2017年1月31日火曜日

花だより ハナナ 「改革」

~平成12年の作品~

【平成22年度 網走市立潮見小学校 「校長室花だより」から】
 「改革」は、過去の全てを破壊してもいけないし、
     また、過去の大部分を温存してもいけない。
 「教育は“未完のプロジェクト”完成することのないプロジェクトである。どのような制度をつくっても、それでよくなるというものではない。豊かな教育が保証されるというものはない。しかし、絶えず改善を積み重ね、誠実に努力を積み重ね、支え続けてこそ、それなりの成功を確かなものにすることができる。教育とはそういう営みである。」(東大教授 藤田英典先生 著書「義務教育を問い直す」より)若松小学校時代にお会いした先生の言葉です。
 橋本教務主任から新年度教育課程編成の相談を受けました。とても大胆な提案です。
 教育改革の必要性は、20年前から叫ばれていましたが。「教育改革は、学校の廊下までは来ているが、なかなか教室まで入ることができない。」と言われています。
 政権交代で「官僚主導」から「政治主導」へ、「コンクリート」から「人」への変革が進められています。そこには官僚的な前例主義を打破した新しい発想が求まれています。
 小泉首相は、「古い自民党をぶっ潰す」と言って国民から支持を得ました。しかし、結局自民党は変わらず、選挙で敗北してしまいました。親方日の丸最後のJALもついに会社更生法の適応を受ける事態となりました。時代は変わり、古い体質のままだと生き延びることができないのです。
 TOYOTAは今、アクセルペダルの不具合でリコールを受けていますが、さすがだと思うのは、いち早くハイブリッド車の開発に成功したことです。そして、電気自動車の開発を進めようとしています。今、政治家や企業家には、先見性が求められています。
 「いやいややらされている人は、不平や不満を口にするが、自ら改革の必要性を感じている人は、積極的に取り組む。」これはトヨタの社長の言葉です。 
 無駄をなくし、効率を上げることが改革のように言われますが、「行き過ぎたリストラで職場の和がなくなり、企業が活力を失っている面がある」と企業経営者が反省しています。
 学校でも、完全学校週5日制の影響として、5日間に仕事が圧縮され、1日の勤務時間が増加し帰宅時間が遅くなった。またそれだけでは間に合わず、土日の出勤が増えた。会議を開く時間が無く、会話をする時間も少なくなり共通理解が図りにくくなった。などなど・・・批判的な反応が多いのも確かです。その対応として、休み時間が短縮されたり、学校行事が削られたりしました。また、職員朝会をなくした学校もあると聞きます。諸会議も減らされることが多く、結果的に精選され、合理化が図られたように見えます。 しかし、言い訳的な取りつくろったような取り組を設定し、教科だけを重点的に指導したり、各領域での活動をバラバラに行っても、子どもたちの意欲と自信は形成されません。また、成果が上がらなかった原因を子どもの能力、家庭の背景、地域の実情や制度に押しつけようとするならば、学校としての無能さを露呈することになります。
 学校はラインではなく、スタッフで構成される組織(チーム学校)です。情緒的な要素も大切にしなければ、組織の活性化は図られることはできません。
 「全ては、子どもたちのために」です。教育課程の改編(橋本案)の根底には、そんな思いが込められているように思います。一方的にやらされるのではなく、自らその必要性を感じることが一番大切だと思います。

2017年1月30日月曜日

花だより ハナアナナス スケートと道産子

~平成12年の作品~

【平成19年度 斜里町立朝日小学校 学校便りから】
《スケートは嫌いだ!》
 「だって冷たいし、足が痛くなるし、同じところばっかり滑るし、つまんない。」
 全校朝会で「道産子って知っていますか?」と聞くと4年生の男子が手を挙げた。「馬のことで、北海道の人のことも道産子といいます。」完璧な答えが返ってきました。
《各地にある馬頭観音の石碑》 北海道の開拓は、“どさんこ馬”なしには語れない。
 古老から聞いた話~開拓当時は、春になると東北地方から人々が船でやって来て、森林を伐採し、畑を耕し、海や川では漁をして、冬になる前にそれらを船に積んで戻った。その時、馬は原野に置き去りにされた。マイナス20度になる原野で馬たちはじっと堪え、人が来る春を待った。どさんこ馬は、体が小さくばんば馬のような馬力はない。サラブレットのように速くも走れない。でもがまん強く厳しい作業にはうってつけの馬だった。今のようにトラクターもトラックもない時代。馬は大切な家族のようなものだった。だから馬が死ぬとそれを慰霊するために「馬頭観音」を建立し、年に一度必ず部落の人が集まって慰霊祭をするようになった。そんな“どさんこ馬”のように厳しい自然環境に立ち向かった開拓民(道民の先祖)は、多少のことではへこたれないがまん強さがある。
 「スケートは辛いからやるんだ!」
 スケートは決して楽しいスポーツではないかもしれません。心地よい汗をかくこともなければ、ひもを縛るにも一苦労するし、細いエッジの上に立つことすら難しいのに、「膝を曲げて腰を低くして滑りなさい。」と言われる。足首がグラグラしないように、ひもをしっかりしばると今度は足が痛い。足が痛いと転びやすくなって、今度はお尻が痛い。鼻水は氷るし、本当に泣きたくなってくる。
 そんなスポーツだからこそやる。北海道の斜里だからスケートをする。スケートがうまくなるためだけにやるのではない。忍耐力をつけるためにやる。これくらいのことががまんできないと“どさんこ”とはいえない。これからの北海道を背負って立つのは、あなたたちです。がまん強さがないとやっていけません。
 「そんなこと言ったって、イヤなものは、イヤです!」と言われました。

2017年1月29日日曜日

花だより エンドウ豆 命を下す 

~平成12年の作品~

【平成21年度 網走市立潮見小学校(校長室花だより)から】
命を下す (「PHP」 松下幸之助)
 自分がこうしたいと思うことを人に命じて、その命のままに自在に人が動くということは、事を運ぶうえにおいて、きわめて大事なことではあるけれど、命になれて、いつのまにか命がなければ人が動かないということになっては、これは大変である。こんな硬直した姿では、進歩も発展も生まれないであろう。
 たとえ命令がなくても、以心伝心、命ずる人の意を汲んで、それぞれの人が適時適確にすすんで事を運んでゆく~こういう柔軟な姿のなかにこそ、かぎりない発展性が生まれてくる。
 そのためには、命を下す前に、まず人の言うことに耳を傾けることである。まず聞くことである。聞いた上で問うことである。そして、そこに我が思い異なるところがあれば、その気づかざる点を気づかしめ、思い至らざる点の理非を説く。そうした納得の上に立って、断固、命を下さねばならない。命を受ける人に納得があるということは、その人の知恵がそれだけ高まったということである。わけのわからぬままに命に従わせていたのでは硬直する。
 命を下すということは、ほんとうにそんな容易なことではないのである。
校長として、教職員の言葉に耳を傾けているか? 
教師として、子どもの話を聞いていますか、子どもの思いを尊重していますか? 

2017年1月28日土曜日

花だより みかん 北極星を探す

~平成12年の作品~

【平成21年度 網走市立潮見小学校(校長室花だより)】
  ~教頭研修 講演資料から~ 
  北極星はどこにあるか(日本教育)
                  京都市教育委員会教育企画監  荒瀬 克己
 方角を知らない船は進めない。学校も似ている。たとえ順風満帆であっても、度重なる難事を乗り越えいかなければならない場合でも、常に方角を知っているからこそ目的地をめざせる。学校も新たなものに取り組む際にはもちろん、日常の営みを積み上げていくことでさえ方角を知ることが必要だが、それを示すのは誰か。
 ある新任校長が、「校長になったら、ああしよう、こうしようと思っていたのですが、はっきり言って怖いですね。」と言う。
 毎朝、子どもたちが学校に来る。次の日も、また次の日も、それが繰り返される。しかも子どもたちたちはたいてい無事である。もちろん無事でなければならない。毎日の無事を日常と呼ぶのだが、ならば、日常とは奇跡の連続である。
 なぜ怖いか。学校には様々な事柄や事態に対応しなければならない。子どもたちの様子、教職員の状況、保護者への説明、外部との関わり、教育委員会とのやりとり、枚挙にいとまのない諸々の動きの、そのトップに校長がいる。学校経営の最高責任者であり、最終責任者である。つまり、後ろには誰もいない。もちろん設置者である教育委員会はあるが、学校内のすべての責任が校長にある。仕事はチームで進めても、最後の責任はひとりで負う。孤独な日々だ。
 なぜ怖いか。自分をさらけ出さなければならない場面が多い。式はもとより多くの機会に子どもたちや保護者に何を話すか、どんな文章を書くか。これは誰にも頼めない。当然、様々な判断も自分でしなければならない。自分自身の進退についてもそうである。自分ひとりでしなければならない。足が震えるけれど、そこから逃げることはできない。
 みんなが校長を見ている。校長が、子どもたちや教員を守っているか。務めを果たしているか。多くの視線を感じる。これで怖くない人はいないだろう。
 校長の適性とは、周りに助けてもらえるかどうかということのようだ。しかし、心ある周りの人たちも、その場にいない校長を支えることはできない。だから、支えてもらわなければならない者は、怖さに耐え、何とか力を振り絞って、その場にひとりで立ち続けていなければならない。
 現場は、今、そこにしかない。お手本はあっても、いつどこでもその通りいくとは限らない。自分で考えるしかない。その際、自分の学校経営の軸になるものを持っていたい。それは自分にとっての北極星を探すようなものだ。(要約:牧野)

2017年1月27日金曜日

花だより ミスミソウ 人間としての「眼」を育てる

~平成12年の作品~

【平成21年度 網走市立潮見小学校「校長室花だより」より】
  人間としての「眼」を育てる   村瀬 千樫(元北海道教育大学教授)
 いつの時代も人間は美しさを求める。
 「ヒトの眼に感性の働きが加わるとき人間の眼になる」と言われている。4億年という長い時間をかけてヒトの眼はできた。その上に優しさやいたわりなど、人間味を加えた眼、つまり、人間性を持つ眼ができて初めて「人間」と言えるのである。
 子どもたちは様々な環境の中で生まれ、育てられ、人間になっていく。しかし、この一人一人の子どもたちを取り巻く成長過程のその時々が、決して美しく、温かい環境ばかりではない。学校教育の中では、教科はもちろん、様々な学びを通して、自分の身の回り人々の優しさや思いやり、自然の美しさや崇高さなどを見る「目」を持った人間に育って欲しいと心から思う。
 目は耳からの540倍の情報量が得られるという。目が情報獲得の窓であり、また、大脳と眼球は密接な関係にあることから創造力を育てると言われる所以でもある。
 子どもたちには、「何を見るか、真実は何か、これを見て何を感じるか、どのような価値を持つか」など、目を育てる教育が求められている。
 同時に、教師は子どもたち包容力を持ちつつ、濁りのない素直な目で見つめたい。そして、教育に関わる人間の「眼」を大切にし、感性を常に磨き続けなければならない。(要約:牧野)
 

2017年1月26日木曜日

花だより フウキギク 伊達政宗五常訓

~平成12年の作品~

【平成21年度 網走市立潮見小学校 校長室花便りから】
 ~「伊達政宗五常訓」に見る人生の奥義~
 一 仁に過ぎれば弱くなる 
 二 義に過ぎれば固くなる 
 三 例に過ぎれば諂いとなる
 四 智に過ぎれば嘘をつく 
 五 信に過ぎれば損をする
  気ながく心穏やかにして、この世に客が来たと思えば何の苦もなし。元来、客の身なれば好き嫌いは申されまい。今日行くのを送り、子孫兄弟に良く挨拶し、娑婆(現世)の御暇申すがよし。

 激動の戦国の世をたくましく生き抜いた政宗の研ぎ澄まされた境地を見習いたいものです。

2017年1月25日水曜日

花だより エリカ 言語の力

~平成12年の作品~

【平成20年度 斜里町立朝日小学校 校長室便り(進化)より】
  ~全教科・領域等で体験を通じて「言葉の力」を育てる~
 新しい学習指導要領で注目されているのは、教育内容に関する改善事項として、「言語活動の充実」が盛り込まれていることです。
 「言語活動の充実」は、「言葉の力を育てる活動の充実」と言い換えた方がわかりやすいかもしれません。
 私たちが生きる21世紀社会は、環境問題をはじめとしたさまざまな問題が山積みとなっています。そうした社会で大切なことは、論理的な思考や感性を働かせながら問題解決の方策を探り、自分の考えを自分の言葉で表現する能力です。PISAでも読解力を「自らの目標を達成し、自らの知識と可能性を発達させ、効果的に社会に参加するために、書かれたテキストを理解し、利用し、熟考する能力」と定義しています。自己実現や社会参加のための重要な道具として、言語を活用できる能力を獲得することが不可欠となるわけです。ですから、今回の学習指導要領の改訂で「言語活動の充実」が盛り込まれたことは、非常に意味のあることだと思います。
 新学習指導要領では、「言語活動の充実」を全教科・領域等で展開する。としています。「言語活動」というと一般的には「国語科での行うべきもの」と考えがちです。しかし、低学年では、生活科こそ地域の人とのかかわりや自然観察などの体験を通して、「言葉の力」を伸ばす絶好の教科です。同じようなことが他の教科でも言えます。もちろん、「言葉の力」を育てる上で軸になるのは国語科です。しかし、「言葉の力」は単に言葉を学べば身に付くものではありません。国語科の学びが、「言葉を通して言葉の力を育成」であるのに対して、他教科・領域の学びは「体験を通した言葉の力の育成」であり、「言葉の力の育成」においては、その両方が重要です。「言語活動の充実」において全教科・領域等で取り組むことには、そうした意味があるのです。

2017年1月24日火曜日

花だより 冬の知床 教職員のメンタルヘルス


【平成20年度 斜里町立朝日小学校 校長室便り(進化)より】
 ●教職員のメンタルヘルス● ~心身の健康のために~
◎一生懸命な頑張り屋ほど、SOSが出せずに孤立
 授業づくりが非常に熱心。そんな先生ほど、ある日疲労から休み始めたかと思うと、そのまま欠勤や遅刻を繰り返すようになることが少なくありません。2~3日休んでいた分、出勤すればまた一人で夜遅くまで頑張り、その疲れでまたダウンしてしまいます。欠勤中には多かれ少なかれ、同僚の先生に迷惑をかけているのですが、素直に感謝の言葉を伝えたり、SOSを出すのが苦手です。本人も徐々に仕事への自信がなくなり、周囲からも信用を失い、どんどん孤立してしまいます。こうなると逃げ出したいという気持ちと頑張らなくてはならないという気持ちの葛藤から、結局体調を崩して動けなくなってしまいます。
◎できる限りみんなの前で愚痴る
 困ったことがあったり、嫌なことがあったら、問題と情報をなるべくみんなに知ってもらうためにすぐにみんなの前で愚痴る。そうすると陰でそっとカバーしてくれる人もいる。何気なく知恵を与えてくれたり、助けてくれる人がいる。お互いに信頼し合い、職員室全体のメンタルヘルスを考えること、お互いにSOSを出しやすい環境づくりに取り組むことが大切です。
 

2017年1月23日月曜日

花だより シンビジウム 「学後知不足 教然後知困」

~平成12年の作品~

【平成20年度 斜里町立朝日小学校 校長室便り(進化)より】
 「学後知不足 教然後知困」 教育実践発表会が終わって 
    探求心と自律心 ~研究の成果は、子どもの変容で示す~
 「学後知不足 教然後知困」とは、「学問をして初めて知識不足が分かり、教えて初めて勉強の難しさを知る」という意味です。
 これは幕末北海道開拓に夢と希望を持った榎本武揚が当時の学生のために中国の古典「礼記」から引用したもので、自筆の書が東京農大オホーツクキャンパスに飾られているそうです。
 実践発表会のために教材研究をし、教材を準備し、指導案を何度も書き直して臨んでも、思った通りの授業はなかなか出来ないものです。やればやるほど自分の未熟さを知るのが研究授業です。
 研究の成果は、子どもの変容を示すことが大事です。今学校に求められているのは結果責任です。いくら研究会を開催しても、学力が全国平均を下回っていれば、何のための研究なのかと言われます。
 研究会の最大の成果は、新たな課題が分かるということ。これは今話題になっている「探求活動」に似ています。今回日本人が3人もノーベル賞を受賞しました。これはまさに「探求」の極まりです。
 「学習指導要領の解説書に図を載せない」という話(図が一人歩きする)から3人の助言者(網小佐藤、北見南小平山、北見綠小渋谷先生)と「探求活動」(エンドレス・スパイラル)を図にどう表すか?校長室で議論になりました。「探求」とは探し求めることで、「探究」(探し究める)とは違う。 
《教科と生活・総合の違い》
 (例えば)算数「面積」の学習の場合:正方形→長方形→平行四辺形→三角形→台形→ひし形→円 (教科型系統的な学習プロセス 典型的な「習得」「活用」「探求」型)
 これに対し、生活・総合では、「円の面積はどうすれば求められるのだろう?」から始まる。(課題を見つけ、自分なりの方法で解決していく)これまでの知識や経験をもとに切って貼り合わせて(体験・活動)、平行四辺形や三角形に変化させることで面積が求められることを理解する。さらにこうした考えをもとに扇形の面積はどうすれば求められるか、とか体積は?と発展させるのです。学習は、やりたいと思ったこと「なぜ?どうして?」から始まる場合もあるし、やっているうちに見つかることもあります。  
 これを図に表すことが難しいのは、基本は「習得」→「活用」→「探求」であっても、「探求」→「活用」→「習得」である場合もあるし、また、双方向でもあるし、繰り返されたりするからです。また、一人一人が持っているイメージもそれぞれ違うので平面に書き表すのは非常に難しい。というのが3人の結論でした。
自律と自己評価(「自立」とは「自律」 小室哲哉の挫折)》
 自分を律することのできる人は成功する。伝記に載るような人は、自分を律すること。つまり自己評価のできる人である。と言われています。
 波巌先生は、自律とは、「ド根性カエル」のぴょん吉とひろしの関係だ!と言われた。つまり、ひろしが何かをやろうとすると「ちょっと待てよ」とぴょん吉がひろしを諫めるのです。自己評価とは、客観的に自分を見つめる心を育てることです。
 子供たちに計画を立てさせ、その計画に沿って自分が何をやっているか、どこをどうすればよいのか。何に困っているのか自己評価させること。自己評価しながらやりたい活動を完成させていく。基本は自己評価をどうさせるのか。それさえきちんとできていれば、総合的な学習の時間は、恐れるに足らない。何をやってもよい。子供たちのエネルギーはものすごい。やりたいことが始まったら、徹底的にやる。(ただし、「何をやってもよい」だけが強調され、今回の課題になっています。)
 音楽界の頂点まで登りつめ、名声と莫大なお金を手に入れた小室哲哉が詐欺で逮捕されました。音楽における「探求心」は優れていても、自律心が欠けていたのです。自律心を失ってからの彼の音楽は、大衆から指示されなくなりました。
 探求心は、自律心からうまれるのです。「学後知不足 教然後知困」とはよく言ったものです。自分の授業をきちんと自己評価できないと次のステップには進めないのです。

2017年1月22日日曜日

花だより オンシジウム これからの文学教材の学習

~平成12年の作品~

【平成20年度 斜里町立朝日小学校 校長室便り(進化)より】
全道国語科教育研究大会(北見大会)に参加(助言者)して
~第5分科会「読むこと」領域~《助言資料から》 こんな助言をしてきました。 
 “国語科 文学教材の学習はどこへ行くか?” 
平成14年 筑波大学附属小学校 初等教育研究会 「学習公開・初等教育研究会」
  提案授業 3年生 国語「こんにちは 私の『ハリーポッター』」 授業者 坪田 耕三
 今、国語科授業は揺れている。なかんずく文学作品の授業は、新しい学習指導の姿を求め試行錯誤を繰り返している。
 新しい学習指導要領に特筆されている「文学的な文章の詳細な読解に偏りがちであった指導のあり方」を見直すことは、教育現場に携わる者には異論はないだろう。
 わずか10数行に満たない短編作品を10数時間かけて場面ごとに詳しく読解し、子どもたちの主体的な読みの意欲を損ない、結局は「文学読書嫌い」を作ってしまってきたという事実に私たちは気付いている。
 確かに「文学的な文章の詳細な読解に偏りがちであった指導のあり方」から脱却しなければならない。そんな授業は20世紀の遺物にして、新たな文学的な文章の学習指導の姿を追い求めなければならない。
 *読書する子は学力が高い(読書で培うのは豊かな感性だけではなく、大事なのは集中力、思考力、創造力)

2017年1月21日土曜日

花だより ストック 生活科の重要性(2)

~平成12年の作品~

【平成20年度 斜里町立朝日小学校 校長室便り(進化)より】
 《「生活科」がなぜ重要なのか》 ~オホーツク管内生活・総合研究会会長として~
「はい回る経験主義」批判
 生活科が誕生するとき「経験主義」復活?という学力低下論争がわき起こった。最近また「学力低下」論なるものが、マスコミ界をにぎわせている。歴史的にみれば、この手のにぎわいは、本質的な議論を経ることなく、その議論の高まり自体が一種の歴史的事実としてかすんでいくということを繰り返している。
 ~人として大切なことは、大学という最高学府ではなく、幼稚園の砂場の中で学んだ~
 《自然や社会体験から人は学ぶ》
 戦後、新教育がうたわれ、アメリカ流の進歩主義教育運動が盛んになったときも、体験を重視したカリキュラムに対して「はい回る経験主義」という批判が浴びせられ、「学力低下」をもたらした原因だと攻撃された。近代以降、新教育運動としてたびたびみられたカリキュラム改革(コアカリキュラム)は、そのたびに「学力低下」論によって批判され、下火になっていった。
 高等学校教育(カリキュラム)は、大学のためにある。(大学受験のための勉強)、中学校のカリキュラムは、高等学校受験のためにある。小学校では、中学校に入っても困らないようにと教えている。これが現在の各教科での知識の系統的学習を重視した教育である。
 しかし、生活科・総合的な学習の時間の登場で再び生活単元が重視されるようになった。現在は、知識・技術の観点から構成される学習内容のまとまりを現す教材単元と、学習者が生活の中から興味・関心に応じて自ら課題を設定・追求・解決していく生活単元(または経験単元)の2つに大きく分類されている。
 第2次大戦後の「新教育の時代」に盛んに取り組まれた生活単元学習が、「はい回る経験主義」との批判を受けて以来、各教科での知識の系統的学習の重視へと転化した。一方で、今日のゆとり教育をうたった教育改革では、総合的な学習の時間の創設などにより生活単元学習が重視されてきている。一度は消えかけた経験主義が、生活・総合と形を変えて復活したのだが、それもこのところの学力低下論争の再燃で、生活科・総合も風前の灯火である。やはり歴史は繰り返すのか。それとも教育界は進歩がないのか?


2017年1月19日木曜日

花だより 林檎 生活・総合の重要性


【平成20年度 斜里町立朝日小学校 校長室便り(進化)より】
 ~全国生活科・総合的な学習教育研究大会札幌大会《参加報告》 
     パネルディスカッションから~ 要約:牧 野 
  
  文部科学省初等中等教育局教科調査官 田 村  学 氏
 21世紀は、新しい知識・情報・技術が政治・経済・文化をはじめ社会のあらゆる領域での活動の基盤として飛躍的に重要性を増す、いわゆる「知識基盤社会」の時代であると言われている。知識基盤社会化やグローバル化は、アイディアなどの知識そのものや人材をめぐる国際競争が加速されるとともに、異なる文化・文明との共存や国際協力の必要性なども大きくなっている。
 また、個人は他者や社会などとのかかわりの中で生きているものですから、一人一人の個人には興味・関心、持ち味に違いがある。したがって変化の激しい社会の中では、他者や社会の中で切磋琢磨しつつも、自己と対話しながら、自分自身を深めることも大切な時代になってきている。このような社会の構造的な変化の中では、変化に対応する資質や能力及び態度が求められており、次代に必要な資質や能力を一言で示すとすれば、まさに「生きる力」であり、「生きる力」の申し子である生活科・総合的な学習の時間の重要性はますます高まるばかりである。

   文教大学教育学部教授(前主任調査官) 嶋 野 道 弘 氏 
 教育は、柔軟で、ゆるぎのないものであることが望まれる。それは大いなる創意工夫であるが、地に足が着いて軸がぶれないということ。一人一人の子供の学びには何らかの背景がある。したがって、教育は十把一絡げ、というわけにはいかない。一律の、画一した教育の予期の成果を期待するのは難しい。子供に応じ、学校に応じ、学校の置かれている地域に応じ、教師の持ち味等に応じて独創的であるべき。同時に、一定の水準と共通性も保証されなければならない。独創性を独断的に、共通性を画一的にしない精神と形が必要。それは主体的で自立的な教師にとっては、とてもやりがいのある取組になるはず。

  福岡教育大学教授 寺 尾 慎 一 氏 
 この度の学習指導要領改訂では、「生きる力」の理念が再び掲げられた。この「生きる力」については、それを答申した中央教育審議会答申の文言によれば「将来の職業や生活を見通して、社会において自立的に生きるために必要とされる力」であると述べている。そこでは重ねて「これからの学校は、進学や就職について子供たちの希望を成就させるだけではその責任を果たしたことにはならない。」とまで言っている。
 また、「我が国の子供たちにとって課題となっている思考力・判断力・表現力等をはぐくむためには、(中略)観察・実験やレポートの作成、論述といった知識・技能を活用する学習活動を行う必要がある」と述べ、さらに、「自分に自信が持てず、自らの将来や人間関係に不安を抱えているといった子供たちの現状を踏まえると、コミュニケーションや感性・情緒・知的活動の基盤である国語をはじめとした言語能力を重視した体験活動の充実を図ることにより、子供たちに他者、社会、自然、環境とのかかわりの中で、これと共に生きる自分への自信を持たせる必要がある。」と指摘している。再度掲げた「生きる力」を、今度こそ、真に子供たちが身に付けられるようにしなければならない。
*大会前日のレセプションで挨拶した嶋野先生は、「生活科・総合が根付かない国家は滅びる!」と言い切りました。
 

2017年1月18日水曜日

花だより 君子蘭 本当の供養とは?

~平成12年の作品~

【平成20年度 斜里町立朝日小学校 校長室便り(進化)から】
 ~お寺さんのお説教(3)~
本当の供養とは? お盆のお勤めで一人暮らしのおばあちゃんのお宅を訪問したときのことです。どこの家庭でもお盆になると、仏壇には亡くなられた方の好物や果物などたくさんのお供え物があがります。ところがそのお宅には、薄く切られたリンゴが2切れしかのっていないのです。おばあちゃんに聞くと、りんごは亡くなったおじいちゃんの好物でした。ところが、歳をとって歯が弱くなってからは、堅いりんごは食べづらく、いつも食べやすいように薄く切っていたのだと言うのです。生前と同じくりんごを食べやすいように薄く切って、「さあ、召し上がれ」と言わんばかりに爪楊枝をさしてお供えしてある。豪華なお供えがたくさん並べられていてもラップにくるんだままのお宅が多い中、質素ではあるが亡くなったおじいちゃんを偲ぶおばあちゃんの優しい気遣いを見て取りました。これが本当の供養なのです。
 お寺さんのお説教には、なるほどと思う話が多く、教育と相通じるところがたくさんあります。子供の見方の参考にしてみて下さい。


2017年1月17日火曜日

花だより フキノトウ 観音様はなぜ偉いのか?

~平成12年の作品~

【平成20年度 斜里町立朝日小学校 校長室便り「進化」より】
 ~お寺さんのお説教(2)から~
観音様はなぜ偉いか? 観音様は、音を聴くだけでなく、観ることができる?
 観音(自在)菩薩は、簡単にいうならば、広く世音を心で観、心で聞いて、苦しんでいる人、悩んでいる人を救うという誓いを立てた菩薩のことをいいます。
 「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」(観音経)にも「仏告無尽意菩薩。善男子。若有無量。百千萬億。衆生。受諸苦悩。聞是観世音菩薩。即時観其音声。皆得解脱…」、つまり、仏、無尽意菩薩(お釈迦さん)に告げていわく、善男子(善、良な男)よ、もし、多くの衆生が諸々の苦悩を受けたとき、一心に観音さんの名を称えるなら、観音さんは直ちにその音を聞いて、その苦しみより救うであろう…」ということです。
 さらに簡単に言うならば、光は誰でも見られるが、観音様は、音を目(心の目)で観ることができるのです。半眼と同じくものの真実を見通すことができるということです。
 評価の時期になるといつも思っていました。子ども一人一人きちんと観ていただろうか?と・・・
人が人を評価することは難しい。しかし、教育活動である以上その結果をきちんと評価し、知らせることは教師の務めです。観音様には成れないにしても、そうした目や心で子供たちを見つめていかなければならないと思うのです。

2017年1月16日月曜日

花だより カニサボテン お説教

~平成12年の作品~

【平成20年度 斜里町立朝日小学校 校長室便り(進化)から】
・・・・・葬儀に参列して、お寺さんのお説教で心に残った言葉(1)・・・・・
半眼(はんがん)とは読んで字のごとく、眼をなかば開くことです。仏教的にいえば、半分は外(の世界)を見、そして、半分は自己を見つめる、あるいは目には見えないものを見る(考える)ということです。
 「私は宗教を信じない」と主張する現代日本の多くの人々は(「宗教を信じない」などと明言することは、世界的に見るとかなり恥ずかしいことなのですが・・)、大金や宝石、それに美しいスタイルやご馳走など、目に見えるものにばかりに注意を奪われ、他のことには目をつぶった生き方をしているのではないと思います。
 目に見えるものには注意を払い大切にするのは当然ですが、一方で目に見えないもの(たとえば子供の将来)も大切にする両面性を備えた生き方が大切です。
 仏像は、ほとんど半眼になっています。これは仏像に向かって手を合わせている人々をやさしいまなざしで見つめてくださる、とともにその人々のためになる何かを思案してくださっているということです。仏像は単に見えているものだけを見ているのではなく、見えないものにも思いをはせるのだという姿勢がはっきりとあらわれています。
 坐禅も本来は半眼です。要するにもっとも大切なことは、自分の内側と外側との両方を見ようという、半眼の心がけです。いずれか一方に偏ってはいけないし、もちろん一方を遮断する(目をつぶってしまう)ことは許されないのです。*教育に通じるものがあります。
 居眠りせず、お説教をよく聴くといいですよ!

2017年1月15日日曜日

花だより セントウソウ ネット上のいじめ

~平成12年の作品~

【平成20年度 斜里町立朝日小学校 校長室便り(校内研修資料)より】
  持たせて安心“キッズ携帯” ~ のキャッチコピーは本当?
新たな“いじめ!” 「ネット上のいじめ」から、子供たちを守るために
《4つの提案》
1 ケータイ・ネットに関する知識を持ち、利用の実態に目を向けよう!
 →【理解促進・実態把握】
2 「情報モラル」についてしっかりと教え、子供たちにネットのリスク回避能力を身に付けさせると
 ともにルールを確実に守らせよう!
 →【情報モラル教育の充実とルールの徹底】
3 普段からチェックをしっかりと行うとともに、発見した場合には迅速かつ適切な対応を!
 →【未然防止・早期発見・早期対応】
4 いじめられた子供を守り通そう! →【いじめられた子供へのケア】
*通信で保護者に注意喚起する。
*学級懇談で話題にする。
*関係機関との連携
《ネット上のいじめ》
1 被害が短期間で極めて深刻になる。
2 簡単に被害者にも加害者にもなる。
3 個人情報や画像が流出し、悪用される。
4 実態を把握して対策をとることが困難
 学校では、新学習指導要領を踏まえ、「情報モラル」の指導をより一層充実することが必要


2017年1月14日土曜日

花だより 蜜柑 新学習指導要領への対応

【平成20年度 斜里町立朝日小学校 校長室便り(校内研修資料)から】
 新学習指導要領移行期への対応(網走ブロック校長研修会 中川生涯学習課長講話から 要約)
 (1)算数・数学、理科は先行実施する。
   「もれなく」「ずれなく」「重なりなく」+「無理なく(子どもにとって)」
   移行措置期間中は、教師は子どものために無理をしなければならない。
 (2)これに伴い、小学校では総授業時数を各学年で週1コマ増加(これが問題)
 (3)直ちに先行実施 「総則」や「道徳」「特別活動」「総合的な学習の時間」
 (4)他の各教科等については、学校の判断で先行実施することも可能とする。
    但し、以下のものについては、全ての学校で先行実施
   ①地図帳で指導可能な「47都道府県の名称と位置」等の指導(小学校)
   ②音楽の共通歌唱教材として指導する曲数の充実等(小・中学校)
   ③体育の授業時数の増加(小学校低学年)
 (5)小学校における外国語活動
   ①5・6学年における外国語活動は、各学年の裁量により授業時数を定めて実施する  
    ことが可能
   ②各学年で週1コマまでは、総合的な学習の時間の授業時数を充てることが可能
    但し、外国語活動は、総合的な学習の時間の内容ではない。
 (6)教育課程の一般方針
   ~知・徳・体のバランスを図る~習得→活用ではない。習得←→活用 一緒に行う!
  《知 育》 
   ①知識・技能の習得 
   ②これらを活用するための思考力・判断力・表現力
   ③主体的に学習に取り組む態度 
   ④全教育活動での言語活動の充実 
   ⑤学習習慣を身に付ける。
  《徳 育》 
   ①道徳の時間の授業の要として(総則) 
   ②児童が自らの生き方についての考えを深める。
  《体 育》 
   ①食育の推進 
   ②体力の向上 
   ③安全に関する指導
 (7)授業時数等について
   ①夏季・冬季、学年末等の休業日の期間に授業日を設定することが管理規則の変更で
    可能となる。→市町村教育委員会の判断 
   ②必要な授業時数の確保に向けた取組を検討する。(抜本的な見直しを図る) 
    週時程表の改訂の検討(給食、休憩などの期間については、学校において工夫を加
    え、適切に定める。)
 (8)総合的な学習の時間の実施による特別活動の代替え
   総合的な学習の時間における学習活動により、特別活動の学校行事に揚げる各行事の
   実施と同様の成果が期待できる場合においては、総合的な学習の時間における学習活
   動をもって相当する特別活動の学校行事に揚げる各行事の実施に替えることができ
   る。(単なる読替ではない。)
   《キーワード》  「もれなく、ずれなく、重なりなく、無理なく」 
     新学習指導要領のねらいをよりく理解し、教育課程の編成に取り組む。

2017年1月13日金曜日

花だより 椿 学級経営や授業を振り返る

~平成12年の作品~

【平成20年度 斜里町立朝日小学校 校長室便り(校内研修資料)より】
 ~自分の授業や学級経営を振り返る~
《よい授業》 “12のチェックポイント” 
□1 授業のねらいが的確にとらえられているか
□2 教材が精選されているか
□3 指導の立場が明確で、学ばせたり、考えたりする時間と、説明したり、教えたりする時間との
  区別がついているか
□4 指導案とのずれに対処しているか
□5 学習の流れに変化を持っているか
□6 子どもの経験に即し、子どもの意見がより合わされているか
□7 個別指導について配慮がなされているか
□8 学習内容の定着が図られているか
□9 学習が連続・発展するように指導されているか
□10 評価の手立てが用意されているか
□11 学習中、望ましい雰囲気が高められているか
□12 学習環境が整備されているか
《よい授業を支える要件》
1 教材研究を十分にして、教材に精通している。
2 子どもの発達段階や学習心理の上に立って、授業をすすめること
3 学習に対する子どものしつけや態度がつくられていること
《教材に精通しているとは》
1 教材の教育的価値をしっかりつかむこと
2 教材の重点をおさえること
3 子どもの発達と教材との関連を確かめること
4 その教材に即した指導方法を考えること
《教材研究とか何か?》 簡潔に書いているので、後は自分で考える。
1 全体的研究
 1~6年まで全ての教科の教材を研究して、はじめて教材研究をしたといえる。系統的・関連的研
 究が必要である。
2 系統的・関連的研究
 縦の系列をながめ、横の関連を見通して、はじめて教材の位置が明らかになる。
3 実地研究
 教材研究を参考書に求めるな!
4 継続的研究
 計画表を作成して実施するようにしたい。
5 実習的研究
 参考書の理論的研究だけでは、実際の指導には役立たない。
6 古典的研究
 原典に当たって、一応の研究をしておきたい。
《学習のしつけ》 (授業は、教師の一人芝居であってはならない)
 当たり前のことが当たり前にできること 指導が一貫していること
1 遊び時間と、授業時間のけじめをつけること
2 指示されたこと、決まっている学習用具を忘れないこと
3 必要な学習用具が必要なだけ、正しい置き方で机の上に用意されていること
4 教師の話や友だちの発言を終わりまでよく聞くこと
5 指名による発言と自由発言とを区別すること
6 発言は大きな声で、みんなに聞こえるように話すこと
7 友だちのまちがった発言や失敗をあざ笑うようなことをしない。温かい気持ちでつつむこと
8 友だちを押しのけるような競争心や自分勝手な行動を押さえること
9 仕事はすべて終わりまでやり通すこと
10 何事も順番を守って行動すること
11 いつも学習姿勢をくずさないようにすること

*どんなに優秀な先生でも、他の学級で授業するのは難しい。確かな児童理解と学習訓練ができていなければ、授業は成立しない。授業の成功・失敗は、4月からの学級経営にかかっている。
学習プリントをつくることが教材研究ではない。何時間もかけて教材準備をしても学習効果あがらなければ何にもならない。 
*誰かのやった指導案を使って授業をしても何の意味もない。年に何回かは教材研究をじっくりやって指導案を書くこと(そのために公開研、実践発表会、授業研がある。)

2017年1月12日木曜日

花だより 寒桜 学校の品格

~平成12年の作品~

【平成20年度 斜里町立朝日小学校 校長室だより(教職員向け)より】
 ~学校の品格~
 今回は、ちょっと口うるさいことを言わなければなりません。
 大分県の教員採用試験の口利きに始まり、町内でも生徒指導や問題行動、事故対応のまずさや交通違反など、保護者から教育や学校、教師への不信感が高まっています。
 保護者や地域から信頼されるためには、何より、質の高い教育を提供することが重要ですが、それ以前に「教師らしさ」が求められます。
教師は「ガラス張りの教員住宅」に住んでいると言われます。“誰が出入りしているか。”
“晩ご飯のおかずは何か”まで地域・保護者から監視の目で見られていると思っていなければなりません。「プライバシーの侵害だ!」と言っても、それは教員である以上宿命的なものなのです。
 反対に、「あの先生は、いつも家の周りのきれいにしている。若いのにたいしたものだ。」と評価をあげることにもなります。また、保護者や地域からのクレームは、小さな不満や不信が積み重なってある事件をきっかけに爆発することがあります。
 まず、「あの先生はいい先生だ!」「あの学校はいい学校だ!」と普段から信頼関係を築いておくことが大切です。
1 身だしなみ
 転校生(保護者同伴)を迎えるのに、ひげ面、Gパンでは、第一印象は悪い。誰もがTVドラマに出てくるラフな恰好の熱血教師を望んでいるわけではない。“子どもの目線に立って・・・”という先生がいるが、勘違いも甚だしい。「毎日スーツを着なさい」とは言わないが、身だしなみには、気を付けてください。
2 言葉遣い
 言葉遣いで、その人の育ちが分かるという。TPOで使い分けることが大切ですが、相手が子どもだからといって、全て命令口調で話すのはよくありません。
 網走の木目澤教育長は、指導主事、指導主幹、北見西小校長を経て教育長になった誰もが認める人格者です。若い頃一緒に働いていた用務員さんから、こんな話を聞いたことがあります。、
「あの人は、校長に対しても用務員の私にも同じく丁寧な言葉遣いで接してくれた。あの人は偉くなると思ったが、その通りになったよ。」と言っていました。教室の言語環境は、教師そのものです。
3 整理整頓
 休み中、自分の担当場所の整理整頓や標示物などの工夫に取り組んだ先生がいました。一人一人の気遣いが学校を変えます。
 子どもに整理整頓や公共物を大切するように指導しますが、教員の中には、忙しさを理由に整理整頓ができていない人がいます。教頭先生が、休み前に“机上の整理整頓”と板書したり、教務からも“めざせ岩﨑先生の机上”と文書が出たりしましたが、そうなっていない机があるのが残念です。
□整理しやすく教室環境を工夫する~○引き出しに間仕切りを入れる。○棚は、入れる物の大きさに合わせて変える。○戸を外して見えるようにする方がいい。○必要のない物は処分する。
4 掲示教育 
 “新築の家の壁に両面テープで貼り紙をするだろうか?”“何のために掲示板があるのか?”“どこにでもべたべた貼り紙をするのは学校くらいだ!”
 掲示も教育です。掲示一つでその学級のその教師の質(美的センス)が問われます。また、子どもの手書きの標示物が全ていい訳ではありません。学校の活動は、子どもが勝手にやってよいものではない。指導があって、はじめて教育活動といえます。
 他校を訪問して、真っ先に目につくのが掲示物です。掲示物一つでその学校の教育レベルが分かります。 
5 教師の品格
 「今の子は、すく受けをねらう!」先生方の中にも、そういう傾向はありませんか?
 夏先生が「笑い」をテーマに道徳の授業研をしました。その中で「笑い」にはいくつか種類があって、“本当の「笑い」とは何か”と、子供たちに投げかけたのを覚えていますか?
 “「母親の品格」を花便りで連載していますが、その前に「教師の品格」は大丈夫か?”言われないように言動には注意しましょう。
6 学校の品格
 出入りの業者さんは、管内全ての学校を回っています。職員室の雰囲気で、「この学校は・・・」と評価します。さて、本校はどんな評価を受けているのでしょうか?
 教育委員会には、先生方の業務削減策の一環として、事務補さんの復活を要望していきたいと思っていますが、朝日小学校は、誰かが気が付いたら、さっとやる。そんな気配り、目配りができる教師集団だと思っています。
7 子どもの不満 
 「朝読書をきちんとしていないクラスがあるけどいいんですか?」「同じことをして、どうして私だけ叱られるの?」と校長室に訴えに来る子がいます。
 えこひいきをしない。安易に例外をつくらない。子どもから信頼されることが一番です。

2017年1月11日水曜日

花だより 胡蝶蘭 冬休み前に

~平成12年の作品~

【平成20年度 斜里朝日小学校 校長室便りから(教職員向け)】
 ~冬休みを前にして2学期を振り返る~ 
 《学校評議員会報告》 評議員の謝花さんがこんな話をしてくれました。
 ~開拓農民で家が貧しく、勉強がしたくてもできなった。~
 進学を諦めていたが、学校の先生が「何とか進学できないか」と親のところに頼みに来てくれた。それで斜里高校の定時制に入り、その後札幌南高校の通信教育を受け、高校を卒業し、斜里町役場に就職することができました。今の子どもたちは幸せです。~
《家庭学習の習慣をつける》
 私が教師になったとき、妹が「お兄ちゃんさ、『子どもたちに勉強しなさい』て言っているの?家で勉強しているところ見たことないけど・・・」と言われたことがありました。
 子どもに「勉強しなさい」と言ってもなかなかしません。でも、言わないと全くしません小学校程度の学習内容は、家庭学習をしなくても学校の授業だけで十分理解できます。しかし、勉強する習慣は、身に付けておかなければなりません。いつの時代も親や教師は、子どもの顔を見ると「勉強しなさい!」と言います。自分の失敗を子どもに教訓として教えるのです。それが親や教師の役目です。
 “家庭学習は、内容より、習慣づけすることが大切です。”「勉強なんかしたくない。」と言ったら、謝花さんの話をしてやってください。
 2年生(○○先生)の親を巻き込んだ家庭学習は、素晴らしい実践です。特に低学年では効果的です。参考にしてもらいたいと思います。
《生徒指導について》
 問題のない学校(学級)はない。トラブルはつきものです。問題行動を起こす原因のほとんどは家庭に問題があります。しかし、家庭のせいにしてはならないのです。また、教師の配慮に欠けた言動で、子どもや親から反感をかったり、不信感を招くことがあります。気をつけなければなりません。さまざまな家庭事情を抱えている子が集まっているのが学級です。それをどう解決したり、指導したりするか、そこに教師としての力量が問われます。
 問題行動には、大きくゆったりと構え、夢や希望を語っていればいいのです。(それくらいの気持ちが必要。教師の暗い表情は禁物!)それが子どもに安心感を与えます。
 道徳は週に1時間です。生徒指導の時間はありません。学校の9割は教科指導です。“教師は授業で勝負する”とは、生徒指導も含めた学級づくりは、毎日の授業を通じて行うということです。どうか毎日の一時間一時間の授業を大切にして欲しいと思います。何でも話せる雰囲気、一人一人が大切にされる授業、人の話をきちんと聞く姿勢など、授業を通して培われるものです。
《長期休業は、子どもにも教師にもとても大切》 
  まずはリフレッシュが第一ですが、長期休業中の自主研修は教員の特権です。旅行、観劇なども立派な自主研修です。給与が削減され、ガソリン代高騰で余裕はあまりありませんが、自分への投資をしてください。

2017年1月10日火曜日

花だより 流氷街道網走 ゲームと脳

~道の駅 「流氷街道網走」~

【平成20年度 斜里町立朝日小学校 学校便りから】
《シリーズ「いきいき子育て」》  ゲームより運動する方が脳は活性化される
 テレビゲームをしているときと運動しているときの脳の働きを調べてみるとゲームをしているときの脳は、ある一部分しか活動していないそうです。特に感情をコントロールしたり、物事を考えたりする「前頭前野」の働きが低下するため、イライラしたり判断力が鈍くなることがあります。それに対して運動しているときの脳は、全体にバランスよく活動しています。
 冬の間(特に冬休み中)は、外で運動することが少なくなり、家の中でテレビゲームに夢中になりがちです。「やるな!」とは言いませんが、時間を決めて、長時間やらないようにしましょう。
   

2017年1月9日月曜日

花だより 寒椿 小学生の表現力

~平成12年の作品~

【平成20年度 斜里朝日小学校 校長室便り(校内研修資料)から】
 小学生に身に付けたい「表現力」は、子供の大事な宝物
  ところで「表現力」ってどんな力? 「子供の表現力がきらきら輝く本」から(要約:牧野)
《そもそも表現力とはどんな力なのでしょうか?知っているようで意外に知らない》
 ○自分の気持ちや考えを表す。○自分のイメージを具体的な形にする。○相手を説得する。これらすべてに必要な「表現力」です。子供の日常生活はもちろん、学校や試験でも必要な力です。社会に出てからも求められます。
【表現力とは?】
 「これまでの経験をイメージ化し、それを基に自分の考えをまとめてきちんと話し、書ける力」 
【表現力が育ちにくい理由】
 多くの大人は、絵は写実的に描かなければならない。という固定観念にいまだ縛られています。そのために親や教師は、子供の自由な表現に接しても対応の仕方がわからず、戸惑っているのではないでしょうか?小学生の間に多くの経験をして、それを常に学校や家庭で楽しく言語化するよう促していれば、言葉の表現力は自ずと身に付くはずです。しかし、子供の話をきちんと聞かなかったり、威圧的になったりすると、子供は萎縮して自由な表現ができなくなります。
【作文で表れる「表現力」の目のつけどころ】
 ~子供の話を最後まで聞くことが大切~
 作文を書く際に大切なのは「表現したい」「伝えたい」という子供の気持ちを喚起させることです。そのために重要なポイントは、意外なことに日常生活で、親が子供の話をきちんと最後まで、真剣に根気よく聞くことなのです。
【低学年】言いたいことを時系列で書く
 低学年は語彙が少ないため、主語と述語のみを使った表現が多いものです。「誰が」「何を」「いつ」「どこで」「なぜ」「どうやったのか」という5W1Hを使った表現はまだ難しいものです。この時期に大切なポイントは、「だいたいがおさえられている」、また「時間の順序がまちがっていないか」という2つです。
 きちんと主語と述語を入れ、「走る」「見る」「食べる」「聞く」など、動詞を正しく使えるようにする。 
【中学年】構成に注意して書く
 語彙が増え、文章を書く基礎が完成する時期です。作文では「びゅうびゅう風がふく」「あたたかい服」などの形容詞があらわれ、文章にふくらみが出ますが、まだ上手にまとめられない。この時期の作文の観点は、「要点が抑えられているか」「はじめ、なか、おわりの構成で書けているか」「なかとおわりのつながりがいいか」です。
【高学年】相手のことや目的を考えて書く
 高学年になると、論理的思考力がついてきます。また、低学年で時系列だった順序が、感動の大きさの順序に変わってきます。作文では比喩的表現も増え、書き出しを工夫するなど高度な技術も使えるようになります。作文の観点は、「テーマは明確に論理的に書かれているか」「構成は工夫されているか」「できごとだけでなく気持ちが表現できているか」「相手のことや目的を考えて書かれているか」などです。

2017年1月7日土曜日

花だより はこべ 自立できない母と子

~平成12年の作品~

  教育の第一の責任者は「お母さん」
 「自立できない子どもを育て上げている」 スマートニュースから (根本 愛)
 子育て真っ最中のお母さんと言えば、昭和40年代~平成10年代生まれの方がほとんどだと思いますが、この時代は、ひと言で言えば「豊か」でした。そんな時代に育ったお母さん世代の子育てに対する考え方と、家電などの普及により家事に時間がかからなくなった環境、そして情報過多となっている子育て情報など、さまざまな要因が重なり、無意識のうちに「自立できない子ども」を育てあげていると言われています。このままいけば、国の行く末にも影響が出てくるのではないかとも不安視されています。このような悪い連鎖は、いつか断ち切らなければ大変なことになります。
 今回は、田中喜美子著『母子密着と育児障害』を参考に、“母親の無意識が子供の自立を阻害している”と言われる、その無意識な行動についてお伝えしたいと思います。
《母が育ってきた環境が、自立できない子どもを育てる》
 豊かさゆえに「我慢を教えられず育った環境」「自立を促されずに育った環境」と言えると思います。そのような環境の中で育ってきたことが、今の子育てに大きな影響を与えています。
 子育てをしているお母さんが我慢を知らず、自立を促されずに大切に育てられれば、そのお母さんもまた同じような子育てをしてしまうのは自然の流れであり、当たり前のことなので、そこを否定するつもりはありません。
 しかし、我慢知らずで自立の仕方を知らない、いわば自立していないお母さんが無意識に自立できない子どもを育ててしまうことは、社会にとって悪い連鎖となります。心では「自立できる子に育てなければ」と思いつつも、自分の育ってきた環境が当たり前という考えの中で育児をすることが、無意識のうちに子どもの自立を阻害している可能性があることを再認識していただきたいと、田中喜美子さんは言います。
《余る時間を全て子どもに費やすという事実》
 昔は掃除、洗濯、炊事など「家事」と呼ばれる仕事は、多くの女性が大量の時間を使ってこなしていた重労働でした。
しかし最近では、家電製品などの発達により、家事にかける時間が昔とは比べものにならないほど時間短縮されるようになりましたが、時間短縮され、余る時間を今のお母さんたちはどこに費やすのか。それは、「子どもの生活すべて」です。
 子どもを取り巻く衣食住すべてにつき、手回しよく面倒がみられ、危険がないよう配慮するのです。その結果、子どもにとって母がいないとダメな環境を無意識に作り上げ、母も自身の存在意義をそこで保とうとします。
 生活に不自由がなく便利が当たり前、そして失敗がないよう先回りした配慮環境が、子どもの自立を阻害しているということです。
 《情報過多の子育て情報・子育て教育にとって、それは今も昔も変わらない》
近年の育児本や雑誌、インターネットなどの情報を見ていると、「叱らない子育て」や「褒めて伸ばす子育て」そして「母子密着子育て」が推奨されているように感じます。
確かに母子密着の生活の中で、叱らず褒めて成長する子どももいると思いますが、田中喜美子さんは、母に守られた環境の中、叱らず褒めまくる環境が、逆に我慢ができず、生きる力のない子どもを育ててしまうと言います。
「叱らない子育て」と言えば教育評論家の尾木ママこと尾木直樹さんが有名ですが、教育評論家があの柔らかい笑顔と口調で「お母さん、お子さんを叱らないでもっと褒めてあげてください」と言えば、勘違いもするでしょう。
 その勘違いとは、本来叱らない子育てとは「頭ごなしに怒ったり、人格否定したりせず、叱る前にちゃんと子どもの考えや気持ちを聞き入れ、その上でダメだと思うことは言い聞かせる」ですが、人に迷惑を掛けたり、傷つけたり、危険なことをしても「叱らない」という勘違いです。
ダメなことをやっても叱られない環境の中で生活する子どもは、やりたい放題の我慢知らずが当たり前となり、協調性を持たず育ってしまうため、生きる力のない人間になってしまいます。子どもの考えや気持ちに耳を傾けず、感情的に叱ってしまうことはいけませんが、やってはいけないことをちゃんと教えることは親の役目です。
 情報過多の現代では、意識的に情報を得ようとしなくても、テレビや雑誌などから無意識のうちに情報が入ってくる環境です。しかし、その情報を断片的にとらえ勘違いし、行動してしまっているかもしれないことを再認識することです。
《まとめ》
全ての家庭において当てはまるとは限りませんが、「母の育ってきた豊かな環境」「家事に時間を要しなくなり、余る時間を全て子どもに向けられるようになったこと」「日本の子育て教育の問題」の3つが、無意識のうちに子どもの自立を阻害していると田中喜美子さんは言います。
 母の育ってきた環境や、今の家事環境を変えることはできませんが、今まで無意識だったところを少し意識することで、自立した子どもを育てる環境づくりに気が向けられるのではないでしょうか。
今後の日本において、自立できない人間が大量に育つという悪い連鎖が続くことのないよう、お子さんのため、国のためにも、今回の内容がお役に立てれば幸いです。(要約:牧野)

2017年1月6日金曜日

花だより カンアオイ 子どもを伸ばす「ママの手伝い」

~平成12年度の作品~

【平成22年度 網走市立潮見小学校 学校便りから】
《シリーズ「いきいき子育て」》 “尾木ママの『叱らない』子育て論”より
 ~子どもを伸ばす「ママの手伝い」~ 
 いま、子どもたちに人気の『キッザニア』をご存じですか?2006年に東京都内に、2009年に兵庫県内にオープンした民間の施設で、それぞれ約90もの職業を子どもたちが疑似体験、社会体験できるというところです。たしかに子どもは楽しめるかもしれないけれど、でもこれではただのテーマパークです。
 《働くことの本物の体験は、もっと身近な日常の中にあふれています。》
 たとえば夕食のあとに、お母さんとかたづけをする。お母さんが食器を洗って、お姉ちゃんがふいて、妹がそれを食器棚にしまう。「ああ~、きれいになったね~。片付いたね。」そうやって喜びや苦労をともにする。それが大切な家族の“協働”作業なのです。
 私も子どものころ母の畑仕事を一緒に手伝ったことが、幸せな体験として心に刻まれています。
「お母ちゃん、今日は何を手伝うの?」
「このうねにずっと種まきをしてほしいけど、できるかな?いま、お母さんがお手本を見せるからね。」うまくできると、「お母さんのお手伝いがなんでもうまくできるようになったねえ~。」その一言がとってもうれしかった。やがて母と汗をかきながら泥だらけになってまいたホウレン草が大きくなって収穫する。そのホウレン草の美味しかったこと。
 『キッザニア』には、そんな汗をかいて働く喜びはありません。畑仕事を手伝うことは当たり前だった子どもの頃と、今の時代は違うけれども、働くとはどういうことなのか。どれだけ大変で、素晴らしいことなのか。それは今も昔も変わりません。お母さんのお手伝いをするだけで、子どもには十分伝わるのです。

2017年1月5日木曜日

花だより 流氷 教育実践発表会

網走鱒浦漁港から眺める斜里岳

【平成20年度 斜里町立朝日小学校 学校便りから】
《教育実践発表会を終えて》 
 「学後知不足 教然後知困」(礼記)
~学問をして初めて知識不足を知り、教えて初めて勉強の難しさを知る~
 国語の「書くこと」を中心に授業公開をしました。参加者からお褒めの言葉をいただきましたが、先生方は、自分の授業を厳しく反省したようです。
 毎日遅くまでどう指導したらよいか、指導案というものを何度も書き直したり、教材の準備をしたり、模擬授業を他の先生に見てもらったりして、本番に臨みましたが、それでも満足のいく授業はなかなかできないものです。
 一緒に参観していたあるお母さんが、「後ろで見ていて、自分も授業を受けている気分になりました。何がよい授業なのか私にはよくわかりませんが、終わった後、いい授業だったかどうか先生方で話し合うのですか?今日は、子供たち以上に先生が緊張していましたね。いつもの参観日とは違っていました。」と言っていました。教師も謙虚さが必要です。先生になっても勉強は続きます。

 

2017年1月4日水曜日

花だより オトメコザクラ クラス会

~平成12年の作品~

【平成19年度 北見市立若松小学校 学校便りから】
《心がホッとステーション》 ~クラス会~ 1月2日 高校時代のクラス会がありました。
  「私たちも半世紀(?)生きてきました。頭が薄くなったり、白くなったり、腹が出てきたり、しわが増えてきましたが、今日は青春時代に戻り、大いに飲んで語り合いましょう!」という幹事の挨拶で始まりました。高校時代写真部だった友人(札幌在住)がわざわざ当時の写真(アルバム3冊)を持ってきました。青春時代との変わり様に絶句したり、当時好きだった人のことを語り出したり、楽しい時を過ごしましたが、すでにおじいちゃん、おばあちゃんになったという人も居たりして、改めて年齢を感じたクラス会でした。若松の子どもたちも何年か後に会ったらどんな話をするのでしょうか? 

2017年1月3日火曜日

花だより スノードロップ やる気の秘密

~平成12年の作品~

【平成20年度 斜里朝日小学校 学校便りから】
 《学力向上対策 「やる気の秘密」》
  自立へ内面を育てよう! (読売新聞「教育ルネッサンス」から)
  梶田叡一氏 (環太平洋大学学長・教育改革国民会議委員・中央教育審議会副会長)
◇子どもたちの意欲の現状をどう見るか?
ゆとり教育推進の時代は、子どもに「好きなときに好きなことをさせるのがよい」という風潮が広がり、誤解があった。昔も今も、教師や親の適切な指導なしに子どもから意欲が自然に出てくることはありえない。指導する側が見通しを持ち、子どもの興味関心を引く教材や固定観念を崩す問いかけなど、あらゆる手立てを講じることが必要である。昔から日本の教育が取り組んできたことを見直す必要がある。
◇学習規律の重要性を見直す
 勉強でも運動でも、秩序感覚が内面に育たないと集中して取り組めない。あいさつや姿勢などの規律は、自分の持つ力や可能性を最大限に発揮するための基本だ。きちんと取り組んではじめて力がつき、自信につながる。
◇動機付けの方法は?何を重視すべきか?
 「面白いから」「大事だから」「やりがいがあるから」もいいが、成長するに従って少しずつ「しなくてはならないから逃げずにやる。」という気概も必要である。戦後こうした姿勢が軽視されがちだったが、与えられた運命や困難に立ち向かうたくまさしを育てたい。
◇その強さはどうしたら育つのか?
 要領よく世の中の成功を目指すだけが目標になるような薄っぺらな教育観ではいけない。子どもが本当に充実した人生を送るために、人間として自立し、自分なりの原理・原則を持って生きていく内面の世界を育てることが大事だ。そのためには、幼い頃からの人間関係で自然に身につける道徳や倫理観、読書体験などが重要である。 

2017年1月2日月曜日

花だより オモト お正月休み

~平成12年の作品~

【平成19年度 斜里朝日小学校 学校便りから】
 《お正月三が日》   北見の東部ダイエー店で「あっ?校長先生だ!」
 ぶらぶらゲームコーナーまで行くと、パチンコ台がピカピカ光っていました。見るとやっているのは大人で「冬のソナタ」が大当たりでした。“100円で150発お正月大サービス”と書いてありました。
 隣があいていたので座ろうととした瞬間。後ろから「校長先生。おめでとうございます。」とあいさつされました。1年生の男の子でした。「校長先生、何しているの?」、「うん!ちょっと。お年玉たくさんもらったから、買い物に来たのかい?無駄遣いしたらダメだよ!」と言うと「校長先生もね!」と言われました。それから、書店をぶらぶらしていると、店頭には「親の品格」「会社の品格」など「○○の品格」という本が多く並べられていました。2006年のベストセラーは「国家の品格」でしたが、2007年は「女性の品格」でした。
 ~本の紹介~  坂東眞理子著 《昭和女子大学学長》
 “品格の一番は、心のこもった「あいさつ」ができること”
 いまや女性の社会進出、活躍が当たり前となった現代の日本。学校や職場でも、優秀で元気なのは女性ばかりです。女性の価値観、果たすべき役割が大きく変化しています。では、古い型の「女らしさ」はもはや求められないのでしょうか?いや、女性上位の時代だからこそ、従来の男性とは異なる価値観、よき女性らしさを、職場や家庭に持ち込んでほしい、と著者は語っています。「礼状が書ける」「約束をきちんと守る」「型どおりの挨拶ができる」「姿勢を正しく保つ」「贅肉をつけない」「人に擦り寄らない」「よいことは隠れてする」「得意料理をもつ」「恋をすぐに打ち明けない」など 
 本書は、ビジネスから装い、話し方、恋愛にいたるまで、女性としての振舞い方を具体的にアドバイス。何げない日常の立居振舞いに、女性の生き方と品位はおのずと表われるものです。学校も女性教師の方が圧倒的に多いので、この本を読んで私も勉強しなければならないと思いました。


2017年1月1日日曜日

花だより 黒松 お正月


【平成17年度 北見市立若松小学校 学校便りから】
 ○▼□元旦ウォッチング○▼□
 昔は、「元旦からお金を使うものではない」と言われたものです。それに元旦はどのお店も休みでしたが、今は大手スーパーの元旦初売り広告チラシが31日の新聞にたくさん入っています。我が家は、「そんな商戦には乗らない。出かけない」と決めていましたが、31日腕時計が電池切れで止まってしまい。元旦早々出かけることになってしまいました。まず、車の多さにビックリ、店内の人の多さにビックリです。店先で小さい子どもが「何見るの?何見るの?」とお母さんに聞いていました。きっと車の中で「いいかい、見るだけだからね。見るだけで何も買わないからね。」とお母さんから言われたのでしょう。あまりの人多さに電池交換だけして早々に帰ってきました。元日から働いている皆さん本当にご苦労様です。
 風邪はひいていませんか?家の中に一日中いませんか?勉強はしていますか?新年のあいさつはきちんとできましたか?
 お正月気分から、早くもとのリズムに戻しましょう。私も飲み過ぎ、食べ過ぎでズボンがきつくなってきました。ただ今、一生懸命雪かきをしてダイエット中です。
 「1年の計は元旦にあり」といわれるように、元旦には今年1年の自分の願いや計画をしっかり持つことが大切です。単なる夢や希望ということではなく、今年はこれだけは絶対やるということを決めるといいでしょう。
 終業式でそれぞれが冬休みや3学期の目標を発表しました。 始業式には、“冬休み体験発表会”があります。どれくらい達成できたか楽しみにしています。