疫病を鎮める
奈良の大仏建立の理由の一つは、流行疫病を鎮める(無病息災を願う)ことだった。医学の発達していない時代には、ときの権力者の疫病対策は、巨額を投じて神社仏閣を建立することだった。建物が完成するまでの数年の間に、疫病も終息し、民は建立のご利益だと信じたに違いない。宗教信仰の根本には、こんなこともあったのだろう。
新型コロナウィルスの流行で、国の対応が議論になっている。国家の最大の責務は、国民の生命、財産、国益を守ることにある。残念ながら、目に見えないウィルスには、完璧な隔離はできないし、対処する検査方法やワクチン、薬の開発には、相当の時間がかかるのは分かる。昔のような神頼みでは済まないが、その対応が国民の目に見える形で示されないと安心はできない。
今回の感染症は、感染率は高いが、致死率は低い。高齢で疾患がある場合を除いては、重症になることはない。インフルエンザとさほど変わりはないという。この時期、学校ではインフルエンザが流行し、学級・学校閉鎖が相次ぐのだが、今年は聞かない。新型コロナウィルスの報道で、みんなが手洗いの励行とマスクの着用、人込みを避けていることが原因らしい。
マスク不足が報道されると、北見ではそうでもないだろうとドラッグストアに行ってみたら、「品不足でご迷惑をおかけしています」という張り紙があった。
「病は気から」と言うが、情報社会においては、ただ不安をあおるのではなく、報道による正しい情報提供も必要である。
昔から新年の行事である「なまはげ」や「節分」などは、邪気(病気などを起こす悪い気)を払うものであった。「ひな祭り」や「端午の節句」も、子どもの健やかな成長を願うものである。願うだけでなく、病気やけがをしないように普段から気を付けましょうと再認識する日だとすれば、古代の人たちからの予防の教えだと思いたい。
バレンタインやホワイトデーで、浮かれている場合ではない。「日本の行事」を大切にしてほしい。
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