瞬で消えてしまう。学習ツールとしては、はなはだ不適格であることに誰も気づいていないようです。
 人間に思考は、そう簡単に途切れなく、分かったつもりでも少し経ってから未消化の部分に気付いたりするものです。すぐにページを開いて見直せることが学習では大切なのです。
 QRコードが花盛りなると、紙の教科書の情報量をはるかに超えてしまう恐れがあります。そうすると何をどう学んだらよいかということが分からなくなってしまうか可能性があります。学習の基本は、「触れたものに繰り返し触れる」ことにもかかわらず情報過多となれば、その根本が損なわれてしまうのです。“浅く広く”では、学びは深まりません。
 デジタル教科書のリンクは、ネット検索と共に情報過多となり、自分で考える前に調べるようになります。端末で完結するようになるので、紙のノートは使わなくなり、「書き写して覚える」、メモを取るなど書字の能力まで影響する。「かな漢字変換」に頼ると簡単な漢字さえ書けなくなる。「予測変換」に頼ると同じ表現や定型文を繰り返し使うようになる。キーボードの高速入力が災いして要点を絞ることなく受動的にすべてタイプするようになる、雑に書いた後、編集機能に頼る分、文脈を正しく想定できなくなる。など、便利だと思って大人が与えようとするデジタル機器は裏目に出る可能性が高い。 「デジタル化により授業が効率化して、学習効果が上がる」などと期待しすぎてはいけません。
                   東大大学院 酒井邦嘉教授
 自分もそのことに気づき、手書きしてからブログにアップするようにしています。
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2026年8月9日日曜日

花だより 「褒めて育てる教育」30年経って?  エダマメ ピーマン 

        

 「褒めて育てる」が推奨されて30年
 1990年代から推奨され、それと並行して学校教育でも新学力観が適用された。それまでの競争による知識偏重をやめて授業中の態度や関心で成績を決める方向に転換して30年が経った。テスト結果がトップクラスの子でも5段階評価の5ではなくて4になり、テストはトップクラスでなくとも、たとえば先生に頻繁に質問する子は5になる。これが文部科学省の基準に照らせば正しい。結果がすべてとすると、知識偏重の競争社会が深まってしまう。それを防止するために勉強のプロセスを評価するというわけだ。
 国際比較で日本人の学力が低迷しているのは確かなのだが、褒めて育て、成績では厳しく競わせない。そういう風潮で育った今の親世代がまた子育てをするサイクルに至った。もはや褒めて育てるという思想は打ち砕きにくい厚い壁になった。
 厚い壁?
 態度や関心でのプロセスを評価するとなると、ついつい自分に対していい態度を取る人に対して評価を高くしてしまう。日本人はとかく関係性で動くから、大人の社会の人事評価自体もうまくいっていないが、それが学校にまで持ち込まれた。グローバル化が進む中で、せめて学校では実力主義でやるべきだと思うのだが。
 褒められるのが当たり前になる子どもたち
 調査の結果、年代で全然違う。若い人だと70%ぐらいが父親や母親によく褒められている。中年以上には、逆に父親は厳しかったという人が多い。文化がはっきり変わってきたのだ。無言のうちに一体感があって、はっきり言われなくても親の愛情は感じる文化から、厳しさ抜きの“エセ欧米流”が取り入れられて褒めまくる。“子育て書”にも子どもを褒めまくれば伸びる、そんなようなことがいっぱい書かれている。
 弊害が目立つ
 褒めまくられて育てられると、褒められるのが当たり前になる。逆に褒められないとやる気がなくなってしまう。「褒めてくれないと自分たちはめげる世代だ」と言う若者も多い。学生時代はそれで通るかもしれないが、社会に出てそれが通るわけがない。そういう若手社員は、うちの上司は褒めてくれないからモチベーションが上がらない、命令してくるからムカつく、さらには人間として対等な立場なのだから、人にモノを頼むのなら上司はお願いすべきだとさえ言い出すようだ。
 榎本 博明(えのもと・ひろあき)/1955年生まれ。
 東京大学教育心理学科卒業。東芝勤務後、東京都立大学大学院へ。心理学博士号を取得。米カリフォルニア大学客員研究員、大阪大学助教授などを経て、MP人間科学研究所代表。産業能率大学の兼任講師も務める。20校を超える大学で教えた経験を生かし講演、執筆活動を行う。
 教育の振り子現象~日本では、自由と個性を重視する「ゆとり教育(経験主義)」と基礎学力や規律を重視する「詰め込み教育(系統主義)」の間に何度も行き来してきた歴史があります。一方の教育方針が長く続けると必ず問題点が浮き彫りになって、メディアや保護者から批判が高まり、その不満を解消するために真逆の政策へと舵が切られます。
 極端に“振り子”が振れることを防ぎ、ほどほどのところにすることが難しいようです。
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2026年8月8日土曜日

花だより 日本は、子どものSNS利用をどうするのか? サギソウ 日日草 ひまわり畑

 

 
  日本は、子どものSNS利用をどうするのか?
 子どものSNS利用を巡っては、心身への悪影響や犯罪に巻き込まれるリスクなどが世界中で問題になり、使用を規制する国は多い中で、日本はどうするのか?
 子ども家庭庁の有識者会議は、SNSを利用する子どもの保護に関する中間報告書をまとめた。SNS事業者は、利用規約で13歳以上と定めているが、年齢を偽っているケースが多い。そのためマイナンバーカードを活用し、年齢確認を厳格化するように求めた。
 政府は最終報告を受けて来年の通常国会に青少年インターネット環境整備法の改正案を提出する方針だ。オーストラリアでは16歳未満、フランスは15歳未満の利用を禁止した。インドネシアや韓国など、アジア諸国でも規制の動きが進んでいる。しかし、規制する年齢は何歳が妥当なのか難しい問題だ。
 子どもの心身への影響を医学や認知心理学の知見を踏まえて十分に議論し、利用規約の見直しや法律の改正に生かすべきだ。SNSの中には、すでに親子間や部活動の連絡など広く使われているサービスもある。こうした状況をどう考えるのかも重要な視点である。
 日本が一律年齢規制に消極的なのは「表現の自由」を侵害しないかどうかという懸念に加え、いじめなど生きづらさを感じる子どもの「居場所」になっているという意見もあるためだ。しかし、SNSに居場所を求めること自体健全とは言えない。
                  (8月3日 読売社説から 抜粋要約)
 
これまで何度も言ってきたが、指導する(手本となる)大人の使い方はどうなのか?
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学校前のひまわり畑