避難訓練の講評~消防士さんから狩 野 亮 選手のちょっとイイ話~
バンクーバーパラリンピック金メダリスト狩野 亮選手が網走一中在学中の避難訓練のときの話です。2階から避難するとき、同級生4人が車いすを持ちあげて階段を降りてきたのを見ました。避難訓練に決まったマニュアルはありません。そのとき、その場で的確な判断ができるかどうか、特に学校の場合は、みんなで協力して避難することが大切です。
夢を持つと人は強くなる
冬季バンクーバーパラリンピック金・銅メダリスト 狩 野 亮 選手(網走市出身)
私は、斜里町立朝日小学校で亮くんのお母さんと一緒でした。お父さんは斜里中学校で野球部の顧問。お母さんは、専門が体育で陸上の選手でした。アスリートの血を受け継いだ亮君でしたが、小学生のとき交通事故で下半身不随になりました。狩野先生は、苦労話など他人にする人ではありませんでした。いつも笑顔で優しく子どもたちや保護者に接し、誰からも好かれ信頼されていました。亮君がワールドカップで優勝し、バンクーバーパラリンピックの日本代表選手に選ばれたとき狩野先生は「交通事故で下半身を失ったのに、なぜこんな危ない競技をするのか。猛スピードで滑走し、もし転倒したら、取り返しのつかないことになるのに、と毎回毎回祈る思いで見ていました。いろいろあったけれど・・・。神様からご褒美をもらった気分です。」と話されていたことを思い出しました。亮君はもちろんすごいですが、それを支え続けたご両親にも特大の金メダルを贈りたいです。
人は 泣いたぶんだけ やさしくなれます。笑ったぶんだけ 幸せになります。
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