2020年1月23日木曜日
花だより 慎(つつし)みはゆとりの心から シンビジウム
心遣いが種まき 耳は聞いて喜ぶ 目は見て喜ぶ 口は人をほめて喜ばせ
手足は、働きによって 傍々を楽にさせて 喜ばす
喜びの種は 喜びの実となって 我が身に返ってくる
慎(つつし)みはゆとりの心から (お葬式のお説教から)
肥大した欲望が、個人を、人類を押しつぶしかねない今日の世相です。感情をコントロールできない短絡的な行動(最近の悲惨な事件)に唖然とするばかりです。
今は慎みという言葉は、死語になってしまったのではないでしょうか。慎みは我慢ではありません。弱気でもありません。心のゆとりから生まれてくるものです。
目の前のことだけでなく、先を考える余裕、自分のことだけでなく、周りの人のことを考えるゆとりから出てくるものです。
慎みある生き方が、結局のところ一番確かな、長続きする道だということを忘れてはなりません。豊かな時代だからこそ、子どもには、我慢することを覚えさせる必要があります。それが自分をコントロールする第一歩です。そのためにも、先ず大人が慎む姿勢をしめさなければなりません。
*宗教や宗派の違いに関係なく、大切なことだと思いました。最近、お説教を聞いて「ありがたなあ~」と思うようになりました。これも歳をとったせいでしょうか?
平成28年3月 北見市立北小学校退職、その後、北見市教育委員会教育専門相談員、令和2年4月から、訓子府町教育委員会教育専門員 令和3年4月から、訓子府町認定こども園長
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿