雨が降ってもなぜか子どもは喜ぶ。水たまりがあるとわざわざ入って、ぴちゃぴちゃさせる。傘は雨よけでなく、遊び道具だ。何かないかと決められた通学路から、わざとはずれて歩く。
かつて、子どもを元気にする仕掛けがあったのは、学校ではなく、といって家庭でもなく、学校への行き帰りの道や放課後の地域など、大人の目の届かない場所だったのではないだろうか。
しかし、最近は、GPSを使って子どもが学校帰りに、今どこにいるかの位置情報を親に知らせる機器をランドセルにぶら下げているという。テレビは、その子どもたちが下校する姿を報じていた。それでは、うかうかと道草も寄り道もできない。しかし、犯罪に巻き込まれる恐れのある都会では、仕方のないことなのだろう。
子どもの体の内側には、本来「元気」のモトがあって、その「元気」を磨く場所が、大人の目から解き放たれた自由な空間、道や空き地、広場や建物の陰だったという気がする。しかし今、子どもの安全が守られる場は唯一学校だけになってしまったのかもしれまない。
しかし、学校という狭い空間の中で、子どもの「元気」をどう育てるのか。そのカギを握っているのは先生であり、その先生の経営する学級だ。元気は伝染するもので、生き生きと元気いっぱいの人のそばにいると、何となくその人の「元気のモト」のようなもので、こちらの身体や心に移ってくる。ところが、最近の先生は授業以外の雑用に追われ、子どもの仲間になる時間が持てないでいる。先生が元気印でいられるような学校にするためにも、働き方改革に期待したい。
夏の石北大通り公園
0 件のコメント:
コメントを投稿