2019年10月31日木曜日

花だより 有田和正先生の講演 オケラ ハロウィーンカボチャ

  有田和正先生の講演  管内生活科・総合研究大会(網走市立潮見小学校会場)
 私が会長を務める研究団体の研究大会の講師に有田先生をお呼びしました。
~向山洋一氏、野口芳宏氏、そして有田和正氏は、おそらく不世出の3名人と呼ばれています。およそ、授業の名人は、片々の技術に多くの目が注がれがちですが、実のところ、その本質は、その人の生き方そのものにある気がします。いわば人生観であり、そこに、教師として同じ志を共有したい、同じ道を歩みたいと強く心惹かれてやまないのです。だからこそ、名人と称され、師とあおぐのです。~と言う人たちがいます。
 事実、有田先生が網走に来るというので遠くは比布や中標津からも参加者がありました。“おっかけ”ファンがいるのです。
“「追究の鬼」を育てる” 1999年に愛知教育大学退官後も日本の教育に携わり、現在は、教材・授業開発研究所代表、東北福祉大学子ども科学部特任教授を勤めています。
 《有田先生の有田先生たる代表的な語録を紹介します。》
◎追究の鬼を育てる。「教材開発」「授業のネタ」「はてな?」などの言葉を教育界でメジャーにしたのは、まぎれもなく有田先生です。有田先生の「はてな?帳」の実践は、よく知られているところです。
子どもは好奇心の固まりである。その好奇心を心地よく揺さぶり、育て、追究することの面白さを充分に体得させていくことで、子どもは追究し続ける。それにしても、「鬼」を育てるのですから、その指導力たるや並ではありません。有田先生の優れた指導を持ってして、初めて子どもは「追究の鬼」と化すのです。
◎授業は布石の連続である。「布石の連続」とは、毎日の一時間一時間の授業をきちんと行い、子どもに着実に力を付けていくということです。「布石」とは、囲碁から生まれた言葉であるが、布石があると、腕は確実に上達していくのです。授業もまた然りで、計画的・継続的にその時その時の基礎となるものをきちんと指導し、鍛えていくことが肝要なのです。
◎スイカはおいしいところから食べる。授業もまた同じ。スイカを食べるとき、端から食べる人がいるだろうか。大抵、まん中からガブリと食べる。有田先生は、授業もまたそれと同じであると言う。おいしいところをドーンと与えるからこそ、子どもは食いつき、熱中し、追究し続け、満足感を味わうのです。
◎材料七分に腕三分 授業は、教材の質にあると言う。質が悪ければ、子どもは全く食欲をそそられない。常に新鮮なネタを用意し、それを料理し、発問を工夫することで子どもは熱中して学びの虜となるのです。
◎知識は眼鏡である。知識がなければ物は見えない。昨今、基礎基本の重視が強く叫ばれていますが、有田先生は、ご自身が現場で教壇に立たれているときから、このことを実践の中で終始言い続けていました。基礎的な知識がなければ、いつまでたっても「何も見えず」のままなのです。
◎一時間で一回も笑いのない授業をした教師は逮捕する。有田先生は、常にユーモアのセンスを磨くことを教師修行・人間修行のひとつとして実践されてきました。一番大事なユーモアは、「笑うこと」だと言い切っておられます。 笑えるということは、面白いことを理解できる大事な能力なのです。 上記の言葉も、ユーモアを交えて我々教師へそのことを教えてくれています。
◎努力は人に見せるものではない。一流と言われる人は、みなそうです。有田先生は、今でもこの姿勢を貫かれている。有田先生の魅力の中枢は、実はこの人生観にあるのです。
◎鉛筆の先から煙が出るスピードで書きなさい。ノートは、学習を支える大切な道具。ノートは第2の脳みそだ。ノートがぐちゃぐちゃな子は、頭の中の整理もできていない。これじゃ賢くなれるわけがない。
 平成9年管内生活科研究大会(三輪小学校)に有田先生をお呼びしたことがあります。今回で2度目になりますが、管内は通算4度目になるそうです。有田先生は77歳になられましたが、お元気で、前日の懇親会でもよく食べ、よく飲み、よく語っていました。当日は、午後からの講演でしたので12時40分までに会場に来られる予定でしたが、時間になってもきませんでした。ホテルを出て、午前中に網走の監獄博物館とガラス工芸館、講演のネタ探しに地元のスーパーを回って来たというのです。旺盛な探求心と行動力は、まだまだ健在です。
 「有田先生は、講演でいつも同じことを言いますがなぜですか?」と質問した先生がいました。それに対して「プロ野球の選手でも、キャッチボールからはじめます。プロでも基礎基本は、大事なのです。大事なことは繰り返さないといけないのです。基礎基本(教師としての心構え)を疎かにするとよい教育はできません。」と答えました。
 新卒のK先生もこの研究会に参加しました。「あのおじいさんただ者じゃない!」と言いました。


2019年10月30日水曜日

花だより 学芸会 オギナタコウジュ カボチャ


  学芸会 テーマ “笑顔と感動が輝く ステージに!”
学芸会の1週間前「校長先生、これ、見て!」と見せられたのは、書き込みがいっぱいしてあるボロボロになった楽譜でした。
 学校の練習だけでは、こんなにボロボロになるはずがありません。きっと休み時間も家に帰ってからも練習したのでしょう。「もっともっと練習しないとダメなんだ。」と言っていましたので、本番の楽譜はどうなっているのでしょうか?
 盛大な拍手 一生懸命練習した学芸会です。精いっぱいの演技、演奏を披露します。演技の出来映えは、拍手の大きさで分かります。
 「おじいちゃんとおばあちゃんが見に来るんだよ。」と楽しみにしている子もいました。遠くにいるおじいちゃんやおばあちゃんは、特にお孫さんの学芸会を楽しみしているのではないでしょうか?
 晴れの舞台を見てから、また、終わって家に戻ってから、お子さんの演技や演奏を振り返り、学芸会を話題に家族団らんの時間を過ごすと学芸会が二度楽しめます。また、校内では子どもたちの作品を展示していますので、こちらも是非鑑賞していただき、感想をお子さんに話して上げてください。






2019年10月29日火曜日

花だより 大学の史学で学んだこと ツルウメモドキ

長方形?or円?
 ある人は、「これは長方形だ。」と言い、ある人は、「円だ。」と言う。円柱を真横から見るか、真上から見るかによって、物の見え方が変わってくる。
 大学では日本史を専攻したので一応中学と高校と社会科の教員免許を持っている。日本史の担当教官の最初の講義が印象的で今も覚えている。文献史学の資料となる文献のほとんどは権力者側から書かれたものである。そこに書かれてあるものが全て史実であるとは限らない。その資料の信ぴょう性の検証、別な資料との比較、考古学からの裏付けが必要で、一つの資料だけで判断してはいけない。史学は学問である。歴史にロマンを求めるなら歴史小説を読んでいればいい。
横から見て、上から見て円柱と分かっても、底を見たら、穴があいているかもしれないし、全体的に汚れが付いている場合もある。さまざまな角度から考察していくのが歴史学である。これは教師になってから、子どもたちの見取り(児童理解)に大きく役立った。
 退職したらゆっくり本棚の整理をしようと思っていた。百科事典をはじめ、40年も前の専門書が棚を占拠している。今の時代、調べ物はスマホで済む。本を開くことはまずない。思い切ってすべて処分することにした。しかし、スマホで検索して、画面の最初に出てくるものがベストかというとそうでもないだろう?怪しいのもある。どんなに時代は変わっても物の見方は変えてはいけない。
  保護者からクレームあった場合、校長は、情報収集をして事実確認を行い、それに基づいて判断する。それにプラス速やかな対応が求められる。ほとんどは、我が子の言うことを鵜呑みにしているケースで、担任や子どもから事情聴取すると事実は異なることが多い。しかし、たとえ学校に否がなかったとしても、また、理不尽な要求でも、その対応は慎重にしなければならない。そこが学問との違いである。
 今、日本と韓国の関係がぎくしゃくしている。歴史認識の違いである。長方形でも円でもなく、円柱だけど底に穴があいていること、最近汚れが付いたことを冷静になって判断しなければならない。


2019年10月28日月曜日

花だより 保護者への上から目線を改めよう センブリ

   保護者への上から目線を改めよう
 ≪保護者に不満を持つ教師≫
 「みんな同じように指導しているのに、『先生はうちの子だけ叱る』と自分の子どものいうことを鵜呑みにして一方的に苦情を言う親がいる。」こんな相談をよく受けます。確かに保護者の中には、教師の考えを聞こうとせず一方的にクレームを付けたり、教師を困惑させたりする人がいます。
 そういう保護者には、大きく二つの傾向があります。
一つは、学校の出来事をわが子にとって都合の良いように考えてしまう保護者です。教師の意見よりもわが子の言うことを優先する自己中心的な考え方です。
二つめは、「成績が伸びないのは教師の指導に問題がある」というように、自分の子どものマイナス面を教師のせいだとする傾向です。しかも、それを攻撃的な口調や態度で表現する人もいます。
 ≪教師も自分を見直すべきではないか≫
 子どもの健やかな成長を願うのは、教師も親も同じなのに互いに相手を責めていては何も好転しません。保護者に対して腹立たしく感じることがあっても、まずは一呼吸おくことです。その後で、そうした保護者の言動を招いた原因が教師になかったかを反省すべきです。
 保護者の態度を批判する教師がいます。これは相手も同じです。「先生は、期待する教育をしてくれない。」と考える保護者も多いはずで、お互いさまなのです。両者が、率直に話し合える関係づくりが先決です。
 まずは教師が保護者に対して、
① 専門的態度~教師は教育の専門家、子どもの教育は教師に任せておくべき、保護者はあれこれ口出ししないで黙っていればいいという態度
② 独善的態度~教師は子どものために仕事をしている。保護者は教師のやっていることに協力するのは当然だとする自己中心的態度
③ 権力的態度~言葉の語尾を上げて「教えてやっている」と相手を見下ろすように、いかにも偉そうだったり、脅迫的であったり、威張った態度
 以上のような態度で保護者に接してこなかったか、問い直すことが大切です。
また、トラブルを避けたいという気持ちから、保護者の要求を全て受け入れてしまう態度は、教師として無責任であり、結局は保護者を軽く見ていることになります。
教師はこのような「上から目線の態度」で接している限り、保護者からの信頼を得ることはできません。無意識のうちに、こうした態度に陥っていないか、教師は自らを問い直すべきです。その上で、保護者と共に自由に意見交換できる対等な協力関係をつくって、教育を進めたいものです。  

2019年10月27日日曜日

花だより 「指導が入る」とは? ヨメナ シイタケ

「指導が入る」とは? 教育専門用語
*しどう【指導】 ある目的に向かって教え導くこと(『広辞苑』第5版岩波書店)
 ~学校では「指導する」とは言わないで、「指導が入る」と言う?~
 生徒指導の先生がよく使うのが、「指導が入った」「指導が入る」という言葉です。通常の会話では、単に「指導する」と言いますが、あえて「指導が入る」と言うには意味があります。
 ≪指導が「入る」とは?≫
 「指導が入る」というのは、教師が指導をした結果、児童生徒が十分な反省をし、教師にとって望ましい行動変容がみられることを含意する言葉なのです。
 「指導が入った」とは、どういう状態を指すのでしょうか。
 指導する目的は、児童生徒を本人や周りが困っている状態から、本人も周囲も望ましいと考える方向へと導くことです。その際、教師からの強い指導(威嚇的な叱責等)によって、児童生徒が怯えやその場しのぎのために、一時的に行動を改善させた(見えるようにした)場合には、「指導が入った」とは言いません。指導とは、児童生徒自身の気づきを促し、自ら適切に判断し、行動する力を育むことだと考えられているからです。したがって、児童生徒が指導内容をしっかりと理解し受け入れ、自ら反省し行動を改め場合に、はじめて、「指導が入った」と言うのです。
 ≪「指導が入る」ためには≫
 問題行動を起こした児童生徒が、納得・反省という意味で指導を受け入れることが「指導が入る」ことです。叱る指導を受け入れられるかどうかは、教師と児童生徒との信頼関係によるところが大きいのです。
 「指導が入る」ことをイメージでたとえると、受け入れる側の児童生徒が自身の心のコップを上に向けることです。そのコップに指導によって水(説諭)が注がれ、水が溜まっていくことで自分の心の中で反省することが可能になります。心のコップが下を向いたままで指導すると、水ははじかれ周りに飛び散ります。これではいくら丁寧に話をしても指導は入りません。コップの向きがどちらかが、教師と児相生徒の関係性の表れだと考えられることができます。
  

2019年10月26日土曜日

花だより カーネルおじさんはすごい人だった シシャモ モヨウビュ

  子どもたちに伝えたい話
ケンタッキーフライドチキンをつくったカーネルおじさんはすごい人だった
 ~不撓不屈の精神を学ぶ~
 ケンタッキーフライドチキン店の店先には必ず白いスーツ姿の白ヒゲのおじさんのオブジェが立っていますが、あの人が世界初の「フライチャイズ」のビジネスモデルを考案したカーネル・サンダースさんです。
10歳のころから農場に働きに出るようになり、14歳の時に学校をやめ、農場での労働のほか、市電の車掌としても働いていました。16歳で軍隊に入り、その後、機関車修理工、保険の外交員、セールスマンなどの職を経て、30歳後半にガソリンスタンドの経営を始めます。その一角に小さなレストラン「サンダース・カフェ」をオープンして繁盛していました。ところが65歳の時、近くにハイウェイが通ることになって、閉店を余儀なくされ、ほとんどの資産を失ってしまいます。
 しかし、彼はここから再起を図り、自分の持っているものの中で、世の中の役に立ちそうなものを考えました。そして、自分のレストランで好評だったチキンのレシピを売ることを思いつきます。カーネルおじさんは、町のレストランを行き、そのアイディアを説明して回りました。ところが店の人は、「じいさん、とっとと帰りな!」、でも、カーネルおじさんはあきらめませんでした。1009回断られ、1010軒目でようやくOKがもらえたのです。そして、世界中でフライドチキンが食べられるようになったのです。まさに挑戦だらけの人生でした。いつかきっと努力が実を結ぶときがくるはずです。
 若者が就職先を選ぶときの条件として、休みが取れる。仕事とプライベートを分ける。自由な雰囲気のある職場がいい。そんな若者にカーネルおじさんの話をしても心に響くかどうか???
 私は来年65歳を迎えます。カーネルおじさんを見習いたいと思っています。

2019年10月25日金曜日

花だより 美しい人をつくる所作 クリ ダンギク


  自然な振る舞いの中に気品を感じる人がいます。
「気品がある人は?」真っ先に思いついたのが女優の吉永小百合さんです。
品格・気品とは、育ちや環境の中で身に付いた自然な所作や雰囲気が作り出すもので、真似をしたところでそう簡単に品格が身に付くわけではありません。
所作とは、行い、振る舞い、身のこなし、しぐさのことをいいます。
 まずは、気品のある美しい所作を身に付けたいと思う人になりたいものです。

 美しい人をつくる所作の基本
     心を整えるためにまず自らの所作を整える

        「禅と所作の基本より」  枡野 俊明 著
一 良い所作は良い縁をもたらす
一 イライラしている人に美しい所作の人はいない
一 便利さや効率ばかり追い求めると美しさから離れる
一 日常の全ての動作を疎かにすると心が乱れる
一 姿勢を整えると仕事も健康もいいことだらけ
一 手の所作は心のあらわれ
一 人物判断は足元をチェックされる
一 ゆっくり季節を感じながら歩く
一 箸や器を大切に使えば所作は自然と身につく
一 着ている物はあなたの心をあらわす
一 華道の心を知り 花を飾る
一 過去のことを悔やまない 将来のことを不安に思わない
一 あいさつの力を知る
一 美しい文字を書く
一 感謝は感じたときにすぐ伝える
一 感謝は手紙であらわす
一 もてなしとは もてなす側ともてなされる側 両方の力量が問われる
一 分け隔てをせず どんな人にも敬意を持って接する
  所作を磨くと心も体も人生も輝く


2019年10月24日木曜日

花だより 学校の先生は?先生なのに、先生のくせに カッコウアザミ 秋サケ

 
 ▼△▼学校の先生は?先生なのに、先生のくせに▼△▼
 先生なのに世間知らず、学校や教員に対する保護者の本音は、残念ながらあまり良いとは言えません。
 上手な保護者対応は「聴く」ことから始まる保護者との良好な関係づくり 
 関係をもつれさせたい保護者はいないはずです。保護者の不満が蓄積して理不尽な要求となっていきます。
①「要望」→②「要求」→③「クレーム(苦情)」→④「理不尽な要求」とエスカレートしていきます。①、②の段階でいかにうまく対応するかが大切です。
  「聴く」ことから始まる保護者との関係づくり
(1)保護者の言葉を遮らないで最後まで聴く
 「わかってもらえた」「受け止めてくれた」と感じてもらうことが重要 
 ① 問題点は何なのか、何を不安や不満に思っているのか明確にする。
 ② 対応が困難なものは、ハッキリと理由を説明しながら曖昧にしない。
(2)あいづちをうつことで「聴いている」「理解している」という信号になる。
 ① 面談中はメモを取らない。 
 ② 次回のアポイントメントを確認する。
(3)否定を避ける ~「けど」「でも」「しかし」は要注意
 ① 反感を抱かれるような話し方をしない。 
 ② 相手を尊重し、受け止めてから、話す。
  *対応に困ったときは、同僚や管理職に助けを求める。一人で悩まないことです。


2019年10月23日水曜日

花だより 学校・教育委員会等向け虐待対応の手引 シコンボタン ビート


   虐待通報が急増!
 「学校・教育委員会等向け虐待対応の手引」から

                文部科学省初等中等教育局児童生徒課
≪日頃の観察から通告まで≫
 日ごろの観察から通告までについて、DV問題、家庭への留意や、教員個人ではなく学校組織として早期に対応すること、関係機関との連携などチームとしての対応の必要性について解説しているほか、学校は守秘義務違反や刑事上の責任を気にしてためらうことなく通告することの重要性を解説しています。
 学校・教職員は虐待を発見しやすい立場にあることを自覚した上で虐待の早期発見に努めなければなりません。子どもや保護者、状況をめぐる「何か変だ」という異変や違和感を見逃さないことが重要です。
 また、虐待事案は通告者として児童相談所、市町村(教育委員会・虐待対応担当課*北見市は「子ども支援課」)だけでなく、警察、医療機関など複数の関係機関と情報を共有しつつ連携して対応することが重要であり、学校がそれらの専門的機関と連携して対応するには、初期段階からの管理職のリーダーシップのもと、組織として対応することが重要です。
 なお、通告の判断に当たっては、*虐待の有無を判断するのは児童相談所等の専門機関であることを踏まえ、確証がなくても子どもの安全を最優先に考えることが必要です。児童虐待防止法の趣旨に基づく通告であれば、それが結果として誤りであったとしても、刑事上、民事上の責任を問われることは基本的に想定されていません。
≪通告後の対応≫
 通告後の対応として、通告後48時間以内の児童相談所の安全確認等に対する協力や一時保護所に保護された子どもの留意点について説明しています。要対協(北見では実務者会議)への参画や進行管理台帳に登録された子どもの出欠状況等の情報提供を行い、7日以上欠席した場合には速やかに関係機関に情報提供するよう求めています。
通告後は、児童相談所等による「安全確認」や「情報収集」、必要に応じて一時保護などが行われるところ、一連の流れの中で児童相談所等から学校・教育委員会に対し、個別の協力要請がくることもあります。
 ≪子ども保護者との関わり方等≫
 虐待を受けた子どもへの関わりとして、学校で安心して過ごせるよう心のケアの配慮について解説しています。
 また、野田市事案でも課題にあった保護者からの要求に対しては、学校はチームで対応し、「親権」を理由とした威圧的な態度に対しても毅然とした対応の重要性や保護者からの学校に対し虐待の認知の端緒や経緯の開示請求があっても情報を漏らさず、それが個人情報保護条例等に基づく請求であっても、子どもの生命または身体に支障が生じるおそれ、子どもの権利利益を侵害する恐れがないかどうか等をよく検討する必要があります。
 さらに、転校、進学時には学校間の情報を確実な引継ぎを行うことも必要です。転出元進学元の学校は指導要録や健康診断票、虐待に係る記録の文書の写しを確実に引き継ぐとともに、教育的観点から対面、電話連絡などを通じて新しい学校に必要な情報を適切に伝えることが重要です。
 学校・教育委員会等では、実際の対応の際はもとより、研修の実施に当たっても、手引を是非活用していただきたい。
 
 児童虐待の定義(4種類に分類) *厚生労働省
身体的虐待  殴る、蹴る、投げ落とす、激しく揺さぶる、やけどを負わせる、溺れさせる、首を絞める、縄などにより一室に拘束するなど
性的虐待  子どもへの性的行為、性的行為を見せる、性器を触る又は触らせる、ポルノグラフィの被写体にする など
ネグレクト  家に閉じ込める、食事を与えない、ひどく不潔、自動車の中に放置する、重い病気になっても病院に連れて行かない など
心理的虐待  言葉による脅し、無視、きょうだい間での差別的扱い、子どもの目の前で家族に対して暴力をふるう(DV)など

ビートの収穫最盛期

2019年10月22日火曜日

花だより 授業不成立は教師不信 アキチョウジ 柿


 授業不成立は教師不信
   新卒の下手な授業でも学力テストでなぜか高成績?
 せっかく念願の教師になったにもかかわらず。学級経営がうまくいかず、心の病にかかってしまう先生がいます。
 授業が成立しない原因のほとんどは、教師不信が根っこにあります。つまり、授業が成立する第一条件は、子どもから好かれなければならないということです。
どんなに教材研究をして授業に臨んでも、子どもから嫌われている教師の授業は、発表を求めても反応がなく、教師の説明に集中しない。そして、それを補おうとして宿題を出しても提出率は悪い。すると担任は子どもたちを叱責するようになり、さらに悪循環になり学級崩壊となっていきます。
 教師が子どもに好かれ、信頼されていれば、多少授業が下手でも子どもはついてきます。つまり、教師にとって授業技術や教材理解以前に「人格的力量」が大切だということです。ベテラン教師より授業技術の劣る新卒の教師が1年目から学級担任ができるのも、これを期待してのことです。しかし、新卒が皆好かれるかと言えば、そうではありません。「人格的力量」は先天的に備えた資質なように思います。犬嫌いな人には吠えるが、犬好きの人のところにはしっぽを振って寄っていくといいます。子どもにもそうした本能的な能力が備わっていて、感覚的に教師を見極めているのです。しかし、そうしたセンスを持っている者しか教師にはなれないのでしょうか?
 ≪子どもに好かれ信頼されるには≫
(1) ひいきしない(2)時間のけじめをつける(3)上手にほめる(4)子どもの話を受容的に聞く
 これは、授業だけでなく、子どもとかかわる全ての場面で求められる教師の基本姿勢です。教員採用試験に合格したから、教師になったわけではなく、教師になる資格を得たと思うべきでしょう。



2019年10月20日日曜日

花だより フットボール(サッカー)とラグビーの違い アキノキリンソウ


 フットボール(サッカー)とラグビー
 いずれもイングランド生まれで、足を使うボールゲームである。ただし世界中に伝播していく過程において、フットボール(サッカー)の文化は徐々に変貌していった。
 南米のサッカーでは、接触プレーがあると大袈裟に痛がってファウルをもらおうとする。選手どうしの罵り合いや小競り合いも日常茶飯事で、審判の判定にもいちいち文句を付ける。サポーターも、相手選手や審判を口汚く罵ってプレッシャーをかける。人種差別的な言動も少なくない。結果のためには手段を選ばない。日本では考えられないことだが、負けると暴動にまで発展することがある。(*日本のサッカーは、決してそうではない。)
 ラグビーのフェアな精神
 一方、ラグビーは身長2m前後、体重100kgを超える巨漢が何の防具も付けずフルパワーでぶつかり合うが、倒れても痛そうな素振りなど全く見せず、すぐに立ち上がってプレーを続ける。
 試合中、選手たちがもみ合うことは極めて稀で、微妙なプレーで審判から不利な判定を受けても抗議などしない。試合後は文字通りの「ノーサイド」で、花道を作って健闘を称え合う姿は実に美しい。
 サポーターも、審判や相手選手を罵倒したりブーイングを浴びせたりせず、試合後は相手サポーターと笑顔で交歓する。サッカーの常識からすると、ありえないことばかりだ。スポーツとしてどちらがよりフェアかは、言うまでもない。
 武士道とラグビー
「ラグビーは紳士がやる野蛮なスポーツで、サッカーは野蛮人がやる紳士的なスポーツ」と言われる。ヨーロッパでは、ラグビーは主としてインテリが愛好し、サッカーは大衆のスポーツと見なされる傾向が今も残る。
 武士道の伝統があり、幼い頃から他者に敬意を持つことを美徳としている日本人は、本質的に審判や相手選手への敬意がより深いラグビーに共感するはずである。
熱狂の源は勝利だけではない精神性にある。
 今回のラグビーW杯で、日本人はただ単に日本代表が勝ち進んでいるから熱狂しているわけではない。さくらジャパンは、6カ国の出身地を持つ選手たちであるが、完璧に融合している。一致団結して巨大な力を発揮する「ワンチーム」の一体感に涙を流し、深い感動を覚えている。さらにはラグビーの哲学、文化に魅了されているのだろう。
 ラグビーは、体格に劣る日本人には不向きだと思っていたが、日本人の精神性には向いているスポーツだと認識した。

2019年10月19日土曜日

花だより ネット社会での学校の危機管理 オオケダテ

ネット社会での学校の危機管理
 いま私たちは、たくさんのデジタル機器に囲まれ、スマートフォンを体の一部のように生活しています。このようなネット社会では、新たな危機管理が必要です。
 ≪ネット社会での危機管理≫
 ネット社会では、誰かの極端な意見やちょっと口を滑らした失言に敏感に反応し、不謹慎、非常識、無神経だと声が上がり、あっという間に非難・炎上します。その一方で、多くの人たちは自分で考えることをせずに、すぐスマホで検索して、そこに集まる大多数の意見に影響されます。これは一見、個性的な考えに見えて、みんな同じようなことを言っています。そして、本当に真実なのか、因果関係があるのか、道理にかなっているかなど怪しく思われることがあります。
 一例を挙げれば、いじめの問題です。今は、いじめ問題イコール学校と教育委員会が「おかしい」という論調が主流です。学校には、「隠ぺい」的体質がある、教室は「密室」だから何が起こっているかわからない。何か事が起こるとすぐ学校批判です。さらに状況がこじれはじめると、「(学校は)逃げる」、そして担任は「辞めろ」と進退問題にエスカレートします。
 ネット社会の特性として、それぞれが自分の考えをもって行動するのではなく、組み立てられたパターンに従っているところがあります。そして、個人の直接的な利害に結びつかなければ無関心なのに「~であるべき」と評論するのが特徴です。学校で発生する危機は、オーバーに宣伝され、その火消しに終始しなければならないのです。
 これからの危機管理意識で重要なことは対応の迅速さです。どの学校も「ホウ・レン・ソウ」で対応に当たるでしょうが、そればネット時代のスピードに即応していない可能性があります。いじめ問題で考えるならば、初動対応で後れを取らないことです。また、情報の真偽をよく見極め、的を射た対処が必要になります。
≪だれの責任なのか 誰がリスクを引き受けるか≫
 ネット社会は、私たちの日常生活を急変させました。ところがキャッシュレス、ペーパーレスの時代なのに、学校は相変わらずアナログ的な教師の「手仕事」による管理及び処理を行っています。
集金は集金袋、家庭との連絡は「おたより帳」、学習内容や持ち物などを知らせるため、毎日数枚のプリントを渡します。プリントの中には、子どもの情報を記入させて回収するものなど、個人情報がそのまま載っています。学校現場ではありふれた光景ですが、これはかなりのリスクを伴っています。現金が教室にあったり、個人情報が身近に置かれていること自体が問題で、何か事が起こったら、そこに遡って危機管理が問われます。
 情報化社会の中で、置いてけぼりにされた感のある学校現場にネットシステムを導入しようと思えば決してできないことではありません。集金は、銀行口座やネット銀行、学校からの連絡はメール配信、個人情報はクラウドシステムへ、そうすれば教師たちの紙ベースの膨大な事務処理は大幅に軽減され、必然的に教育の質がアップするはずです。
 しかしながら、それは机上の空論に近く、学校の特殊性を踏まえて考えれば様々な壁にぶち当たります。一口に集金と言っても、教材費、赤い羽根、緑の羽根などの募金、PTA会費など、勧進元が多方面にわたります。いろいろな経緯があってアバウトに学校・教師に「おまかせ」の状態なのです。まずはそこを整理しなければネットシステムはかえって煩雑になってしまいます。
 学校は担任を窓口とする仕事が多すぎること、そして職員室という一つの部屋で指導案や成績処理、文書作成、備品営繕、その他の物品管理などなど多種多様な仕事をこなしているという学校独自の特殊性があります。「学校は遅れている、だからネット導入だ」ではなく、学校、家庭、各関係機関の責任をより明確にし、線引きした上でのネット利用が望まれます。
 ≪新学習指導要領の実施のもとで≫
 新学習指導要領の実施の時期を迎えています。「社会に開かれた教育課程」と銘打ち、カリキュラムをマネジメントして、そこにプログラミング教育、小学校では英語、そして、現代的諸課題への対応、スピードを増しているネット社会の変化に応えるべく多様な内容など、働き方改革に逆行するかのように新たな取り組みが求められています。
一体これをいつ、どこでやるのか。いまだって子どもたちは、ガチガチに組まれた分刻みの日課表のもと、休み時間も各学校独自の「○○タイム」で実質つぶされることが多いため、一日を終えると高学年はクタクタです。新学習指導要領は「学習内容の削減は行わない」と明言し、内容もより高度になっています。現在の状況にさらに新しい活動が盛り込まれれば、ますます息が詰まってしまいます。
 しかし、そんな姿を知ってか知らずか、ネット上では、アメリカの学習プログラムを見よ、フィンランドメソッドを見習い子ども主体の授業を、などと優れた授業サンプルが提示されています。しかし、ここは日本です。それぞれのお国の事業と学校への期待が違うのです。
 一例を挙げれば、学校行事にこれほど準備時間を費やす国はありません。他の国でも運動会や遠足、修学旅行などはありますが、原則として自由参加です。また、いわゆる集団行動という発想そのものが無いのです。教師たちが声をからして訓練する整列や全体行進、さらに組体操を外国の人たちが見たらどう感じるでしょう。
 子どもたちにいま必要なのは、メンタルヘルスであり、ホッとした時間を与える心身の均衡をとることです。ネット社会はどこまでも速い・簡単・便利を追求しますが、その代償として私たちは常に忙しく慌ただしく暮らさなければなりません。したがって、教師は、子どもの学習意欲を鼓舞する一方でストレスマネジメントに心を砕かなければならいのです。
 また、学校における最も急務の課題は、学校行事の精選・削減であり、小学校のクラブのような教科・領域に属さないものは、いままでの習慣にとらわれず思い切って止めるべきです。かつて学校の「スリム化」、最近は「断捨離」などと言われますが、まだまだ足踏み状態です。
 新教育課程の中で、こうした取り組みがまさに「子どもたちを守る」という危機管理の基本として考えるべきです。

2019年10月18日金曜日

花だより ラグビー漫画への期待 ホトトギス

   ラグビー漫画への期待
 サッカーブームの火付け役は、漫画「キャプテン翼」だったそうです。野球は「巨人の星」など多くの人気アニメが制作されています。バレーボールは「アタック№1」、テニスは「エースをねらえ!」、バスケットボールやゴルフも漫画やアニメ番組がありました。「柔道一直線」というドラマもあって、子どものころ夢中になって見ていました。
 ラグビーのプロ化が検討されているようですが、にわかブームに終わらないためには、ラグビー漫画の登場が待たれます。
 10月16日、今年の北海道の教員採用試験の合格発表がありました。倍率が3倍くらいないと優秀な人材は確保できないというデータがあるそうですが、教員はブラック職業で人気がなく、今年の小学校教員の倍率は1.7倍でした。
 私が教員になったころ、テレビで水谷豊主演の「熱中時代」、武田鉄矢の「金八先生」などの熱血教師のドラマがありました。そういえば最近こうしたドラマが無くなりました。
 ドラマが時代を変えるのか、時代がドラマを生むのか
 多様化の時代で、テレビの視聴率は下がり、ネットやYouTubeで情報を得る時代になりました。漫画やアニメの影響力がどれほどかわかりませんが、起死回生のドラマの登場を期待します。(他力本願で情けない話ですが、教員の不祥事が続いているので…)

2019年10月17日木曜日

花だより 自ら考え、自ら判断し、行動する ナナカマド フジバカマ


自ら考え、自ら判断し、行動する
 最近の教育のキーワードです。知識の詰め込み教育の反省から生まれたものですが、自ら考え、自ら判断し、行動するためには、その精度を上げるためには豊富な知識と経験が必要です。
 小学校低学年の生活科のねらいは「自立の基礎を養う」です。その学習の中心は、自ら課題を見つけ探究する能力をさまざまな体験を通して学んでいくものです。小学生が正しく判断し、行動できれば学校に通う必要はありません。
 最近のクイズ番組を見ていると現役の東大生が出ています。圧倒的な知識量と推察能力に驚かされます。彼らは、知識が豊富だけで、自ら判断し、行動する能力は低いのでしょうか? 
「みんなちがって それでいい」の履き違い  
 学校に理不尽な要求をしてくるいわゆるクレーマーの保護者も自ら考え、判断して電話をかけてきます。そんな人は必ず「私の言っていること、間違っていますか?」と言います。こうした親が増えてくると、これまでの教育の弊害のように思えてなりません。
個性を大切にする教育が叫ばれるようになりましたが、個性を履き違いしている人も多いようです。
「個性」~よく使う言葉ですが、その意味は深く、なかなか簡単に説明するのは難しい言葉です。しかし、わざと奇抜なことをしたり、人と違った行動をするなどの目立つ行動は、見栄や虚栄心であり、個性ではありません。
子どもだと「その考えは違うよ!」と指導することは簡単ですが、40過ぎの親に間違いを指摘し、改めてもらうのはなかなか難しいものです。そして、その親に育てられた子どもの考えも親の影響を色濃く受けている場合が多いのです。このような家族からのクレームに対応する学校の先生は大変です。
「望ましい保護者対応について」等の特集をする教育雑誌も増えました。そこには、粘り強く、ていねいに時間をかけて取り組まなければならないと書かれてありますが、働き方改革が進行しているときに、保護者対応は本務なのか?これを何とかしてほしいという現場の声は少なくありません。
 これから学校へのクレームは間違いなく増えます。クレームに対応する弁護士等の専門家が教育委員会に居れば学校は助かるのではないかと思います。
ネットで「学校のクレーム対応」を検索すると~場合によっては警察や行政、さらには弁護士などの専門家に相談することを躊躇してはいけません。~とありました。
 学校は、自ら正しく考え、自ら正しく判断し、正しい行動ができるように、正しい知識と経験をさせるべきです。



2019年10月16日水曜日

花だより 台風とラグビーワールドカップ ヒヨドリバナ


台風とラグビーワールドカップ
 10月13日(日) 各地で大雨被害をもたらした大型の台風19号、大規模な洪水被害の映像に一日中目を奪われていました。そんな日の夜、ラグビーワールドカップ日本対スコットランドの決勝ラウンド進出を決める大事な試合が行われ、翌日の新聞一面は、台風の被害とラグビー「日本勝利!」の大文字が躍りました。
 ルールも知らないにわかラグビーファンが増えました。巨漢な外国人選手に果敢にタックルする日本の選手たちに、観客は熱狂し、魅了されるのはよくわかります。試合後にトライを決めた選手のヒーローインタビューでは、台風の被害に遭われた方々へのお見舞いの言葉がありました。激しいスポーツであるにもかかわらず、実に紳士的なスポーツであることを知りました。このラグビー熱が一時的なブームで終わらないことを願うばかりです。
 同じ日、サッカーの北海道コンサドーレも決勝進出を決める試合に勝利しました。バレーボールもワールドカップが開催され日本は検討しています。プロ野球では、巨人とソフトバンクが日本シリーズの進出を決めましたが、すっかり影が薄くなってしまいました。
 しかし、ラグビーに浮かれていてはいけません。
10月12日(土)から、テレビは台風19号が数十年に一度あるかないかの大型であることから、テレビ各社は一斉に外出を控え、河川の近くに近寄らないで早めの避難を呼びかけていました。
 北海道に住む我々には、台風の恐ろしさの実感は正直ありません。しかし、近年は地球温暖化のせいなのでしょうか、北海道は大丈夫というこれまでの常識は通用しなくなりました。
 吹雪になると学校は臨休になり、外出は控え、車の運転もしないのが我々の感覚からすると、なぜ、避難勧告が出ているのに、強風大雨の中、傘をさして街中を歩いているのか?タイヤが隠れるくらい水没している道路を走ろうとするのか?理解に苦しみます。
 あんぜんで命を大切に 危機管理意識
 時間がたつにつれて被害の全貌が見えてきました。自然災害の多い日本列島に住み、これまでも多くの災害を映像で見て教訓にしてきたはずです。もっと危機管理意識(自分の身は自分で守る)を持つべきだと思いました。
 被災地の復旧には長い時間と莫大な労力と経費がかかります。体格で劣る日本チームが豊富な練習量と気力で強豪を次々と倒していきました。被害に遭われた方々に、ラグビー日本チームの活躍は、大きな勇気を与えたのは間違いありません。


 天都山展望台より


2019年10月15日火曜日

花だより 発達障がい シオン ジャガイモ


 一人の子どもを粗末にしたとき 教育はその光を失う
 家庭や学校で「コミュニケーションがうまくとれない」、「いつまでも落ち着きがない」、「漢字が覚えられない」、「社会的なルールがわからない」など、年齢にふさわしくない行動や様子が見られる場合、あるいは、学校嫌いや引きこもりの状態がある場合、LD・ADHD・高機能自閉症等の発達障がいがその理由の一つかもしれません。これらは生まれつきのものであり、子育ての仕方に原因があるわけではありません。発達や行動について心配があったら、世間体を気にしている場合ではありません。一人で悩まず、できるだけ早く学校や地域の相談施設の窓口に相談してみるとよいでしょう。早期発見・早期対応が必要です。専門的なアドバイスを受けて効果的な働きかけをすることによって、その子の困っている状態の改善が期待されます。また、周囲の理解も必要です。特別な目で見ないことです。
 児童相談所は、“問題行動を起こした不良の行くところ”と思っている方がいらっしゃるようですが、そうではありません。子どもに関する様々な問題に対して相談にのってくれるところです。守秘義務があって、相談したことが外部に漏れることはありません。子育ての強い味方になってくれるところです。また、北見市役所には「子ども支援課」、教育委員会には、特別支援教育コーディネーター、学校にもコーディネーターがいて相談にのってくれます。



2019年10月14日月曜日

花だより 子どもの作品を飾る ユウゼンギク モミジ 


  ・・・芸術の秋・・・子どもの作品を飾りましょう! 
 学校の近所にある中華レストランには、子どもの絵が貼ってあります。看板娘ならぬ看板息子の幼稚園ときからの作品がギャラリーになっているのです。この家庭の温かさを感じました。
 実は、私の父も絵や習字を玄関に額に入れて飾ってくれました。お客さんが来ると「あら、これ、よっちゃんがかいたの、上手ねえ~。」(お世辞を言わなければならない状況)それを聞いて、すっかり勘違いしたものです。今でも絵や習字が好きなのは、たぶんこれが理由です。教員になってからは、「子どもの作品は是非、家に飾ってください。」と保護者にずっとお願いしました。それもちゃんと額に入れてです。立派な額でなくてもいいのです。量販店で結構お手頃でいい額を買うことができます。額に入れると見栄えが全然違います。
 あるとき、すでに成人した教え子のお母さんに会ったとき、「先生、うちの子の絵、まだ玄関に飾ってあるんですよ。」と言われ、心がホッとステーションになりました。



2019年10月12日土曜日

花だより ネット社会での危機管理 シュウメイギク


≪ネット社会での危機管理≫
                 アドラー心理学実践家 椎 名  薫
 いま私たちは、たくさんのデジタル機器に囲まれ、スマートフォンを体の一部のように生活しています。このようなネット社会を踏まえた危機管理を考えることが、今日的課題と言えるでしょう。
 ネット社会は情報の画一化をもたらします。誰かの極端な意見、あるいはちょっと口を滑らした失言に敏感に反応し、不謹慎、非常識、無神経だと声が上がり、あっという間に非難・炎上です。その一方で、多くの人たちは自分でものを考えることをせずに、ただちにスマホ画面をタッチして、そこに集まる大多数の意見に影響されます。これは一見、個性的な考えに見えて、みんな同じようなことを言っています。そして、本当に因果関係があるのか、道理にかなっているかなど怪しく思われることがあります。
 一例を挙げれば、いじめの問題がそうです。昨今はいじめ問題イコール学校と教育委員会が「おかしい」という論調が主流です。識者もマスコミも、そこに原因を収斂し非難と糾弾を繰り返します。学校には、「隠ぺい」的体質がある、教室は「密室」だから何が起こっているかわからない…。何か事が起こると「(学校は)○○ってことですか?」と、いまの社会通念を押し付けて事件の解決を求めます。さらに状況がこじれはじめると、「(学校は)逃げる」、そして担任は「辞めろ」とたやすく進退問題にエスカレートします。
 ネット社会の特性として、それぞれが自分の考えをもって行動するのではなく、ある限られたキーワードによって組み立てられたパターンに従っているところがあります。そして、個人の直接的な利害に結びつかなければ無関心なのに「~であるべき」との評論で賑わうのもその特徴です。学校で発生する危機は、オーバーに宣伝され、その火消しに終始しなければならないケースがしばしばあるのではないでしょうか?
 これからの危機管理意識で重要なことは対応の迅速さです。どの学校も「ホウ・レン・ソウ」で対応に当たるでしょうが、そればネット時代のスピードに即応しているでしょうか?いじめ問題で考えるならば、初動対応で後れを取らないことです。また、情報の真偽をよく見極め、的を射た対処を心がけたいものです。
≪だれの責任なのか 誰がリスクを引き受けるか≫
 ネット社会が私たちの日常を次々と変容させているのに、学校は相変わらずアナログ的な教師の「手仕事」による管理及び処理を行っています。キャッシュレス、ペーパーレスの時代なのに、なぜ学校(だけ)は旧態依然なのか?保護者の人たちの大半はそう思っているでしょう。集金は集金袋、家庭との連絡は「おたより帳」、学習内容や持ち物など、毎日数枚のプリントを渡します。プリントの中には、子どもの情報を記入させて回収するものなど、個人情報がそのまま載っています。学校現場ではありふれた光景ですが、これはかなりのリスクを伴っています。現金が教室にあったり、個人情報が身近に置かれていること自体が問題で、何か事が起こったら、そこに遡って危機管理が問われることでしょう。
 情報化社会の中で、一人置いてけぼりにされた感のある学校現場にネットシステムを導入しようと思えば決してできないことではありません。集金は、銀行口座やネット銀行、学校からの連絡はメール配信、個人情報はクラウドシステムへ、そうすれば教師たちの紙ベースの膨大な事務処理は大幅に軽減され、必然的に教育の質がアップするはずです。
 しかしながら、これば言わば机上の空論に近く、学校の特殊性を踏まえて考えれば様々な壁にぶち当たります。一口に集金と言っても、教材費、赤い羽根、緑の羽根などの募金、PTA会費など、勧進元が多方面にわたります。いろいろな経緯があってアバウトに学校・教師に「おまかせ」の状態なのです。まずはその交通整理をしなければネットシステムはかえって災いをもたらします。
 学校は担任を窓口とする仕事が多すぎること、そして職員室という一つの部屋で指導案や成績処理、文書作成、備品営繕、その他の物品管理などなど多種多様な仕事をこなしているということも指摘しておかなければなりません。「学校は遅れている、だからネット導入だ」ではなく、学校、家庭、各関係機関の責任をより明確にし、線引きした上でのネット利用が望まれます。
 ≪新学習指導要領の実施のもとで≫
 新学習指導要領の実施の時期を迎えています。「社会に開かれた教育課程」と銘打ち、カリキュラムをマネジメントして、そこにプログラミング教育、小学校では英語、そして、現代的諸課題への対応、スピードを増しているネット社会の変化に応えるべく多様な内容など、新機軸が目白押しです。
 しかし、一読してため息が出てしまいます。一体これをいつ、どこでやるのか。いまだって子どもたちは、ガチガチに組まれた分刻みの日課表のもと、休み時間も各学校独自の「○○タイム」で実質つぶされることが多いため、一日を終えると高学年はクタクタです。新学習指導要領は「学習内容の削減は行わない」と明言し、内容もより高度になっています。現在の状況にさらに新しい活動が盛り込まれれば、ますます息が詰まってしまいます。
 しかし、そんな姿を知ってか知らずか、ネット上では、アメリカの学習プログラムを見よ、フィンランドメソッドを見習い子ども主体の授業を、などと優れた授業サンプルが提示されています。それは分かりますが、それぞれのお国の事業と学校への期待が違うのです。
 一例を挙げれば、いわゆる学校行事にこれほど準備時間を費やす国はないでしょう。他の国でも運動会や遠足、修学旅行などはありますが、原則として自由参加です。また、いわゆる集団行動という発想そのものが無いのです。教師たちが声をからして訓練する整列や全体行進、さらに組体操を外国の人たちが見たらどう感じるでしょう。
 子どもたちにいま必要なのは、メンタルヘルスであり、ホッとした時間を与える心身の均衡をとることです。ネット社会はどこまでも速い・簡単・便利を追求しますが、その代償として私たちは常に忙しく慌ただしく暮らさなければなりません。したがって、教師は、子どもの学習意欲を鼓舞する一方でストレスマネジメントに心を砕かなければならいでしょう。
 また、学校における最も急務の課題は、学校行事の精選・削減であり、小学校のクラブのような教科・領域に属さないものは、いままでの習慣にとらわれず思い切って止めるべきです。かつて学校の「スリム化」、最近は「断捨離」などと言われますが、まだまだ足踏み状態と言ってよいでしょう。
 新教育課程の中で、こうした取り組みがまさに「子どもたちを守る」という危機管理の基本として考えるべきではないでしょうか?


2019年10月11日金曜日

花だより 朝のあいさつ ダリア マツタケ

  ~3つの「あ」~
 あいさつで人を大切に あんぜんで命を大切に あとしまつで物を大切に
 /././././まず始めよう、朝のあいさつ/././././
 挨拶のできる子はとても朗らかです。そして、利発そうに見えるものです。実際、声が大きければ大きいほど朗らかな気分になります。
 家庭の中のマナーの始まりは、朝のあいさつにあります。
 朝起きて顔を合わせたら「おはよう」と声をかけ合う。
 ときに子どもは面倒くさがります。学校でおもしろくないことがあったときなどはきっとそうでしょう。ブスっとふてくされたような顔になっています。
 こんな表情を見たら、お母さん、お父さんはいつもより大きな声で「おはよう」と声をかけてください。
 無視されたらもっと大きな声で「おはよう」と、子どもは聞こえないような声で「おはよう」と応えるでしょうね。こんなときは「おや、聞こえないよ」と子どもの顔を覗き込んで微笑みかけましょう。
 ご飯のときの「いただきます」、帰ってきたら「ただいま」
 そのつど交わされる家族のあいさつは、日常生活のめりはりなのです。悪い仲間とつきあい始めると子どもの生活態度が崩れてきます。まずあいさつの習慣が消えてしまいます。黙って出て行く。黙って家に帰ってくる。面倒くさそうに箸を取る。食事が終われば黙って自室にこもってしまう。
 けじめのない生活態度は、まず家庭内のルールとかマナーを無視することから始まります。それにあいさつのできない子は、全体にやる気のない子であることが多いのです。


2019年10月10日木曜日

花だより 電車の中で座らない シイタケ ハマギク

 こころの強い子」は成績が伸びる
        多 湖  輝 著
 ・・・電車の中で座らない・・・ 情けない話ですが、日本人の電車でのマナーはかなりいい加減になっているようです。車内で携帯電話をかける。ものを食べる。食べた後の袋や箱を床に捨てる。お化粧をする。お年寄りが立っているのにしらんぷり。どれも日常的な光景です。
 電車に家族4人連れが乗ってきました。空いている席は優先席だけでした。家族はその前に立ちました。お母さんが姉妹に「座る?」と聞きましたが、子どもたちは「この席はお年寄りの席だよ」とはっきり言って座るのを拒否しました。いい子だなと思いました。次の駅で若い女性が2人乗ってきました。彼女たちは立っている子どもを押しのけるようにして優先席に座ってしまいました。そのとき子どもは何を感じたでしょうか。
 近距離の異動ならなるべく座らない。そういう習慣を子どものときからつけさせることが大切です。もちろん長距離のときは別です。そうすることでがまん力が育つし、子どもの体力もバランス感覚もついていくのです。
 電車に乗るとまず空席を探す若者がいますが、たいてい目に力のないのが気になります。夜更かししているのでしょうか。体力もなさそうです。若者は若者らしく立っている方が、凛々しくて快活に見えるものです。


2019年10月9日水曜日

花だより “まるいやねの教育”と“学芸会” デコボコカボチャ


 “まるいやねの教育”と“学芸会”
「経済の伝書鳩」(北見版)に北見市の全国学力学習状況調査の結果が載りました。ある保護者から「北小はどうなんですか?」と聞かれました。
「新聞に書いてある通りです。」と答えましたが、「これは今始まったことではなくて、お母さんの時代、それ以前から、この傾向は変わっていないと思います。むしろ、ここ最近は、全国との差は縮まっています。」と説明すると
「やっぱり、練成会か志学会に通わせないといけないですかね?」と心配していました。
 学習塾側にこの結果は大歓迎!!
「学校に任せておいても学力は伸びません。中学校の学力が全国平均に近いのは、塾通いの生徒が多いから!」とPRの材料にしています。
 学力向上には、家庭環境も含めた総合的な見直しが必要ですが、学校は勉強するところです。子どもたちに確かな学力をつけるために最大限の努力が必要です。一番危機感を持たなければならないのは私たち教師です。
 北小の校舎にまるい部分を取り入れた先人たちの思いを受け継ぐ・・・
 全国学力学習状況調査の結果公表に合わせたかのように、学習塾のチラシが一斉に新聞に入りました。子どもたちの話によると、ある学習塾では、毎日やるテストに合格しないと帰れないそうで、帰宅が夜の10時を過ぎることもあるそうです。学力を上げるには、確かに学習塾は効果があります。
 学校教育 塾と違って学校のカリキュラムはうまくできていて、運動会、遠足、学芸会などの特別活動(行事)が年間にバランス良く配置されています。まさに、学校は人工的な角張ったものだけではなく、自然界に近い「まるい」ものを取り入れるという思想です。
 まるいやねの教育=特別活動の充実(学芸会などの行事)
 自主的に行動できる子どもを育てたい! 仲良く協力できる学級をつくりたい!
 全校児童を生き生きさせたい! 学校を元気にしたい!

今さら言うまでもなく、特別活動は、子どもたちの自治的な能力や自主的な態度を育て、 学力向上の基盤に必要な望ましい人間関係を築き、いじめや不登校などの問題に対する予防薬的な役割を果たすなど、子どもたちの成長に欠かせない教育活動です。
 特別活動のねらいは、望ましい集団活動を通して、心身の調和のとれた発達と個性の伸長を図り、集団の一員としてよりよい生活や人間関係を築こうとする自主的、実践的な態度を育てるとともに、自己の生き方についての考えを深め、自己を生かす能力を養うことです。その中でも学芸会は、目標に向かって学級のみんなが協力して取り組むことの大切さ、達成感や満足感など、学校教育になくてはならないものです。また、保護者に対して、遠足や学芸会などの行事を通して、子どもたちの成長の様子を見せることで、学校の説明責任を果たすことにもなります。
 学芸会は教師の指導力が問われる  
 満足感、達成感は、学芸会のできにかかわってきます。プロデューサーであり、監督、脚本、演出、指揮をする教師の腕の見せどころです。教師の指導力=「学校力」です。ですから、学芸会で保護者に北小の先生方の指導力の高さを示して欲しいと思います。今年は、本番だけを見ることになります。普段の練習の様子を観てきましたが、どの学年も趣向を凝らした演目のようですので、期待をしているところです。


2019年10月8日火曜日

花だより  全国小学校長会研究協議会(山口大会)サラシナショウマ クルミ

 全国小学校長会研究協議会(山口大会)に参加して(10月22・23日)
 NHK大河ドラマ「花燃ゆ」(井上真央主演)の舞台になっている長州(山口県山口市)に全国から2600人の小学校の校長が集まった大会に参加してきました。日本の教育が抱えている課題など、難しい内容を2日間にわたり、講話を聞いたり、意見交換をしたりしてきました。
 難しい話は別にして、分科会のグループ討議のとき、千葉県船橋市、鹿児島県奄美大島の校長先生と一緒になり、休み時間にこんな話をしました。
「船橋市と言えば、ふなっしーが有名ですよね?」
「公認キャラを申請したけれど、断られたようで、船橋市には、別に公認キャラクターがいるのですが、知名度はまったくない!公認されなくてよかったんですよ。今は超売れっ子で市の長者番付では、1位じゃないですか?ある梨農家の庭先に着ぐるみが干してあったという話がありますよ。」と裏情報をもらいました。
「奄美大島といえば、カラオケバトルで有名な歌手の城 南海(きずき みなみ)さんの出身地ですよね?」
「奄美は、とにかく何かあると、泡盛と島唄と踊りなんです。小学校の「総合」でもやっています。歌の上手い人は、たくさんいます。三線もほとんどの人が弾けますよ。島唄は沖縄だと思っている人が多いようですが、奄美が本場ですから…。」と奄美の自慢話がしばらく続きました。
「帰るとすぐ学芸会なんです。」
「えっ!学芸会ですか?うちの方では、音楽発表会とか学習発表会はやっていますけどね。もう学芸会はやっていません。秋は運動会ですね。」
日本は広いです。ところ変われば…です。北海道では当たり前のことが、他の地域では珍しいということがたくさんありました。朝、登校する子どもたちの集団に出会いました。小学生は制服を着ていて、先頭は交通安全の旗を持った6年生です。山口県では、集団での登下校が当たり前だそうです。
『おいでませ山口』 幕末、日本を大きく動かす歴史舞台となった山口県には、志を胸に懸命に生き抜いた先人たちの熱いエネルギーが今もなお息づいている感じがしました。“志を立ててもって万事の源となす” 自分のことより、天下国家を大事にして、松下村塾を主宰し、幕末・維新に活躍した多数の志士達(久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋など)を輩出した吉田松陰は、わずか30年の生涯でしたが、その感化力は、世界史上でも類がなく、不世出の教育者として知られています。
 私は間もなく60歳の還暦を迎えます。吉田松陰の倍生きていますが、この差は何かな?と反省した旅でした。山口は10月だというのに連日25℃を超える暑さでした。


2019年10月7日月曜日

花だより アンパンマンは“世界最弱”のヒーロー ドングリ コスモス


 純真な心 最期まで アンパンマンの作者
 アンパンマンは“世界最弱”のヒーロー 
 ちょっと汚れたり、雨にぬれただけでも、ジャムおじさんに助けを求める。でも、いざというときには、自分の顔をちぎって食べてもらう。そして戦います。それは私たちも同じ。みんな弱いけれど、そうせずにはいられないときもあるのです。
アンパンマンを知らない子どもはいません。あれほど幅広く、子どもたちに親しまれるキャラクターを作れる人はほかにいません。しかし、73年に「アンパンマン」の最初の漫画絵本を刊行したとき、大人たちには大変不評でした。ところが、各地の幼稚園では絵本がボロボロになるまで読まれたそうです。人気に火を付けたのは純真な幼い子どもたちでした。アンパンマンといえば、ばいきんまんやドキンちゃん、しょくぱんまんなどの多くのキャラクターですが、登場キャラクター数1768は、ギネス世界記録に認定されています。これは晩年まで創作意欲が衰えなかった表れです。
「どうしてアンパンマンが好きなのか?」と3年生の女の子に聞きました。「なぜだかよくわからないけど、きらいな子はいないよ。アンパンマンの歌だってみんな知ってるよ。」
 アンパンマンは人に優しく、勇気を分け与える。そんな姿を、子どもたちもきっと学んでくれるはずです。やなせさんは、90歳にして童心を忘れない人でした。生前「子どもたちが遊ぶ下で静かに眠りたい。」と語っておられたそうです。



2019年10月6日日曜日

花だより 「半沢直樹」 ハゲイトウ カボチャ


 倍返し・10倍返し・100倍返し 半 沢 直 樹
「半沢直樹」は、銀行を舞台にした池井戸潤さんの小説が原作の金融ドラマ。堺雅人さんが演じる大手銀行員が、理不尽な要求や不正を働く上司を次々に倒していくという内容です。サラリーマンやOLを中心に人気を呼び「やられたらやり返す。倍返しだ!」を決め台詞が、流行語になっています。今年の流行語大賞は、「今でしょ!」で決まりかと思っていましたが、強力なライバルが出ました。私は、子どもたちが「倍返し」と騒ぐようになってから見るようになりました。瞬間最高視聴率は46.7%、関西地区では50.4%と驚異的な数字を叩き出し、「倍返し」は社会現象になりました。
≪なぜ?ここまでヒットしたのか?≫
~高視聴率の要因は、流行語となった「倍返し」を初めとする勧善懲悪が、じょうずに盛り込まれていることです。長寿番組「水戸黄門」に代表される勧善懲悪は、ドラマの定番中の定番です。しかも「半沢直樹」の勧善懲悪は、国民の間に深く根ざしている「銀行悪者論」をバックにしているから、ますます受けがよくなるのです。~と経済アナリストの森永卓郎さんは時代劇のような「勧善懲悪」と銀行悪者論がマッチしたと言っています。
また、「暑苦しいほどの熱さ」なのかもしれない。『半沢直樹』そのものがそういう物語なのですが、これを暑苦しいほど熱く演じた半沢直樹役の堺雅人や大和田常務役の香川照之、片岡愛之助や及川光博などの俳優陣とそれをさらに暑苦しいほど熱く演出した点にあるという人もいます。
 ところが?「やられたら、倍にしてやりかえす!」は当たり前?
 流行に敏感でテレビの影響を受けやすい子どもたちの間には、「やられたら、倍返し、1発叩かれたら2発返す。いじわるされたら、倍にして返してやる!」と勘違いしている子がいます。
「勧善懲悪」とは、“善を褒め、悪を懲らしめること”です。「倍返し」は「勧善懲悪」であり、水戸黄門が番組の最後に印籠を出して、悪者を懲らしめることです。「やられたら、やり返す」ことが、この番組の趣旨でないことを親はきちんと子どもに教えなければなりません。



2019年10月5日土曜日

花だより 自分の行動に責任をとらせる イタドリ


《イキイキ子育て》
  ~ 自分の行動に責任をとらせる ~
 子どもが野球をして遊んでいて、近所の窓ガラスを割ってしまったら、いっしょにその家に行って子どもに謝罪させましょう。窓ガラスの費用の一部をおこづかいから出させるのも、子どもにとってはよい経験になります。もし子どもが遊んでいるときに友だちの物を破ったり、壊したりしたら、その子どものところに行かせて、どんな償いをするか話し合いをさせましょう。「ごめんなさい」と言うだけで済むこともあるかもしれませんが、場合によっては、子どもが何らかの形で弁償する必要があるかもしれません。
 相手のいる前で子どもの間違いや悪い行動を簡単に片付けると、子どもに「それは重要なことではない。」というシグナルを送ってしまいます。また、子どもは何歳であっても、親が子どもの罪をかぶると、「自分が何をしても、かばってもらえる。」という甘えが生じます。どちらのやり方も、子どもに責任感を持たせることができず、自分の不適切な行動を正当化することにつながります。
 子どもが自分の行動に責任をとり、被害に対して弁償をするとき、自分の間違いを直視し、それを解決することによって精神的により強い人間になることができます。
 自分の価値を認識し、自分に自信のある子どもは、自分の間違いを直視し、悔い改め、相手の許しを求めることができるのです。
 

2019年10月4日金曜日

花だより 「いじめ」対応 日々の生徒指導の充実が重要 アシタバ


「いじめ」って何か迷う  生徒指導コンサルタント 吉田 順  
 ≪「いじめ問題」の混乱≫
 「管理職から『いじめを見逃すな』『いじめはきちんと報告せよ』と言われ、いじめの対応の報告とその報告書づくりに追われ、親から問い合わせがあれば大事件のように扱うことになります。
 確かにいじめが重要な課題なのはわかりますが、何か本質から外れている気がして虚しくなります。程度の差こそあれ、教師ならこの嘆きを経験しているのではないでしょうか。なぜ、このようなことが起きるのでしょうか。
 ≪学校現場で起きている“実際のいじめ”は≫
 いまさらと思うでしょうが、確認しておきましょう。
 まず暴力系の「いじめ」です。これは指導しやすいわけです。加害者も「暴力」という事実があるので認めざるを得ないからです。
 問題は、「嫌がらせ行為」による「いじめ」です。執拗に継続されると、暴力系の「いじめ」以上に苦痛なのですが、加害者は「ちょっと言っただけ」「それくらいのことで…」などと思っていますから、いじめたという認識が極めて乏しく、そう簡単に「いじめ」を認めません。
 しかも、「嫌がらせ行為」は、当初は一方的な行為ではなく双方向的な「遊び」「ふざけ」や「対人関係のトラブル」「いざこざ」「もめごと」「けんか」など、この時期の子どもたちなら誰もが経験するもの(総称して生徒間の「軋み」と呼ぶ)から始まることが多いです。はじめから「いじめ」としてはじまることはほとんどないのです。
 ≪「いじめ」は“生徒間の軋み”からはじまる≫
 いじめは、誰にでもある「生徒間の軋み」からはじまることが多く、加害者は、いじめの認識がなく、「遊んでいただけ」「されたから自分もしただけ」などと主張し、「いじめ」とは認めません。
 これは重大な認識のズレです。日本中の大人やメディアがこぞって「いじめはいけない」と言っても、30年にわたり一向にいじめが減らないのは、加害者がいじめをしていると認識していないからです。
 学校の先生たちは、この時期によくある「生徒間の軋み」はよく知っていますから、これを即座に「いじめ」として指導することはありません。これを「いじめ」として指導したのでは、全ていじめとして対応することになり、現実的ではありません。
 いじめの対応は、加害者と被害者という構図を前提に指導するものです。これでは双方に言い分を聞いてもつれた糸を解きほぐすような指導はできません。かえって人間関係がこじれて「生徒間の軋み」がいよいよ「いじめ」に発展していきます。
 ところが、いじめ問題の解決ためには、「早期発見・早期対応」がいじめの特効薬のように思われています。そもそも、いざこざやもめごと、冷やかし、からかいなどの初期の段階で「いじめかどうか判断する」などということはできるはずがないのです。
 できないのにしようとするから、判断の間違いが起きるのです。ただのトラブルなのか、重大なトラブルなのか、生徒の心の中を正確に言い当てることができるでしょうか。本人ですらわからないことなのです。
 重大事態を招いた学校が、「いじめだとは思わなかった」「ただのトラブルだと思った」「一過性のからかいだと思った」などと弁明するのはよくあることで、その結果、「生徒間の軋み」は放置され、激しいいじめになっていくのが常です。
 ≪生徒間の軋みが強くなる≫
 いじめを初期の「生徒間の軋み」(トラブル、もめごとなど)の段階で早期発見して、常に正しく「判断」しようとするから間違うのです。この段階では、当たることもあれば、当たらないこともあるのです。その結果、「いじめではない」と判断された「軋み」は、「様子を見る」「解決したと思っていた」となり事実上放置され、重大事態に至るわけです。
 教師に必要なものは、いじめを見抜く目ではなく、初期の「軋み」に対応する力ということになります。
 その結果、対応した「軋み」が「これはいわゆるいじめだろう」などという判断ができることもあるでしょうが、重要なのは「軋み」を解決することであり、この「軋み」が「いじめかどうか」を判断することではありません。
 仮にこの「軋み」を「いじめ」と判断できたところで、この「軋み」に対応できる力がなければ「いじめ」は解決できません。実際、重大事態を招いた学校には「いじめ」と判断したにもかかわらず、解決できなかった例が相当数あります。
 ≪日々の生徒指導の充実が重要≫
 初期の「軋み」に対応できる力とは、どういう力なのでしょうか。
 それは特別な生徒指導の力ではなく、まさに日々の生徒指導の対応力に過ぎないのです。
 子どもたちの世界で起きるトラブル、いざこざ、もめごと、嫌がらせ行為、などに対応するには、丹念に取り上げ、双方から言い分をよく聞き、人間関係のもつれを解きほぐす力です。
 最後に一言、盛んな“いじめ論議”に惑わされてはいけません。「『いじめの対応』とは毎日のように起きている初期の『軋み』に丁寧に対応すること」であることを全教職員で共有することです。