2017年1月23日月曜日

花だより シンビジウム 「学後知不足 教然後知困」

~平成12年の作品~

【平成20年度 斜里町立朝日小学校 校長室便り(進化)より】
 「学後知不足 教然後知困」 教育実践発表会が終わって 
    探求心と自律心 ~研究の成果は、子どもの変容で示す~
 「学後知不足 教然後知困」とは、「学問をして初めて知識不足が分かり、教えて初めて勉強の難しさを知る」という意味です。
 これは幕末北海道開拓に夢と希望を持った榎本武揚が当時の学生のために中国の古典「礼記」から引用したもので、自筆の書が東京農大オホーツクキャンパスに飾られているそうです。
 実践発表会のために教材研究をし、教材を準備し、指導案を何度も書き直して臨んでも、思った通りの授業はなかなか出来ないものです。やればやるほど自分の未熟さを知るのが研究授業です。
 研究の成果は、子どもの変容を示すことが大事です。今学校に求められているのは結果責任です。いくら研究会を開催しても、学力が全国平均を下回っていれば、何のための研究なのかと言われます。
 研究会の最大の成果は、新たな課題が分かるということ。これは今話題になっている「探求活動」に似ています。今回日本人が3人もノーベル賞を受賞しました。これはまさに「探求」の極まりです。
 「学習指導要領の解説書に図を載せない」という話(図が一人歩きする)から3人の助言者(網小佐藤、北見南小平山、北見綠小渋谷先生)と「探求活動」(エンドレス・スパイラル)を図にどう表すか?校長室で議論になりました。「探求」とは探し求めることで、「探究」(探し究める)とは違う。 
《教科と生活・総合の違い》
 (例えば)算数「面積」の学習の場合:正方形→長方形→平行四辺形→三角形→台形→ひし形→円 (教科型系統的な学習プロセス 典型的な「習得」「活用」「探求」型)
 これに対し、生活・総合では、「円の面積はどうすれば求められるのだろう?」から始まる。(課題を見つけ、自分なりの方法で解決していく)これまでの知識や経験をもとに切って貼り合わせて(体験・活動)、平行四辺形や三角形に変化させることで面積が求められることを理解する。さらにこうした考えをもとに扇形の面積はどうすれば求められるか、とか体積は?と発展させるのです。学習は、やりたいと思ったこと「なぜ?どうして?」から始まる場合もあるし、やっているうちに見つかることもあります。  
 これを図に表すことが難しいのは、基本は「習得」→「活用」→「探求」であっても、「探求」→「活用」→「習得」である場合もあるし、また、双方向でもあるし、繰り返されたりするからです。また、一人一人が持っているイメージもそれぞれ違うので平面に書き表すのは非常に難しい。というのが3人の結論でした。
自律と自己評価(「自立」とは「自律」 小室哲哉の挫折)》
 自分を律することのできる人は成功する。伝記に載るような人は、自分を律すること。つまり自己評価のできる人である。と言われています。
 波巌先生は、自律とは、「ド根性カエル」のぴょん吉とひろしの関係だ!と言われた。つまり、ひろしが何かをやろうとすると「ちょっと待てよ」とぴょん吉がひろしを諫めるのです。自己評価とは、客観的に自分を見つめる心を育てることです。
 子供たちに計画を立てさせ、その計画に沿って自分が何をやっているか、どこをどうすればよいのか。何に困っているのか自己評価させること。自己評価しながらやりたい活動を完成させていく。基本は自己評価をどうさせるのか。それさえきちんとできていれば、総合的な学習の時間は、恐れるに足らない。何をやってもよい。子供たちのエネルギーはものすごい。やりたいことが始まったら、徹底的にやる。(ただし、「何をやってもよい」だけが強調され、今回の課題になっています。)
 音楽界の頂点まで登りつめ、名声と莫大なお金を手に入れた小室哲哉が詐欺で逮捕されました。音楽における「探求心」は優れていても、自律心が欠けていたのです。自律心を失ってからの彼の音楽は、大衆から指示されなくなりました。
 探求心は、自律心からうまれるのです。「学後知不足 教然後知困」とはよく言ったものです。自分の授業をきちんと自己評価できないと次のステップには進めないのです。

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