2019年10月4日金曜日

花だより 「いじめ」対応 日々の生徒指導の充実が重要 アシタバ


「いじめ」って何か迷う  生徒指導コンサルタント 吉田 順  
 ≪「いじめ問題」の混乱≫
 「管理職から『いじめを見逃すな』『いじめはきちんと報告せよ』と言われ、いじめの対応の報告とその報告書づくりに追われ、親から問い合わせがあれば大事件のように扱うことになります。
 確かにいじめが重要な課題なのはわかりますが、何か本質から外れている気がして虚しくなります。程度の差こそあれ、教師ならこの嘆きを経験しているのではないでしょうか。なぜ、このようなことが起きるのでしょうか。
 ≪学校現場で起きている“実際のいじめ”は≫
 いまさらと思うでしょうが、確認しておきましょう。
 まず暴力系の「いじめ」です。これは指導しやすいわけです。加害者も「暴力」という事実があるので認めざるを得ないからです。
 問題は、「嫌がらせ行為」による「いじめ」です。執拗に継続されると、暴力系の「いじめ」以上に苦痛なのですが、加害者は「ちょっと言っただけ」「それくらいのことで…」などと思っていますから、いじめたという認識が極めて乏しく、そう簡単に「いじめ」を認めません。
 しかも、「嫌がらせ行為」は、当初は一方的な行為ではなく双方向的な「遊び」「ふざけ」や「対人関係のトラブル」「いざこざ」「もめごと」「けんか」など、この時期の子どもたちなら誰もが経験するもの(総称して生徒間の「軋み」と呼ぶ)から始まることが多いです。はじめから「いじめ」としてはじまることはほとんどないのです。
 ≪「いじめ」は“生徒間の軋み”からはじまる≫
 いじめは、誰にでもある「生徒間の軋み」からはじまることが多く、加害者は、いじめの認識がなく、「遊んでいただけ」「されたから自分もしただけ」などと主張し、「いじめ」とは認めません。
 これは重大な認識のズレです。日本中の大人やメディアがこぞって「いじめはいけない」と言っても、30年にわたり一向にいじめが減らないのは、加害者がいじめをしていると認識していないからです。
 学校の先生たちは、この時期によくある「生徒間の軋み」はよく知っていますから、これを即座に「いじめ」として指導することはありません。これを「いじめ」として指導したのでは、全ていじめとして対応することになり、現実的ではありません。
 いじめの対応は、加害者と被害者という構図を前提に指導するものです。これでは双方に言い分を聞いてもつれた糸を解きほぐすような指導はできません。かえって人間関係がこじれて「生徒間の軋み」がいよいよ「いじめ」に発展していきます。
 ところが、いじめ問題の解決ためには、「早期発見・早期対応」がいじめの特効薬のように思われています。そもそも、いざこざやもめごと、冷やかし、からかいなどの初期の段階で「いじめかどうか判断する」などということはできるはずがないのです。
 できないのにしようとするから、判断の間違いが起きるのです。ただのトラブルなのか、重大なトラブルなのか、生徒の心の中を正確に言い当てることができるでしょうか。本人ですらわからないことなのです。
 重大事態を招いた学校が、「いじめだとは思わなかった」「ただのトラブルだと思った」「一過性のからかいだと思った」などと弁明するのはよくあることで、その結果、「生徒間の軋み」は放置され、激しいいじめになっていくのが常です。
 ≪生徒間の軋みが強くなる≫
 いじめを初期の「生徒間の軋み」(トラブル、もめごとなど)の段階で早期発見して、常に正しく「判断」しようとするから間違うのです。この段階では、当たることもあれば、当たらないこともあるのです。その結果、「いじめではない」と判断された「軋み」は、「様子を見る」「解決したと思っていた」となり事実上放置され、重大事態に至るわけです。
 教師に必要なものは、いじめを見抜く目ではなく、初期の「軋み」に対応する力ということになります。
 その結果、対応した「軋み」が「これはいわゆるいじめだろう」などという判断ができることもあるでしょうが、重要なのは「軋み」を解決することであり、この「軋み」が「いじめかどうか」を判断することではありません。
 仮にこの「軋み」を「いじめ」と判断できたところで、この「軋み」に対応できる力がなければ「いじめ」は解決できません。実際、重大事態を招いた学校には「いじめ」と判断したにもかかわらず、解決できなかった例が相当数あります。
 ≪日々の生徒指導の充実が重要≫
 初期の「軋み」に対応できる力とは、どういう力なのでしょうか。
 それは特別な生徒指導の力ではなく、まさに日々の生徒指導の対応力に過ぎないのです。
 子どもたちの世界で起きるトラブル、いざこざ、もめごと、嫌がらせ行為、などに対応するには、丹念に取り上げ、双方から言い分をよく聞き、人間関係のもつれを解きほぐす力です。
 最後に一言、盛んな“いじめ論議”に惑わされてはいけません。「『いじめの対応』とは毎日のように起きている初期の『軋み』に丁寧に対応すること」であることを全教職員で共有することです。


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